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不自由を選ぶ自由 (2010/04/22) 私がメイド喫茶に関する本を出版しようと企画書を書いて知人の勤める出版社へ持ち込んだ時のことである。一通り読んだ編集長はこう尋ねてきた。「なるほど。で、メイド喫茶ってのは、結局何が楽しいの?」 私は出来る限りのことを伝え、「メイドさんが働いているところを眺めながらお茶を飲んでゆったりするのが・・」と答えたところ、「それは楽しくないと思うよ」とシャットアウトされてしまった。哀しいかな、これが一般論だろう。 この世は即物的かつ短絡的なモノがウケる。例えば、ゲームのストーリーだ。「主人公は正義、敵は大魔王」といった「勧善懲悪」スタイルが売れる。これが「主人公は妖精族の生まれで人間に育てられ、様々な葛藤を乗り越え大人になり、対する敵側も元は人間で・・」などなど背景が細かく「プレイヤーにイマジネーションを要求するモノ」はウケが悪い。要するに「大衆というのは作者が思ったほど理解力を持ち合わせていない」ということの表れだろう。その点メイド喫茶も「自由度が高すぎた」というのが大衆に受け入れられなかったマイナスポイントのひとつなのではなかろうか。 色々今まで書いてきたが、メイド喫茶の楽しみ方は極論、人それぞれだと思う。メイドさんに恋するも良し、メイドさんの仕事ぶりを愛でつつ本を読むも良し、友達と集まってわいわいするも良し、アイドル路線のお店でブロマイドを買うも良し、それは誰にも邪魔されることではない。しかし、それがよくない。理解力を持ち合わせていない大衆からは「何しに行くのよ?」と疑問がられるそうだ。 人間はどうしても「自由」が苦手なところがある。普段の生活の不自由さから開放されたいと願うくせに、「何してもいいよ」と言われると戸惑うのだ。絵画のコンテストでは、「お題」が決まっていたほうが数が集まるという。人間は元来自由な生き物であるが、それは「どの不自由を選択するか自由」なだけだろう。 最近では「初・ご帰宅セット」のようなメニューを2〜3000円程度で用意してある店も増えてきたが、これは非常に賢い戦略だと思う。初めて帰宅するお客さんは「いくら使っていいのかわからない」し、自分の注文では「メイド喫茶というものを満喫できないかもしれない」という恐怖感を持っていることだろう。そこで、2000円で十分楽しんで帰れますよ、と教えてあげるのは「アリ」だ。大抵のセット内容は「お絵描きオムライス」、「お絵描きカプチーノ」、「チェキ」の組み合わせで、これが「マスコミで言う、"所謂メイド喫茶"なのだろうなぁ」といったところ。単純に見えるが、「初めて帰宅するお客さんの心理」をきちんと理解できているという意味ではとても評価できるメニューなのではないだろうか。 想定外 (2010/04/21) メイドさんがプライベートで「お嬢様」として自分の働くお店に帰宅することがある。中にはそういうのは禁止という店もあるかもしれないが、私はこういうのは「いい店なんだなぁ」と気分がほっこりする瞬間だったりする。普通、仕事で関わっていたモノや場所にプライベートでも積極的に関わろうとはなかなか思わないものだ。 そこで面白いのが、「それを見た常連客の反応」だったりする。私が今まで見てきた例を挙げると、大抵がまず「友達かのように接する」。 いつもはメイドさん(=仕事)だから表面上は仲良くしてくれるかもしれないが、この場合はプライベートであるから、そんな義理はないはずなので、「どうかわせばいいのか」を探るような苦笑いを浮かべていることが多い。 次によく見る光景が、「奢るよ」などと"ポイント"を稼ごうと必死になる常連が多い。"ポイント"というのはポイントカードではなく、メイドさんと自分の間にある「と思ってる」"ポイント"だ。 また、ここは無礼講とばかりに、メイドさんの時はダメだが私服の時はいいだろうと「口説く」パターンも多い。「この後どこ行くの?」などなど、いつもナンパなんてしたこと無さそうな顔が、私服だというだけで、何故か気が大きくなっているという。 皆メイドさんは「聖域」くらいの扱いだった人たちなのに、一体これは何なのだろうか。 多分、彼らはメイド喫茶の接客に慣れてしまい、メイドさんが親しげに接してくれるので「自分、結構イケるかも?」と自信を貰ったのだろう。で、それを"試す"第一号のモルモットとして「プライベートのメイドさん」を選んだのだ。そうとしか考えられない面子が「口説いている」様は、見ていて圧巻である。多分、彼らのこの「勇姿」は、メイドさんがお嬢様として自分の店に帰宅した際にしか見られない「本邦初公開」だろう。 私はメイドさんじゃないが、#037でも触れた通り、何の関係もない隣のご主人様に話しかけられたりするのがイヤなタイプなので、出来ればこういう時は「そっと放っておいてあげて欲しい」と思うのだ。メイドさんと話すのは、「業務時間中」であればいつでも出来ることじゃないか。それか、私服のメイドさんとプライベートで接したいなら、玉砕覚悟でデートにでも誘ったほうがまだかっこいいんじゃないか。これじゃ反則だし邪魔だ。 そしてもし最近メイドさんになったばかりの子がここを読んでいて、「一回くらいは自分の店にお嬢様として帰宅してみようかな」と考えていたら、是非これらのことを想定して、「華麗に"かわす"方法」を考えておいて欲しい。或いは「奢るよ」と言われたらガチンコで奢らせるとか、それくらいして「デキるメイドさん」ということで。 恋愛は売り物です (2010/04/20) メイド喫茶のメイドさんに恋心を寄せるご主人様がいる。別に自由なことだと思うが、では果たしてこれを「店側」はどう思っているのか。 これは某メイド喫茶の社長が漏らした貴重な言葉である。「メイド喫茶に擬似恋愛はいらないっしょ?メイド「喫茶」だよ?勝手に恋をするのはいいけど、こっちが提供するモンじゃないよね。大体、擬似恋愛ってモンは高ぇんだよ。キャバクラ行けばわかるだろうけど、1000円や2000円で買えると思ったら大間違いだぞ。」 言葉遣いは乱暴だが、売り手側からすれば「擬似恋愛」という商品を扱った覚えはない、とのこと。これが無茶苦茶な発言であると思うようなら、貴方の通う店には「メイドさんへの恋愛感情以外の売り物がない」のだろう。 ご飯は不味い、内装も適当、それでいて割高。となれば、それで納得する客は、「メイドさん」にお金を払いに来ている他にない。オーナーは自分で「そうせざるを得ないような店」を作っているのだ。そんな店を作っておいて、「ウチは擬似恋愛は売ってない」と嘯く。実は、これが「最大の売り物」なのである。 何度でも言うが、「ジャッジ」というのは自分ではなく他人がするものなのである。馬鹿が「俺は天才」と繰り返し主張したところで誰も認めなければやはり馬鹿なように、「メイドさんとの擬似恋愛を売った覚えはない」と言われても、お客さんの多くがそう感じたということは、きっとそうなのだ。 ところが客は、擬似恋愛にお金を出しているなどと思われては恥ずかしいので、「この店に通うのは、メイドさんに惚れたとかじゃなくて、純粋に店が気に入ったからだ」などと、ほとんどのメイド喫茶には「店そのもの」なんて売ってないのに、嘘ばかりつく。彼らも同様、彼らが「何」を買っているのかのジャッジは周りがするものであるから、正直言ってこの宣言には全く意味がないのだが、「やっぱそうでしょ?」と言って欲しい。 結果として、客の「寂しさ」をコーティングする「店と客の間だけで成り立つ言い訳」を、法外な値段をつけて売るような商売、それがメイド喫茶のレゾンデートルといったところか。思わず「笑ゥせぇるすまん」を思い出してしまう。よくメイド喫茶を初体験した人が「何が面白いのか分からなかった」と言うが、それは「このこと」に気付かなかったのだろうね。メイド喫茶は、メイド喫茶そのものよりも「関わる人間の心の中」の方がよっぽど面白い。 私はこういう店にはせめて、「周りも納得出来る、"メイドさん以外"の売り物を用意したら?」と思う。じゃないといくらなんでも"彼ら"が可哀想だ。その方が新規顧客獲得の間口も広がると思うけどね。 ブロガーイベント (2010/04/19) ブロガーイベントというものがある。これは企業が有名なブロガーをたくさん集めて自社の商品をタダで試用、体験してもらったりして感想をブログに書いてもらうという宣伝方法である。 人は、お金やモノを貰うとその人や店に対する評価を変えざるを得なくなる。例えば、友達に晩御飯を奢ってもらったら、とりあえずいい顔をするしかなくなる。コイツを今後批判したり悪口を言えば、「じゃああの時奢った分を返せ!」と言われるかもしれない。要するに、先手を取って奢るというのは「口止め料」なのである。 以前大手フードチェーンでブロガーイベントを開催した時の話だ。メールで募集をかけて集まったブロガーはどいつもこいつも「タダ」だから集まったという人ばかり。後日上げられたブログには「タダでお呼ばれしたので行ってきました!ぶっちゃけ興味なかったけど、タダだったので美味しかったです(笑)」などと書かれ、会社としては「味の違いが分かるネット上のご意見番」を期待していたのに、これじゃ効果が出ないと焦ったという。 そもそも、ブロガーイベント=タダという前提が広まってしまった段階で、ブロガーイベントの「存在意義」が無くなったと言ってもいいだろう。最初にも書いた通り、「奢ってもらった人の言動」はアテにならないので、宣伝としての価値は無きに等しいのだ。 というわけで現在、ブロガーイベントを開催する企業はかなり減った。「まともな企業ならやらない」とすら言われている。それだけ読者もバカじゃないということだろう。 私はありのままのお店を見てみたいので、どんなメイド喫茶も必ず自分のお金で楽しむことにしている。それはジャーナル設立当初からのポリシーでもある。でなきゃ他の低俗な癒着サイトと一緒で、必要性がない。 メイド喫茶のレポサイトの多くは、「取材と称してタダで飲み食いさせて貰った」という部分を隠している。これが性質が悪い。まだ「お客さんによる感想ブログ」の方が信用するに値する。ところがどうしても人間は「ビジュアル」に弱い。お客さんはブログにメイドさんの写真を掲載することが出来ない。写真がない=信憑性がない、と安易に決め付ける人の「割合が大きい」。実は、真逆なのである。 イベントに呼ばれ、「タダで招待されました」と馬鹿正直に書いてしまったブロガー達は、実は「反面教師」だったのだ。こういう「初心者を騙そう」というやり方は、一筋縄では行かないんだよということを、イベントを企画した企業の担当者に教えてくれたのだ。そして未だにレポサイトに癒着するメイド喫茶は、自ら「まともなメイド喫茶じゃない」と宣言しているようなものだ。 スライム肉まん (2010/04/18) 権力をもつ者は恩恵も最大限に受けるだろうが、責任もそれに比例して一番大きくある「べき」だ。失敗した時の責任は部下に擦り付けるくせに成功した時の手柄だけ掻っ攫っていく上司に、誰がついていくだろうか? メイド喫茶が何も売らないで「席料」を強制徴収するというのは、客単価(最低客単価)アップによる、店の、自分に対する「保険」である。つまり「店がウケなかった時の責任」を客に押し付けているだけなのだ。じゃあこの店が「儲かった」らどうするのか?席料を今までのお客に還元するのか?客単価をコントロールする権力を行使して、ただ儲けたいだけ、どうせ何も考えてないんでしょ。 何故そう断言するのかというと、今のメイド喫茶には「何かを生み出そうという努力」が圧倒的に欠けているからだ。「お客さんを満足させよう」という気持ちより「儲けよう」という気持ちが明け透けになって伝わってくる、そんな店が多い。 私は再三に渡って「席料は無駄」としているが、それでも「客単価アップ」を非とは思っていない。「客が自発的にお金を使いたくなる楽しい店」なら、強制力をもって最低客単価を強いなくても成り立つでしょ?本来ならそうすべきでしょ?という話である。 例えば、席料は取らず、それでいて満遍なく500円の客単価アップをさせたい、というのなら、「確実にほぼ全員が注文するであろう目玉商品」を500円で用意すればいいじゃないか。 先日、東京は六本木にある「ルイーダの酒場」へ行ってきた。ここで「パセラグループはさすが飲食(創作系)のプロだな」と痛感したのは、「スライム肉まん」という商品についてである。ルイーダの酒場には席料がない。そしてこの肉まんは、確実にほぼ全ての客が注文する文字通りの「目玉商品」だ。写真は撮り放題なので、ブログに貼るためだったり友達に自慢するためだったり、運ばれて来ると皆思い思いにしばし「写メール撮影タイム」に入る。値段は1個350円、冷静に見れば肉まんとしては「かなり高い」部類だが、誰もそんな文句は言わない、寧ろ「喜んで」注文する。やろうと思えばこういう徴収方法がいくらでもあるわけだ。 「ただ儲けたいだけ」なら、ここで「何も売らずに席料350円」を取ることだろう。ルイーダの酒場は、大安全パイにも見えるドラクエの看板を借りつつもなお、「お客さんを楽しませる」心に溢れている。 前々回の記事でも触れたが、客の動向は「消費」でしか計れない。そこで自主性に任せると売上が落ちるのは、客が店に納得していない証拠だ。 カメ (2010/04/17) 強引な押し売りやボッタクリ紛いのやり方をする悪徳メイド喫茶も一部とはいえ確実に存在するわけだが、こういう店が何故、即座に摘発されない(出来ない)のか。それを紐解いていこうと思う。 法律というのは、完璧ではない。世の中「悪いこと」が違法とされているのではない。一部の悪質なメイド喫茶では、長期雇用のメイドさんの昇給を防ぐ為に、一定の就労期間に達したら店側が故意にシフトを減らしたり嫌がらせをして辞表を出させるという手口を行っているという。しかし法的には「正当な理由のない強制解雇はダメだけど、この場合辞表を出したのはメイドさん自身だから」という理由で、「合法」。 方や、以前海外から「輸入禁止のカメ」を密輸入したペットショップのオーナー連中が逮捕されたというニュースで、警察の取調べに対しオーナーは、「需要があるからやった」と言っていた。ハッキリ言って、珍しいカメを見たい、という動物愛好家がこのペットショップから買う程度であれば被害者がいるわけでもないし誰に迷惑をかけたわけでもない。正直、「どうでもいい」ことだとは思う。でも、「違法」。 このメイドさんが酷い仕打ちを受けて半強制的に解雇された事実を労働基準局に訴えるには、「店側が故意に」の部分を証明しなくてはならない。被害者であるはずのメイドさんが何故、このような労力を要するのか? 道徳的な観点から見れば、悪質レベルはどう考えても解雇>カメである。ところが、法律に則れば重要度はカメ>解雇となる。これが法律なのだ。だから、「違法行為はしてない=いい」というわけではない。 人間「明らかに"ダメ"とされていること」はさすがにどんな馬鹿でもやらないだろう。しかし「まだよくわかっていないこと」「解釈次第でどうにでもなる曖昧なこと」は、「"ダメ"と判断されるまでヤル」というヤツが多い。この場合の"ダメ"の基準は「法律で」なのだ。例えば「値段の告知をせずにモノを売るのはダメ」という法律があるなら、「値段を先に告知しておけばいいんでしょ?なら読めない程度の米粒みたいな文字で値段を書いた張り紙を貼っておくから、それを読まない方がバカってことでいいんでしょ?」という「法律の悪用」を「何とも思わない」経営者がいるのである。こういうヤツがいるからますます規制が厳しくなり、世の中が息苦しくなるんだ。 人の善意を悪用する、そしてソイツが得をする。そんなことが許される世の中なら、「善人は馬鹿、先に悪に染まったほうが勝ち」となってしまう。それではいけないはずだ。メイド喫茶の前に、「人として」、ね。 