こうの史代:夕凪の街 桜の国 (双葉社, ISBN: 4-575-29744-5) |
野々村 禎彦 |
このマンガを考える際に、成立までの経緯は無視できない。原爆を題材にしたマンガは多くの場合、まず作家が何らかの動機でこの題材を選び、商業誌の制約の中で発表できる形にまとめていくことで作られる。だが、本作の出発点になった第1話「夕凪の街」は、2002年当時「Jour すてきな主婦たち」誌で連載されていた短編連作『長い道』の担当者の提案から始まった。広島で生まれ育ったこうのは、広島弁でマンガを描けると喜んで二つ返事で引き受けたが、やがて担当者が意図していたのが「広島」ではなく「ヒロシマ」だったと気付き、後悔することになる。「平和教育」の一環として原爆の記録映画や展示を見るたびに気を失いかけていたという彼女にとって、「ヒロシマ」は終生避けて通りたいテーマだったという。あとがきにもある通り、彼女の親族に被爆者がいるわけでもなく、このマンガを描くことがなければ「よその家の事情」であり続けたのではないか。活動初期にはストーリー性のある短編を同人誌(専らコミティアで販売する個人誌)で発表していた彼女も、商業誌での活動の場は4コマ誌ないし一般誌の4コマ枠で、4コマないしその延長としての4頁前後のショートショートに限られていた。『長い道』各回3頁の密度に閃くものがあったとしても、政治的リスクもある題材を彼女に依頼した担当者の英断がなければこの作品は存在しなかった(注1)。
だが、このような題材との距離こそが、この作品の美質を生んだ。30頁の「夕凪の街」は、せわしない仕事を強いられることが多いマンガ界では珍しく、1年間をかけて完成された。この時間と客観的な立ち位置が、「原爆でなければ起こり得ないもの」を突き詰めることを可能にした。原爆を題材にしたマンガとして、誰もが思い出すのは中沢啓治『はだしのゲン』だが、そこではケロイドと白血病が、被爆者の記号として繰り返し描かれていた。中沢作品が主に描かれた70年代には、このスタンスはまだ十分に有効だったのだろう。だが、爆発力では広島型原爆に匹敵する大型爆弾がいまや当たり前のように実戦で用いられ、枯葉作戦のような形で大量の有毒物質を用いた後遺症が、数十年単位で世代を越えて残ることも広く知られるようになった今日では、これらの記号は「ヒロシマの昔話」以上の普遍性は持ち得ない。それでもなお残るのは、日常に復帰したはずの者を数年後に突如襲う原爆症の不条理であり、このような不可視性に由来する、60年後の今日でもなお根深く残る差別に他ならない。「夕凪の街」のテーマはまさに前者、「桜の国」のテーマはまさに後者である。
ただし「夕凪の街」では、戦略爆撃以降の戦争では普遍的な、生き残った者の後ろめたさにより多くの頁が割かれている。生者と死者を分かつものが単なる偶然でしかない世界では、愛する者を亡くし、自分が生き残ったことの意味を見出すのは難しい。徐々に激しさを増す空襲の中を逃げ延びていれば、それでもまだ生の実感も得られたのかもしれないが、原爆の破壊力のデータを取るために原爆投下まで無傷で保たれた広島と長崎では、「わけがわからない」うちに未曾有の惨劇に突然直面し、核実験の深刻な影響が明らかになって原水爆禁止運動が盛り上がるまで、被爆者たちは治療も補償もろくに受けられない状況で放置された。この状況下で生き延びるためには、被爆の惨禍を日常として受け入れざるを得ない。遺体を踏み越え、遺品を盗み……そのまま10年が過ぎた。だからその日の記憶は、10年後の現在と地続きになっている。幸福のさなかに悪夢が侵入する、22頁の凄絶なフラッシュバックの由来も、簡潔ながらはっきり示されている。この状況を説明する独白の背景に描かれたススキ野原……に見えたのは、地に伏し空を掴んだまま息絶えた、被爆者たちの腕。それを見下ろす電線に止まっているのも、カラスではなく黒焦げ死体。濃密な短編に匹敵する物語を4頁前後に凝縮してきた彼女の手にかかれば、30頁は並の作家の単行本1巻分に相当する。
