少し暗い話だが…
2010-02-18 11:05:39 Theme: 雑談 posted by osaka623ラジオでは、飄々としていて、いかにも悩みの無さそうな感じに思える人もいるだろうか?
…まぁ、俺のイメージなんて、俺には分からないけどね。
そんな俺だが、実は物凄いマイナス思考の持ち主で、とても適応力の低い人間だ。
今回は、自分で書いて自分で振り返る目的もあるのだが、少しでも共感してもらえれば嬉しい。
さて、あんまり大きな声で言いたくないが、今の俺は『無職』だ。バイトすらしていない。
…理由は簡単、今の状態では満足に働けないからだ。
事の発端は、今から2年前の夏頃だ。
初めての正社員として、中小企業のダンボール製造工場の管理課の1人として働いていた。
仕事内容は、製造管理。
ようするに『この種類を300個作ってください』と、現場に指示を出す仕事だ。
はっきり言うが、入社半年のペーペーが1人でやるような仕事じゃない。
…前任の人でも、慣れるのに3年はかかったと言われる役目だ。
(その人は、3月で定年退職)
俺は全力で頑張っていた。失敗もあったが、根性で乗り越えていた。
社長も、それなりに俺を買ってくれていた。周りの評判も悪くは無かったと自負している。
…だが、その頃の俺は『ある違和感』を覚えていた。
徒歩で歩いている時に、まるで坂道を登ったり降ったりしてるような感覚かな。
とにかく、「アレ?」って思う事が何度かあった。
その時の俺は、動画のうp主として『小早川ゆたかの降臨』を全力で作っていた。
ペースは結構速かったと思う。他に打ち込む趣味も、殆ど無かったしね。
しかし、そんな俺の働きを快く思ってない人物が1人だけいた。
…管理部長(社長の長兄の長男。長兄は先々代社長)である。
中小企業ってのは、基本的に一門経営が多い。要職は全て一門衆という事だ。
前々から分かっていたのだが、彼は後の社長就任が決まっていた。
そこで、全てが狂った。
人間的には仲は悪くなかったが、仕事に対する考え方が全然違った。
先代社長は、マニュアルなどは重視せずに、社員が1番働きやすいと思っているやり方を推奨してくれた。
…だが、若き新社長は、それを撤廃した。
ここで、俺の嫌いな言葉を教えよう。
『迅速かつ丁寧に』という言葉だ。
矛盾していると思わないか?
速くやろうと思えば、ある程度の粗が出てくるのは当然。
逆に、丁寧にやろうと思えば、効率が落ちるのも当然だろ?
俺の仕事は、基本的にスピード勝負だ。
やる事が多すぎるので、力の入れる所と抜く所の判断力が求められる。
…最初のうちは、全部丁寧にやっていたが、終わったのが20時過ぎなどザラだった。(定時は17時)
仕事ってのは慣れてくると、次第に『ここの項目はあまり重要では無いから流し読み程度で良い』
とか、そういう事が見えてくるはずだ。
それで、作業効率を一気に上げて、いくら遅くなっても残業1時間程度で帰れていたのだ。
…しかし、自業自得かもしれないが、それが新社長の目に止まってしまった。
結果は出ている。トラブルも無い。だが、とことん気に入られなかった。
しかも、彼は『直接的』では無い人間だ。言い回しが非常に狡猾。
こうなってしまうと、立場は非常に苦しい。
次第に追い詰められ、何か仕事をこなしても、確実に疑いの目で見られるという屈辱も味わった。
…そう、元々無きに等しかった信頼が、完全に不信に陥ってしまったのだ。
その頃から、過労を疑い始めた。
疲労回復の為に、整体に通ったりもした。
ちょっと、慣れない事が続いて疲れているんだと。
動画の更新ペースも、少し落とした。
そんな俺は、気分転換をしようと、有給をかなり強引に取得しての東京旅行を計画し、実行した。
だが、この事実上の逃避行が、俺の精神を相当なまでに蝕むという、皮肉な結果に終わった。
分かってしまったのだ、今の自分が非常に不安定であると。
精神的にガタガタで、どうにもならないと。
愛知という地元から離れすぎた事で、不安が募っていたのも引き金だ。
(本来ならば、東京は第2の故郷であり、慣れている場所だ)
ネカフェに宿を取る。…が、全く眠る事が出来ない。
元々、俺は『枕が変わると寝付きが悪くなる』という、どこかのおっさんみたいな人間だった。
…だけど、悪くなるだけで眠れないなんて事は無かった。
今回ばかりは違った。もう、一睡も出来なかったのだ。
そこで俺は思った。もっと落ち着ける空間ならば、眠れるかもしれない。
東京時代の友人を頼り、そこで泊めてもらう事になった。
敢えて書くが、俺は泊めるのは好きだが、泊まるのは気が乗らなかった。
…つまり、既にそれほどまでに追い詰められていたという事だ。
結果は、お察しの通りだ。
…またしても、一睡も出来ない。もう2徹だった。
はっきり言おう、初めて本気で死ぬかもしれないと思った。
そして、鉛の様な体を引きずり、愛知に戻った。
帰りの新幹線で、ほんの数十分だけ仮眠が取れたような気がしたのが、幸いだった。
さて、有給は確かに社員の権利だ。
…だが、誰もが公平に行使出来ると思ったら大間違い。
俺の仕事は管理課の事務仕事だ。
そして、中小企業故に代役が誰もいないのだ。(いるとしても、屈辱的な事に新社長。←しかもお世辞にも上手いとは言えない)
ボロボロの逃避行から帰ってきた後の俺の扱いは…想像が付くだろう?