エゴ (2010/04/16) 私がよく行く中華料理店に「アンケート用紙」が置いてある。「店員の対応はどうか」「料理が出されるスピードはどうか」「値段はどうか」などを○×で書かせる、というアレだ。これをどう考えるか、という話を。 さて100組の客が来たとして、一体何組がこれを記入してくれるだろうか。10人(1割)も書けばだいぶいい方だろう。まず客は「アンケートを書きに来た」わけではないから、真剣になって取り組むとは思えない。もしちゃんと書く客がいたとすれば、それは「今後の改善に期待する(=今後も通う)ヘビーユーザー」であろう。即ち、アンケートがあろうが無かろうが、その後の改善があろうが無かろうが、結局通う層(=常連客)なのであり、最も欲しかったはずの「ダメな店と判断したのでもう来ない層」の声は一切集まらないのだ。従って、これは「ウチはお客さんの声にちゃんと耳を傾けていますよ」というアピールに過ぎないのである。 本来、お店の動向を決めるのはお客であっておかしくない。しかし「最も重要なお客」は「最もモノを言わない層」なのだ。そこでお店側が意識しておかなければならないのは、「彼らの総意は消費動向からしか計れない」ということである。そしてだいぶデータが集まって来てから、「新規客からの追加注文がない」「新規客そのものが増えない」となれば、店のどこかに問題がある、という把握がようやく出来る程度である。 最近のメイド喫茶はサイクルが早い(=短命)。さすがに1ヶ月で客がぶっ飛ぶ店は去年あたりであっても「どうしようもない」と言われるだろうが、2ヶ月持てば少なくともどうしようもないとは言われないのが現状である。その間にこの精査を「出来るだけ早く」行っておくべきなのだが、お客さんは動向が掴み辛いが故に、「大事にする」方法が分からない。分からない心理に対してどう行動するのだ。しかし、「お客さんの満足度=消費」であるならそれは数字でハッキリすることだ。そこで最も劣悪なビジネスモデルが「席料による最低客単価コントロール」である。こうしてしまうとどれくらいの満足度があるのかが非常に分かりにくくなる。そしてその「様子見」のお客さんが一巡する期間が約1〜2ヶ月なのだ。私は座った段階からいきなり数千円を全てのお客さんに要するメイド喫茶は「お客さんの欲しいものを売ろう」という気も、「今後の改善」もないものと判断する。 だから、常連客がたくさんいて、皆概ね満足してくれているようだ、なんていうのは満足度が高い店かどうかというのとはまるで次元が違う話なのだ。勿論それはそれで大事なことではあるとは思うが、それで納得している店があれば、それはかなり「おめでたい」。 メイド喫茶依存症チェックリスト (2010/04/15) 「依存症」という病気がある。アルコール依存症やニコチン依存症、ギャンブル依存症などは報道のおかげもあってあまりにも有名だ。 依存症というのは、外見に変化が現れないから周囲から同意を得にくく、また「自分が好きでやってるんだ」という認識があるので判断し辛いという特徴がある。それだけに気付いた時には手遅れというケースが多い。 私は、体調を崩したり破産したり、人に迷惑をかけたりしない限りは「少し狂っている」くらいどうでもいいことだと思っているし、「それが人生にアクセントをつける」んじゃないかと考えている。 そこで、「メイド喫茶依存症」のチェックリストを作ってみた。これは○○依存症の患者さんが医者で聞かれる質問を元にしている。全10問、5つ以上のイエスがあれば「手遅れ」の可能性大。是非やってみて欲しい。 1・メイド喫茶のことがいつも思い出され、頭から離れない 2・メイド喫茶で予定外のお金を使ってしまったことがある 3・メイド喫茶へ行く回数を過去に減らしたり、行くのを辞めようと努力したことがあるが、うまくいかなかった 4・メイド喫茶へ行かない期間が続くと、落ち着かなくなる 5・メイド喫茶は現実逃避の手段だと思う 6・メイド喫茶で無駄遣いしてしまったなと自宅に帰ってから後悔したことがあるが、それでも行くのを辞めようとは思わなかった 7・メイド喫茶へ通っていることを家族や友人に隠している 8・メイド喫茶で遊ぶためだけに収入を増やそうとバイトを(増や)した、またはしようと考えたことがある 9・メイド喫茶へ行く為に、人との約束を断ったり、嘘をついたことがある 10・メイド喫茶へ行く為に、借金をしたことがある いかがだっただろうか?私は4つだった。もっと「イっちゃってる」と思っていたのに、少々ガッカリ(?)だ。 メイド喫茶の常連さんは皆、メイド喫茶でイキイキしている。まるで水を得た魚のようだ。「メイド喫茶が無かったら、この人は何をしていたんだろう?」という人もいる。人生が充実しているのはメイド喫茶のお陰だと言い張れるくらい、「やるならとことん」。何事にも全力投球した人にしか分からない楽しさがあるものだから。 メイド喫茶って何だろう? (2010/04/14) 最近、スーパーの「クレーマー」の話が注目を集めているそうだが、メイド喫茶にも「クレーマー」はいる。今日は私が実際に見た「珍クレーマー」を紹介しておきたい。 ある店に、300営業日連続で通い詰めているというご主人様がいた。彼はメイドさんに粘着するわけでもなく、持参したポータブルゲーム機をぽちぽちと遊んでいるくらいで、どちらかというと紳士な感じだった。たまにメイドさんから話しかけられた時は少し話すくらいか。 ところがこのところ、店長さんのお友達という近所のバーのマスター(♂)がお客さんとしてお店に遊びに来るようになった。この人がまた饒舌で、客商売をしているだけあってメイドさんとの軽い会話がとても上手い。 どうやらそれが「300日」の彼の逆鱗に触れたらしい。それまで紳士らしく振舞っていた彼の中で、"ある感情"が頭をもたげたようだ。 それから数日経った某日の夜、お店のメールボックスに新着メールが一通届いた。滅多にメールなど来ないらしく、店長さんが何事かと思って読んでみると、差出人は彼だ。その内容は、今更ながら「メイド喫茶って何だろう?」と考えさせられるものだった。 「いつもお店ではお世話になってます。(中略)そろそろ僕は"神"と呼ばれてもいいはずなのに、最近のメイドさんの話題は店長の友達に集中していますよね。これっておかしくないですか?ちゃんと「あの人とばかり話さないで、彼とも均等に話すように」と注意してください。これは管理不行届きです!」 実は、「こういう視点」でメイド喫茶を、メイドさんを、見ると、恋愛格差の負け組にはメイド喫茶は「向かない」場所なのである。メイド喫茶へ何軒か行ったことがあるという方ならお解かり頂けるだろうが、メイドさんと客は店のキャパシティにもよるが1:10などを捌かせることによって成り立つビジネスモデルなのである。ライオンだって餌を取って来る強いオスにメスはついていくように、一度にたくさんのご主人様を捌くメイドさんは例えビジネスとはいえ、出来るだけ話の面白いご主人様と話したいと考えているはず。それは人間だもの、仕方ない。 最近のゲームセンターのクレーンゲームは1プレイ100円のものと200円のものが主流となりつつある。これは当然、「アームの掴む力」の設定が異なるのだが、ゆるゆるの「取らせる気あるんかい!?」という1プレイ100円のものと、「それなりに何度かチャレンジすれば取れそう!?」と思わせる200円のものは、後者にインカムが集まることがデータで出ている。というわけで、彼には「メイドリフレ」「メイドガイド」をオススメしたい。 "思うこと"を捏造するヤツら (2010/04/13) 私には常々疑問があった。それは、「メイド喫茶ジャーナルを批判するのは誰なのか」ということである。 常識的に考えれば、たとえ個人がどんなサイトを開こうともそれが自分自身に何の影響ももたらさないものであるなら、ブラウザを閉じればはいそれまでよ、のはずだ。つまり「そうではない人」、「ジャーナルがあると困る人」が批判するのだろう。そう考えるのが自然だ。 ジャーナルがあると困る。どんな人だろうか。すぐさま思いついたのは、「低評価をつけられた店の関係者」である。私の評価にいったいどれだけの効果があると過大評価しているのかは知らないが、「良い」と言われるに越したことはないだろう。そこで私はある時、出来る限り全ての店にコンタクトを取ることにした。 反応は思いのほか良かった。「ずっとコラム読んでました」という店長さんや、「悪いところがあれば直したいので、教えてください」というオーナーさんなど、正直嬉しかった。そこで唯一人、「ナメんじゃねぇ」と戦線布告してきたのが「自称ナンバーワン店」の社長さんである。 そしてもう一種類、ジャーナルを叩く人種がいた。それが「既存のレポサイト管理人」である。サイトを始めて1ヶ月弱ほどで、某レポサイトの管理人を名乗る人物からこんなメールが届いた。2通も。 「誰に許可取ってサイトやってるの?ウチはバックに誰がついてると思う?後悔しても知らないよ。」 社長と管理人にはある共通点がある。それは「"思うこと"を捏造することで利益を得ている」という点だ。 "思うこと"は、屁理屈に屁理屈を重ねればいくらでも変造することが出来よう。これは「彼ら」にとっては非常に好都合なのだ。すなわち、根拠のないナンバーワンを名乗ることも、管理人オススメと称して鼻薬を嗅がされた店をプッシュすることも、ちょいと仕掛けをされるだけで無知な大衆は信じてしまう、これが目的なのだ。 だが、「存在すること」が"思うこと"の根源であるという考えに社会が気付くと、「彼ら」は防御出来なくなる。これがまずい。実際のデータを元にした人気店ランキングのようなことをされると「彼ら」の嘘がバレてしまう。どうしてナンバーワンの店が入ってこないのか。どうして管理人が推す"あの店"や"この店"が入ってこないのか。イイカゲン、どんな「無知」でもそろそろ気付く頃じゃないのか。 メイド喫茶ジャーナルは、社会の利益と個人の利益が一致する構造なのである。まだ判らない人は、どんどん「彼ら」に搾取されるといい。 繰り返されるスケープゴート工作 (2010/04/12) この日本という国は、皆「社会の敵」を血眼になって探しているという側面がある。例えば「沢本あすか」が逮捕された事件について考えてみよう。この逮捕と前後して秋葉原という街でここ最近「路上パフォーマー」という異様な人種が目立っているという報道が一部マスコミであった。ミヤネ屋(読売テレビ)などでも取り上げられ、「何だこれは!?」「けしからん!」「だからオタクは気持ち悪い!」みたいな散々な扱いであった。 これらを見た人は「秋葉原の警察は何をしてるんだ?」と思うだろう。しかし現行法で全てのパフォーマーを取り締まることは出来ないだろうし、それはとても面倒だ。そこで最も目立っていた沢本あすか一人をスケープゴートにすることで国民の怒りを一時的に沈め、「警察は仕事してますよ」とアピールしたのだ。 メイド喫茶だって同様、行き過ぎた店を放置すれば確実に「警察は何してんの?」と言われるようになる。そこで国民が安心を得るための、そして警察が面子を保つための手段として、どこかが摘発される。「そもそもこんな危ない店が横行していたなんて、ルールが甘すぎたんだ!」という結論付けがなされ、辿るのは規制強化の道だ。そうなるとメイド喫茶は風俗だという区分になる可能性だってある。 現状のメイド喫茶が「風俗」ではなく「飲食店」として営業許可されているのは業務の中に法律で定められた「接待行為」がないからだ。メイド喫茶の特徴を列記すれば、「店員がビジュアル重視の女性しかいない」「店指定のコスチュームがある」「客と女性従業員が会話するのが真の目的」「ターゲットは完全に男性客オンリー」といったところか。これでも「ただの飲食店」なのは風俗営業にあたる「接待行為」に「一応触れていない」とされているから「だけ」である。規制強化するなら上記4種のうちいくつかを「接待行為」として取り扱えばいい。それだけで「粛清」は完了する。 もちろん、風俗と認定されても風俗営業の許可を取ればいいだけだと考える人もいるだろう。しかし風俗ならば18歳未満の雇用は出来なくなる。一部の店が確実に「それ」でガタガタになることくらいは判ろう。何故なら、「急激に伸びたのは18歳未満が雇用できる脱法擬似風俗営業だったから」と考えられるからである。「JK(女子高生)メイド」などを推している店は戦々恐々だろう。 人間が作ったものに完璧はありえないから、ルールには必ず抜け穴がある。しかし「クロ」でなければ何をしてもいいかというのは違うはずだ。私達がモノを盗まないのは、「ルールがあるから」ではないだろう?「盗んではいけないから」だろう? 完全粘着宣言 (2010/04/11) メイド喫茶には「粘着」と呼ばれるはた迷惑な常連客がいる。 まず「店」としては売上が上がるならある程度の粘着も「まぁウェルカム」だろう。また、被害者であるメイドさんにとっても例えばチェキをたくさん注文するとかであれば「いいお客さん」と言ってもいいと思うのだ。「粘着されてナンボ」と言えなくもない部分もある。 問題なのは「店の為にならない粘着」である。それは大きく分けて2つに分類されると思う。 ひとつは「注文なき粘着」である。3時間でドリンク一杯、彼らはグラスを完全に空にすると「おかわりいかがですか?」等と聞かれてしまうのを学習しているらしく、「あと一口」を残したまま氷が全て溶け、ジュースの部分と水の部分が真っ二つに分離するほどの激しい邪魔者である。コイツらが「1時間ワンオーダー制」など本来なら「言わなくても分かること」をわざわざ言わせて空気をつまらなくさせるのだ。100円マックひとつで5時間粘ってすれ違い通信に勤しむ小学生レベルである。小学生でも邪魔なのに、大人がやるな。 もうひとつは「他の客に迷惑をかける粘着」だ。「常連具合」をアピールしたいらしく、メイドさんに粘着しつつ周りのお客にもタメ口で話しかけてきたり(ただし目は合わさず、独り言のようにぶつぶつ早口で呟く等のタイプが多い)する。特に多いのが、「勝手に店のシステムや歴史などをメイドさんに代わって一見客に呟くタイプ=仕切り屋」だ。私はメイドさんに聞いているのに、横から「それはこうでああで・・」と割って入ってくるのだ。このせいで店の思い出がつまらないものになり、結局は店の損に繋がるから本来はさっさと排除すべきなのだが、どうもお金をそれなりに落とすらしく店側の注意も及び腰というパターンが多く、歯止めが効かない奴が多い。 メイド喫茶の粘着常連客は「承認欲求」が人一倍強いくせに「自分がどう見られているのか」には疎い。自分の存在を認めてもらいたい!というぽっかり空いた気持ちを、お金を支払うことで一時的に埋めに来るのだが、それはメイドさんや店側からすれば「ビジネス」なので苦笑いでも薄ら笑いでも何にでも値段をつけて売るところだろうが、彼らは「それを本気にしている」ところが性質が悪い。そして「ほぉら、俺(私)は店に認められているんだゾォ〜」みたいな勘違いオーラをぷんぷん発しながら、周りのお客にも認めて貰おうとする。そしてこのタイプの最大の特徴は、「店側が"1時間ワンオーダー制"のように、ルールで規制して店から排除する気が全くない」というもので、「もし完全に排除できるルールを制定したと仮定すると、彼らは来なくなる。来なくなったらそれはそれで売上が落ちるため、実は店が回らなくなるギリギリのライン」という情けない店がなんと多いことか。 苦痛テスト (2010/04/10) ロリータ服が大好きな私の知人の元メイドさんが、100円マックを食べつつ血圧を上げながらこう力説する。「メイドさんやアイドルが好きなら、メイド喫茶で働くのは辞めたほうがいい。メイドさんやアイドルを嫌いになる。」些か誤解を招くような表現ではあると思うが、これが実直な気持ちなのだろう。私もこれには概ね賛成だ。 私は以前、テレビゲームに凝った時期がある。