だが、生き残った者の後ろめたさ自体は、広島と長崎の住民に特有のものではなく、日本の都市住民の多くが共有していた体験である。引揚者と出征者の多くも共有していた無言の体験が、戦後の日本を作った。被爆地に特有なのは、「わたしが忘れてしまえばすんでしまう事だった」と記憶を内面に押し殺す苦しみであり、差別を懼れて体験を公にできない庶民でも、すべて理解した上で受け入れてくれる人が現れれば救われる。朝日の中で手を握りあった後は、主人公は恋人に腕のケロイドを隠していない。しかし、その先に死が待っているのが原爆なのだ。このような物語の構造は、「難病もの」によく似ている。本作がさまざまなメディアで絶賛され、セールス的にも十分な成功を収めている背景には、このような形の受容があることは否定できない。涙とともに語られる感想は、「夕凪の街」に集中している。だが、核攻撃は運命や神の試練ではなく、戦略的思考が生んだ大量殺人にすぎない。この点だけは譲れないという作者の意志が、33頁の告発の言葉に表れている。視点が主人公の一人称に移った数コマ後、原爆症が彼女の視力を奪い、空白のコマに内語の断片が漂う。意識が混濁してそれも途切れがちになった時の、今際の言葉がこの告発なのだ。この作品を深く読み込み、「桜の国」にストーリーの核心を見る読者ほど、この言葉には違和感を感じているようだ。政治的言及を極力避け(米国への呪詛も、戦前日本の戦争責任の追及も、戦後日本の被爆者政策への批判も見られない)、市井の視線を貫いてきた態度に綻びが生じているのではないかと。
しかし、「夕凪の街」の描写を細かく追うと、違う側面が見えてくる。最終頁での主人公の死の瞬間まで物語の主体は常に主人公であり、ストーリーは主人公の独白によって進行していくにもかかわらず、主人公の視点で描かれるコマは非常に少ない。視線の先を拡大した説明的なコマを除けば、最期の場面以外では、被爆直後のフラッシュバック(14頁、15頁)と16頁の銭湯の場面くらいしかない。23頁に始まる、独白を伴った被爆直後の長い回想や、見舞いに来た恋人を見送る30頁のシーンなど、一人称視点で描かれるのが自然に思えるコマでも、どこかに主人公が描き込まれている。キスの直前にお互いを見つめあう21頁のシーンでも、映画的には当たり前の主人公が恋人を見つめる切り返しのアングルは描かれない。すなわち、内面描写の大半は自分を外から眺める社会化された内面であり、政治性の希薄さはその次元での出来事である。銭湯の場面、湯気で白くなったコマに浮かぶ言葉は最期の言葉に劣らず鋭い。むしろ、内面の最深部に政治性が拭い難く刻印されているからこそ、社会と接する際には「誰もあの事を言わない」のだ。筆者もまた、「夕凪の街」について少々長く語り過ぎてしまったが、いずれにせよ本作はこの水準の読解を求めている。
ようやく第2話「桜の国」に来たが、最初に眺めておきたいのは、66頁と79頁の最終コマが各々40頁前を参照する息の長い対応関係について。あえて内的制約を設けることで作品の純度を高めるという手法は音楽でも馴染み深いが、これらの対応にはそれ以上の意味がある。39頁と79頁の対応は比較的見やすい。39頁は「桜の国」の主人公が少女時代に、不安そうに家の鍵を開ける場面。頁をめくると、部屋番号と表札(「夕凪の街」の続編であることを示す情報は、「桜の国(一)」の中では表札の名前のみ)が描かれる。これに対応する79頁は、平和資料館を初めて見たショックで体調を崩した友人を介抱するために、手近のラブホテルの部屋の鍵を開ける場面。頁をめくると、主人公の母が血を吐いて倒れている。