反射鏡

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反射鏡:「坂の上の雲」を今も見上げている韓国=論説委員・中島哲夫

 韓国に勢いがある。急速な少子高齢化や自殺の多発など日本とも共通する深刻な問題を多く抱えているのに、どうしてか。これを少し考えてみる。

 韓流ドラマや映画の活況は、娯楽の選択肢が増えるのだから結構なことだ。しかしスポーツとなると話が違う。バンクーバー冬季五輪スピードスケートでの韓国勢のメダルラッシュは、「韓国が強いのはショートトラックだけ」という固定観念を一気に覆した。選手強化について日本側に敗北感がにじむ。

 これと似た現象が経済分野でも起きている。毎日新聞の先月の記事に「韓国サムスン電子の営業利益は、日立製作所やパナソニックなど電機大手9社を合計しても遠く及ばない水準」とある。いま主戦場の薄型テレビを含め、日本の家電や半導体の一流メーカーが世界市場で負けているのだ。3月4日付の日本経済新聞は「世界に躍進する韓国企業に学ぼう」という見出しの大型社説を掲げ、ソウルでも評判になった。

 この日経社説を受けた韓国紙の反応が興味深い。例えば朝鮮日報の社説。「韓国は(中略)経済運営に関するほぼすべてを日本から学んだ」「いま韓国を支える主力産業は大部分、日本の技術指導と支援で始まった」と率直に述べた後、今や日本の側から「韓国に学ぼう」という声が出ることに、自負心を抱くのはともかく「慢心してはならない」といましめている。

 また、輸出品に使う核心の部品や素材を日本から買うため、米国や中国で得た利益を日本に吸い取られている実態を指摘し、「日本に勝つにはまだ日本から学ぶべきことが多い」と結論付けた。この「韓国が稼げば日本がもうかる」という構図の転換こそ、韓国側の悲願なのだ。

 それはともかく、日本企業が世界市場で競争に勝てないのは気になる。例えばサムスン電子の強みは、不況の間でも巨額投資を素早く断行するといった大胆な経営・販売戦略だ。オーナー企業ならではのスピード経営と言えるが、これがあまりに図に当たる。日本型組織にありがちな弱み、すなわち危機における消極姿勢、資源の逐次投入、状況変化への対応の遅さといった点を、反面教師にしているのではないかとさえ思わせる。

 サムスン電子を中核とする財閥企業サムスングループの創業者は、日本の植民地支配下で起業した。韓国独立後も日本を訪ねては人脈を広げ、経営構想を練った。国内屈指の優良企業を育てたが、それはまだ日本を模倣し追いかける水準だった。

 しかし2代目の総帥となった李健熙(イゴンヒ)氏は、日本追い上げの過程で果敢な転換もした。93年、グループ傘下各社の社長や役員100人以上をドイツのフランクフルトに招集し、世界一流を目指す決意を語ったのだ。「妻と子供以外はすべてを変えよ。変わらねば滅びる」と檄(げき)をとばした「新経営」宣言は、21世紀に日本企業を苦しめる飛躍への転機となり、最近も韓国メディアが好んで引用している。

 サムスンなど韓国企業の成功物語に「日本から学んだ」という穏健な表現は似合わない。それは勝利するための冷徹なライバル研究だった。韓国政府が仁川国際空港を北東アジアのハブ空港に育てた構想力を見ると、「日本の成功と失敗」の実相を見極めて戦略を練ったのは民間企業だけではなさそうだ。

 ここで急に思い出した。韓国外相や駐日大使を歴任した孔魯明(コンノミョン)氏との、10年ほど前のインタビューだ。司馬遼太郎の「坂の上の雲」が好きだと言うので、明治の日本が韓国併合に至る以上、歴史観が合わないのではないかと尋ねた。答えはこうだ。「関心事は国造りを進める指導者たちがどう考え、どう行動したか。この作品が出たのは私たちが近代化のための国造りをしていた70年代だった。明治の指導者の気概に胸を打たれた」

 隣の国のエリート官僚によるこんな読み方を、日本の司馬ファンは想像しただろうか。韓国の人々はそのころようやく「坂の上の雲」、つまり国ぐるみの飛躍への夢を見始めていた。

 韓国は「後発のメリット」も享受しながら日本を追いかけてきた。まだ非常に多くの困難がある。日本と似た、あるいは似ていない問題や弱点もある。それでも部分的には日本に追いついた。もっと強く、豊かになりたい。なせば成る。多くの人々がそう信じて、白い雲を見上げながら坂道を上り続けている。これが韓国の今の姿である。

 夢があって元気が出るという当然の話。それが日本の悪夢にならぬよう知恵を出さねば。

毎日新聞 2010年4月25日 東京朝刊

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