私がまずどこに行きたいかは、簡単に想像できるだろう。バイク乗りのすることだ。
どんなバイク屋も、こんな大惨事を乗り越えることはできないだろう。このように。
これはシュゼット26馬力343ccの値札だ。値段は1050ルーブル。シュゼット!これはソ連の若いバイク乗りたちみんなの夢だった。私が悪い男の子たちとつるんでいた学生の頃、バイクショップの店先を見に抜け出したものだ…26馬力もあったら何ができるだろう、と夢見ながら。祖父のdinosaurは15馬力しかなく、けれど私たちの生涯でどれだけの余裕があるだろう??平均月収はその頃180ルーブルだったのだ。
日曜の朝に街のサイレンが消えてから、大きなパニックが連発した。警察が住民たちと避難してしまい、銀行や宝石店は比較的見過ごされていた。しかし、それらの店は1時間もしないうちに空っぽになった。警察が略奪者を撃つようになったのは5月に入ってから、キエフの中古屋で放射能を帯びたテレビセットが売りにだされた頃だった。
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