同じ部屋番号が引き起こした少女時代のフラッシュバック。この回想シーンの枠線は黒く塗りつぶされているが、容態が悪化した祖母を少女時代の主人公が見舞う回想シーン(63頁)にも同じ処理が施されている。この時、祖母の意識は被爆直後に飛んでおり、原爆で死んだ娘(「夕凪の街」の主人公の妹)の友人が訪れたと思い込んで、「なんであんたァ助かったん?」と語りかける。事情を知らされておらず、ショックを受ける主人公。このふたつの記憶のために、主人公は「桜の国(一)」で描かれた時代に「出会ったすべてを忘れたいものと決めつけていた」。この間の40頁の記憶にコマの間を補完させ、時間軸に沿って描けばそれだけで10数頁を要しそうな「桜の国(一)」前後数ヶ月のエピソードを、この僅かなコマで表現することに成功している。
26頁と66頁の対応は、主人公が異なるふたつの話の間での対応だけに、さらに複雑だ。26頁最終コマで「夕凪の街」の主人公(皆実)は、被爆の現実から目を逸らさずに生きていこうと決意する。次の頁ではその視線の先の原爆ドームが、1頁全部を用いて描かれる。66頁最終コマで「桜の国」の主人公(七波)は、平野家の墓石に刻まれた先祖たちの命日から自分が被爆二世だったことを確認し、皆実とそっくりな決意の表情を見せる。皆実と七波は名前も各々の話での役割も近く、最終頁で父は彼女に「七波はその姉ちゃん(皆実)に似ている気がするよ」と告げることになる。だがこの対応は同時に、ふたりの立場の違いも告げている。皆実が見つめるのは、原爆ドームに象徴されるまだ形のあるものだが、七波が見つめるものは具体的には描かれないのは、それが被爆者とその親族への差別という形のないものだからである。次頁冒頭のコマにも原爆ドームは描かれているが、父の背中の先に、街の風景に溶け込むように佇んでいる。このコマもまた、26頁と66頁の間の49年の距離を象徴している。
主題は差別であることを前提に「桜の国」を冒頭から読み返すと、「石川さんは石川だからゴエモン」といつもの渾名を付けられて七波が落胆する最初のエピソードは、既に差別の原型を示していた。この場合、渾名を付ける側に悪意はないが、悪意はなくても人は傷つく。同じ(一)では、鼻血を出した七波を心配する祖母に、彼女が祖母を真似て「ああ…おばあ様急にめまいが」とふざけて言うと、祖母はその場にへたり込んでしまう。この話だけでは何のことかわからないが、「夕凪の街」で祖母はふたりの娘を原爆症で亡くしていた。さらに(二)も読むと、義理の娘(七波の母)も数ヶ月前に原爆症で亡くしていたことがわかる。その記憶が癒えないうちに、被爆二世の孫まで……「うちはもう知った人が原爆で死ぬんは見とうないよ……」と息子の結婚にも反対し続けてきた彼女にとって、孫の言葉は最後の希望を打ち砕くものだった。七波の弟の凪生は病弱で長らく入院しており、七波が見舞うことを祖母が禁じていたのは、もし凪生が原爆症を発症しても七波には見せたくない、という気持ちがあったのだろう。男勝りの野球少女の七波は、原爆の影からは最も遠い存在のはずだったのに。
差別の主題に関連して見落とせないのは、やがて旭(七波の父)と結婚することになる太田京花の描かれ方だ。乳児期に被爆した彼女は、「ピカの毒に当たっ」て「足らんことなってしもうた」と学校で苛められている。子供は残酷なものだが、担任の教師もそれに加担し、大きな瘤ができるまで彼女を竹刀で叩いているのは尋常ではない。「足らん」といっても知的障碍ではないことは、裁縫の物覚えの速さや旭との会話の弾み方からわかる。勉強ができない子供も、乳児期に被爆した子供も広島にはいくらでもいるはずで、素直で可愛らしい、およそ苛められっ子キャラクターではない彼女がなぜそのような目に遭うのか。そこで彼女の名前が目に留まる。「京花」は、人名としては日本よりも中国や韓国ではるかにポピュラーだ。表立っては描かれないが、京花への苛めは民族差別に由来するのだろう。闇市の記憶が生々しい時代だけに、それならば教師が苛めに加担することもあっておかしくない。「元春」という名前を出すためだけに設定されたと思しき兄の存在も、この推測を裏付ける。
