きょうのコラム「時鐘」 2010年4月25日

 金沢城の河北門が復元された。かつての正門と言われる。すぐ横にある石川門は搦手(からめて)、つまり裏門と言われてきた

二つの門は、数十メートルしか離れていない。表門と裏門がこんなに近くにあるのはおかしくないか。石川門の名は石川郡に向いて建つからというが、小立野方向にあった石川郡は端の端であり、かなり厳しい。復元を機会にこうした城郭史を疑って見るのも面白い

河北門は鬼門とされる東北に向かって建っている。なぜ鬼門に正門を置いたのか。利家入城のころは反対側の犀川方向に正門があったと宮守堀の発掘からも推定されている。玄関口を180度回転させた理由は何だったのか

河北門の一角に「ニラミ櫓台」がある。にらむ先は北国街道だ。加賀藩の仮想敵は富山の先にある越後なのか、さらにその先の江戸だったのではないか等々と、推理は果てしなく広がる

復元された城は街のランドマークであり、観光の目玉になるという。が、大切なのは先人が何を思い、何を狙ってこの地に城を築き街としたかを考えてみることだろう。明日のふるさとをにらむ視点が得られるに違いない。