<追跡>
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先として、政府が鹿児島県徳之島を最有力候補地に挙げ調整していることが明らかになった。突然浮上したように思える「徳之島案」。だが、首相官邸は昨年から「密使」を介し地元有力者らに働きかけを繰り返してきた。(3面に「転換期の安保2010」)
「6条件に政府が応えてくれれば、誘致に動きますよ」。徳之島3町で唯一の空港、徳之島空港がある天城町。前田英忠・元町議長は7日、鳩山由紀夫首相に近い牧野聖修衆院議員(民主)に電話でささやいた。
前田氏は受け入れ賛成派のリーダー。同じ賛成派と「条件」をまとめ、牧野氏に口頭で伝えていた。
(1)割高な奄美群島の航路・航空運賃を沖縄並みに抑える
(2)沖縄県が対象の黒糖製造工場への交付金を鹿児島県にも適用する
(3)医療・福祉・経済特区の新設(健康保険税の免除)
(4)ガソリンなど燃料価格を本土や沖縄並みに引き下げる
(5)徳之島3町合計で約250億円の借金(公債)の棒引き
(6)奄美群島振興開発特別措置法の所管省庁を国土交通省から内閣府へ移す
静岡県選出の牧野氏だが、かつて徳之島出身の徳田虎雄・元衆院議員が設立した「自由連合」に所属。今も奄美に強い影響力を持つ徳田氏に近い。昨年11月と12月、今年1月と少なくとも3回、徳之島を訪れた。
「首相から『普天間の移設先として県外はないか調査してほしい』と依頼された。徳之島陸上部に3000メートル級の滑走路を造りたい」(12月2日、伊仙町役場で大久保明町長に対し)
「滑走路は1800メートルでもいい。3町長はぜひ上京し、平野博文官房長官と会ってほしい」(1月25日、天城町役場で3町長に対し)。この時は首相の外交ブレーン、須川清司・内閣官房専門調査員も同席していた。
賛成派の観光協会幹部は明かす。「牧野さんは『首相の意を受けて来た』と説明していた。『条件を出してくれ。政府に持っていくから』と」
徳之島は鹿児島県本土から約400キロ、沖縄本島から約200キロの離島。人口は約2万6000人で、奄美群島で2番目に大きい。本土との所得格差や高失業率など奄美と沖縄は共通する。だが、本土復帰後、人口が増加した沖縄とは対照的に、奄美は本土復帰時(1953年)の約半分、12万人に減少した。前田氏は「海兵隊受け入れは千載一遇のチャンス」と建設業、観光業の声を代弁する。
しかし「受け入れ賛成」と態度を明確にした住民はわずか。地域振興への期待を背に牧野氏は8日午前、首相官邸を訪れた。牧野氏は鳩山首相と面会を求めたが、松野頼久官房副長官が対応し「政府の窓口は一本化する。今後は動かないでほしい」と通告したとみられる。下工作が表ざたになり、地元の反発が強まったことによる政府方針の修正だった。
伊仙町の大久保町長はあきれ顔で言う。「国のトップは方向性を明確に示さないと。みんなが振り回される悪循環を繰り返す」
徳之島はかつて「政争の島」として知られた。町長が言う「悪循環」とは「保徳戦争」を思い起こしてのことだ。保岡興治・元法相と徳田氏が83年から衆院奄美群島区(当時、1人区)で激しい戦いを繰り広げ、系列の首長・議員に至る代理戦争で島は二分された。保岡氏は別の選挙区へ移ったものの、対立は続いた。徳田氏の後継で次男の衆院議員、毅氏が自民党入りし「戦争」が終わったのは06年になってからだ。
牧野氏が「交渉役」を退いた8日夕。かつて鹿児島県庁に出向した総務省幹部が大久保町長に電話を入れた。防衛省の井上源三地方協力局長のメッセージとして「会いたい」と伝えた。「普天間移設の話だ」。そう直感した町長は拒否した。徳之島3町は18日、動員数では過去に例を見ない1万人規模で基地受け入れ反対全島集会を開く。【「安保」取材班】
毎日新聞 2010年4月11日 東京朝刊