「いつかはテレビゲームの開発に関わる仕事をしてみたい」なんて考えたこともあり、そして丁度友人の紹介もあって、「デバッグ(プログラムのミスを見つけて報告、修正する作業)」のアルバイトをさせてもらったことがある。このとき、「ゲームって、仕事にするとなんてつまらないんだろうか」と痛感し、その甘っちょろい考えを打ち消すこととなった。 やらされたのは「突き抜けテスト」というもの。何をするのかというと、「壁」にあたる部分にキャラクターが差し掛かった時、きちんと壁として動作しているか(突き抜けられないか)を延々テストするというものだ。ハッキリ言おう、こんなものゲームでも何でもないただの苦痛である。もちろんゲームが完成するまでのプロセスの中には無くてはならない重要なものではあるが、客からしたら「娯楽」であるものも、提供する側にとってはただの苦痛に過ぎないということを身を持って体感した。 私は4年前、知り合いの出版社から出させていただいた書籍が11万部を売り上げ、そこそこまとまった額の印税を貰うことが出来た。この時メイド喫茶を開業しようかどうか本気で悩んだのだが、「私が好きなのは、メイド喫茶で"遊ぶこと"だ」と結論付け、結局そのお金で「全国のメイド喫茶を巡る」ことにしたという経緯がある。 メイドさんの中には「プライベートではメイド喫茶に一度も行ったことがない」という子も珍しくない。たまに「何故それでメイドさんをやろうと思ったのか」とフシギそうにする人がいるが、私は「だからこそ働ける」んじゃないかなと思ったりする。勿論、「趣味はメイド喫茶巡りです」というメイドさんもいるが、これこそ「スゴイな」と思うのだ。中身を知っているのに楽しめる、オンとオフを使い分けられるタイプなのだろう。もしかすると「自分の働いている店のことはよく知っているが、他店はどうなっているんだろう?」という好奇心からかもしれない。残念ながら私には、「突き抜けテスト」をしたゲームを発売日に自腹で買ってプレイするような真似は出来ないが、他のゲームをプレイする時は、「ああ、これも延々テストされたのか」と考えると感慨深いものがあったりする。 よく飲食店業務については、「中身を知ったらもう食べれない」などと後ろ向きな発言ばかりを耳にするが、「(メイドさんが)全てを知った上でもなお楽しめる」というのはなかなか凄いことなのではないか。 何かのゲーム (2010/04/09) メイド喫茶は「黙っていても人材の集まる業種」として名高い。ところが実際の応募者の大半は「使い物にならない」と言われる。それは単に「かわいい制服のバイトをしてみたい」というだけの女の子も集まるからだ。 言うまでもなくメイド喫茶は飲食店であり、中心となる業務も飲食店業務であるから、メイドさんを雇う時「顔」や「体型」ではなく「飲食店経験」などを重視すべきである。ところが世間には「メイドさん=華やか」というイメージが広く浸透しているため、どうしても応募してくる女の子には「泥臭い舞台裏」があることを想像し辛く、お店が本当に欲しい女の子は集まりにくい。メイド喫茶というと可愛い女の子が「賑やかし要員」としてキャッキャウフフとしていればいいのかと思っているという子も多く、ところが実際の業務があまりにも「飲食店」すぎて、「メイド」という甘美な響きとのギャップが激しいといったところか。逆に店が最も欲しがる「真面目な飲食店業務をやろう」という女の子には「メイド喫茶」と聞いただけで今度は「つまりビジュアル重視の賑やかし要員を募集しているわけか」と解釈されやすく、候補から除外されてしまう傾向が強い。 というわけで、応募数の割に「使える人材の割合」が著しく低く、全ての応募者を面接していたら何日あっても足りないと嘆くオーナーもいる。 メイド喫茶のアルバイトばかりを渡り歩く女の子「ジプシー」の応募の仕方もスゴイ。用意した定型文をコピーアンドペーストで10店舗も20店舗も一斉送信する。中には連絡が来るまで毎日毎日同じ文章を送り続ける子もいて、「1週間で70通、同じ子からまったく同じ応募が来た」という漫画みたいな話まで聞く。また系列店3店舗に同時に同じ面接希望日を指定して送ってきた子もいて、「全部同時に受けたら、どれに来るのか」と冗談交じりで担当者が3店舗分全部に対し「ではこの日(同日)で・・」と返信したところ、なんと全部すっぽかしたという。彼女らにとってこれは「何かのゲーム」なのだろう。 また「サクラ」も混入しており、応募者全体のおよそ10%〜20%は「求人情報提供会社が用意したサクラ」による応募だという。恐らく「お金を取って求人情報を載せたのに、何も応募がなかった。ここは力の無いサイトだな」と思われるのを防ぐ為だろう。これが何故サクラと判るかというと、連絡先が架空のものなのだという。 このように、メイド喫茶では「求人」を舞台としたディープなストーリーが夜な夜な繰り広げられている。その激戦の中をくぐり抜けてきた「仕事のデキるメイドさん」に出会った時は、決して邪魔にならないようにそっと応援してあげて欲しい。 アリとキリギリス (2010/04/08) もしもメイド喫茶を経営するにあたって、「メイドさんを利用してお客から搾取して、一儲けしてやろう!」という考えを持っているオーナーがいたら、それは間違いであるしほとんど無理であろう。メイド喫茶を経営するなら、「お客さんを喜ばせよう!」と考えなければ、生き残ることは出来ない。お客さんの満足が最終的に結果を生むというごく当たり前の理屈である。 資本家というのはどうしても「カネ儲けありき」の考え方をしたがる。「カネが儲かれば何の商売でもいい」というものだ。それなら俄然メイド喫茶はオススメしない。そもそも、飲食店を開こうという考え方そのものが賢い小金持ちの考えとは言えないからだ。メイド喫茶のブームに乗って一儲けしてやろうと画策するなら、ビルを買ってそこに野心家が起業するメイド喫茶をテナントとして入れればいい。これなら、店がコケてもウケても家賃収入で確実に儲かる。「人の労働力を使って儲ける」とは、こういうことだ。 メイド喫茶を作るということは、「自分も身を粉にして働く」ということである。メイドさんを利用するのではない、自分も店の為に寝る間も惜しんで働く必要がある。そう、メイド喫茶というのは、「好きなことを仕事にする為」にやるものなのだ。「楽して儲ける為」にあるのではない。 つまりメイド喫茶開業というのは、メイドさんが好き、メイド喫茶が好き、趣味で全国巡ってきて、メイド喫茶にいるだけで満足だ、というレベルに達した人が手を出して初めて長続きする商売なのである。2〜3軒見てきただけのにわか勉強で手を出せば、お客さんに受け入れられる店は作れないだろう。 東京都は自由が丘に「ACID PANDA CAFE SIDE-A」というメイド喫茶が在る。席数わずか4席(相席を含めれば10席)、それなのにメイドさんが常時2〜3人は給仕していた。私は見た瞬間、「(経営的に見て)先は短いな」と判断した。そして2010年3月20日、ついに通常営業に幕を閉じることとなる。約5ヶ月の命であった。 それでも現在、「貸切専門のメイド喫茶」として営業を続けている。貸切専門なら人件費にロスが出ないので赤字が出ることはまず無い。「どうしてそこまでして存続に拘ったんですか?」と店長さんに尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。 「店で楽しそうにしていた数々のお客さんの顔を思い出すと、簡単に潰すわけにはいかなかった。いつかは必ず通常営業も復活させたい。」 胸を打たれた。メイド喫茶を巡っていて、こんな気分になったのはあまりない。 ツイン・フェイス (2010/04/07) 人には誰しも二つの顔がある。表の顔と裏の顔。何も悪いことじゃない。大切なのは、裏の顔を「如何にして見せないか」ということ。貴方だってそうだろう? メイド喫茶は当然のことながら、それがモロに出てくる場所、商売である。私達は「客」、メイドさんは「商売」であるから、客が客である以上「絶対に聞けない本音」も山のようにある。もしも聞くことが出来たなら、「それはお客ではない」。 多くのご主人様は「メイドさんとお客」の距離をナントカして縮めたいと願っていることだろう。それには「お客からの脱却」が必要となるわけだ。しかしそれが出来る人はまずいない。「脱却」とは何か?つまり「店へ行かない」ということである。「それじゃメイドさんに会えないじゃないか」というのなら、やはり貴方は「お客」なのだ。 ここでひとつの質問をさせてもらおう。大抵のメイド喫茶では、メイドさんの個人的な連絡先を聞き出すのは基本的にNGとなっているが、それは何故か? まさか「ストーカー防止の為」だなんていう模範解答を真顔で出したりしないよね?はじめに断っておくけど、それは「不正解」。顔で言うなら「表の顔」である。この先は、裏を知りたくない人は読まないほうがいい。 正解は「簡単に連絡が取れるようになったら店に来なくなり、カネを落とさなくなるから」。メイドさんがバイトを始めた時、店長や先輩のメイドさんに「どうしてダメなんですか?」と聞けば、必ずこのように返って来る。 「でも俺は聞けた!これはフラグでしょ?」という人も中にはいるだろう。残念ながら、それも違う。男心を理解している店では、「連絡先を教えることで調子に乗ってお店にもっと通うようになる見込みのある客」には寧ろ進んで教えるように教育されている。そのために「擬装用のmixiアカウント」などが利用されることが多い。店によっては、これの為にメイドさんとして採用した子全員にまずmixiのアカウントを取らせている。 たまに、「店を辞めたメイドさんとも、未だに連絡が取れる。これはさすがにフラグでしょ?」という人がいるが、これも違う。こういう人は、この子からもし「今度別のメイド喫茶で働くことになったの。よかったら遊びに来て」ってメールが来たら、遊びに行くんだ。ね、違うでしょ? よく「メイドさんと付き合っているのがバレたら出入り禁止」などという話を耳にするが、これがてんでおかしいということがお解かりいただけただろうか。私はこれらの「大人の仕組み」を解っている人を、メイド喫茶の常連客の中に見たことが無い。だってそういう人は、「店に来ないから」ね。 カリスマ的仕掛け人 (2010/04/06) 面白い映画を観たら、その監督の他の作品に興味が沸く。面白い小説を読んだら、その作家の他の作品にも興味が沸く。ごく当然のことであろう。それは私達に「作品が面白いのは、作者が面白いからだ」という価値観があるからである。 "信仰"の対象はいつの世も「人」であると言われている。従って、「面白いメイド喫茶」には「面白い作者」がいるということを忘れてはいけない。反対に、「つまらないメイド喫茶」には「つまらない作者」がいる。 "店"や"メイドさん"ばかりにスポットライトが当たる業界ではあるが、私にとっては"作者"が最も気になる存在である。貴方はバカな上司の下で働きたいか?会社がグラグラなのは全てバカ上司のせいだと思わないか?というのも、どんなにシステムや世界観が良くても、「この人の言うことなら聞こう」と思わせるカリスマ的な魅力を持った仕掛け人が不在なら、メイドさんは動かないからである。 このサイトを運営するようになってそろそろ半年が経過する。実に様々な店から、「ウチの店を再建してほしい」などの依頼を頂いた。しかしその大半は、お願いしてきた張本人、すなわちオーナーを「取り替える」こと以外では難しいというものばかりであった。面白い映画には面白い監督がいるように、市場価値のない店には市場価値のないオーナーがいるのだ。 カリスマと聞くと、エゴイストであるとかワガママであるとか、そういったイメージが付きまとう。しかし、仕事が出来るので皆ついていく。ワガママは、カリスマだけの特権であろう。問題は、「ただのワガママ」が実に多いということだ。 実力というのは、ギャラリーが判断するものである。どんなに「俺はスゴイんだ!」と言い続けたところで、周りが「アイツはバカ」と判断すれば、やっぱりバカなんだ。大事なのは「宣言」することじゃなく、「評価」されること。この世でもっとも大事なのは、「自分は人からどう見られているのか」がちゃんと把握できるという力である。 というわけで、メイド喫茶のオーナーに相応しいと思う人はどんな人かというと、「メイドさんがついてくる人」であろう。それが結果として現場にいい空気を生み出し、「面白い店」と評価されるようになるのである。すなわち、メイドさんを引き抜いても意味はないのだ。 君、いくらで売れるの? (2010/04/05) メイド喫茶は「どんな店が良いとされているのか、その判断基準がない」から、いざ出店してみるまで客にどう受け入れられるかは分かり辛い。一方で「他店の人気メイド」は「マーケットで既に評価付けされた唯一の現物」であるから、「メイドさんの価値=店の価値」と安易に結びつけ、人材争奪戦が店舗間で繰り広げられる。 これはある店の面接での実際の質問だ。「君が声をかければ、前にいた店の客、何人呼べるの?」。 こうした値踏みは特にオープニングスタッフ集めに利用される。オーナーはどうしてもオープン当日から客が入るという「保険」が欲しい。そこで"彼ら"に白羽の矢が立つ。サクラではないからカネもかからない(寧ろ落とす)し、何より数字を計算しやすい。 しかしこのやり方は決して成功するとは言えない。何故なら、それは「他店ありき」の考えだからだ。何事もそうだが、物事は1番手にならなければ2番手以下は1番手にカネを払って買う以外の方法が無くなる。このやり方は、女の子に払う人件費で他店からいくばくかの客を買ったに過ぎない。これで儲かるわけがない。金脈は自分で掘り当ててナンボだ。 おかげで「オープン初日からおおよそこれくらいの売上が見込める!」となり、店が「何をやるのか」という一番大事なことを考えるのを放棄する。これがメイド喫茶をどんどんつまらなくして行く大きな原因のひとつになるのだが、「解決策がない」。 恐らくこのことは、「どんな店が良いとされているのか」がハッキリするまで客を減らしながら続くのだろう。そして「それを誰も具体的に調べようとしない」から、結局「業界が出がらしになるまで続く」のである。そろそろ思わないか、「このままじゃこの業界は近い将来ダメになるだろう」ってことを。 「マリオ」が人気になれたのは、オーバーオールを着た髭のオッサンのキャラクターが良かったのではない、ゲームが面白かったのだ。実際、マリオのゲームでも売れていないものはいくつもある。あの飛ぶ鳥も落つ存在の任天堂でさえ、娯楽の商売は決して楽ではないということだ。 メイド喫茶も、人気店の人気メイドさんを呼んでくれば、椅子と机を並べて冷食を出すだけの阿漕な店が人気になれるわけじゃない。人気のあるメイドさんは、人気店にいるからこそ意味があるのだ。 「一切経験者を雇わないメイド喫茶」がオープンしたら、是非行ってみたいものだ。メイドさんが成長していく過程にも、メイド喫茶に通う楽しみがあると思うから。こっちの方が余程お金を使ってしまいそうである。 己の市場価値 (2010/04/04) 客単価の芳しくないメイド喫茶のオーナーが「最近は客がカネを使わない」と嘆く。では、「それは何故か」、という最も大事なことを彼らは考えたことがあるのだろうか。 ここ最近、入店していきなり1500円以上の高額を要するメイド喫茶が増えてきた。「平均客単価」ではなく「最低客単価」が、である。 恐らくこれらの多くの店舗は「客単価を上げたい、しかし客は黙っていればドリンク一杯500円で帰ってしまう。そこで席料の他に"入場料"などの名目で最低客単価を上昇させれば、どの客からも満遍なく概ね納得の行く金額が取れよう。」などと考えていることだろう。つまり、お客がカネを落とさないのは店じゃなく客が悪いという考えだ。これは間違っている。 