COLUMN

PHSの書き置き

by TARO MATSUMURA - 2008.01.10 20:02

 2008年1月7日、NTT DoCoMoがPHSサービスを終了した。1995年にNTTパーソナルのブランドで登場し、とんねるずがコマーシャルをしていたのが懐かしい。1997 年の約212万契約をピークに、その後ケータイに押され続けた。そんなPHSが描いていた通信とはどんなものだったのだろう?


「あれ? まだピッチ使ってるんだっけ?」

 そんなことを言ったり言われたりしていたのは、僕の回りでは1998年から1999年にかけてのことだった。僕はちょうど高校から大学に上がるタイミングで、ケータイを持ち始める人が増えるに従って、身の回りのピッチ率は減り続ける。

 ちょうどi-modeが登場するタイミング。パケット通信でメールの送受信やケータイサイトを閲覧するケータイがリリースされて話題になっていた。データ通信自体はPHSの方が第二世代の携帯電話よりも断然早かったのだが、その優位性を理解してもらうまもなく、ASTEL、NTT DoCoMo(NTTパーソナル)のPHSサービスは終焉を迎えた。

 PHSはPersonal Handy Phone Systemの略。デジタル方式の通信を使い、音声のビットレートは32kbps、高音質の通信が可能だった。また基地局のコストが安く、出力も小さいため、きめ細かなエリアカバーが可能で、特に地下鉄などの特殊なエリアで強さを発揮してきた。この特徴はアジア地域での無線通信や、固定電話の代替などとして活用されるなどの広がりも見せている。

 1998年までは「簡易型携帯電話」というお役所的な名称が使われていた。この「簡易型」というフレーズが、結局安くなっていった現在のケータイへとユーザーを流すことにつながってしまったのではないかと思う。現在残っているウィルコムも、H" (エッヂ)ブランドを採用して以来、あまりPHSというフレーズをコンシューマーに見せなくなってきた。


ピッチの思い出

 1997 年の最盛期には「ピッチ」という愛称で親しまれていた。ちょうどその前年に高校1年生だった僕は、NTTパーソナルのブランドで登場したシャープ製のフリップ型端末を使い始めた。ちょうどこの頃からケータイやITに興味を大いに持ち始めたので、とても懐かしい思い出である。

 一挙に広まったのは僕が高校2年生の時。回りにいるほとんどの友人が、PHSをタダで手に入れていたのを思い出す。応募すると端末が送られてくるキャンペーンだけでなく、渋谷のショップの店頭でも、端末0円もしくは1円程度で販売(というよりは配布ですね)されていた。

 当時はNTTパーソナルの他に、現在のウィルコムであるDDIポケット、そしてASTELブランドの3社のPHSサービス網が存在していたが、現在残っているのはDDIポケット改め、ウィルコムの1社となってしまった。ウィルコムについては、2.5GHz帯の免許を取得し、次世代PHSサービスの展開に鼻息も荒い。

 PHSが最も普及していた当時、通話料が安いと言っても高校生にとってはあまり喋りたい放題にできる金額ではなく、結果としてコミュニケーションは、30秒以内の接続で済むメールが主流だった。

 初めのうちは漢字ではなく、半角カタカナか英数字という、ポケベルと同じようなスペック。ポケベルと言えば、PHS・ポケットベル一体型の端末もリリースされていたことがあった。

 キャラトーク、Pメール、Aメール、名前を聞いて分かるとおり、各PHSキャリアの間で端末の機能としてメールサービスに互換性はなく、現在のように@付きのインターネットメールと互換性のあるサービスも、当初はなかった。しかしながらポケベルの文字入力表と同じ流儀でメッセージを送信できたので、ポケベルに慣れていた人にとっては、互換性の問題はほぼなかったようだ。
PHSが目指したモノ

 そんなPHSのポテンシャルは、なかなか興味深いものがある。しかしその魅力をフルに活用してきたユーザーが少なかったかもしれない。

 例えば、PHSを子機として登録できる固定電話の親機を使っていただろうか? PHS同士で見通し約100mの通話ができるトランシーバ機能を使っていただろうか?

