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2010年4月24日(土曜日)

側室論を論破する

カテゴリー: - kurayama @ 14時05分47秒

 皇統保守をめぐる議論で、「旧皇族復帰」か「女系容認(正確には男系否定)」の他に、
「側室制度の復活ではまずいのですか」と真面目に聞いてくる人が多いです。
 素人の疑問ならそれで良いし、現実にはまったく勢力として存在しないので無視しても良いのですが、まあ念の為に再否定しておこう、くらいの話です。

 とりあえず、9月1日の記事をご参照ください。過去ログをクリックしても見れないシステムなので、「倉山満の砦 側室」で検索してください。一発ヒットします。私の立場、あれで終わっているので、本記事は完全に蛇足ですけど。

まずは定義から。
「側室論」とは、「何らかの形で皇后以外に別腹の女性の存在を再び制度化しよう」という議論のことです。としか言いようがないです。いまだかつて、まじめな提案として側室論を聞いたためしがないので。
「中宮のみか、何人までどのように認めるのか、内侍制度までも復活か、単なる妾や愛人か。そもそも皇統譜ではどのように書くのか。」に関して真面目な提案を聞いたことがないので、単なる抽象論として「何らかの形で」といい加減な形でまとめるしかないのです。

「論破」とは、「対等の議論と認めてその根拠を否定する」の意味ではありません。
「そもそも論として成立していない」と証明することです。
「側室」の中身すら定義されていない、で既に終了しているのですけど、さらに念の為に話を進めましょう。

 女系論者は提案自体は精緻ですが、「先例がない」の一言で終了です。
 では側室は「先例」があるから良いのか、旧皇族復帰案に優先するのかというとそれは別の議論ですのでこれから検証します。

 そもそも「先例」とは何か、です。
 宮中では「新儀」が悪で「先例」が善です。たとえ何代何百年遡ろうとも、「先例」を探す世界です。
 ただし、この「探す」とは、現実に最も合致する方法を議論する作業でもあります。
 私も「過去にあるからやれ」との意味で「先例」を用いていません。

 公家社会には「平清盛は先例にあらず」という言葉もございます。
 当然、「マッカーサーは先例にあらず」でなければなりませんよね。「先例」にして良い議論を証明できる方はしてもらっても結構ですが。
 だから旧皇族復帰は本来ならばもっと早くやっておかねばならないことだったのです。
 それに対して、側室制度ですが、「昭和天皇は先例にあらず」ですか。
「マッカーサーの先例が昭和天皇の先例に優先する」が立証できるのでしょうか。、
されても、私には受け容れられない議論ですが。
 ついでに一部世の中の風評に「竹田恒泰はマッカーサーと関係なく臣籍にある身だったのだ」などという人格攻撃もあって、それを信じる不勉強な方もいるようですので一言だけ申しましょう。
「親王宣下」って言葉知っていますか?
 臣籍降下は何も考えず自動的に行われてきた訳ではございません。

 以下、助け舟を出しましょう。以下の論点を立証できたら、側室制度も旧皇族復帰案と対等に議論の俎上に載せることができます。

一、「側室制度」の中身を厳密に定義する。
 ⇒要するに何をしたいのかの立場をはっきりさせないと議論にならない。
二、その「側室制度」を実現化する際の実行可能性を証明する。
 ⇒この時点で国民の理解は得られたことになります。
三、「側室制度」を導入した際に当然予想される不利益を克服する方法を提言する。
 ⇒この方法は、「不利益が発生しない」でも「不利益よりも利益が大きい」でもどちらでも構 いません。
四、「側室制度」導入後の宮家のあり方を提示する。
 ⇒そもそも秋篠若宮がこのままの継承順位で即位あそばされた時には、皇族が一人もいなくなるというのが、この問題の出発点ですから。
五、昭和天皇の先例とマッカーサーの暴挙を克服する方法を否定するのかの論拠を明確にする。
 ⇒先例の解釈です。旧皇族復帰よりも側室の方が回数が多かったは理由になりません。
昭和天皇が現実に合致しない先例として、別の先例を採用された理由を否定できなければなりません。
六、「側室制度を導入するのも結構だけど、同時に旧皇族復帰もやればよいのでは?」という説に回答する。
 ⇒二者択一論でない場合はこれは立証不要です。旧皇族復帰を否定し、「側室制度」のみを導入したい場合のみ必要な論証です。

 皆様の議論をお待ちしています。
 ただし、私の意見に反論の場合は、五条件の全てを立証してからにしてくださいね。
 それでやっと竹田先生が主張し、私も支持している「旧皇族復帰」案と対等です。
 竹田先生や私の議論に対する優越を主張されたい場合は、「六」も必要です。


