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金子安次さんインタビュー
海南島「慰安婦」裁判報告

金子安次さんインタビュー 

●金子安次さんプロフィール

 金子 安次(かねこ やすじ、1920年 - )さんは、元日本兵。中国帰還兵としてさまざまな証言をしています。1940年秋に召集されて2等兵として中国に従軍し、1945年の敗戦を中国で迎え5年間シベリアに捕虜として抑留され、その後、中国の撫順戦犯管理所に収容されました。ここで6年間の勾留の後、1956年に起訴免除の決定を受けて釈放され、同年、日本に帰国しました。金子さんたち中国からの帰還者のうち一部は「中国政府に洗脳された」思想的危険人物として、帰還してから警察による常時のあからさまな監視を受けました。1990年代から、戦地での体験を証言する活動をはじめ、中国からの帰還者で組織された中国帰還者連絡会の会員ともなっています。中国大陸での「慰安婦」の強制連行に関わったと証言しており、2000年には女性国際戦犯法廷に元日本軍兵士のひとりとして証言台に立ちました。

 

――本日は「慰安婦」問題についてお伺いしたいと思います。まず、慰安所の外見や中の雰囲気はどのようなものでしたか?

 長屋と同じだよ。部屋は4畳半ぐらい。隅に布団がひいてある。5人のひとがそこでお茶を飲む、で寝る、そして終わったら出て行く。1回で15分ぐらい。兵隊は 1 円50銭。

 

――「慰安婦」の方はどのような人たちでしたか?

 どうやって彼女らが来るのかってことについては兵隊には全く不明。俺は銀川(じんせん、中国の地名)ってとこにいたんだけど、そこの慰安所に日曜に行ったの。そこに梅子って女がおったんだよね。私が慰安所へ入ったら、「お前さんいらっしゃい、今日はいい天気ね」って話をしたんだ。「慰安婦」というのは大体朝鮮人だからね、朝鮮人以外いないと思ったんだ。だから、お前ずいぶん日本語がうまいなぁって俺は言ったんだよ。そしたらその人、くっと私をにらんだ。「兵隊さん、私はね、私は朝鮮人じゃないんだよ。日本人なのよ。私は好き好んでこんなとこにきたんじゃないの、私の旦那は小隊で南方へ行ってしまって死んでしまったの、どうやって生活していくのよ」って。そういう女の人は多いの。兵隊がどんどんどんどん南方に行ったり、中国に引っ張られていくでしょう。残ったのは女子供だよね。みんな苦しい環境の中だから、「慰安婦」という商売が1番手っ取り早いということになる。その上、「慰安婦」というのは借金で来るでしょう。だからおまえは満州行け、お前は中国行け、そうくるくるくるくる、各地区に行かされるわけだ。

 

――「慰安婦」の方と仲良くなったり、日常会話をしたということはありますか?

 ないよ。「慰安婦」は、俺たちと仲良くなれないよ。だってこっちはいつまでも話をしてればいいんだけども、向こうは商売だからね。稼がないと、親方に怒鳴られちゃう。だから、兵隊相手だと、終わったらすぐに追い出しちゃうんだよ。

 それに相手にする数がかなり多いの。たとえば分全隊を5、6人の「慰安婦」が相手にすることが普通だった。慰安所にずらーっと並んでる。「はい、どうぞいいですよ」って言われて兵隊が入ってくるんだ。そのとき1円50銭をぽいと置くわけだ。置いて、ちょこちょこちょこって5分間。終わったらさーっと出ていって、次の人が来てという状態。で、女の方はそのままなのね。1度女の方に「なんでお前はいちいちここふかないのか」と聞いたんだよ。そしたら「ここへ1回1回兵隊が来るごとに1回1回ふいたら、こすれて真っ赤になっちゃって3分出来なくなっちゃう。そうすると商売あがったりだと。だからふけないんですよ」って。そうやって彼女らは稼いでおったわけだよ。兵隊は1円50銭払って、ちゃらちゃらちゃらって2、3回こすって、それで終わりだよ。仲良くなれないよ。

 

――数人の「慰安婦」が非常に多くの兵隊の対応をしていたということですが、兵隊がどのように慰安所を利用していたかをもう少し詳しくお話していただけますか?