 PHSは外出先では携帯電話、家に帰ってきたら固定電話の子機、というハイブリッドな通信端末としての使い勝手が想定されていた。そのための機能が端末に入っていて、PHS端末を子機として登録できる親機も発売されていた。

 同じ端末を使っていても、家にいれば固定電話の安い通話料で電話がかけられ、自宅にかかってきた電話も手元で受けられる。一方外出してもいつでも電話ができるし、受けることもできる。現在のケータイでは、転送電話サービスなどを使ったとしても、完全に真似ることができない使い勝手だった。

 しかしながら、それを理解していた僕の家でも、PHSを登録できる子機は使っていなかった。どれの親機とどの端末が対応しているのか分からないし、量販店の店員も把握していないし、NTTパーソナルのショップでもイマイチわかりやすい対応をしてくれていなかったのを記憶している。規格としては、他者の PHSも親機に登録すれば基本的には利用可能なのだが、それを一括して知ることはなかった。

 PHSではなかなかこの使い勝手の実現を見ることができないが、この考え方は残しておいて価値あるものだと思う。

ネットにつながり続けるiPhone

 iPhone。もうまもなく日本でも使えるセカンドモデルがリリースされると目されており、それについてはまた追ってエントリーしようと思うけれど、iPhoneをアメリカで使っていて、意識することがないが実は素晴らしい点がある。それは、常にネットにつながっていると言うことだ。

 通常はEDGEという規格を使って定額の通信環境を確保している。これによって、アメリカの空港に降りたって電源を入れた瞬間、iPhoneには設定していたメールアカウントの新着メールが入ってくる。Wi-FiをONにしていて、フリーの Wi-Fiをキャッチすると、初回にダイアログでOKするだけで、高速なWi-Fi経由でインターネットにつながるようになる。

 場所に応じて使うインフラを変えながら、それでも常にインターネットへの接続を確保し続ける点が、短いアメリカ滞在の間ですら、とても信頼できる存在になった。信頼感の醸成を超えて、それが当たり前の環境の快適さを味わうことになる。

 しかしPHSのモードには、その感覚を超えるミライが存在しているように思える。


場所で可変する端末

 先ほど紹介したとおり、外出先ではケータイとして、家に帰ってくると固定電話の子機として、場合によってはオフィスでは内線電話としても利用できるPHS。

 iPhoneがインフラを変えて常にネットにつながり続ける端末だった。しかしPHSが行き渡った環境では、同じ1つの端末が場所によって意味を変えて機能する、ハイブリッドかつパーソナルなモノになる。

 端末自体の形は変わらないが、場所と呼応するように、その場所に最適な存在として人をサポートしてくれる。

 PHSがケータイに負け始めた原因の1つは、ケータイの方が、家の中や都市部以外の場所でも必ずつながる通信環境を構築していた(もしくはそうであるというイメージがあった)からだ。

 現在のように第三世代ケータイが張り巡らされ、各家庭には高速ネット回線が普及し、Wi-FiやWiMAX、そして第4世代への道を走る無線環境。どのインフラ、どの手段でもインターネットにつながることはわかった。他に何かないのだろうか?

 もちろんGPSなどの空から降ってくる位置情報を使うことで、その場所、そのエリアに入ったら何かが起きる、と言うサービスは既に実現できる。しかし道に線が引いてあるわけではないフィールドでそれが起きても、どうもピンとこない。もう少し我々の生活にとってフィットしていて、リアルで明示的な「モード・チェンジ」が欲しい。

 そこで、場所と呼応する端末であったPHSが目指したミライ像を生かせる時がくるのではないか、と考えるようになった。

 最後に再びiPhoneの話題で終わるが、iPhoneをアメリカのスターバックスに持って行くと、スターバックスのアイコンが画面に滑り込んできて、そのカフェで流れている音楽をさかのぼって視聴し、その場で購入できるようになる。このわかりやすさなのだ、必要なのは。

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