我々の将来を決めるであろう大試合を3分前にしている今
正直なところ、君たちに何と言っていいかわからない。
すべてが今日決まる。
ヤツらを倒すことができるか、あるいは我々が倒れるか
その勝負の時がやって来た。
この瞬間、今の我々は地獄にいると思って良い。
君たちが信じようが信じまいが、我々は地獄の中にいる。
怖じ気づいて、ここに残り続けるか
あるいは勇気を持ってここからはい出るか
それは君たち次第だ。
私はもうあまりにも歳をとって疲れてしまったから
いまさら君たちの役には立てない。
私の前にいる若者たちの顔を見て、こう思うんだ。
私はこれまでの長い人生で多くの誤りを犯してきた。
つまらないことに大金やエネルギーを浪費してきた。
鏡の中の自分の顔を見るたびに、ゾッとする思いだ。
いいかい、歳をとるっていうことは、何かを失っていくことなんだ。
人生の一部を失っていく。
だが、同時に人々は何かを失うことで学び始めていく。
そして、人生において、ほんのちょっとしたことが
決め手となることがあると学ぶだろう。
決め手となることがあると学ぶだろう。
フットボールも同じさ。
人生と同じなんだ。
どんなに小さい誤りでも、例えミリメーターの世界の誤りでも
適切な時間に適切な場所にいないと物事は達成されない。
少しでも後ろにいたり、少しでも前にいすぎたり
そのミリメーターの差が勝負を決めることがある。
我々のチームはそのミリメーターとの戦いをおこなわなければならない。
体にムチ打ってでも、そのミリメーターの戦いをおこなわなければならない。
なぜなら、そのミリメーターの戦いに勝つことが
勝利するか敗北するか、その分かれ目となるからだ。
死ぬか生きるか、その分かれ目となるからだ。
死すことさえ恐れぬ気持ちで戦えば
それがいかなる戦いであれ
そのわずかなミリメーターを勝ち取れるのだ。
自分の人生にまだ残っているものがあるとすれば
そのミリメーターを勝ち取るために、命をかけてでも戦う用意があることだ。
それがなくなったら生きている意味さえなくなる。
そして自分には、幸運にもまだ生きようという強い気持ちが残っている。
1人1人が仲間の顔を見なければならない。
1人1人が仲間の目を見なければならない。
仲間の1人が、我々のためにそのミリメーターを勝ち取ろうと走り抜くだろう。
仲間の1人が、我々のために自らを犠牲にして戦う姿を見せるだろう。
そしてその姿を見たチームメイトもまた
己を犠牲にして戦う決意をするだろう。
己を犠牲にして戦う決意をするだろう。
それが、チームというものだ。
それが、フットボールというものだ。
さあ、君たちはどうする?