 たとえば今日日曜とするでしょう。兵隊が昼間のちょうど11時半ぐらいに外出する。それで帰ってくるのは、3時半ごろなんだ。大体、「慰安婦」が5人か6人で、そこんところに300人500人もばぁーっと押しかける。そこで少年兵〔金子さんは当時少年兵でした〕が行ってごらん、「この野郎少年兵で慰安所行くなんて生意気だ」ってみんなにたたかれちゃう。だから行かない。古い兵隊もほとんど行かない。慰安所は金がかかるから。行ったら給料はほとんど残らない。行くのは大体下士官と将校。

 将校は一晩中、もう、夜の6時頃から朝の6時頃まで、いつまでいてもかまわない。下士官は大体、8時ごろから11時ごろまで、つまり寝てもいいわけだ。普通の兵隊はほとんど何もできないんだよね。

 だから慰安所ってね、兵隊にはあんま関係ないの。作戦に行って戦地に行けば、敵地の女をやれば、ただでできるわけ。だから、強姦っていうのが相当多くなるわけだ。そういう仕組みになってきちゃう。

 

――強姦が相当多いということですが、見つかったとき、軍法会議などはありませんでしたか?

 ないよ。なんでないかわかる? こういう例があるんだよね。ある地域に駐屯しとるとするよね。その地域の部落に月に1度位、我々駐屯してる兵隊が回って歩くんですよ。「何か困ったことがあったら言いなさい」と兵隊が言うわけだ。それでね、ある部落に我々が入って休憩をしてたときだったんだけど、中国人のおばあさんが顔を真っ青にして飛んできて、なんかわからないけど、わんわん泣くんだよ。我々は中国の言葉はよくわからん。で、通訳を通じて聞いてみたらね、兵隊に自分の娘が強姦されたといっている。それで中隊長の顔がサッと変わった。おばあさんを連れて来いといった。「どうしたんだ」と聞いてみたら、「兵隊が自分の娘を強姦した」とおばあさんが言う。そしたら中隊長は「ばか者!」とおばあさんを怒鳴りつけた。「天皇陛下の兵隊たるものがそんなことをするわけがない!」ってね。で、兵隊は助かった。5年間兵隊にいたけどね、強姦とか輪姦とかで刑罰を受けた兵隊は一人もいない。中隊長はそういう風にして自分の部下が不満を出さないようにしてきたんだよな。強姦がいけないってのはわかっているけど、それを言えば、自分の生死に関係してくる。あの野郎ぶっ殺してしまえとみんな思ってるかも知れないからね。だから中隊長もあまり裁いたりしようとしない。

 

――「慰安婦」はアヘンの売買とも関係しているという話を伺っていますが。

 うん。「慰安婦」を使ってアヘンが運搬されてるわけだ。満州でどんどんどんどんアヘンを作って、それでアヘンを今度は中国の奥地のほうにばら撒くわけ。これは私の体験なんだけど、汽車に乗ってたらね、1人の女が中国の「慰安婦」を連れて乗ってきた。それで、我々が女たちに「その荷物なんだ、見せろ」と言って、見たらアヘンが入っていた。それで隊長がね、「どうもあいつらおかしいから調べてやってくれ」と言うんで、汽車の番後ろのほうに引っ張っていって調べたんだよ。そしたら、「慰安婦」の性器の中にヒャック(コンドームの朝鮮語)が入っていて、その中にアヘンが入っていた。こういうやり方でアヘンを指定の場所に運搬してたんだ。つまり、こういうふうに「慰安婦」を利用してアヘンで金儲けしてる連中も居たということ。これに軍も絡んでいるという噂は聞いてるんだ。確かに我々は実際そこに携わったわけでもないし、調べることもできないから何とも言えないんだけど。

 

――これまで「慰安婦」制度の実態をお伺いしてきたわけですが、今度は金子さんは何故語りにくい経験を語るのかをお伺いしたいと思います。

 我々が強姦するとき「慰安婦」の人は嫌がったよ。だから短剣を刺しながらね、「ぶっ殺すぞ」って、脅すわけだ。それで、女は恐る恐る股を広げる。こういうことをして我々は中国人をいじめてきたんだよね。当時は「慰安婦」が良いとか悪いとか考えられなかった。結構みんな慰安所に入っちゃうんだよな。我々はそういう体験をしとったんだよ。なら何故我々が話すのかと。これは犯罪だからだよ。強姦という問題は相当大きな問題だからね。だから私はこの問題を取り上げてこうやって話をするわけだ。最初は誰も言えなかったんだ。そのうちポツリポツリと話し始めた。それが始まりだった。それまで誰も話さないですよ。

 

――元日本兵で金子さんのような経験をした人も沢山いるはずなのに、何故彼らは語らないと思いますか?

