April 25, 2010

「買う」という言葉の意味について

「買う」という言葉の解釈は色々あると思う。

が、私が「男だねえ」と思う「買い」は
その辺の3万円ぐらいの安ソープランドに行ったりすることは
含まれない。

逆に、買うというのは「女性を口説く」とかも含まれる。
これは私の一方的な解釈だが、銀座のママを口説くとか
になれば、これは男として一流じゃなければ無理だ。

究極の「買い」というのは、いまはあまりされなくなった。

私が思う究極の「買い」というのは
昔、遊郭があったころの「身請け」である。
いまでいうところの何千万円、時には億の金をつぎ込んで
惚れた遊女を身請けするのである。

甲斐性がなきゃ出来ないことだ。

男は家事などせずにバリバリと働き、
ビジネスで成功を収めて、
いい酒を呑み、
博打にも興じ
お妾さんをもやしなう。

並みの男じゃ出来ない。

これが私が思うところの飲む打つ買うであり
男なのである。

私はこれまで、そこそこの酒は呑んできた。
豪快に呑んだ事もあるが、
ロマネコンティは呑んだことがない。
いつか呑んでみたいという憧れは強い。
その前にオーパスワンが呑んでみたいが。

博打には懲りた。貧乏人は博打をやったら駄目。これが結論。
5年ぐらい前、3ヶ月で1万5千ドルぐらい負けて、
私の思うちゃんとした博打はやめた。
ちゃんとしてない博打、いわゆる100ドル200ドルを握っての
遊びはいまでもラスベガスに仕事で行った時などにやるが、
博打の情熱は完全になくなったようで、熱くなったためしがない。
100ドルが300ドル、500ドルなどとエスカレートすることはもう2度となさそうだ。

買うに関しては、家内を幸せにして
経済的にかなり裕福にならないかぎり
その資格が生じないと思っている。
別にビジネスで大成功しなくても
それこそ100ドルの遊び博打や宝くじで2000万ドルのジャックポット
が当たった場合でもいいと思うが、
妾に100万円小遣いをあげたら
家内に200万円の宝石でも黙って買ってきてプレゼントしなければ
いけないように思う。

すべては金がともなう。
金がなければ男じゃないのかといえば、そうではないが、
男としての理想はは金をガンガン稼いで、その金を
呑む打つ買うと粋に使う。それが理想だと思う。

理想論を追及したところで、私は貧乏人だし、
特にいまの私はとってもとっても貧乏人だ。

でも、稼ぎの少ない中で世界のあちこちを旅して
食事を楽しみ、酒を呑み、綺麗だと思う女性と話をして、
それなりに人生を楽しんでいる。

幸せかどうかと聞かれれば
「自己満足かもしれないが思いっきり幸せだ」と
胸を張っていえる。

それでいいじゃないか。





jimmysuzukiusa at 12:30│Comments(3)TrackBack(0)この記事をクリップ!

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この記事へのコメント

1. Posted by 関係者   April 25, 2010 12:40
話をわざとそらしてるのかもしれないが、全く関係ない話題だ。
問題は故人を貶めるようなことを書いたこと、それに対して怒った人たちを侮蔑したことだ。
あなたの価値観など関係ない。
2. Posted by けっきょく   April 25, 2010 14:02
理想だけで現実はまったく間逆の
ダメダメの軟弱者じゃん。

妾だのくびなげだの
故人の家族が知ったら何か気分良くないだろ。
せこいソープとかの方がまだ笑ってくれるさ。

もう亡くなられているんだからいいだろ
と思うかもしらんが、逆にして考えてみろ。

ジミーの奥さんが亡くなられた後に
「あの奥さんはあっちこっちで男にくびなげされてた」
って誰かが好意的に武勇伝として語っても
なんか嫌だろ。

そういうのはブログで書く話じゃねえんだよ。
男同士での呑み会で言ってろ。
3. Posted by 野暮天豚   April 25, 2010 14:41
>幸せかどうかと聞かれれば
>「自己満足かもしれないが思いっきり幸せだ」と
>胸を張っていえる。
>
>それでいいじゃないか。

あんたそれを言ったらなんでもありだってことになんで気づかないんだ?
家族と一緒に家事を楽しむ人生だってあるだろ?
飲む打つ買うなんて大見栄はることもなく、自己の凝り固まった時代遅れの観念を押し付けることもせず、思いっきり幸せな他人様にぐだぐだ難癖付けないように生きてみたまえ。
それを「粋」と言うんじゃないかね?

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