6回、三重・青木は審判にセーフをアピールする(撮影・高部洋祐)
「センバツ・2回戦、三重2-3帝京」(30日)
涙が止まらなかった。延長十回無死満塁。三重の青木が体を張って前に落とそうとした打球は、胸に当たって三遊間方向へ転がった。優勝候補の帝京にあと一歩でサヨナラ負け。背番号5は敗戦を一身に背負った。「自分のせいで負けました。悔しいし、申し訳ない気持ちです…」。人目をはばからず、肩を震わせた。
何としても勝ちたかった。母・ナティさん(50)はフィリピン人。青木が野球を始める小3までは、何度も故郷に連れて行ってくれた。家ではフィリピン料理の「バナナの春巻き」などを作ってくれる優しい母。しかし、野球はまったく知らない。だからこそ、青木は活躍して「勝利」という事実を届けたかった。
昨秋の公式戦は二塁手で背番号14。出場機会はなかった。高い守備力を買われて1月末から三塁に転向し、定位置を奪うまでに成長した。本来の力を発揮できないまま、大舞台を去ることになった悔しさは忘れない。聖地の土も持って帰らなかった。「夏も甲子園に戻ってきます」。青木は涙をぬぐい、前を向いた。
(2010年3月30日)