野々村さんの書評への補足(こうの史代ファンページ掲示板より) |
こうの 史代 |
投稿日: 2月19日(土)16時48分6秒
野々村禎彦さんの書評、大変嬉しく拝読しました。まんがで表現していても、自分で上手く説明出来ない事はたくさんあるのですが、さすが文章の畑の人は違うなあ。野々村さんに限らず、いろんな方の書評を見るたびに思いますよ。嬉しかったので、少し補足させていただきましょう。
編集者(染谷さん)が「ヒロシマを描かないか」と言われたのは、多分ごく軽い気持ちからだったのだろうと思います。ある提案とそれに関する会話というのは、編集さんとまんが家の間では世間話みたいなもので、大半は形にならず、消えてゆくものです(わたしの場合だけだったりして…)。ただ、きっかけよりも制作過程で染谷さんは重要でしたね。この人なら受け止めてくれると昔から思わせてくれる編集さんでして、思い切った話作りが出来ました。もしかすると別の編集さんとの打ち合わせで描こうと決めても、染谷さんに持っていって見て貰ったかも知れません。
視点については、自分では感覚に従って描いたに過ぎなかったので、意図が伝わり過ぎるほど伝わっていて、驚きました。この分析と技法は今後、わたしも含め多くのまんが描きの役に立つ事でしょう! ちなみに、淡々とした描写から独白への移行は、面白いけどどういう着想? と以前知人から聞かれたのですが、そういえば井浦秀夫の『少年の国』の巻末に載っていた読みきりを意識していた気がします。
京花と元春の名前については、実はそこまで意識していませんでした(わたしが中国文学好きなのでその影響かもしれない、この兄妹の名は元安川と京橋川から一文字ずつ採っていて(編注)、京子では東子と混同するので京花にしました)。でも、いろんな解釈があると面白いかなとおもいます。
後付けの部分もあるので、一読者の意見として見て頂ければいいのですが、わたしの解釈としては、京花は「いじめられている」というよりは「半人前扱い」と言う感じ。先生が出来の悪い生徒の頭を竹の棒で叩くのもよくある事だったかな(実際わたしもよく殴られた、今思うと訴えてやりたい!)というところです。ただ、得体が知れないだけになんでも「ピカ」のせいにして納得する風潮はあり得るかも知れない。被爆した者は多いとはいえ、移住者の多い広島市では当時はすでに少数派でした。そして、旭も、言葉の問題なんかで広島ではけっこう孤独だったのではないかと思います。
七波が野球少女なのは、親父が野球少年だったからです。親父は本当は凪生に野球をやらせたかったのだろう、と察していたから七波は余計に野球に打ち込んだのでしょう。と、このへんの思いは盛り込むつもりだったけど、入れるところが結局ありませんでしたね。
投稿日: 2月21日(月)13時18分16秒
その後も、京花の民族に関する部分について、いろいろ考えています。いや、まんがの神様はうまい具合に細工したもんだ。もういちど言うと、わたしの見解が作者だから正しくて優先されるべき、という段階ではすでにないのだと感じます。読む人の親しい問題に重ねていろんな見方で捉えて頂けるという事は、あとがきに書いた、この作品が「育てられる」という事だな、と嬉しく感じています。
(編注) 名前の由来に限らず、本作の背景を読み解き、リストアップする作業はウェブ上で盛んに行われている。代表的なのは、「ただのにっき」2004年11月9日の読書ノートだろう。多くのコメントに基づいて随時改訂されている。また、この試みの端緒として、「漫棚通信」ブログ版2004年10月17日の記述も挙げておきたい。(野々村)