慰安旅行もへったくれも無い。裏切り者に母国の風は冷たい…って所だろうか。
そして、遂にやってしまった。
…仕事中に、急激な体調不良を覚えて、強引に会社を抜け出し病院へ。
新社長には『1時間で戻る』と言い放ったが、どう考えてもそれが無理なのは明白だった。
結果は、病院でダウン。救急車を呼ばれて、市民病院へ搬送された。
…しかし、病名など無いのだ。
強いてあげるならば、自律神経失調症にして、うつ状態と言った所か。
入院する必要も無いのだから、そのまま簡単な診察だけ受けて家に帰された。
その後、会社側に多大な損害(事実上の職場放棄だから何も言い返せないが…)を与えてしまった俺。
…加えて、俺は『入社半年のペーペーに、入社30年越えのベテランと全く同じ事は出来ない』と言い放った。
そう、最後の望みは『前社長のやりかたでやらせてくれ』と懇願する事だった。
結果は目に見えてるだろ?『会社都合による失業』さ。
ここはね、俺は事前に親父と相談していた。
「恐らく、お前はこの会社に居座る事は出来ないだろう。ただし、自分の口から『辞めます』とは絶対に言うな。何としてでも『会社都合』で『辞めさせられた』という事実を作れ」…と。
理由は、失業保険だ。
『自分の都合で退職』と『会社の都合で退職』では、扱いが全然違うのだ。
後者ならば、入社半年で支給対象に含まれる。そして、即座に支給が始まる。
しかし、前者の場合は入社最低でも1年は必要だったはずだ。そして、支給も3ヵ月後からとなる。
…そう、自分から辞めると言った場合は、俺は失業保険を全く受け取れなくなるのだ。
自分の希望が受け入れられないと分かった俺は、作戦を切り替えた。
そして、何とか『会社都合』という既成事実を手に入れたのだ。
自分でも驚くくらいに、適当な事を言ったと記憶している。
だけど、この切り札だけは覚えている。
それは『労災』である。
…これを臭わせたら、途端に対応が変わったのだから不思議なものだ。
(労災認定なんてされたら、その会社は酷い会社というレッテルを押されたようなものだ。…特に中小企業にとってイメージダウンは致命的である)
解放されたと思った俺。
…だが、ここからが本番だった。
軽いウォーキングの途中で、いきなりダウン。(貧血と思ったが、違ったようだ)
家の付近の道を一周しただけなのに…。
寝ている時に、突然発作のような動悸にも襲われた。
…しかも、1度や2度じゃない。
そして、家に戻ったというのに、相変わらずの不眠症。
体はボロボロなのに、精神的にも疲れている。そして、眠いはずなのに。
殆ど眠れないのは、どういう事なのだろうか。
こうなると、疲労も蓄積されるので、趣味のパソコンもまともに出来ない。
食べる事と寝る事以外は、テレビをぼーっと見たり、音楽をだらーっと聴いたり…。
…何とも無気力になってしまった。だが、そのくらいに気を抜かないと、どうにかなってしまいそうだった。
そして、精神科に行く。
カウンセリングなんてものを初めて経験したような気がする。
…言い方悪いが、精神科の仕事はカウンセリングで色々と悩みを聞いて、それに効きそうな薬を出す事だ。
聴診器付けて云々なんて、まずしない。持ってすらいないかもしれない。
その結果、俺には睡眠薬3種類と筋肉の緊張を解す薬、そして気を楽にする薬を受け取った。
そして、薬に頼りながらも、俺は少しずつ日常生活に戻っていった。
バイトの面接には、現在進行形で連敗を続けているが、社会復帰も見えてきた。
…しかし、それから2年後の今も、まだ完治したとは言い難い。
未だに、外出をすると調子が悪くなる事がある。
すぐに家に戻れないという不安だ。このままでは、引きこもりになってしまう。
原因は、家から歩いて10分くらいのコンビニの帰り道でフラフラになったから。
外出をすると、またこうなる!っていう潜在意識が未だに根付いているのだろう。
そして、リハビリを自ら計画した。
錆び付いていた自転車を現役復帰させて、1日1度は軽いサイクリングをしようと。
肉体的にも程よい疲労感を与えてくれるだろうし、安眠にも繋がると思った。
今年の目標は、社会復帰である。
その為には、外に出ても調子が悪くならないようにしないといけない。
…精神面を鍛えるというのは、身体を鍛えるよりもずっと難しい。
特に、俺はマイナス思考が強くて、結構トラウマに脅える方だ。
上記のコンビニの件なんて、まさにそれだろう。
とりあえず、波はあるが今は比較的落ち着いている。
毎朝ラジオをやるようになったり、架空戦記の更新を再開したりと、結構精力的だ。
まぁ、やってる事は完全にインドアなんだが、何も出来ないよりはマシだ。
…いつまでも、このままじゃいけないのは分かってる。
だけど、無理をしたら…また最初からだ。
何とも気難しい身体を付き合う事になってしまったが、代わりは効かないので仕方ない。
とりあえず、焦らず一歩一歩。
次は、あれから控えていた名古屋遊びでも再開しようかな?
良く分からない文章だったかもしれないけど、俺の2年前からの現状は理解してくれたと思う。
…俺だけじゃないさ、みんな色々あるんだ。
世の中には、完全に『うつ病』なのに、仕事を続けている人も沢山いるだろう。
所詮、俺には甘えが多々残っていて、弱いにも程があるという事だ。
まぁ、こんな暗い話はここまでだ。
次回からは、しっかりと明るい話を送り出すから、楽しみにしていてくれよ!!