コメント

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  1. 旧皇族復帰問題について話題が上がったので、一言だけ。

    この問題には「残すべき伝統と現代の社会情勢に合わせて改めるべき伝統」の判断が密接不可分だと思うが、今まで誰一人として取捨の判断基準を体系立てて説明していないと思う。論者は何を基準にして「捨てるべき」「残すべき」と主張しているのか、明らかにするべきだと思う。
    いま思いつく限りだと、
    ・時間(≒歴史、慣習)
    ・血統
    ・正統性
    ・国民の理解
    ・合理性
    ・合法性
    優先順位をハッキリ断言してしまうと柔軟な発想や判断ができなくなるのが欠点だけど、受け手としては解り易いのでとても助かる。皇統保守派も女系容認派もこういうの明確にしてくれないかなぁ。

    Comment by 瀛 — 2010年4月24日(土曜日) @ 14時53分13秒

  2. 瀛様
    私の基準だと、
    一、血統=正統性
    二、時間(≒歴史、慣習)
    三、国民の理解=合理性
    四、合法性
    の順です。
    一とニは本来不可分なのが、占領軍の為に乱れてこの事態になっている訳で、
    それをどう正すかが問題かと思います。
    ちなみに竹田先生は「原則残す、例外捨てる」のようですね。私もそうです。
    私の場合は、上記の優先順位になりますが、とにかくマッカーサーのやったことは全否定!が基準です。
    瀛様は?

    Comment by 倉山 — 2010年4月24日(土曜日) @ 14時59分10秒

  3. 倉山先生

    レスありがとうございます
    私も優先順位は同じです。ただ、国民の理解と合理性はイコールで結んでいいのかという疑問はありますが。
    多分、女系容認派は皇室制度の堅持を思うあまり、合理性が一番に優先されているのではないでしょう。つまり、とにかく皇室が残っていることが大事であり、そのためには歴史的正当性、正統性の希薄な女系だろうと使う、と。

    あれ?そうすると、皇室制度や天皇が(名目的)元首であることの正当性や正統性はどこから持ってくるつもりなんでしょうか?
    …それとも、女系論者はその辺の事考えていないのでしょうか。

    Comment by 瀛 — 2010年4月24日(土曜日) @ 15時45分49秒

  4. いやいや、これはまたお返事恐縮いたします。
    人が悪くてすみませんね。
    私は真面目にやってるつもりですので、
    茶化されていると言われると困ってしまいます。
    私の書き方がよくないのでしょうが、
    私が伝えたいことがきちんと伝わっていないようで残念です。

    「側室論を論破する」というタイトルからしても、
    自分の頭の中では論破できているからそれでいいのだというお考え、
    こんなインターネットの隅っこででも論破しておけばそれで済むというお考えが、
    根本的に大間違いだ、たかが学者か何かようわからん風情が!
    というのが私が一番言いたいことなんです。

    > 「側室制度の復活ではまずいのですか」と真面目に聞いてくる人が多いです。

    どうしてそれを気にする人が多いのでしょうね。
    考えたことはありませんでしたか?

    野党と言えども「陛下の野党」たるべし、というようなこともおっしゃっている倉山さんですから、
    書けば釈迦に説法になると思っていましたが、そうでもないようですので、
    私が素人を代表…できる立場ではありませんが一人の素人として、
    玄人たる倉山さんに申し上げます。

    まず私としましては、
    側室制度が採用されようがされまいが、
    旧皇族の皇族復帰が採用されようがされまいが、
    両者はトレードオフの関係にはないので両方やろうということになろうが、
    最終的な結論としては実際どれだっていいと思ってます。
    憲範の原理が守られつつ、皇統が安定継承されることだけが大事です。

    我が日本のような君主国においては、まず世襲の原理があります。
    そして主従のわきまえがある。野党と言えども「陛下の野党」たるべし、ですわね。
    こういうのが、統治の正統性や憲範の原理の根っこにあるわけです。
    それを何とか書き起こしてみれば、それが憲法典となり皇室典範となる。

    で、わきまえるべきことは主従以外にも、
    本家分家、長幼、嫡出庶出、直系傍系などといったものもあるんですね。
    皇室典範にも確かにそうあります(かつてはもっとはっきりとありました)。

    ですから、傍系の竹田氏が関わっているならばなおのこと直系傍系のわきまえを大事になさって、
    直系の方が側室をおとりになることについての話を先に、むしろ自ら進んで俎上に載せないと、
    いい形にならないのではないのでしょうか?
    その後で、
    「そうなさらない(おできにならない)ようならば旧皇族が皇族復帰しないと…」とか、
    「それで足りない場合、あるいはいざという場合に備えて旧皇族も…」とか何とか言って、
    旧皇族に皇族復帰していただけば、それでいいんじゃないですか?
    私が言っているのは、基本、そういうことです。