いくつもの重荷を背負った京花を、旭は愛し続けた。広島大学を卒業し、東京に本社を持つ会社に就職した彼なら見合い相手には困らなかったはずだが、当時としては晩婚の34歳まで母を説得し、ついに結婚に漕ぎ着けた。微笑ましいプロポーズに至るまでには、多くのドラマがあったに違いない。七波の旧友でもある東子の凪生への愛も、これに劣らず深い。ふたりが初めて出会ったのは、七波に連れられて凪生の見舞いに行った小学生時代。彼女が高校からエスカレーターの短大には進まず看護学校に入学したのは、医学部に進もうとしている凪生と同じ世界で働きたかったからだろう。やがてふたりは同じ病院で働くことになる。ふたりの交際を知った東子の両親は凪生の身辺を調べ、母が原爆症で亡くなっていることを掴んで別れさせようとする。東子は家を飛び出し、職場にも辞表を出して駆け落ちを図るが、凪生の家のある駅で逡巡しているうちに七波と偶然再会し、始まったのが「桜の国(二)」の物語だった。ところが凪生は東子の両親の要求にあっさり応じ、別れの手紙を書いて落ち込むばかり。被差別者が差別を甘受している限り差別はなくならない。この手紙を読んで事情を知った七波はふたりを会わせるが、凪生は東子の思いに気付かず、説教すら垂れる始末。背中で見守っていた七波が、「このばか!」と松ぼっくりを投げつける(注2)のは当然だ。
父の後を追った広島行きで父の歩んできた道を知り、母と祖母のショッキングな死を忘れるために避けてきた小学生時代の記憶に向き合った七波は、弟と旧友の恋を手荒な叱咤で後押しし(その後彼女は父に、ふたりは結婚するかもと告げており、収まるべきところに収まったのだろう)、「そして確かにこのふたりを選んで生まれてこようと決めたのだ」と、自らの来歴を肯定的に受け止めて終わる。差別を主題にした物語として、これ以上のプロットはないだろう。以上、「桜の国」に関してはストーリーをなぞっただけのように見えてしまうかもしれないが、これらの大半は実は明示的には描かれていない。断片的に示された情報を、明示された物語と矛盾しないように組み込むと、このような背景が見えてくる。単行本で読むと実に鮮やかだが、以前の号をスクラップしておかないと重要なポイントを読み落としてしまう(それが「伏線」とすら意識されないようにさりげなく描かれる)ような表現方法は、雑誌掲載には向いていない。「桜の国(二)」が結果的に描き下ろしで発表された(注3)のは、この作品にとって幸運だった。
本作は直接的な描写を極力抑えるスタンスで貫かれている。本作に対する批判の多くは、「夕凪の街」を反戦マンガ(注4)や歴史マンガと捉えた上で、凄惨な描写の不十分さや加害者としての視点の欠如を指摘するものだが、この種の意見は『はだしのゲン』のようなマンガが描かれた時代と現代の差異を見落としている。もちろん、ここ10年で世論の軸足が右に寄ったので反戦や反核をストレートに主張するマンガを描くのは難しくなった、というような話をしたいわけではない。『はだしのゲン』の時代は、「平和教育」や「平和運動」は今日よりも広く行われていたが、組織的な運動を離れて情報を得ようとする際の敷居は今日よりも高かった。『はだしのゲン』が対象を被爆に限らず、「平和教育」の情報マンガの役割も志向したのはこのような事情による。だが今日では、情報マンガで得られるような知識は、検索サイトにキーワードさえ入力すればたちどころに得られてしまう。それでは得られない専門的な知識も、公立図書館がオンライン化された現在では、近所の図書館で書名さえリクエストすれば、よほどの稀観本でもない限りは数日で読むことができる。このような時代に、情報マンガを1年かけて描く意味はあるのだろうか。