あまりお金を落とさないお客さんというのは、「貧乏」なのか、はたまた「そこまでの金額を使う価値を感じていない」のか、のどちらかである。ここで値上げに手を出しても「彼ら」はこの2つのいずれかに分類されるのだから、そのうち何人かは確実に飛ぶ。「値上げによって客が増えたり売上が上がる」ということはないのだ。 店としては、「客が一回の来店で使う金額をコントロールしたい」のだろう。もっとも、黙っていてもカネを使いたくなる「ニーズの高い商品」であればここに強制力を持たせる必要性などないのだが、そこに自信がある店などほとんどないわけだ。だから間違いの方向にしか頭が働かないのである。 私は「客がカネを落とさない」→「値上げによって客単価を安定させよう」、という短絡的な思考ルーチンの前後に2つの"事実"を付け足して欲しいと考える。それは、「店に価値がない」から客がカネを落とさないのであり、値上げをするから「ますます客が飛ぶ」のだということだ。こうすると、客単価が上がらない理由が「最低金額が低いから」ではないという発見があるはずだ。ところが「魅力」は数字ではないので分かり辛い。だからどうしても「目に見える"単価"」を上げざるを得ないのだろう。違うんだ、「客がカネを落とさない現状」こそが「店の市場価値の無さ」を如実に表しているのだ。 人間、「自分がダメなのは自分のせい」と認識するのが実は一番難しい。大多数の人間は自分以外の誰かのせいにして安心しようとする。しかしメイドさんのせいにしたり、お客さんのせいにしたりしても、「その市場で商売すると決めたのは、他の誰でもない自分自身」なんだ。第三者に言わせれば、「じゃあ辞めれば?」だね。 これはオタクをカツアゲするゲームだぞ (2010/04/03) これは急成長中の某メイド喫茶で以前働いていた元メイドさんから入手した音声テープの戦慄の内容(一部口語的に補足)である。朝礼での「社長の一言」だそうだ。 「いいかお前ら?窓から外、よく見てみろ。気持ち悪いオタクばっかりだろ?アイツらはな、ロクに女と話したことなんてねぇんだ。だからちょっと話しかければコロっと行くんだ!これはな、オタクをカツアゲするゲームなんだ!アイツらは人間じゃない、お前らの財布だ。分かったらビラ行って来い!」 道徳的な部分は各々の判断に任せるとして、これを聞いた時私が思ったのは、話しかけてコロっといかせないと客が入らない店、つまりニーズがないんだろうなぁということ。 衰退期の市場で商売する経営者は、どうしても人材に頼りすぎる部分がある。つまり「セールス」だ。「モノ(店)に問題はない。他店で今まで売れていた商材なのだから、ウチが売れないのはセールス(メイドさんの業務)が悪い」となるのである。お客さんに自発的に買われない(ニーズがない)商品を売ろうとすると「売りつける」以外の方法では売れない。#144でも触れたが、メイド喫茶業界に於いて現在「喫茶店+メイドさん」という土壌は完全に死んでいる(今後も伸びると期待出来るマーケットではない)。そういう店をオープンしてしまうと生き延びるには「強引に売りつける」しかなくなる。 これの具体的な解決策は、「ニーズの高い店」を作るということに尽きる。話題を独占して、黙っていても客が行列を作るような店に出来れば、何も悪いことをする必要も無いし、心を腐らせる必要もない。全ては「経営者の力不足」なのであり、メイドさんは何も悪くない。 整形は、美人がするから意味があるのである。ブスは整形してもブスのまま。モノクロ画面の売れないゲームをカラー化したところで先は見えている。面白いゲームは、モノクロでも売れるのだ。しかし大量のカネをかけてカラーのクソゲーもう量産してしまっていたらどうだろうか。あとは「ゴミの山を持ったまま倒産する」か、「悪あがきする」以外の手が残されていない。 ここで言うゴミに匹敵するお店でアルバイトをしようとすれば、このテープのようになることも否めない。メイドさんは、働く前に「美人」な店を選んで欲しい。 モノを売る時は、値段を言いましょう (2010/04/02) 最近の情勢を身をもって体験してこようと思い、秋葉原駅前に出来た「めいどりーみん4号店(2010年1月18日オープン)」へ行ってきた。本当は昨日アップロードしたかったのだが、嘘だと思われてもイヤなので。 注文を取りに来たのでドリンクを頼んだら、それを伝票に記載せずに「ケーキのセットの方がお得ですよぉ〜」と言われた。なので、「いえ、ドリンクのみでいいです」と答えると、「え〜?何でですか?」と、一向に注文を受け付けない。「いえ、要りませんから。」「じゃあ、お腹空いてませんか?オムライスとか!?」「いえ、ご飯は食べてきたので。」「え〜?」ドリンクのみは受け付けないなら最初からそう書いておいて欲しい。 するとくじ引きの販売宣言?がステージで始まった。「くじ引きをやりまーす!1回300りーみんで〜す!やりたい方〜!」。誰もいなかった。そこまではいい。そこからが大問題である。「誰もいないみたいなので、席を回っていきま〜す!」と、メイドさんがくじ引きの箱を持ったまま各席を回ってきたのである。 そして私の席に来てこう言った。「くじ、引いてみます?」。 一般的な常識で考えてみて欲しい。満場一致で「いらない」と言われた商品を持って回る。当然、「今回はタダでサービス」だと思うはずだ。私は確認した。「これってステージで言ってたのと同じで、300円ですか?」「あ、はい」。聞くまで値段を言わなかった。こういうやり方である。 隣の席に座っていたお客さんが、「引いてみます?」と言われたので流れで引いた。引いた瞬間メイドさんが黙って伝票を取り上げ、くじ1・・・300円と記載した。無言で。お客さんは伝票を見て唖然としていた。 これを「さっき言ったんで問題ないはずですけど?」というのがめいどりーみんのロジックなのだろうか? メイドさんの方向性やアイドル的展開などは大いに結構だと思う。ただ、売り方が汚い。駅前のメイド喫茶って不透明な押し売りをしないと成り立たないのだろうか? 最後に、反対側に座っていた外国人の観光客がお酒の英語のメニューはないのか?と聞いたところ、メイドさんが「ノー」と答えた。客引きのメイドさんは外で外国人観光客にビラを渡しているのに、無いんだって。 一切の先入観を取り除いて、極めてフラットな気分で「入国」して来て、この感想です。社会勉強になりました、どうもありがとうございました。 フリーコンテンツ故の無能ホイホイ (2010/04/01) メイド喫茶というものは、「喫茶店(飲食店)」に「メイドさん」を持ってきた「ソフトウェアビジネス」の一種であると考えられる。例えばトランプにディズニーキャラクターを持ってきた「ディズニートランプ」であるとか、絆創膏にアンパンマンを持ってきた「アンパンマン絆創膏」であるとか、この辺りの感覚に近い。 当然、キャラクターというのはそれをハードに付した時、売れるキャラクターと売れないキャラクターがいる。と考えた時、メイド喫茶・コスプレ飲食店業界では約10年の精査期間を経ても「メイド」を超えるキャラクターコンテンツが見つからなかった。そして最終的にたどり着いたのは、「メイド喫茶」というハードに何を付していくか、という新天地である。 #135でも軽く触れたが、メイドさんというのは版権フリーのコンテンツであるが故に「何も思いつかなかった奴ら」を大量に招いたという側面がある。よくよく考えてみればメイド喫茶とはさほどエポックメイキングなものではない。勿論、初代、2番煎じ、3番煎じあたりまでのメイド喫茶はある種の革命だったとは思うが、その後の乱立模様は、「甘い」と分かって呼ばれもしないのに飛びついてきたただのハイエナの集まりに過ぎない。 だから現在の「イロモノ系」、つまり「メイド喫茶+ソフトウェア」の時代の到来はある意味で当然の流れであり、経営者視点で観れば、未だに「ただのメイド喫茶」が度々オープンするが、その度に唖然とさせられる。きっとオーナーは脳味噌を5年前に冷凍保存していたのだろう。 今までのメイド喫茶は、「メイドさん」というフリーコンテンツの甘い汁を吸ってやろうという無能ばかりがオーナーだったので、これといった特色の無かった店からそのダメさ加減が露呈し始めたわけだ。これを世の中では「不景気」というらしいが、そんなものは何かを創り出せる自信のある人にはどこ吹く風だ。だからこそ、閉店も多いが出店も同じくらい多いのだろう。 イラストレーターが集まるSNS「pixiv」では、人気フリーコンテンツ「東方」のキャラクターを描くと「閲覧数乞食」とバカにされる傾向がある。東方のキャラを描いて1万人が見てくれたのに、オリジナルキャラを描いたら30人しか見てくれなかった。それで「自分に実力がある」と過信する奴はさすがにいないだろう。1万人が見てくれたのは、自分の力じゃなく、紛れも無い「東方の力」だ。 これからのメイド喫茶は、「面白い店」と「面白くない店」の二極化がますます進むだろう。そして面白い店だけが残る。それでいいんだ。 教祖様気取り (2010/03/31) 私がメイド喫茶を楽しんでいく中で、コイツだけは本気で邪魔だと思う存在がいる。それがやたらと仕切りたがる「偉そうな常連」である。 そもそも常連具合(通い具合)によって偉さに進行度がついているような共通意識すら邪魔くさい。大抵が"通い具合"や"カネの落とし具合"以外に自慢するところが何もないような連中に限って偉そうにし始める。そもそも、偉いかどうかなんていうのはギャラリーが各々判断することであり、自分で言ってちゃ世話無い。 彼らが拠り所とするタイプのメイド喫茶は、彼らを許容してくれる店である。取り柄は"通い具合"と"カネの落とし具合"しかないのだから、「それが欲しい店」が許容する。つまり「儲かっていない店=不人気店」だ。よく「常連が集まる店は勝ち組」とするマニアがいるが、確かにそれは間違っていないとは思うのだが、常連の質如何によっては「負け組」でもあるだろう。店も店で、行き過ぎた行為があれば注意することも出来るだろうが、彼らの"カネの落とし具合"は手放したくないから、どうしても及び腰になる。いくつかの不人気店はこうすることで何とか日銭を稼いで生き延びているに過ぎない。結果として彼らは「ほら、俺のことは店も認めてるんだ!」と"偉そう具合"に拍車がかかり、ますますまともな一見さんを遠ざける。 ネット上で「常連客の教祖様」のような肩書きを自称している勘違い連中がオススメするそのほとんどが、彼らを仕方なく許容する堕ちた店ばかりである。 彼らは「自分の居心地のいい場所」を探すのに必死なんだろう。そこを荒らすかもしれない、「自分にとって厄介な奴」を徹底して排除しようとする。大丈夫だよ、そんなことにメイドさんはまるで興味がないと思うから。そして本当に店が望んでいるのは、「常連客も一見客も、平等に均等に楽しんでもらえる空間」のはずだから。それが出来ないのは経営手腕がないだけで、だから「素行不良」とはいえ彼らの"通い具合"と"カネの落とし具合"に甘んじているだけだから。決して評価なんてされていないから。 こうして見ていると、「偉くなろうなろうとすればするほど、偉さとは対極の位置に離れていってしまう」ということがよく分かる。バカにしているつもりがバカにされている、これぞ本物のバカだ。 不人気店で一番のバカ。こんな不名誉な称号に群がるな。 100万円の使い道2 (2010/03/30) いざ大金をかけて店を宣伝しようといったところで、効果の薄いものにいくらつぎ込んでも意味はない。チラシ、新聞、テレビ、ラジオ。様々な媒体を考えられる限り考え抜いてみたが、どれもメイド喫茶に来る見込みのある客層に鮮烈にアピールできるこれといった保証がないし、何よりこの不当なハンディキャップマッチに一矢報いることが出来なければ投資の価値はない。 あれこれ考えた結果、Bのオーナーが導き出した結論は「このレポサイトの管理人が、Aを今後もプッシュする"大義名分"が無くなればいいんじゃないか」というもの。今更になって管理人に頭を下げて、カネを払うんでウチも取り上げてくださいよ、なんてことをするよりも遥かに効果的な方法を編み出したのだ。「管理人お気に入りのAのメイドさんを100万円で買収しにかかった」のである。 どうコンタクトをとったのか定かではないのだが、翌月、「笑顔に惚れた」とされていた該当メイドさんがAを突然辞めてBに移籍した。これによりこのレポサイトがAを取材、宣伝し続ける「読者が納得できる理由」が無くなってしまったのだ。「別の子にターゲットをチェンジしました」とでも言えばいいと思うかも知れないが、そんなことをすればただの「狼少年」に過ぎない。人間、信用に対する伝家の宝刀は2度目がきかないものである。 結局管理人は、Aの寿命よりもレポサイト管理人としての生命を取り、これ以降露骨な宣伝攻勢はなくなった。その後管理人がBを取材することも無かった(つまり"惚れた"はただの言い訳だったという証左であろう)が、途中Aのオーナーが調子に乗って駅前に2号店を出店したもののただ客が分散しただけですぐに閉店、多額の負債を抱えたことが原因で1号店のメニューを全体的に値上げするなどしたため中規模な客離れが起こり、最終的な人気はBが上回ることに成功した。いかにも地方のメイド喫茶らしいエピソードだ。 この世は「兎と亀」である。亀が結果を出すには、兎が寝てくれる必要がある。 全てを振り返って考えれば、どうしてレポサイト管理人はあの時「オーナーさんの方針が気に入った!」としなかったのだろうか。「特定のメイドさんに惚れた」では、仮に買収工作が無かったとしても若い女の子のアルバイトなんだしいつ辞めてしまうか分からない。ここで兎は「寝た」のだろう。きっと、「レポサイトと癒着する」ってこと以外には当初これといった方針なんか無かったんだろうね。そう積み重ねていくと三者三様「落とし所」を必死に探す様が伝わって来る。結局「棚牡丹」で大金を手に入れたメイドさんの優勝で、半端な策士が一人勝ち出来るような甘い世の中ではないと実証された気がして実に面白い。 絶妙なさじ加減ひとつで、この地球はあっさりその表情を変える。是非実力のある店が評価されて欲しい。 100万円の使い道1 (2010/03/29) 昔、道を挟んで2軒在った某メイド喫茶同士の熾烈で生々しい「潰し合い」の話を。 当時「その駅」周辺にはメイド喫茶はその2つしか無かった。つまり完全なる「パイの奪い合い」の土壌が出来上がっている。便宜上、勝ち組だった方を「A」、負け組みだった方を「B」としておこう。 その土地の初のメイド喫茶は実はBでありAは2番煎じだった。しかしフタを開けてみればAの圧勝、客数的には5倍くらいの差がついたのではないだろうか。AとB、一体何が違ったのか。Bのオーナーはずっとそれを追求していて、ひとつの結論に達した。それは「レポサイト封じ」だろう、と。 A店はプレオープンから当時最も勢いのあったメイド喫茶レポートサイトとべったりという攻勢であった。サイトの管理人が来店すれば全部タダ、メイドさんの写真も取り放題、「今後も宜しくお願いしますよ〜」とオーナーがハエのように手を擦り合わせていた。 対して時期を同じくしてB店にもその管理人が名刺をもってやって来て「タダで飲み食いさせてくれるならプッシュしますよ」と単刀直入に切り出されたが、「なぜこんな乞食紛いを相手にしなきゃいけないのか」と門前払いしたという。 かくして、そのレポートサイトではB店の存在は完全に黙殺され、A店を「この地域のメイド喫茶といったら、ここしかないでしょ!」位のバイアスをかけて約2年間連日宣伝された。 私は、「このレポートサイトが無ければBが圧勝した」とは言い切れないとは思う。お客さんも宣伝だけで飛び付くほどバカじゃない、中身の無い店は最初こそ盛り上がれど、徐々に化けの皮が剥がれるものだ。とはいえ、「このレポートサイトがBについたら、Aは敗れた」とは思う。