ロ大統領が和平原則に署名 グルジアの停戦合意が成立(共同通信) - goo ニュース
今回のグルジアにおける戦争は、米ロの代理戦争という呼び声が高いものの、一方の主ブッシュ大統領がオリンピック見物をしている最中に熱い戦争に発展、最終的な結末は未定の部分が多いとはいえ軍事衝突自体はロシア軍の圧倒的勝利に終わりそうです。
ソ連崩壊後のロシア経済苦境の際には、給与もろくに支払われず、規模も縮小され、当時の同盟国や連邦が西側に寝返るなど散々な状態にあったロシア軍でしたが、ロシア経済が順調なここ2−3年に大きく息を吹き返し、パレードはする、上海協力機構は立ち上げる、日本領空に威力偵察はするとずいぶん威勢がよくなってきました。
プーチン大統領は強いロシアの復活には賛成でしたが、軍備ナショナリズムには否定的で、2001人には軍人の数を140万から80万まで縮小予定だったのですが、軍の反対で実際は110万までしか縮小できなかったと言います。一方で国境警備隊や軍属を含めたロシアの軍関係者は500万人に及び、国民の14人に一人の計算になるそうです(日本は200人に一人)。現在ロシアは豊かな国家財政をバックに新型のICBMや原子力空母、ステルス爆撃機の開発などに力を入れているそうです。
そんな中、今回のグルジア紛争はロシア国軍の士気を高めるには格好の舞台となったのではないでしょうか。軍隊というのは本来テロに対して使うものではなく、「国家の政治目標を実現するため」に、「相手国の正規軍」を対象に「特定の達成目標を定めて」「政治主導の下で」使用されるものだからです。軍の部隊構成や兵器内容は敵国の正規軍に対応するよう作られていますし、普段の訓練、演習もそれに準じて行われます。ゲリコマと呼ばれる小部隊のゲリラコマンド部隊に対する、或いはなる訓練も行われますが、これは一般人に混ざったテロリストが対象ではなく、あくまで小部隊の正規軍に対するものです。
世界最強の米軍は、イラク正規軍にはあっという間に勝ちましたが、「テロとの戦い」を宣言してからは完全な消耗戦に引き込まれて国家経済そのものが危うくなるほど苦戦しているのは、本来の軍隊の使い方をしていないからに他なりません。
堤 未果著、「ルポ貧困大国アメリカ」(2008年岩波新書)は現在のアメリカの病んだ社会を示す良書です。その中で貧しい高校生や大学生の多くがカードローンから逃れて米軍兵士となり即イラクに送られてゆく様が描かれていますが、彼らの新兵訓練の様子は昔ながらの軍人(何も考えず戦うマシン)を育てる訓練であって、「テロとの戦い」に特化したものなどでは全くありません。一般人に混ざったテロリストに対するのは軍ではなく警察の仕事です。軍人と警察官の一番の違いは、一人ひとりの判断が物事を決められるか否かにあります。警察官は一巡査であっても、彼の判断で怪しい人間を逮捕することも見逃すこともできますが、兵士は上官の命令なしには一切行動できません。10人の中から一人のテロリストを見つけることは警官ならできますが、兵士にはできません。10人全員を捕らえるか、捕らえないかは命令があればできるでしょうが、一人が抵抗すれ10人まとめて機関銃で殺してしまうでしょう。だからイラクで民間人が多数殺されるのです。
ー日中戦争も「テロとの戦い」だったのかー
加藤陽子著「満州事変から日中戦争へ」(2007年岩波新書)は丁寧な資料の積み上げで昭和初年代の日本が日中戦争にいたる政治的過程を描いた良書です。岩波にありがちな「日本悪し」の前提で書き連ねたような所がなく学問的にきちんと考察された内容で善悪の判断で読みたい人たちには物足りないでしょうが、私にはとても興味深く読めます。まだ読書中なのですが、書き出しの部分に面白い記述がありました。
日本が戦争と呼ばず「事変」と称していた日中戦争について、「現下時局の基本的認識とその対策」(1937年6月7日付け)という戦争中に書かれた近衛内閣関連の資料には「(この戦いは)領土侵略、政治、経済的権益を目標とするものに非ず、日支国交回復を阻害しつつある残存勢力の排除を目的とする一種の討匪戦なり。」と記されているそうである。また39年に中支那派遣軍司令部が作成した文書には「今次事変は戦争に非ず報償(不法行為に対する国に認められた復仇行為)なり。報償のための軍事行動は国際慣例の認むるところ」との記述があると紹介されている。つまりどうも当時、日本の政治家も日本軍も日中戦争は中国の正規軍との達成目標のある国を挙げての戦争ではなく、今で言うところの「テロとの戦い」の認識で戦っていたのではないかと思われるのです。宣戦布告が行われることなく、また親日の王政府でなく国民党政府とも執拗に和平工作が続けられていた事実、もともと不拡大方針で日中戦争の拡大は望んでいなかったことなど、止めるに止められない状況や本来の軍隊の使われ方でない状況など、当時の日中戦争における日本軍と現在の米軍はよく似ていると思いませんか。
経済のグローバル化によってアメリカ人の金持ちはいてもアメリカという国が豊かであるとは限らない状態になってきました。アメリカの国益をかなえるアメリカ軍は最強ですが、今アメリカ軍が戦っている戦争は本当にアメリカの国益を保証するものなのか怪しいとアメリカ国民が思い始めています。しかもその軍隊の使い方は素人目にも出鱈目といえるでしょう。そんな中で今回のグルジア紛争でのロシア軍の戦いぶりは「まっとう」な使い方と自他共にいえるのではないかと思ったしだいです。勿論今回も多くの市民が犠牲になったと言われていて、現代の戦争で一番悲惨なのは戦場になったところに住む人たちであることに変わりはないと思います。
