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ポートアイランド30年 「未来都市」に高齢化の波(1/2ページ)

2010年4月26日9時58分

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 神戸市沖の人工島「ポートアイランド」で24日、街開きから30周年の記念式典が開かれた。「未来都市」にひかれた団塊の世代が次々と移住してきた街も、いまは住民の2割が65歳を超え、日本一のマンモス小学校は児童数が激減。少子高齢化の波が押し寄せている。

     ◇

 ポートアイランドは、市の中心部・三宮から南へ2キロ。住宅のほか、企業や港湾施設など職住の立地をめざした443ヘクタールの人工島は、1980年3月に街開きした。

 山 海に呼びかけ 海 山を迎えて――。

 島内の市立港島小児童と先生が82年につくった和太鼓曲「港島太鼓」。六甲山系に住宅地を造り、削った土を運んで海を埋め立てた当時の様子を表現。「株式会社・神戸市」とも呼ばれた開発行政の歴史を象徴する曲だ。

 「ハイカラ好み、珍しいもの好き、未知への好奇心、挑戦」。81年の市広報誌で、作家の田辺聖子さんは「魅力ある未来都市」を生んだ神戸の気風をこうつづっている。矢田立郎市長は「人工島を造って人が住み、働く場も大学もある。非常に斬新な試みだった」と話す。

 最初に完成した日本住宅公団(現・UR都市機構)の賃貸住宅に移り住んだのは、200世帯余り。いまも島内に住む中辻恵造(えいぞう)さん(61)と、妻の沙千子(さちこ)さん(63)は当時を振り返る。

 「最初はまるでひょっこりひょうたん島。郵便ポストもなく、はがき1枚出すのに三宮までバスで出た。お店も行商だけでした」

 島の人口は3月末時点で1万5124人。阪神大震災が起きた95年の約1万7千人をピークに減少傾向に転じた。中辻さんらが入居した頃は新婚や働き盛りの世代が目立った街も、いまや5人に1人が65歳以上。91年に児童数1781人で日本一のマンモス校だった港島小は現在、575人にまで減った。

 少子高齢化や長引く不況は、島に影を落としている。4年前に進出したホームセンターは1年足らずで撤退し、大手スーパーは今年2月末に閉鎖。二つあった銀行の支店は2003年春までに撤退した。

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