秋に訪れたなら、りんごやナシを食べてくださいというかのように、果樹はたわわに実らせて枝をしならせるだろう。だけど、食べることはできやしない。



黙示録によれば、チェルノブイリと呼ばれる巨大な隕石が、川の1/3と水源地に降り注ぎ、水を苦くすると言う…だから、この泉からも水は飲めない。


 私は「グラスには水が半分も入っている」と言うような楽観主義者でもないし、「グラスは半分が空だ」と言うほどの悲観主義者でもない。グラスには正確にどのくらい入っているのかを見る、リアリストだ。私は宗教を信じてもいない。見たものだけを信じる。だけど今のところ、私がグラスを通じて見たものは暗く、ともかくにも聖書を書いた人はチェルノブイリを予見したのだ。
 ギリシャでは、新約聖書は「天から燃え盛る巨大な隕石が落下した」から始まる。(訳者注:聖書の解釈のこの部分は調べた上で追記します)

11節では、星の名前は大文字で書かれている…場所の名前として。世紀の始まりの頃、ギリシャでは膨大な量を表すのに「三分の一」という言葉を使っていた。

もう一つ興味深いことがある。「チェルノブイリ」=「ニガヨモギ」のもう一つの意味は、不思議なことに辞書から削除されている。これも政府の政策だ。黙示録的な雰囲気を抑圧し、さらに原子炉を建設するために、辞書から意味を削除した。私たちの記憶からニガヨモギのエピソードが消されたかどうかは、疑問だ。どこにでも、ものを忘れたがらない人はいるし、原子力産業に投資しない政府も含めて、全ての政府が聖書から章を削除できるわけではない。


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