結局意味があるのは、「マンガでなければ描き得ない」水準の表現を保ち、読者が何度も読み返すうちに明示されない背景にも気付き、自力で情報を探し始める触媒になるような表現なのだと思う。直接的な影響が見られない本も少なくないが、準備段階で読んだ本の一覧にしては絞り込まれた巻末の参考文献リストは、「原爆についてさらに知りたい読者のための推薦文献一覧」なのだろう。逆に、これらを読めばわかるような情報の絵解きは行わない、という意思表示でもある。このような一貫した批評的姿勢から生まれた作品が、多くの読者から肯定的に受け取られているという事実は、批評を行う者には励みになる。「直接体験していない」からこそ可能な表現が存在し、その価値が認識されつつあるということなのだから。
(注1) その後担当者は「漫画アクション」誌に異動し、「夕凪の街」は同誌に発表された。こうのは政治的圧力で掲載不能になることを心配し、事前に見本誌をコミティアで配布したが、休刊前号の掲載(いくら抗議が来ても、次号で終わりだから関係ない)という幸運も手伝って無事掲載された。むしろ、この作品への反響の大きさが、同誌復刊後の社会派路線(注5)を決定付けたのかもしれない。
(注2) スクリーントーンを使わないこうのは、効果線も原則として使わない。にもかかわらず、例えば七波がノックを受けてゴロを捌くシーン(42頁)で、これだけ生き生きした動きが描けるのは彼女のデッサン力の賜物である。それだけに、松ぼっくりを投げるシーンの派手な集中線は際立っている。このシーンをまず発想して、野球少女という設定が逆算されたのかもしれない。
(注3) 当初は「桜の国」全編を復刊された「漫画アクション」誌に掲載してから単行本化する予定だったと、こうのはファンサイトの掲示板に書き込んでいた。だが原稿の完成は遅れ、結局2004年8月6日号(!!)に(一)のみ掲載し、各種漫画賞のエントリー期限に間に合う10月中に単行本を出版するという進行になったという(文化庁メディア芸術祭2004年度マンガ部門大賞を受賞)。この経緯は(二)からも読み取れ、単行本で各40頁前を参照する66頁と79頁が各回の最終頁に来る3話構成にすると、頁数的にも内容的にもまとまりが良くなる(左右の頁割も含めて)のはその名残だろう。
(注4) 戦争に関する描写はこの作品では意図的に省略した部分だと、こうのはファンサイトの掲示板で述べていた。被爆の問題を「戦争一般」から注意深く切り離して描いたはずなのに、賞賛にせよ批判にせよ、「反戦」という枠で語られてしまうことは彼女には不本意だった。そこで彼女は、戦争を描くとはこういうことだと示すために、呉空襲を題材にした作品の準備を始めているという。並々ならぬ作家性である。
(注5) とは言っても、かつて同誌が生んだ山本おさむ『遥かなる甲子園』や井浦秀夫『少年の国』のような作品が並んでいるわけではない。大半の連載はインパクトのある題材に依存したセンセーショナリズムを超えるものではなく、作る側のスタンスは休刊前のアダルト路線からさほど変わっていないようにも思える。ただし、本作の評判が口コミやblogで高まってきた時期に連載が始まったこうの『さんさん録』は、日常の断片をユーモア交じりに切り取り、各回8頁のスペースに余裕を持って結晶化させた、彼女本来の持ち味を生かした代表作になりそうだ。マンガと並行して生業にしてきたカット描きの手腕が自然な形でストーリーに組み込まれる設定は、彼女自身もこの作品をこれまでの仕事の集大成と位置付けていることを物語っている。