    これは、実際に側室制度を構築できるのかできないのかというような話とは別なんですよね。
    強調しますが、傍系である竹田氏と彼をサポートする人ならばなおさら、
    さあ反論してみろという態度ではなく、こうしてはどうか、ああしてはどうかと、
    あなた方こそがむしろ真剣に側室制度の是非を考えて見せる必要があるでしょう?
    それこそ「立場上」ね。

    私心はない、信じない人は信じなくていいと口で言ってたってダメなんですわ。
    そもそも、日本の統治の正統性に関わる問題で、
    言論上も血筋の上でもキーマンになっている人について、
    信じない人は信じなくていいと態度はおかしいでしょうに。

    私たちには直系傍系のわきまえがありますよ、
    憲範の原理を守ろうという強い意志がありますよと
    行為をもって示すチャンスが目の前に転がっているんだから、
    行為をもってそうすればいいじゃないですか。
    それなのになんでそうしないのかな、と思うわけです。

    倉山さんがご自身の頭の中で考えられて、
    あるいはこのブログにその結論を書かれて、
    いやー、こんなのは無理でしょ、議論に値しない、反論してみろっつっても、
    何の意味もない。

    血筋としては皇統が何とか継承されても憲範の原理があやふやにされていったら、
    場合によってはそっちのほうがずっとヤバいわけです。
    国民として危惧するのは当然。

    憲典を守りつつ皇統をつないでいくためには、
    こんなの真面目に議論してもしょうがないと思うことでも
    一度はきちんと俎上に載せて突き詰められるだけ突き詰めておかねばならぬこともあり、
    複数の議題があればしかるべき順番というものもあるのですよ。

    竹田氏にせよ倉山さんにせよ、
    尊皇愛国を装い、憲法なら俺に任せろみたいな顔をして、
    表面では皇統が! 宮家の数が! と皇室と日本を心配しているように見せているのに、
    (見せているから余計に、というべきか)
    主張や行動には直系傍系のわきまえといった憲典の原理への意識の乏しさが現れているので、
    それを私は「邪悪」と言っているわけ。

    逆に言えば、形さえ整えてくれたら、結論は何でもいいんですよ。
    側室はやっぱりなしで旧皇族復帰ということになったらなったでいいんです。
    細かいことで論破したのされたのというガキ臭いことに私は興味ないんでね。
    「わきまえろよな」と申し上げているだけなんです。
    もっと言えば、形さえ整えているのであれば、
    倉山さんや竹田氏が腹の中では何を考えていようと、
    私にとっては結構どうでもいいということです。

    まあ、こういうことですよ。一素人的にはね。
    これでちゃんと伝わるでしょうか?

    Comment by dodo — 2010年4月24日(土曜日) @ 22時24分09秒

  5. 「先例」について私の考えを一応書いておきます。

    伊藤博文の『憲法義解』に確か、
    これこれこういう先例はあるがそれは常憲にはなっていない、
    という風な言い回しが何度か出てきていると思います。

    先例よりも常憲が優先する。

    ということで、
    その意味でも皇族復帰よりは側室制度を先に俎上に載せるべき、と考えます。

    とは言うもののやはり、
    今の旧皇族に関しましてはおっしゃるように、マッカーサーがーということがありますよ。
    でも倉山さんって以前、憲法無効論に対して、
    いや、無効ということにはできないでしょう、的なことをおっしゃっていませんでしたっけ?
    旧皇族の臣籍降下も、
    事情はともあれ実際に起こって既に定着しまったことと一度は認めなきゃいけないし、
    実際に起こって既に定着しまったことであると認めるならば、
    マッカーサーがーということはひとまず言いっこなしにするしかないのではないですか?

    純粋に旧皇族復帰と側室制度を比べれば、
    前者は「先例が何度かある」で、
    後者は少なくとも「常憲」とは言えないかもしれませんが、大体ずっと認められてきたものです。

    > 旧皇族復帰よりも側室の方が回数が多かったは理由になりません。

    ということもないんじゃないですか?

