■東京大学入学式に手話通訳(1985/4/12)
(たぶん)東京大学入学式に初めて手話通訳がついた日です。1985年(昭和60年)4月12日。
生まれつきのろうで、幼稚部から中学部をろう学校で過ごした田門浩さん、現在では弁護士として大活躍されていますが、その田門さんが東大生として東大の門をくぐった日でもあります。そして、田門さんの入学式に手話通訳が初めてついた日です。(コメントにありますように公費での手配ではないそうです。)
現在では、東大にバリアフリー支援室があり、聴覚障害のある学生への支援体制もできていますが、田門さんが入学した頃はそういった全学挙げての支援制度はまだありませんでした。
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コメント
初めまして。木村さんのブログにケチをつけるような真似は小生としても余りしたくはないのですが,東大入学式における手話通訳に関する記事は,あまりにも事実と異なる内容であるだけに見過ごすことはできないという気分にならざるを得ません。多忙を極める木村さんに難癖をつけるようなことになり,こちらとしても大変心苦しいのですが,速やかなご訂正のほどお願い申し上げます。
木村さんのブログに書かれたことはあっという間に聾者,手話通訳者の世界に広まってしまいます。東大入学式に手話通訳が初めてつけられたという出来事の背景にはどのような経緯があったのかということをブログでつまびらかに表して欲しいものと思わずにはいられません。
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投稿: 末森 明夫 | 2010年4月12日 (月) 09時00分
「彼のために東京大学は入学式に手話通訳を初めてつけました。」明らかな事実誤認です。
小生が手話通訳ができる東大医学部の学生と一緒に東大当局と交渉を行った結果,「東大当局としては入学式に公費で手話通訳を配置することはしない。但し,聴覚障害学生本人が手話通訳者を手配することに関しては黙認する。」という内容で合意しました。
「田門さんが入学した頃はそういった制度は皆目ありませんでした。」まあ,色々な見方があるでしょうが,少なくとも田門さんが東大に入学した頃,既に東大には,当時在籍していた聴覚障害学生のための公的な支援制度が立ち上げられていました。ただそれは全学的な制度ではなく,あくまでも聴覚障害学生が在籍していた学科の事務局に設けられていただけに過ぎませんので,全学的な支援制度はなかったという主旨であれば,木村さんの書かれた内容で結構かとは存じます。
田門さんの活動にケチをつけるわけではないのですが,東大には聴覚障害学生以前に視覚障害学生や肢体不自由学生などが在籍しており,客観的に見れば唐代におけるバリアフリー支援室はむしろ聴覚障害学生以外の身体障害学生たちの活動の影響の方が大きいものと思われます。もちろん,聾者や手話の立場を主張するために「田門さんの活動が現在の支援体制につながっている」というような文脈をしたためるのもアリなのかもしれませんが,このような文脈を果たして田門さんが受け入れるかどうかも考えて頂ければとも存じます。
以上長々と書き連ねてしまいましたが,今後も木村さんの更なるご活躍を祈念して筆を置きたく存じます。
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投稿: 末森 明夫 | 2010年4月12日 (月) 09時11分
末森様、ご指摘いただき、ありがとうございました。
私が参考にしている文献は、財団法人全日本ろうあ連盟の『五〇年のあゆみ』(1998)です。
その年表に「田門浩(一八)のために東京大学入学式に初の手話通訳が付く」という記述があります。
根拠となる史料が見つからなかったので、冒頭に(たぶん)と入れました。
年表のほうは読み方によっては「公費で手話通訳がついた」ようにとれるのですが、実際はそうではなかったのですね。
本文のほうは修正しておきます。
投稿: 木村晴美 | 2010年4月13日 (火) 17時05分
東大の場合は、当事者の末森氏も指摘されるように、視覚障害学生支援が先行していた、という経緯があります。そこは京大と異なるところですので、ご留意いただければと存じます。
投稿: 松延 | 2010年4月14日 (水) 08時57分