今回のグルジアにおける戦争は、米ロの代理戦争という呼び声が高いものの、一方の主ブッシュ大統領がオリンピック見物をしている最中に熱い戦争に発展、最終的な結末は未定の部分が多いとはいえ軍事衝突自体はロシア軍の圧倒的勝利に終わりそうです。
ソ連崩壊後のロシア経済苦境の際には、給与もろくに支払われず、規模も縮小され、当時の同盟国や連邦が西側に寝返るなど散々な状態にあったロシア軍でしたが、ロシア経済が順調なここ2−3年に大きく息を吹き返し、パレードはする、上海協力機構は立ち上げる、日本領空に威力偵察はするとずいぶん威勢がよくなってきました。
プーチン大統領は強いロシアの復活には賛成でしたが、軍備ナショナリズムには否定的で、2001人には軍人の数を140万から80万まで縮小予定だったのですが、軍の反対で実際は110万までしか縮小できなかったと言います。一方で国境警備隊や軍属を含めたロシアの軍関係者は500万人に及び、国民の14人に一人の計算になるそうです(日本は200人に一人)。現在ロシアは豊かな国家財政をバックに新型のICBMや原子力空母、ステルス爆撃機の開発などに力を入れているそうです。
そんな中、今回のグルジア紛争はロシア国軍の士気を高めるには格好の舞台となったのではないでしょうか。軍隊というのは本来テロに対して使うものではなく、「国家の政治目標を実現するため」に、「相手国の正規軍」を対象に「特定の達成目標を定めて」「政治主導の下で」使用されるものだからです。軍の部隊構成や兵器内容は敵国の正規軍に対応するよう作られていますし、普段の訓練、演習もそれに準じて行われます。ゲリコマと呼ばれる小部隊のゲリラコマンド部隊に対する、或いはなる訓練も行われますが、これは一般人に混ざったテロリストが対象ではなく、あくまで小部隊の正規軍に対するものです。
世界最強の米軍は、イラク正規軍にはあっという間に勝ちましたが、「テロとの戦い」を宣言してからは完全な消耗戦に引き込まれて国家経済そのものが危うくなるほど苦戦しているのは、本来の軍隊の使い方をしていないからに他なりません。
堤 未果著、「ルポ貧困大国アメリカ」(2008年岩波新書)は現在のアメリカの病んだ社会を示す良書です。その中で貧しい高校生や大学生の多くがカードローンから逃れて米軍兵士となり即イラクに送られてゆく様が描かれていますが、彼らの新兵訓練の様子は昔ながらの軍人(何も考えず戦うマシン)を育てる訓練であって、「テロとの戦い」に特化したものなどでは全くありません。一般人に混ざったテロリストに対するのは軍ではなく警察の仕事です。軍人と警察官の一番の違いは、一人ひとりの判断が物事を決められるか否かにあります。警察官は一巡査であっても、彼の判断で怪しい人間を逮捕することも見逃すこともできますが、兵士は上官の命令なしには一切行動できません。10人の中から一人のテロリストを見つけることは警官ならできますが、兵士にはできません。10人全員を捕らえるか、捕らえないかは命令があればできるでしょうが、一人が抵抗すれ10人まとめて機関銃で殺してしまうでしょう。だからイラクで民間人が多数殺されるのです。
ー日中戦争も「テロとの戦い」だったのかー
加藤陽子著「満州事変から日中戦争へ」(2007年岩波新書)は丁寧な資料の積み上げで昭和初年代の日本が日中戦争にいたる政治的過程を描いた良書です。岩波にありがちな「日本悪し」の前提で書き連ねたような所がなく学問的にきちんと考察された内容で善悪の判断で読みたい人たちには物足りないでしょうが、私にはとても興味深く読めます。まだ読書中なのですが、書き出しの部分に面白い記述がありました。
日本が戦争と呼ばず「事変」と称していた日中戦争について、「現下時局の基本的認識とその対策」(1937年6月7日付け)という戦争中に書かれた近衛内閣関連の資料には「(この戦いは)領土侵略、政治、経済的権益を目標とするものに非ず、日支国交回復を阻害しつつある残存勢力の排除を目的とする一種の討匪戦なり。」と記されているそうである。また39年に中支那派遣軍司令部が作成した文書には「今次事変は戦争に非ず報償(不法行為に対する国に認められた復仇行為)なり。報償のための軍事行動は国際慣例の認むるところ」との記述があると紹介されている。つまりどうも当時、日本の政治家も日本軍も日中戦争は中国の正規軍との達成目標のある国を挙げての戦争ではなく、今で言うところの「テロとの戦い」の認識で戦っていたのではないかと思われるのです。宣戦布告が行われることなく、また親日の王政府でなく国民党政府とも執拗に和平工作が続けられていた事実、もともと不拡大方針で日中戦争の拡大は望んでいなかったことなど、止めるに止められない状況や本来の軍隊の使われ方でない状況など、当時の日中戦争における日本軍と現在の米軍はよく似ていると思いませんか。
経済のグローバル化によってアメリカ人の金持ちはいてもアメリカという国が豊かであるとは限らない状態になってきました。アメリカの国益をかなえるアメリカ軍は最強ですが、今アメリカ軍が戦っている戦争は本当にアメリカの国益を保証するものなのか怪しいとアメリカ国民が思い始めています。しかもその軍隊の使い方は素人目にも出鱈目といえるでしょう。そんな中で今回のグルジア紛争でのロシア軍の戦いぶりは「まっとう」な使い方と自他共にいえるのではないかと思ったしだいです。勿論今回も多くの市民が犠牲になったと言われていて、現代の戦争で一番悲惨なのは戦場になったところに住む人たちであることに変わりはないと思います。