哀しいかな"世の中は結果ありき"だ。 ところで、このレポートサイト管理人もマヌケじゃない。サイトが全力でAをオススメする「大義名分」が無ければ、記事の読者は「カネの匂い」を感じ取ってしまう。そこで何か管理人を動かすカネ以外の「スケープゴート」が欲しくなる。そこで登場したのがある意味とても愚直な「Aの○○ちゃんというメイドさんのステキな笑顔に惚れてしまいました!」という宣言であった。つまり「好きで通っちゃ、悪い?」ということだ。キムタクが「これ美味しいんですよ」と一言ポロっといったチョコレートが爆発的に売れるように、子供だましにすら見えるこの動機も、当時のリテラシーの低い読者層を納得させるには十分だったようだ。 そこである日、「なけなしの宣伝費100万円」を投じてBのオーナーが大勝負に出ることになる。 うさぎの森 L⇔Rへ行ってきた (2010/03/28) 2010年上半期、コスプレ飲食店業界における最注目株と読んでいた「Hand Maid Cafe うさぎの森 L⇔R」へ、27日に開店と同時に行ってきた。本当はプレオープンの時に行こうと思っていたのだが、どうせバタバタするだろうし、接客というのは「グランドオープン後の日常こそ重要」だと思っているので。 前評判の高さは勿論のこと、同社運営の「スワロウテイル」のレベルの高さは既によく知っていたのである意味で安心しながら入店できたのだが、やはり期待に違わない質の高さで圧倒された。 一足先にプレオープンを体験してきたとある業界人がこう言う。「アノ店が社会人、コノ店が短大生、ソノ店が美大生なら、うさぎの森 L⇔Rはビル・ゲイツ」。その意味がようやく分かった気がする。フードメニューも接客態度も内装もパフォーマンスも、今まで70か80かでケンカしていたところに「300」くらいのクオリティがやってきた感じだ。"次元の違い"を体感するにはもってこいである。 他に偉いな、と思ったのは「人にオススメしても何もおかしくない」というところだ。秋葉原やメイド喫茶に興味のない人に薦めても、平均して「面白かった」「満足した」と言ってもらえる数少ない店であろう。中でもここまで家族連れがすんなり入れるコンセプト喫茶というのは珍しい。 あまり褒めてばかりでもおかしいかもしれないが、本当に"感動した"という表現がしっくり来るのである。 ひとつだけ違和感を感じたのは、「この店が、秋葉原という街を少し持て余してしまった」というところか。なんというか、Tシャツにジーパンに、足は1000円のスニーカーなんだけど、時計だけローレックスという感じ。この店が秋葉原に集まる客層にどう受け入れられるか、という近い未来が少し気になる。色々な意味で今後も目が離せない存在であることは異論ないだろう。 この世で最も面白い小説は「罪と罰」だと言われている。小説は数あれど、とりあえず"一番"を読んでおけば間違いない。もし貴方が、この世で最もハイレベルなメイド喫茶、コンセプト喫茶を探しているなら、その選択肢のひとつにうさぎの森 L⇔Rを加えてみてはいかがだろうか。過去全210軒巡ってきた私にとっては、「ここでダメなら多分全部ダメ」だと思われる。 調子に乗って少々散財したが、気分は晴れやかだ。 ブンブン丸オススメ (2010/03/27) 「人は"やりたいこと"以外何ひとつ出来ない」という言葉がある。例えば「パズルゲーム」を買いに行こう、とゲームショップへ来たお客さんが「ブンブン丸オススメ!」と書かれたステッカーの貼ってある「バーチャファイター」を買うか?という話である。恐らく、この人はパズルゲームのブースに直行するだろうから、格闘ゲームが目に触れることすらないだろう。つまり、モノというのは元々興味の無い人には宣伝によって買わせるというのは出来ないのである。即ち、最も重要になるのは「興味を持たせること」に尽きるわけだ。 ではこのステッカーは誰に対して威力を発揮するのかというと、当然「格闘ゲームを買いに来た客」だ。鉄拳にするか、バーチャにするか、そこまで到達していた客の背中をポンと押すのだけがブンブン丸の仕事である。 たくさんのメイド喫茶があるとはいえ、「今まで興味すら無かった層を取り込んだ」と言える店は数少ない。私が過去、計算の上で狙った店として高く評価出来たのは、池袋に在った「オタクパラダイスもえっこ」と、秋葉原にある「ディアステージ」である。これらの店は従来のメイド喫茶の常連客を狙いつつ、さらにアイドルや声優のおっかけ層といった未開拓の地に手を伸ばした。 これらの店のカテゴライズは確かに「メイド喫茶(コスプレ飲食店)」なのだが「オタ芸が打てる店」として展開。メイド喫茶マニアとオタ芸を打つ層はかぶるようで微妙に異なり、「一部を共有する」といったところか。特にディアステージは秋葉原の中央通りでの歩行者天国の廃止に伴い、行き場を失った路上パフォーマーのおっかけ連中にとって「今後アキバでオタ芸打つならここ」という状況を生み出した。あれが今でも継続していたらこの店の運命は変わったかも知れない。 このように、モノが流行るというのは単眼的な成功ではなく、時代背景に隠された強烈な需要が必須となる。自分の売りたいものをゴリ押しするのではなく、他人が欲しがっているものを売る。こういった「一番簡単なはずの理論」が最も受け入れ難いのだ。 「いいモノ」が「いい」とマーケットで評価されるのではない。「いいと評価されたモノ」が「いいモノ」なのだ。世の中のこういった仕組みが分からないオーナーは、まるでマーケティング調査なしで持ち込みをしてくる若い漫画家志望みたいで滑稽だね。 勘違いピンドン (2010/03/26) 近頃「ドンペリニョン・ロゼ」などを扱うメイド喫茶が増えている。お値段ウン万円。ドンペリと聞いて思い浮かべるのはまず「キャバクラ」だろう。これについて、「こういった店のオーナーは、メイド喫茶とキャバクラを同一視してるんだろうなぁ」という意見を聞くことが多いが、私はそうではないと思う。実は「キャバクラもメイド喫茶も分かってない」のではないか。 キャバクラにおける高額なボトルのキープやドンペリなどの高額シャンパンのオーダーというのは、#077でも触れたが「この子に決めました宣言」なのである。言い方は悪いかもしれないが、「歩合に響く高額商品を注文すれば嬢も喜ぶだろう。あわよくばお近づきに・・」というアナログ的な下心の見え隠れする商品であり、そんな思惑は嬢も店も百も承知だ。勿論、キャバクラというのは「だからこそ成り立つ」のだが。 ところがメイド喫茶はメイドさんが隣に座るわけでもないし指名によって歩合に影響するわけでもない。高額シャンパンを扱う店舗では、オーダーが入ると注文を受けたメイドさんに幾ばくかの歩合が入るのかもしれないが、それは店の都合。お客からしてみれば、「注文したところで何の恩恵もない」のである。だからこういったメイド喫茶はキャバクラのノウハウを持ち込んだものだ、などと簡単に評価されてしまったら、毎日客を取るのに頭をフル回転させているキャバクラが怒るだろう。 そもそもキャバクラへ行くとなれば数万飛ぶことをお客さんは最初から想定しているだろうが、メイド喫茶に入る時財布に万単位でカネを入れていて、今から全部使おう!なんていう人はまずいない。 「ドンペリを注文するとチェキ付き、さらにチャージ1時間分無料!」などという店もあるが、それが「チェキ撮影は500円、チャージは1時間500円」などと混在していることがある。まるでおいしいと思えない矛盾した構造だ。それだったらチェキはポイントカードを3万円分貯めないと撮れませんよ、というシステムにしてドンペリを29800円に設定すれば、お客さんによってはどうしても今日チェキを撮りたい!となった時の「最終手段」に選ぶかもしれないが、そうでもなければゴリ押しでもしない限り「納得済み」で注文が入るとは思えない。 メイド喫茶とキャバクラは「似て非なるもの」である。キャバクラは「時間を売るもの」、メイド喫茶は「モノを売るもの」だと考えれば分かりやすい。メイド喫茶にはキャバクラのようにメイドさんを長時間独占できる強い売り物がない。だから目指すのは勝手だが、同じやり方が通用すると思ったら大間違いなのだ。 チートゲーマー (2010/03/25) 先日、秋葉原にある某メイド喫茶のオーナーさんに「平日はビラ配りしなきゃ基本的にノーゲスト」と言われた。これも貴重な現場の生の声ではあるが、私は「何か勘違いしてない?」と思うのだ。「ビラ配りしなきゃノーゲストだからビラ配りするんです」じゃなく、「何故ビラ配りしなきゃノーゲストなのか」という根本的な問題に寝たふりを決め込んでいる場合じゃない。 メイドさんをビラ配りに立たせるには所轄に道路使用許可書を発行してもらう必要があり、その都度2300円の手数料がかかる。また当然、立たせるメイドさんの人件費もかかるし、店内は手薄になるから客の満足度は下がる。カネはかかるしお客は嫌がる、それでも経営上ノーゲストよりは遥かにマシだというだけで、何もせずに客が入るなら「不要のもの」であるという認識が正しい。 分かりやすく言えば、メイド喫茶におけるビラ配りは「有料チートツール」である。人気のないメイド喫茶がビラ配りでなんとか体制を立て直そうとする様は、初心者がパラメータを偽装すべくゲームに改造の手を加えるようなものだ。確かに、なんとなく強くなった気がするだろう。しかし「腕前」が上がったわけではないので、結局チートの効果をゴリ押しする以外に打つ手がなくなる。 チートゲーマーが腕前を評価をされることは無い。同じように、ビラ配りをしてなんとか客を呼んでいるメイド喫茶が店を評価をされることも無い。チートゲーマーが長年チートし続けていつかそれが実力と認められるかといったらそんなはずはないように、メイド喫茶がビラ配りで客を呼んだところで、その中から常連になる客が出てくるかといったらそれはあまり期待しないほうがいい。何故なら、どちらも「実力はないから」である。ドーピングのオリンピック選手が評価され、きちんとメダルを持ち帰れたという話は聞いたことが無い。こんなことは当たり前の話だ。 ビラ配りしないと客が入らないメイド喫茶は、「店に魅力がない」という事実から目を背け続けても何も変わりやしない。カネや人海戦術で解決しても結局は偽装にしかならない。もしも「ビラ配りは最近のメイド喫茶なら普通です」なんて思っている人がいたら考えを即刻改めたほうがいい。ビラ配りはお店のピンチを現す一種の「異常事態」なのである。だってやらなくても客が入る店は入っているんだから。 未来を作ろう (2010/03/24) どんな商売でも「この業界にはどれくらいのお客さんがいるのか」の綿密なシミュレートが必要である。 例えばゲーム攻略本。「私の好きなゲームの攻略本や設定資料集が発売されない!」と嘆く方もいらっしゃるが、それはこれを紐解けば理解できる。ゲームをプレイするお客さんの中で攻略本を買う人は果たして何人に1人なのか、である。 過去の攻略本の売り上げと、その元となるゲームソフトの売り上げを計算すれば分かることだが、平均すると5%前後と言われている。つまり、ゲームを買った20人に1人の割合で攻略本の助けを借りるのである。 ということは、100万本売れたゲームの5%は「5万」である。攻略本の売り上げ的にも5万部前後は見込める計算となる。これが「ドラクエ」「ポケモン」クラスなら400万本は手堅いので、単純にその5%と見積もっても20万部の攻略本が売れる計算だ。ゲーム業界で400万本というのもトンでもない数字だが、書籍業界で20万部といったら所謂「ベストセラー」の定義を2周するほどの脅威の売上である。対して1万本しか売れていないゲームの攻略本を出しても、売れる見込みのある部数はわずか500部ということになる。これじゃまるで同人誌だ。従って手を出すメリットはどこにも見当たらない。 つまり何か商売をするのであれば、「そこにいるお客さんの数が多いものを選びましょう」という、至極当然のことに帰結するわけだ。メイド喫茶の開業にあたって、この計算が圧倒的に足りていない店が多い。私が何故そう思うのかというと、「メイド喫茶の顧客数の上限は既に見えていて、現状はどう見ても供給過多であり全ての店を潤すには全く足りていないにも関わらず無謀な出店を繰り返すから」だ。 クラシカルなイメージがウリのメイド喫茶ならキュアメイドやメイリッシュ、シャッツキステが、B級アイドルのおっかけ層を意識した「アイドル展開系」なら既にディアステージや@ほぉ〜むカフェ等が抑えている。女性向けならスワロウテイルやワンダーパーラー、ラブオールか。パイの数は有限なので、既に天井の見えた層に参戦するメリットはまったくない。これらを狙おうとすればそれは結局のところ体力勝負になるだけで、何ら将来に期待できない不毛な争いと言えるだろう。だから参入しようとするのであれば「今まで手付かずだった客層」を取り込むほうが断然「未来がある」し、これは「来るかどうか」じゃなくて「どう呼ぶか」にかかっているはずだ。 自惚れ店長バー (2010/03/23) 近頃、全盛期と比べれば全てのメイド喫茶の人気が落ちてきたのは確実である。その理由を説明するなら、「メイド」というキャラクターが飽きられたという他に無い。 例えば「エヴァンゲリオン」のイラストがプリントされているバッグが売れたとしよう。メーカーとしては、「エヴァ」が良かったのか、「バッグ」が良かったのか、精査を要するところである。何故なら、エヴァの名前やキャラを借りるにはお金がかかるからだ。もしその収益を元に次の商品を開発するなら、「今回はエヴァ人気のお陰だったので、高い版権料を払ってもまたエヴァに頼る」のか、「バッグそのものが評価されたのだから、次は別の版権料が安いキャラ又は無地で行く」のかをきちんと把握する必要があるからだ。 メイド喫茶の「メイド」にも一時期はそのブランド力があったのは間違いない。ただのバーでも「店員がメイド服」というだけで客が入った。それは先ほどの話に倣えば「バーそのものに力はなくても、メイドというだけで過大評価された」ということになる。2005年〜2007年あたりまで、「メイド」はそれ位強い記号だったのだ。 2006年末、あるメイドバーでこの時間帯は1人で回そうと目論んでいたメイドさんから1時間前に風邪で休むと連絡があり、急いで他のメイドさんにも連絡を入れたが入れる子は結局誰も見つからず22時以降シフトに入れる子が誰もいなくなってしまったため、店長さん(♂)が「すみません皆さん、今からメイドさん無しの"店長バー"になります!チャージ料はいらないので・・」と発言したところ、12名いたお客さんは全員店を出たという。「おかえりなさいませ!」もなくチェキもない、アイドル活動など一切ないという作りで、お店の方針としてはキャスト依存するつもりなどなかったのかもしれないが、とどのつまり「バーそのものに全く実力がなかった」ということが証明されたのである。 エヴァグッズを作っていたメーカーならエヴァのブランド力が落ちてきたら次のブランドへ、と転換期を常に考えているはずだが、この業界はメイドの次を一切考えていなかった。「エヴァの使用は有料だが、メイドの使用は無料なので精査にスピードを要さなかった」という点がネックになったのだ。 オーナーという人種はとかく、成功すれば「自分に才能があったから」、失敗すれば「従業員がクズだから」などと言いたがるタイプが多い。しかし、大半のメイド喫茶は完全に「メイドさんというブランドのお陰」で一瞬成功したように見えただけで、現在は完全に「メイドバブル」がはじけたので、メイドさんというブランドをもう安易に利用出来ないということを深く自覚すべきである。 メイド喫茶は、リアルの世界で頑張ろう (2010/03/22) メイドさんのブログというものがある。大抵のメイド喫茶がこのメイドさんのブログをお店のサイトからリンクしたりして集客に役立てようとしている。