 たとえば、日本に帰ってきて「俺は強姦をした」なんて言う人間がいると思う? いないでしょ。一般の人はそんなことなかなかいえない。我々は戦争に反対して、戦争に対する色んな思いがあるから、我々は言うんだけども、一般の人が「慰安婦」の問題なんて、よっぽどひどい目に遭わない限りは言わないと思うよ。例えばね、私は慰安婦のことについて書いてくれとある人に頼んだんですよ。そしたらね、わかった、って書いてくれたんだよ。そして書きあがって(彼の)妻に見せた。そしたらね、「こんなの子供にみせたらどうなんのよ、私は世間に顔見せできないわよ、やめて頂戴」って言われた。それでとうとう彼は書けなかった。こんな例があるんだよ。あいつはやったはずだと思う人がいても、そいつは「俺はやらなかったんだよ」というの多い。これはね、人を殺す以上にいやな思いをすることだからね。

 

――貴重なお話ありがとうございました。最後に若い人に伝えたいことがあればお願いします。

 自衛隊の幕僚長(田母神)の話、聞いた? あいつは戦争のことなんて全然分かってないよ。戦地で「突撃ぃ!」って命令されるけど、鉄砲玉が飛んでくる中で突撃したら死ぬよ。でも、行かなかったらどうなると思う? 殴られるならまだいいよ。それがわからないと兵隊が何かなんてわからないよ。軍で一番怖いのは命令だよ。「突撃ぃ!」っていうのは命令だよね。「上官の命令はその如何を問わず」だからね。良い悪いは関係ない、言われたらその通りにやりなさいっていうのが天皇の命令なんだよ。だから命令に背くということは天皇の命令に背くということになる。それは死刑になるということだよ。だから我々は弾が飛んでこようとも突撃していくわけだ。従ったら死ぬ、従わなかったら死刑。これが兵隊の立場なんだよ。

 それで何とか生きながらえて8月15日になったらシベリアに送られて、それが終わって帰れるかなと思っていたら、今度は中国で戦犯だよ。忠君愛国の我々が中国から帰ったらなんて言われたと思う? 「あいつは洗脳されてる極悪人だ」って言われたよ。そんな馬鹿な話がある? 私の師団長、軍司令官、最高指揮官、それに参謀には戦犯のセの字も無い。みんな家に帰って知らん顔してる。テレビも新聞紙もそういうのは一切出てこない。でも我々兵隊は戦犯だった。こんな馬鹿なことある? だから我々は無性に腹が立つ。二度とあんな戦争をしちゃいけないってのは、理論じゃない、体験だよ。

 「死んだら祭られて、喜んでもらえる」って言うけどね、あんたの親戚にいる? 靖国に祀られて喜んでいるやつがいる? (隣の山の写真を指して)私らはね、この写真の山に3度も登ったんだよ。弾は飛んでくるし、岩は落ちてくるしね、本当に怖かったよ。それでとうとうこの山を占領したけどもね、何人死んだと思う? 多くの人が死んでいった。全部責任は兵隊が背負っているの。死んで祀られてもどうしようもない、親は泣いてるよ。それこそみんな、「何だと」と言うかもしれないがね。しかし実際はそうなんだから。

 戦争は怖いよ。戦争なんて弾が1発飛んでくるならまだいいよ。もう本当雨のようだよ。泥の中ならみんな半分泥につかって。そんな中「突撃ぃ!」なんて誰がするんだよ。私は何度もそんな目に遭ってる。戦争なんてのは怖いもんだ。二度と起こさないほうがいいんだよ。

 

――金子さん、本日はどうもお話ありがとうございました。

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