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Apr
24th
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では、どのような表現が「人間を有害な行為の遂行に導く」のか。
つまりどのような表現が「ほんとうに有害」なのか。
これについては定説がない。
今回の条例が採用しているのは、「有害な表現は人間を有害な行為に導く」という命題である。
けれども、この命題はトートロジーであり、論理的には何も言っていないのと同じである。
「有害な表現」という主語はそれが「有害な行為」の主因であるということが論証されない限り、「有害」という形容詞を引き受けることができない。
たしかに「有害な行為」というものは事実として存在する。
性犯罪や殺人はとりあえず被害者にとっては間違いなく「有害」である。
けれども、「まちがいなく有害な表現」というものはこの世には存在しない。
それは、その図書なり図画に触れたことが「有害な行為」の一因であったということが証明されたあとに、遡及的にはじめてその有害性を認知される「仮説」と してしか存在しない。
そして、この仮説はかつて証明されたことがない。
今回の論件をめぐる議論でもおそらく多くの人がすでに指摘していると思うので、屋上屋を重ねることになるが、だいじなことなので、もう一度繰り返す。
統計が教える限り、「有害」表現規制と「有害」行為の発生のあいだには相関関係がない。