また最近ではツイッターを活用しようと必死だが、はっきり言って「ネットを分かっていない人たちが"分かったふり"をして「メイドさんにブログやツイッターを書かせないと時代遅れになるよ」などと言っているのを頑なに信じている」だけだと思う。 もちろん、ブログもツイッターも利用は無料であるから、無料なものは使ったほうがいいとは思う。しかし、便利な道具も使い道を間違えれば何の役にも立たない。 現役ネットアイドルの女の子によれば、ネット上で「ウケる」女の子のブログの内容といえば「ごくフツーの女の子が私生活を暴露する写真ブログ」だという。これをそのままやっているメイドさん(店)はとても多い。しかしこれがメイド喫茶の営業に良い影響を与える(与えた)というデータは実はどこにもない。それもそのはず、私生活を暴露するようなブログ、ツイッターというのは、ネット上の女の子の活動を応援する人たちが喜ぶコンテンツであり、喫茶店がお客さんをリアルワールドで呼ぶ活動ではないからだ。 私が思うに、メイド喫茶のメイドさんがやるべきブログ、ツイッターの内容は、「店内の楽しさを外に発信する」というのがベストだろう。メイド喫茶はお店に来てもらってナンボの商売であるから、ネット上の情報だけで満足されては意味がない。「ネット上だけで完結せず、読むとお店に行きたくなる」という要素が要求されているのだ。 ブログやツイッターはサイト構築などと異なりケータイでメールを打つような感覚でも参加できるのでとても敷居が低く見えるが、実際は参加人数が多いせいで、これで人集めをしようと考えるなら内容にかなりのハイセンスを要求される。もしも企業がツイッターを利用するだけでバンバンお客を集めることができるとしたら、とんでもないモンスターツールだと高く評価されるはずだが実際にはそうなっていない。やはり「書いている人がつまらなければ意味を成さない」という評価が正しいのだろう。だから手放しで「ブログはすごい」「今流行のツイッターをやったほうがいい」とするのではなく、「そこで何をするか」が重要なのだ。 「ブログがメイドさんの負担になるので、一度辞めさせたのだが、集客数は全く変わらなかった」という店もある。私もその英断には概ね賛成である。余計なことをして混乱するくらいなら、そんな吹けば飛ぶような装置は使わなくていい。というか、たとえどんな情報を発信しようとも、最終的には「店がつまらなければ客はこない」のだから、そんなものに力をいれるよりリアルの世界で頑張っていただきたいものである。 風評リスク (2010/03/21) 以前、あるメイド喫茶のオーナーさんからこんな相談を受けたことがある。「ウチの店が2ちゃんねるで叩かれているんだけど、どうしたらいいかな。」答を出そう。「店を変えてください。」 人生において、変えることの出来るものは「自分」しかない。「他人」を変えることはとても難しいというか、「自分」を変えることで「他人」を変えるしかないと考えている。例えば、「俺のことを好きになってくれ!」とメイドさんにご主人様が懇願しても、メイドさんが自主的に「好き」と言ってくれるまで意味はない。つまり、メイドさんが惚れちゃうような素敵なご主人様になる以外に方法はない。「自分」を変えることしかできないんだ。 インターネット上での評判について「風評リスクだ」「名誉毀損だ」と怒りを露にする企業があるけど、そもそも悪評が立つのはそれなりに理由があるということをすっ飛ばすのはやめて欲しいね。 昔、自殺の仕方をまとめた「完全自殺マニュアル(1993年7月7日・太田出版)」という本があり、これを「問題作だ」と糾弾した連中がいた。彼らの主張は「自殺をそそのかす悪書だ、けしからん!」ってところである。しかし読者は、「完全自殺マニュアル」を読んで自殺をしたくなるのではない、「自殺したいから」読むのだ。「この本を無くせば自殺はなくなる」っていう短絡的な思考ルーチンが説得力をもって世の中にまかり通ったことに疑問を抱いた。そもそも彼らは「人が何故自殺したくなるのか」を一度でも考えたことがあるのだろうか?本があるからじゃない、「世の中がつまらないから」じゃないのか?なら、本当に問題を解決しようと思うなら、「人々が自殺したいと思わない、素晴らしい世界を作ろう」と頑張るのが正しいんじゃないのか? ネット上の飲食店の評判「不味かった」「店が汚かった」の類は「お客の貴重な生の声」であって、これが成り立たないならAmazonのレビューもYahoo!オークションの評価も成り立たない。あれらを見ていればよく分かるが、やはりダメなものはダメと書かれるし、悪質な人は悪いと書かれる。あれでちゃんと機能しているんだ。特にヤフオクの評価は、普通に取引していれば全部「非常に良い」で「当たり前」の世界である。もし仮に「マイナス」がいくつかあっても、それを見ている客である私たちは「全体の数」からマイナスがどれくらいを占めるかを判断しているから、ネットにおける評価・評判というのは自然と淘汰が働くことは証明されているし、それが何よりもお客の利益に繋がるのである。過去あれについて「名誉毀損だ!」などという話は努々聞いたことが無い。だいたい世の中の人が皆自分のことを褒め称えるとか、そんなことあるわけがない。 最強宣言の虚しさよ (2010/03/20) 広告は文章に規制が多い。先日大阪で某メイド喫茶が「日本橋のメイドカフェといったら、一番人気のここで決まりだね!」みたいな文句をフリーペーパーに記載して近隣の他店から猛クレームを受けているという噂を聞いたが、基本的に「地域一番人気」などという根拠のない比較広告がタブーなことくらいは園児でも分かろう。 似たような例にパチンコ店の広告がある。「地域最強出玉!」などという煽り文句は当然だが禁止されている。そこで編み出された歪曲表現が「エリア最強宣言!」である。地域最強出玉とエリア最強宣言、何が違うのかを所轄に聞くと面白い答えが返って来る。 「最強宣言は「何が」最強なのか分からないからね。もしかすると、「出ないこと」の最強かもしれない。」 お前は一休さんか。それを言ったら「最強出玉」だって出玉がどう最強なのか分からんぞ。 また、パチンコ店ではポップなどに「アツい!」と書いてあることは日常茶飯事である。アツい、は煽りだろと思うが、所轄にその解釈を聞くと「出なさ過ぎてお客さんがアツくなる、という意味かもしれない。」と言われる。「店内全部真っ赤に染めます!」は「出なさ過ぎてお客さんの財布が真っ赤ってことかもね。」だって。多分、担当者は気が病んでいるのだろう。 正味の話、アツい!と書かれたティッシュを駅前で配るより、店内で「出し」ていた方が100倍説得力があるというものだ。最近ではツイッターなどもあるのでこういう口コミはティッシュより遥かに早く広まる。 何事も、宣言するのは確かに自由だ。だが、最強は宣言するのではなくお客さんに「ここが最強だよね」と言ってもらう「称号」であるはずだ。自分で言うのは「誰も言ってくれないから」の裏返しであり、宣言すればするほど虚しさが増すばかりである。 人が不幸になるのは、他人と比べた時から始まる。パチンコ店においては「出るか出ないか」という明確な基準があるからどうしても比べやすい業種なのかもしれないが、それと比べてこれといった指標のないメイド喫茶を比べるのだから余程壁にぶち当たっているのだろう。 先日秋葉原の街で某店のビラ配りメイドに「No.1メイドカフェ宣言!」等と書かれたチラシを渡され、「今ならすぐご案内できますよー」と暇をアピールされた。ナンバーワンはビラ配りしなくても満席でお願いします。警察風に言えば、もしかして「人気」のナンバーワンじゃなく、「暇」のナンバーワンだったのかもね。 次に来るコンセプト喫茶 (2010/03/19) 私が思うに、2012年にメイド喫茶が浮上出来る最後のビジネスチャンスが訪れるかもしれない。このことを業界関係者がきちんと認識するには今が絶好のタイミングだろう。 日本の人口の構造上最も多く分布するのは1947年生まれである。俗に言う「ベビーブーム世代」だ。そして国は2007年、「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」に於いて定年をそれまでの60歳から65歳へ引き上げてインフラ整備をすることにした。つまり、2012年前後が最も「余暇のある人口」が増加する時期であるということである。 現状のほとんどのメイド喫茶は依然として「高客単価化」を狙い続けている。しかし、定年を向かえた団塊の世代の生活を支える主な財源といったら、個人差はあるかもしれないがほとんどが年金か退職金くらいになるだろう。となると、1回の来店でいくら使わせられるか(つまり高客単価化)を競うような阿漕な娯楽ではなく、毎日適度に通える「暇つぶし」の娯楽を求めることになるのは想像に難しくない。もしもこれが理解できないという人がいれば、カウンセリングでも受けたほうがいい。 もちろん、こういった層がどんなタイプの店で遊ぶかは個人の自由である。もしかすると1回で5000円、1万円遣わせるような店にハマる人もいるだろう。それも自己責任だ。ただ、行政や警察というのは「そんなにたくさんの金を落とさせる喫茶店が横行しているなんておかしい、それはルールが甘いからだ」と結論付けしやすい。前回の記事のラストでも触れたが、高客単価は「音楽が鳴り止むのを早める」だけなのだ。 すなわち、これからの数年間で「来る」と考えられるのは、「手厚い福祉」を兼ねた娯楽である。加えてメイド喫茶が生き残るには「細く長く通う常連客」を掴むことが重要であるのは今更説明の必要もない。2010年のほとんどのメイド喫茶は、大小差はあれどこのままで行けばどうにも立ち行かない袋小路(=ゼロサムゲーム)に迷い込んだことは間違いない。そこで重要になってくるのは「新規顧客の増加」である。恐らく「まだ空いている椅子」は、このただひとつではないだろうか。 これらのことを踏まえて、今から5年間前後の市場競争に必要となってくるのは言うまでもなく「客単価の低下」である。客単価を低下させるには人件費や土地代を下げる必要があるから、場所は駅から離れた雑居ビルの空中階、メイドさんは少数で回るシステムを構築してキャスト依存を防ぐというのが重要になる。「彼ら」には、まず「高客単価こそが収益の根源」と誤解しているその頭を、なんとかして貰いたいものだ。 未来予想図 (2010/03/18) 何かと話題の「非実在青少年規制」のニュース記事を読んでいて思った。ともすれば児童ポルノに該当するようなグレーなものしか造れないなら、それは「奪える財産」であって「奪えない財産」ではない、つまり作者の力ではないということである。出来なくなることを考えても仕方がない、「出来ること」を考えないと。 奪える財産は、本当の財産ではない。例えば、お金持ちはお金を遣ってしまったら「ただの人」に成り下がる。そこで大事なのは、「もう一度稼げる頭を持っているか」であって、「頭=奪えない財産」なのである。そして、奪える財産はいずれ必ず奪われるということ。奪えるのに放置されるほど甘くない。 かなり信頼できる警察関係の知人からの証言によると、一部の悪質なメイド喫茶の執拗な客引きに対する通報が相当数あるらしく、近々ジャッジメント・デイが来るよ、とのこと。 こうなると「秋葉原全域で、メイド・コスプレ関連店舗のビラ配り全面禁止」というシナリオも想定できる。一握りのバカのおかげでホコ天が廃止になったというのも街全体の景気を相当左右したというのに、また同じようなことを繰り返す可能性を孕んでいるわけだ。 現在秋葉原のメイド喫茶の主な生命線は「ビラ」と「ネット広告」であることは多数のオーナーさんが異口同音に仰るし、ジャーナル目安箱#008でも答えが出ている。 近い将来もしビラが禁止、若しくはルールが強化されたと想定すると、各店舗はネット広告に力を入れる方向へシフトせざるを得ないはずだから、ますます「レポサイト」の立場は強くなるだろうと読んでいる。しかしネット上、特にブログなどを使っての宣伝工作についてはだいぶ規制が検討されつつある。つまり伝家の宝刀が「どちらも使えなくなる日」が迫っているのは確かだ。 結論として、生き残るのは「何もしなくても客が取れる店」である。ということは「口コミ」が主体となるわけで、私が「口コミで広めたくなる店」にしましょうと再三繰り返しているのはこうした未来を見据えての結果なのだ。加えて「キャスト依存はやめとけ」としている理由は、「未成年の女の子を雇ってキャバクラ紛いのことをさせている店」ということが警察にバレればそこにも規制が入ることは間違いないからである。 メイド喫茶は喫茶店であるということで比較的穏便な扱いをされてきた。そこでいかにして「奪えない財産」を持ったか、の椅子取りゲームをしていたのだ。ブームから5年余、そろそろ音楽が鳴り止む頃のはず。 時間を売るシャングリ・ラ (2010/03/17) シャッツキステ第二章という店がある。言わずと知れた名店である。この店が所謂「メイド喫茶マニア」にウケている理由は、「徹底して観光客向けの要素を排除した」という点にある。つまり、裏を返せば「観光客には非常にウケが悪い店」とも言える。これが「シャッツを露骨にコピーしたような粗悪店が出てこない最大の理由」だろう。そしてネット上でシャッツの悪口をあまり見ないのは、この全体の約1割にあたる「ネット上で最も声のデカいマニア層」をターゲットにし、「シャッツを否定する=通ではない」という公式を定着させたからだ。 シャッツキステの凄さはもうひとつある。それは「キャスト依存していない」という点だ。些か乱暴な表現であることを承知でぶっちゃけると、シャッツのメイドさんは「空気」のような扱いである。過剰な接客もなく、もしかするとシャッツに足繁く通う常連客の中には、シャッツが明日から「メイドを辞める」と言っても通うという人すらいるのではないか。現状でこれが出来ているコスプレ飲食店は恐らく日本中探してもここだけだろう。 また、シャッツはマネタイズの観点から見ても優れている。30分紅茶飲み放題500円という値段設定は、一見すると安いかも知れないが、時間いっぱい紅茶をがぶ飲みする人はいないし、事実上一杯も飲まなくても居続ける限り徴収されるわけだから、「メイン収入はほとんど何も売らずに稼いでいる」「追加オーダーが無くても回る」という側面がある。つまり、この500円は店にとっても客にとっても「滞在費」なのだ。紅茶飲み放題はそれを微塵も感じさせない「最強のオマケ」であり、実は分解して考えていくと1時間1000円の席料を取る高額店という本性が見えてくる。勿論、それに見合った魅力のある店であるというのは異論ないが、目くらましが完璧すぎて本質に気付けた人はほとんど見た事が無い。この値段設定は数々のメイド喫茶を渡り歩いてきたマニアにとっては何とも思わない金額である、という性質を逆手にとったものだろう。マニアになればなるほど、「シャッツは安い」と言い出すから面白いものだ。 この完璧な店にひとつだけ疑問があるとすれば、それは「誰のための路面店なのか」ということだ。シャッツキステのブランド名は旧時代に完全に確立していて、現在狙っている客層もマニアのみ、それなら空中階でいいはずだ。「何か深い理由があって、2階と同じ家賃で入っている」というようなことでもない限り、「これらの"神の調整"も、ただの偶然か」となってしまうのが残念ではある。 時代遅れ (2010/03/16) メイド喫茶というものが登場してからそろそろ10年が経とうとしている。テレビゲームがスーファミからわずか5年以内にプレステへ世代交代したように、メイド喫茶にも途中パラダイムシフトの時期が何度か訪れたのだが、それに気付いている経営者はまだ少ない。だから業界が這々の体に見えるのだ。 現在「ギリギリ」の店というのは、プレステ2が出た後のスーファミみたいな存在である。