    側室(女官)制度の改革は、確かに摂政であられた頃の昭和天皇のご決断です。
    無下に扱ってよいものではありません。
    しかし、宮家が足りないという当時はなかった問題が、
    側室(女官)制度の改革から90年ほど経った今、浮上しています。
    今上陛下が、あるいは今上陛下の御世において、真逆の判断をしたとて、
    昭和天皇のかつてのご判断にケチをつけることにはなりませんよ。
    そういうことを言っていたら、
    どんな法律だって最終的には陛下が御名御璽をなさるわけで、
    一度できた法律の改正なんてできなくなっちゃうでしょう?
    あのときはあのとき、今は今。
    でも一時の判断と「常憲」またはずっと認められてきたことは、同じ重さではありません。

    念のため繰り返しておきますが、
    私は旧皇族復帰に反対の立場ではありませんから。
    あくまでも、しかるべき手順があるでしょう、ということを申し上げているのみです。

    Comment by dodo — 2010年4月24日(土曜日) @ 22時54分05秒

  6. 瀛様
    >多分、女系容認派は皇室制度の堅持を思うあまり、合理性が一番に優先されているのではないでしょう。つまり、とにかく皇室が残っていることが大事であり、そのためには歴史的正当性、正統性の希薄な女系だろうと使う、と。

    単に愛子内親王が可愛いから、それと左翼最後の牙城となったジェンダーによる破壊工作、あたりかなと。そんな程度に考えていました。

    側室という手法は、外戚が増える可能性があるため、むしろデメリットの方が大きいように思います。

    Comment by 仙台竜三 — 2010年4月24日(土曜日) @ 23時12分52秒

  7. dodoさんのおっしゃるとおり、「側室制度復活」という言葉は誰もが一度は頭をよぎると思います。
    でも、大抵の人は「人心に悖る」「昭和天皇が決めた」「国民の理解を得られない」という理由で一蹴してしまいます。私も、理屈抜きの感情論でいえば側室制度には反対です。
    でも、側室制度が存在していた期間の方が圧倒的に長いのも事実。側室の子が皇統をつないだ例が多いのも、直系相続がしやすいのも事実。天皇は憲法の外にある存在だから一夫一婦制と(細かい問題はあるだろうけど)矛盾しない。
    そう考えると、一番合理的で矛盾なく、手っ取り早い方法ですよね。でも、何故か皆、復活しないことが前提で話が進んでいる。
    では、何故誰もが考えないのか。そこに論理的理由が無い。独自の判断基準で「あり得ない選択肢」と考えているから、前例が豊富で合理的で血統も正統性も担保される可能性が潰されている。だから、知識人や論者の判断基準、優先順位を知りたい。

    Comment by 瀛 — 2010年4月24日(土曜日) @ 23時22分26秒

  8. すみませんが最後に付け足しで。

    竹田氏はチャンネル桜で、
    皇統はなんとかかんとかつないできたというのが実情だとおっしゃっていました。
    そうであれば自ずから、
    旧皇族復帰したとていずれ先細る可能性があることにもまた、考えが到るというものです。

    今は旧皇族がいらっしゃるし、そもそもマッカーサーがーなので、
    この方々に復帰していただけばそれが自然と先延ばしになりましょうが、
    そのときにもちょうどいい旧皇族がいらっしゃるかどうかはわかりません。
    いらっしゃらなくて、
    それでも日本人が皇統を守っていきたいと思い、男系継承にもこだわるならば、
    側室以外に方法はあるんですか、ということになる。
    そこそこ若い男系男子が一人でも生きていらっしゃれば何とかなる。
    これはこれで大きいものがありますよ。
    そのときになってからでも遅くないっちゃ遅くないかもしれませんけど。

    外戚が増えすぎたら臣籍降下すればよいだけではないのかな?
    私はそう思いますけど、これも細かいいろいろがありそうですね。

    Comment by dodo — 2010年4月24日(土曜日) @ 23時53分47秒

  9. > 瀛さん

    我が意を汲み取ってくださり、ありがとうございます。
    申し上げたかったのはまとめればまさにそういうことです。

    Comment by dodo — 2010年4月25日(日曜日) @ 00時02分36秒

  10. dodo様
    六つの点に関してどの部分で説明しているのでしょうか?
    まず第一の「側室」の定義からどうぞ。
    話はそれからです。
    人の質問に答えないのであれば、今後は無視させていただきます。

    Comment by 倉山 — 2010年4月25日(日曜日) @ 01時18分53秒

  11. dodo様
    補足。
    私と竹田さんが分をわきまえていないという立証もしてくださいね。
    「側室論を主張していない」がその証拠だといわれても困りますので。
    それこそ脳内論証です。

    あと、過去ログをどう読んだか知りませんが、議論の紹介と私自身の主張の区別ついています?

    いずれにせよ、「側室」の定義をしていただいてから検証させていただきます。「側室」など非現実的でも検証するべきだという主張には一理がありますので、言い出した方が立論してください。

    Comment by 倉山 — 2010年4月25日(日曜日) @ 01時31分16秒

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