[掲載]2010年2月21日
■大きなテーマを一人称で
この社会科学書を読んだ時の衝撃は今でも憶(おぼ)えていて、それどころかこの本に書かれたことが現今に近づくにつれてますます顕著になってくることを、ぼくは事あるごとに思い知らされたものだ。疑似イベントとは、現代人の飽くことを知らぬ途方もない期待に応えようと、マスコミが、政府が、時にはわれわれ自身が生み出す作られた出来事のことである。ニュースは取材されるものではなく作られるものであり、事件のニュースが報じられていない日の新聞を読んで「なんと退屈な日だ」ではなく「なんと退屈な新聞だ」と読者に言われぬよう、マスコミは日日面白いニュースを作り出そうとする。かくて報道倫理に従った高級紙は没落していくことになる。現実に起(おこ)った出来事は、その場にいる人間よりもテレビを通じて見た者により臨場感を与えるのである。
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古くから人びとが求めた英雄は、毎日のように新たな英雄を見(み)出(いだ)さずにはいられない大衆の欲求によって、現代では英雄ではなく単なる有名人となり、テレビに現れては消費され、すぐに消えていくことになる。真の英雄がマスコミに取りあげられることはなくなった。ノーベル賞受賞者とて、たちまち有名人の列に引きずりおろされ、ただちに忘れられていく。
昔なら発見や出会いや冒険に満ちた外国旅行も、観光という疑似イベントによって作られた「安全な冒険」にとって替わられ、ガイドつきのパック旅行は大量の観光客に安価な旅と人工的観光地を提供する。本物の芸術よりも、大衆的な、わかりやすいその模造品の方が好まれ、名作よりもそのパロディが好まれ、実物よりも美しいその写真が好まれ、古典音楽はポピュラー・ソングとして蘇(よみがえ)る。大衆にとって複雑でわかり難い原作よりも単純化された映画が好まれ、その小説の映画版こそがオリジナルと考える人は、ノベライゼーション以前から存在したのだ。複雑な理想よりもイメージそのものが求められた結果、ブランド品に見られるように商品乃至(ないし)理想は、イメージの投影、または一般化として考えられるようになる。
この本からぼくは作品の大きなテーマを与えられた。大きな出来事を常に求める大衆の期待によって、ついに戦争が起るというテーマである。一年後、セリーヌに学び、ヘミングウェイの文体から学んだ一人称でぼくは「東海道戦争」を書くことになる。「SFマガジン」に掲載されたこの短篇(たんぺん)が好評だったので、以後ぼくはしばらく「おれ」という一人称で短篇を書き続けるのである。また、疑似イベントという言葉をSF作家たちが口にするようになり、その後「SFマガジン」は「架空事件特集」という号を出して作家たちに疑似イベントものを書かせたりした。
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「東海道戦争」を書く以前からシナリオで参加していたテレビアニメ「スーパー・ジェッター」の商品化権料が多額に入ることになり、ぼくは上京を決意した。この頃はもう作家として立っていける自信もでき、なんとなく落ちついてもいたようだ。(作家)
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副題に「マスコミが製造する事実」。東京創元社から1964年刊。
著者:D.J.ブーアスティン
出版社:東京創元社 価格:¥ 2,310