スーファミがつまらないわけではないが、それらのメイド喫茶に実力があったのかというと疑問が残ると言わざるを得ない。 ここで2006年前後のメイド喫茶を思い出して欲しい。よくよく考えてみれば、ほとんどの店が「ただのメイド喫茶」であったという評価は免れない。当時は「メイドが流行っているから、それに乗っかろう」というだけのものばかりだった。「コスチャ」「ティアラ」「メイドステーション」他、一体何の特色があろうか。それでも当時は「メイド喫茶」というだけで何でも良かった時代であるから客も入っただろう。問題は未だに当時の脳味噌、当時のノウハウのままで生きている「化石」みたいなオーナーが未だにたくさんいるということである。 プレステ2全盛期にスーファミを売り出したらどうだろうか?よく見積もったとして、叩き売り価格でもマニア以外には売れないだろう。それをプレステ2と同価格かそれ以上で売っているのだから世話無い。売れるわけないだろう?それで「メイド喫茶は終わった」って、終わってるのはアンタの頭だ。 一時代を築いた店が今苦戦しているのは「時代遅れ」だからであり、そこから脱却すべきなのだが、「あの時上手く行ったのだから、バブルが去っただけで、店は悪くないはずだ」と思っているのだろう。「あの時上手く行った」のは必ずしも「店に実力があったから」ではないということを理解したほうがいい。確かに、当時利益が出ていたのは紛れも無い事実かもしれないが、今ピンチなのも事実だ。事実はどんどん受け入れるべきである。 「ブームで儲かった」オーナーは、「ブームのおかげ」であり「メイドさんのおかげ」ではないことを肝に銘じるべきだろう。見ての通りメイドさん単体は現在ではとても非力だ。メイドさんを置いておけば儲かるというのは、二重の構造で真実を見誤ったに過ぎない。そして「メイドさん(の魅力)で儲かった」という店なんぞほとんど無いという事実ときちんと向き合って欲しい。 狂気の沙汰ほど面白い (2010/03/15) 人は「面白そうなもの」に興味が沸く。新聞やニュースサイトの見出しをみれば一目瞭然、「何だこりゃ?」と思わせるような奇抜なタイトルばかり見てしてしまうではないか。「嵐、ツアー受付開始」より「松潤、女装する」の方が、「本格パスタ」より「餡子入りパスタ」の方が、PVを稼げて当然だ。 横浜に「ディアカフェ」というメイド喫茶がある。ここが2007年、「ミニ四駆デー」というコスプレイベントを行った。私はこの時、素直に「やるなぁ」と感じた。 「ミニ四駆デー」って、一体どんなコスプレをするんだ?まさかミニ四駆のハリボテを被った着ぐるみか?いやもしかすると「当日はミニ四駆持ち込みし放題」とも書いてあったので、もしかするとコスプレイベントではなく、ただお客さんが店内でミニ四駆で遊んでいいだけなのかもしれない。 私はミニ四駆にまるで興味がなかったが、どうしても「真相」が知りたくてお店に行ってしまった。 予想は遥かに裏切られた。まず(当時の)店長さんが「少年」のコスプレでお出迎え。いい年ぶっこいて半袖にハーフパンツである。ここで強烈な先制パンチを喰らった。 次に、問題のメイドさんのコスプレである。なんと「レースクイーン」(一人はメイドさんが残っていた)だった。ミニ四駆とレースクイーン、こういう発想の転換が出来るのは感動モノだ。そして店内に敷き詰められたコースでミニ四駆を遊ぶ客と店長。ゴール地点ではレースクイーンが「お子様ランチ」のご飯に刺さっているような「爪楊枝で作った小さい旗」を振っていた。これぞ、メイド喫茶のコスプレイベントに求められる「メイド喫茶イズム」の真骨頂であろう。こういうのを体験してしまうと、何が「ボカロデー、ネギ持ってます」だよ、と思わざるを得ない。商売ナメてんのか? 私達は娯楽というものに、「他にはない独創的な面白さと刺激」というものをを常に求めているのだ。そして同時に「通過儀礼(お約束)」は外せない。この乖離する二つの要件を同時に満たすのが「高度な娯楽」であろう。 メイド喫茶は、洒落の分かる大人のためのもっと高度な娯楽だったのではないだろうか?それがいつの間にか「着てるだけ」になってしまったとは、初志を忘れてしまったのか? ウソテク収集bot (2010/03/14) その昔、「ファミリーコンピュータMagazine(徳間書店)」というゲーム雑誌が在った(1998年4月休刊)。この雑誌の人気記事「ウルトラテクニック(通称ウルテク、俗に言う「裏技」のこと)」の内容はすぐに他社のゲーム雑誌にもコピー(無断転載)され、次号からはコピー記事かどうかを判別する為に、無機質に掲載されるウルテクの中にひとつだけ「嘘」を混入させ、知らずにまんまと転載した出版社がバカを見たという伝説、通称「ウソテク」は未だにコアゲーマーの間では語り草である。 以前、某メイド喫茶が「制服(オリジナルメイド服)」を競売の形で売りに出したことがあり、その時このウソテクの一連の流れを彷彿とさせるテイストレスな出来事があった。 全3着を店頭でオークションするも、実は全く買い手が付かなかった。このままだと期日が来てしまう。期日までに誰にも入札されなければ、「不人気店」の烙印を押されることは免れない。焦ったオーナーは、自ら「サクラ」になり、知人にも協力させて(見せ金はオーナーが出資)3着全部を落札させた。 ここの雇われ店長は私の友人であり、私はそれをゼロ距離で見ていた立場なのでこの流れを知っていたが、ここで面白かったのがインターネット上での反応である。あるコスプレイヤーの女の子がオークションに注目していたらしく、終了後自身のブログで、「あそこの制服、全部売れたみたいですね、かわいいですもんね。私もお金に余裕があればほしかったなぁ・・」というようなことを呟いた。当然、これは誤りである。 しかしこの子は悪くない。悪いのはそれを転載したニュースサイト、レポサイトの類である。「メイド喫茶○○○の制服オークション、高値で完売」、こんな見出しがサイトトップに踊っていたのを見て、「コイツ、何も知らないな・・」と感慨深かった。この管理人はただ単に、このコスプレイヤーのブログをコピー(転載)してきただけだ。管理人は基本的に、インターネットを信用していたんだろう。 インターネット上に落ちている無尽蔵な情報から「メイド喫茶」に関する情報だけを集めてきて「ニュース・まとめサイト」とするなら、ぶっちゃけ「Bot(クローラ、自動で作業を実行するプログラム)」でも出来ることだ。確かに、自動で機械が集めてくれるから手間も省けるだろう。しかし「メイド喫茶」の単語に反応してひたすら集めまくるだけのbotは、便利でありながら大切なことを忘れている。それは、「メイド喫茶と書いてあれば、ウソテクも集めてしまう」ということだ。 やはり、情報というのは足を使って集めるべきである。実際にはbotで集めた情報を垂れ流すだけでメイド喫茶に行かないサイト管理人は、恥を晒す前に運営を辞めた方がいいだろう。 どんなものも、その94%はカスである (2010/03/13) 人間の価値観というのは、同じ教育を受けてきた者同士であればそう違いは出ない。何を「美しい」とし、何を「醜い」とするか、日本生まれの日本育ちな2人を並べた時、感覚はほぼ一致すると見ていい。 もしそうでないなら、「大盛り」という言葉はおかしい。大盛りにはその前に普通盛り(並)という「基準」が必要である。私達が普通盛りを見ずに気軽に大盛りを注文出来るのは、「普通盛りとは大体こんなもんだろう、だからそれに対して大盛りとは大体こんなもんだろう」という感覚を客と店で共有しているからである。 つまり、「いいメイド喫茶」と「つまらないメイド喫茶」には確固たる基準があり、それをお客ほぼ全員が共有していると考えて差し支えない。でなければ、「流行る店」「流行らない店」がある説明がつかない。ただ、残念なことにそれが明文化されていないというだけのことである。 現状ではほとんどのメイド喫茶がこれを理解出来ていない。理解出来ているのは、数少ない「勝ち組」だけである。SF作家「シオドア・スタージョン」の名言に、「どんなものも、その94%はカスである。だが残りの6%は、その為に死んでもいい位である」というものがある。まさしく現在のメイド喫茶に当てはまる至言中の至言だろう。そしてこれは、メイド喫茶オーナーの94%はカスだ、と言い換えることが出来よう。 アキバプレイス6階 80坪 家賃280万円。3月20日、ついに業界に「黒船」がやってくる。 株式会社ケイ・ブックス会社案内 営業実績 2009年 42億2千万円 構成人数 役員4名 従業員376名。 このケイ・ブックス「うさぎの森LR」の秋葉原進出をどう見るかについてはとても難しいところではあるが、池袋の執事喫茶「スワロウテイル」の大成功を考えれば、最大限の可能性を秘めている店なのではないかと期待している。文字通り、2010年上半期の話題を独占していい「新規オープン」のはずである。 スワロウテイルに死角は無かった。私がジャーナル最高得点を付けた理由は、「頭の先からつま先まで、完璧に執事」を演じておきながらも、最後まで「ユーモラスさ」を追求したという点に尽きる。これが単なる偶然だったのか、きちんと計算出来ていたのかは、うさぎの森LRを見ればハッキリすることだろう。 頼むから、残り6%にあたる「その為に死んでもいい店」であって欲しい。 くろすろ〜どが負けた理由 (2010/03/12) 高性能なゲーム機が売れるなら、「プレステ3」はバカ売れするはずだ。しかし現状では底の見えない売上不振が続いている。同じように、高品質なメイド喫茶に人気が集中するかといったら必ずしもそうはならない。 プレステ3があまり売れない最大の原因として、「キラータイトルの不在」が挙げられる。つまり、「あれもある」「これもある」ではなく、「これ1本の為に高価なハードを買ってもいいと思わせる独占ソフトがある」というのが最も強いのである。どんなに高級マシンであれそれが無い限り、一向に勝機は訪れないだろう。 メイド喫茶も同様、「あれもある」「これもある」よりも「ここにしかない」がヒットするには絶対に必要条件となる。行き場を失った不人気店が「メイドさんとゲーム、はじめました」などとやり出すが、寝言は寝ながら言え。そんなもの、他店を見たらやってたから真似しただけじゃないか。 それから、プレステ3は確かに高性能だが、お客の心理としては所詮「ゲーム機」の枠からは出ることは出来ない。特に私のような凡人には、ゲームとしての機能以外をちゃんと使いこなせないかもしれない「無用の長物」にも映る。価格破壊はゲーム業界にも押し寄せているにも関わらず、ただ「ゲームを遊ぶ」だけで考えればプレステ3はかなり高くついてしまう。 昔秋葉原に「くろすろ〜ど」というメイド喫茶が在った(2008年5月17日閉店)。ここは私が記憶している限り、秋葉原の中では最もクオリティの高い「高級店」であったことは間違いない。だからといって値段が高いというわけでもなく、疑いようのない「良店」であったのだが、潰れた。上の階にある「@ほぉ〜むカフェ」が2時間待ちという状況の中でくろすろ〜どは待ち時間なしだったことを考えると、やっぱり「合わなかった」んだろう。 私が思うに、くろすろ〜どがマーケットに支持されなかった理由は「秋葉原という街には少し手持ち無沙汰だったから」だと考える。秋葉原にいる客層のノリというのは、「グルメ」より「B級」、「堅気」より「ネタ(ジョーク)」。ステーキに5千円かけるより「サンボ」で牛丼をかっ込み、ただの美味しいパフェより3人前サイズのジャンボパフェに七味唐辛子をかける。全ては「ブログで発信できる面白いネタ探しの街」であるような中に「味の違いが分かる通の店」みたいなのはちょっと不向きだ。高級志向だったのがいけないのではない、「完璧すぎてつっ込めなかった」のがダメなのだ。その点では高級感ではくろすろ〜どに劣る「メイリッシュ」の「ヤンキーDAY」「家政婦DAY」の圧勝なのである。 リア充の街 (2010/03/11) メイド「喫茶」に詳しいサイトはそこそこあれど、「ガイド」の裏話はあまり見たことが無い。今日はひとつ、現場の生の声をば。 昔から秋葉原に足繁く通っていた人に言わせると、「最近の秋葉原にはリア充(リアじゅう・リアル社会の生活が充実している人)が紛れ込んできて居心地が悪い」となるらしいが、果たして彼らの言う「リア充」どの層を指しているのか微妙である。もしも秋葉原の街を歩いている「目視できる男女ペア」のことを指しているなら、確かに十年数前の秋葉原の街に店員さんを除く女性などほぼ皆無だったとは思うし、それと比べると格段に増えたとは思う。では今見ているそのカップル?が「本当にリア充なのか」ということを果たして証明できるだろうか。 メイドさんに秋葉原の街を観光案内してもらったり擬似デートが出来る「メイドガイド」という業態のお店がある。これらのお店では、メイドさんの衣装を選ぶことが出来るオプションがつきものである。この理由には、「メイド服の女の子と歩くのはさすがに目立つから恥ずかしい」というものと、「メイド服の女の子は「コスプレ」と見なされ、「コスプレの方の入店お断わり」のお店へ一緒に行けない」という2つがある。どちらも「メイドさんにガイドしてもらう」の根底を覆してしまうような気もしないでもないが、まぁ致し方ないところではあろう。だから「私服」にチェンジしてもらうオプション(どの店でも基本的に無料)を選択するお客さんが多い。本稿で注目したいのは、その「割合」である。某メイドガイド店の元オーナーさんから頂いたデータによると実に、約91%(小数点以下四捨五入)のお客さんが私服を選択するというのだ。 つまり、秋葉原の街を歩いていて見かけることの出来る「メイドさん(の格好のまま)とデートしているお客さん」を9組見たとすれば、全体的に見ればあと都合91組の「見かけ上リア充に見えるカップル風」がいたという計算になるのである。いささか乱暴な計算ではあるが、「リア充を見た目で判断した」というのも既に十分乱暴だから似たり寄ったりといったところだろう。 また、秋葉原には撮影会用のレンタルスタジオも多い為、「男女のペアが歩いている」というだけで一概にカップル(リア充)として数えるのはだいぶ現実と乖離するだろう。 秋葉原に最近カップル向けの店が増えてきたとされるが、カップル向けの王道デートスポットといったら「映画館」と「温泉」である。これらが出来ずにガイド店が幅をきかせている最中は、まだ大丈夫(何が?)だろう。 ※イケメンでも通らない (2010/03/10) 以前ある雑誌で何度か警察を舞台にした漫画のストーリーを書かせていただいたことがあり、某警察署に取材で訪れた際、新人の婦警さんについて刑事さんに「あの婦警さん、お若いですよね」と一言喋ったら血相を変えて「それにイエスと答えてもノーと答えても、飛ばされちまうよ」と小声で言い、苦笑いされた。 世の中のセクハラに対する目が厳しすぎる感すら漂うのは、好意も嫌悪も「受け取り側次第」であるからだとは思う。しかし上記の例は模範解答にも近い非常によく出来た問答であり、過去事件化したセクハラ事例のほとんどは「小学生から離島のおばあちゃんまで、誰が聞いてもセクハラ」であるから仕方が無い。 メイド喫茶において一部のお客さんからメイドさんに対する「セクハラ」があるのは残念ながら紛れも無い事実である。今日はある現役のメイドさんから「事実であることを証明したいから、是非お店の名前と私の実名を出してくれ」と力説された、「世にも奇妙な物語」を紹介しよう。 ご主人様が注文をすると同時に、小さい紙を開いて言った。「ねぇ○○ちゃん。今度の休み、デートはどうしようか?」。見てみると、その紙には「妄想デートプラン」がびっしり記されていたという。一体いつデートすると決まったのか? 言わずと知れた「髪切った?」がセクハラにあたるという話について、最近「※ただしイケメンに限る(言った男性が美形なら許される)」というジョークをよく耳にするが、さすがにこれはチャン・ドンゴンでも通らないことくらいお解かりいただけるだろう。 「お客様は神様です」という三波春夫の有名なフレーズがあるが、クレーマーもセクハラも、この言葉の拡大解釈による乱用だと言われている。お客と店員という絶対的な上下関係を盾に、理不尽な強要をする。お客は一個人であり、店は組織だ。組織であるが故にキレるわけにもいかず、これらは単なるハンディキャップマッチなのである。 もちろん、当の本人に言わせれば「メイドさんに対する好意の暴走」とでも言うだろう。しかし#120にも書いたが、「好意」と「ストーカー」の明確な線引きは無く、メイドさんが「セクハラだ!」と言えば好意は犯罪に変わる。つまり「ともすればセクハラだと感じる人がいるかもしれない言動」そのものがタブーであると言えよう。 私達人間は、とかく「演技」をしながら生きざるを得ない生き物だ。上司の前では「部下の自分」を、家族の前では「家族の自分」を、友達の前では「友達の自分」を、彼氏の前では「彼女の自分」を、それぞれ無意識に演じながら生きるに過ぎない。それがおかしいかと言ったら、おかしくはない。当たり前のことなのである。だから、「メイドさんの前では紳士淑女」を演じきれないと、メイド喫茶という大人の遊びへの参加資格はないだろう。 情報の支配者 (2010/03/09) 「正しい情報」というのは、いつの世も一握りの人間しか手に出来ない。 江戸時代、「瓦版」という今で言う新聞のようなメディアがあったことは学校でも習うが、あれに掲載されていた情報は所謂「情報操作」のために作られた捏造ばかりだったという。 現在「Wikipedia」に掲載されている情報の信憑性については散々議論がなされているとはいえ、Wikipediaの情報に信憑性がないという確固たる証拠を掴めた人はまだ少ない。メイド喫茶に関するWikipediaのページと言えば「コスプレ系飲食店」が該当するだろうが、ここに掲載されている情報にも小さな誤りが多く散見される。問題なのはその内容ではない。「何故そうなったのか」のただ一点に尽きる。 以前、とあるライターが自身のブログに「アレはこうらしい」と記事を書いたところ、数週間後にたまたま関連したWikipediaを開いたら、なんとそのまま転載されていた(出典元の明記はなし)という。実はこの記事はライターの早とちり(つまり誤情報)で、「訂正しなきゃ」と思っていた矢先のことらしい。しかし本当に「とんでもない」のはここからである。 某週末、テレビのニュースを見ていると丁度「それ」に関した事件を取り扱っていた。淡々と台本を読み上げるキャスターの男性、なんとあの誤情報をソースにして解説をしていたのである。 つまり、この誤情報はライター→読者→Wikipedia→テレビの放送作家という風に「勝手に」流れたのだ。主従関係で言えば、「ライターのブログを信用した読者」と「Wikipediaの情報を信用したテレビ」という流れになろうか。もっとスタイリッシュに表現すれば、「ライターを信用した読者」「Wikipediaを信用したテレビ」で、情報の内容云々よりも、「誰が言ったか、どこに書いてあったか」を信用したわけだ。 そして最後に、「テレビも出典元を明記しなかった」という点が「とんでもない」とする所以である。こうなると「テレビで言ってたから」が新しいソースの基準になってしまい、「真実」を知っているライター本人がブログで謝罪しようとも「ウソツキ」呼ばわりされる可能性だって出てくる。恐ろしいものだ。 というのも、以前あるメイド喫茶を扱うサイトが「メイド喫茶・データまとめ(仮名)」なるものを作っているらしいので面白そうだと思って見に行ったのだが、そこに掲載されていたデータは「そこで働いていた(とされる)元メイドさんが個人ブログで本音を呟いたもの」などを拾ってきただけだったからお茶噴いた。この様子ならもしも私が「○○(店名)でメイドしてたハルナです☆」などと偽名でツイッターに登録し、「ウチのオーナーの月給は200万」とでもテキトーに発言すれば、恐らくそのまま載るのだろう。それでいいのか? 脅迫なう (2010/03/08) ペンは剣よりも強し、という言葉がある。自分の声のボリュームというのはどうしても自分自身には分かり辛く、これが思わぬ誤解を招くこともある。 とあるメイドバーのオーナーからの貴重なご意見がこちら。 「店内でブログを更新したりツイッターで呟いたりしているお客さんは怖い。何を書かれるか分からない。あれは「俺を特別扱いしろ」という無言の脅迫メッセージにも見える。」 レストラン等で「今夜ブログに載せるから」などという理由で注文した品の写メールを撮る人がいるが、たまにこれを撮影禁止のメイド喫茶でやろうとしてメイドさんから怒られている人を見かける。せっかくお金を払って楽しく遊びに来て、怒られてどうする。「怒られたなう」とでも書くのだろうか。その時は是非、「"写真撮影禁止のお店で無断で撮影したら"怒られた」ときちんと書いて欲しいものだが、大抵は自分の都合のいいように改変されたり、怒られた部分だけをクローズアップされる。だから「脅迫だ」と言われるのだ。 世の中というのはとかく「声のデカイ奴」の言うことが通ってしまう側面がある。それが例えちょっとおかしな主張であったとしてもだ。声がデカイというとチンピラみたいな客が店で暴れることを想像するかもしれないが、インターネットで「呟く」のは、下手するとチンピラより「声がデカイ」ということをお忘れなく。チンピラの要求が仮に通ったところで、店がチンピラを許容したわけではない、ただ恐れただけだ。 もちろん、そうではないただのお気楽な日記なのかも知れない。しかし一部にそういう「声のデカイ奴」がいるから、ただいじるだけで同一視されてしまうのが現状なのである。「ストーカー」と「愛」の明確な線引きが無いように、「日記」と「クレーマー」の線引きは非常に曖昧で、受け取りようによってはどうとでも変化する。店内撮影禁止だって、辿っていけば盗撮事件を起こした問題児がいたのが発端だったりして、彼らのしわ寄せを受けるのは納得が行かないかもしれないが、だからといってすすんで腐ってもいいわけではない。 私は店内で無線LANが使えるメイド喫茶などは非常に便利だと思っている。しかしこれも極端なことを言えば、こういった一部の心無いユーザーのせいで廃止になる可能性だって十分あるわけだ。 メイドさんに好かれることはあっても、怖がられることのないように。 出せるわけねーオムライス (2010/03/07) メイド喫茶の料理といえば、跋扈する悪徳店のおかげで「高い・不味い」みたいなイメージが植えつけられてしまった昨今ではあるが、もちろんそうでない店も一部とはいえ存在する。 しかしメイドさんがドジっ娘さんで、「ごめんなさぁ〜い」とちょっと焦がしちゃった料理を運んできても、そこは脳内補完というか、ある意味でそれもサービスのひとつてあると言えなくも無いのがメイド喫茶の不思議な魅力のひとつであることは間違いない。普通のファミレスなら「新しいのに変えて」となるところを、「これも萌えだね」なんて喜ぶお客さんがいるのは、さながら「特権」といったところだろうか。手抜きと失敗は似ているようで全然違うということだ。ちなみに元々不味い料理をさらに失敗する店は論外。 前振りはこれくらいにして、私がある店でオムライスを注文した時の「パラレル体験」のことをば。 その店では注文を受けたメイドさんが料理をしてくれる、今考えればかなりの「良店」だった(閉店済み)と思う。厨房からじゅーじゅー聞こえてきた。卵のいい匂いがする。ホールに残ったメイドさんと昨日のテレビについて軽くおしゃべりする私。細木数子の占いって当たらないよねー、などと笑っていると、「事件」は起こった。話題が悪かったのか? バタンッ!「お前こんなオムライス、出せるわけねーだろ!」(by店長) モロ聞こえである。そして10分後、「ちゃんとした」オムライスが出てきたのでそそくさと頂いた。一体どんなミスがあったのかは、空気を読んで聞かないことにしたが、「アレ」は聞こえちゃいけないだろ。こだわり過ぎも問題なのか、それとも壁が薄いのが問題なのか、こんなことを聞いてしまうくらいなら、その「出せなかった」オムライスを出されたほうがよかったのか、私が注文したことそのものが間違いだったのか。 ディズニーランドでは、夢を壊さないように色々な配慮があると聞く。実はこれはとっても難しいことらしい、と、たくさんのメイド喫茶を見て痛感した。そして、焦がした料理を「ごめんなさい」と申し訳無さそうに持ってくるのを「萌え」と言っているほうがまだ夢があると確信した。 過ち (2010/03/06) メイド喫茶につきものなのが、「コスプレイベントデー」である。これは普段はメイド服を着ている店員さんがその日だけ限定で別のコスプレでお出迎えするというものだが、私はこれらのイベントの在り方に疑問を唱えたい。 私が福岡は七隈に在ったメイド美容室「メイドカットセンター(2009年5月6日閉店)」へ行った時のことである。ドアを開けてビックリ。なんとその日は「体育祭デー」で、店員さんは体操服でお出迎え、「メイド美容室」の看板を付けておきながら「メイドさん」が一人も居なかった。そして事前に確認した公式サイトにはそんなことは一言も書いていなかった。 この現象は何もこの店に限ったことではない。そもそも、コスプレイベントデーとは常連さんに対する「感謝祭」のようなもののはずだ。メイド服に飽きてしまうというのは常連さんの特権であり、だからこそのメイド以外のコスプレなのではないだろうか。それは別におかしいことではない。何がおかしいって、「それを全部のメイドさん(店員さん)に適用すること」なのである。お宅には常連客しか来ないのか? この問題を解消するには、「コスプレイベントデーでも「メイドさん」を最低1人は置く」とか、「コスプレするのは1人」とかにすればいいだろう。特に「コスプレするのは1人」にして、それをローテーションで1週間続けるなどの方法を採って、更にそのシフトを公開しないなど組み合わせれば、常連さんにはお目当ての女の子がコスプレした日にあたるまでイベント中通わなければならないという集客性能の高いものになるだろう。一見さんも納得が行くし、全員同じコスプレにするより遥かに生産的だ。 大体、メイド喫茶がメイド服で集客できないのならそれはある種の終わりを意味しているのではないか。 昨年末、秋葉原の「AKIBASAKABA(2009年12月28日閉店)」というRPG風居酒屋が潰れた。通常はその名が示すとおり、RPGのキャラクターに出てきそうな制服での営業だったが、閉店間近にはイベントデーを乱発、ラスト1ヶ月間くらいは何と一度もRPG風の衣装を着ることはなかった。本来なら「閉店するなら一度は行っておこう」という一見さんの来店も見越すものだと思うし、閉店告知を出してからも最後まで通い詰めてくれる常連さんがいるのなら、その人は「RPG風」なところに惹かれたのではないのだろうか。 これを見て、「これぞコスプレ飲食店の混沌とした終焉に相応しいな」と変に感心してしまったのだが、私(常連)も店も業界も、何か一様に間違っている気がしてならない。 適利多売 (2010/03/05) タクシーを利用するお客さんの大半は、「クルマはちゃんと走って、目的地へ着けばいい」と考えている。タクシーの車種にこだわる人などいない。目の前に「来れば乗る」だけだ。エンジンが何気筒であるかとか、そんなことはどうだっていい。こんなことをメーカーの人に言ったら怒られてしまいそうだが、「モノの評価者というのは、時として作者の意向などどうでもいい」のが実情である。 知人の漫画家が「クライアントの要求を満たすのが大変だ」と漏らすが、クライアントは必ずしも漫画のプロではないので、漫画家との温度差が生じるのは致し方ない。そもそもクライアントはマーケット分析を基に作家に要求をしているはずだし、最終的にその作品が面白いかどうかを判断するのは漫画家でもクライアントでもなく「読者」である。だからそれがイヤなら自費出版すればいいという問題ではない。 オーナーの「やりたいこと」を全部取り入れたメイド喫茶をオープンさせたとしよう。「オープンさせること」だけに価値があるとするならば、極論もう合格だ。というか、それはカネさえあれば誰にでも出来ることである。そうじゃない、最も大事なのは、「それにお客さんがつくこと」である。ここはカネではどうにもならない。 いくらエンジン音が静かなクルマを作ったところでシートが硬ければ乗りたくないように、素晴らしいものを作ったところでそれが客の欲しいものでなければ何の意味もなさない。メイド喫茶をオープンするにあたって、愚直なまでに「客の欲しいもの」のデータを採取したという店を私はほとんど聞いたことが無い。「メイド喫茶の企画なんて単純」と思う読者もいるかもしれないが、その単純なことすら出来ていない店ばかりだからバタバタと倒れていくのである。せめて「潰れた店」でやっていたことはやらない、くらいの精査があってもいいはずだ。 秋葉原に「喫茶全力」という店がある(2009年12月19日オープン)。ここは所謂「B級アイドル」を題材にしたコンセプト喫茶だ。この店を見た時、久しぶりに「精査があったんだな」と少し感動した。というのも、世間は折りしも「AKB48」のバブルである。多少単価が高い気もしたが、現状のメイド喫茶の平均客単とアイドルの追っかけがアイドルグッズに費やす金額を考慮すれば、妥当なセンではある。何度か遊びに行っているが、何より違和感なく満席になっているというのがその答えの最たるものだろう。 色恋営業に傾倒しすぎて客単価が上がらないことを嘆く前に、できる限りの努力はすべきだ。「適利多売」。こんな言葉をこれからのメイド喫茶には掲げて行って欲しい。 ピンク色のプレステ2 (2010/03/04) 「価値」というのは、人と人の共通意識によって成り立つものである。例えば、1万円札で1万円分の買い物が出来るのは何故かといったら、1万円札に1万円分の価値があると私達が信じているからだ。 つまりどんなにいいモノを作ったとして、その良さを他人が理解出来なければそれは一瞬にして「ダメなモノ」になるのである。それはメイド喫茶だって同じだ。 一口にメイド喫茶の良さと言っても、その種類はたくさんある。わいわい楽しめる店、ゆったりくつろげる店、挙げていけばキリがない。では、その中でも「最も多くの人に認めてもらえる価値」とは何だろうか、ということを考えてみよう。 世の中は白と黒ばかりではない。社会における多数派とは、皆どっちつかずの中途半端な「灰色」である。 ピンク色のプレステ2が出た時、新宿の街を歩いていて若い女の子2人組が、「あれ可愛いよね」「黒はダサいから今まで買わなかったけど、あれなら欲しいよね」と話していたのを見て、その広い需要に気付かされた。 パソコンもケータイも、最も売れるのは「外見(デザイン)に凝ったもの」であるという。流線型のかっこいいデザインのものと、昭和の弁当箱みたいな無造作なデザインのもの、同性能・同価格であるならどちらを買うか考えてみて欲しい。答えは言わなくても分かるはずだ。実は、本来重要なはずの「性能」は二の次なのである。 デザインというのは、人を動かす。心だけでなく、確実に身体も。だからデザイナーは高給を取る。中身に凝るのは「当然」であり、それよりまずデザインに凝らなければ、見向きもしてもらえない不恰好なモノに仕上がってしまうのだ。 #011、#097あたりでも触れたが、「いいメイド喫茶を作ればお客は黙っていても来る」と考えているならそれは改めたほうがいい。いいメイド喫茶にするのはそもそも「当然」のことであり、更に顔のデザインの良さにも凝るべきだ。これが出来ていない店が多すぎて、だからこそ売上的には「外ヅラがいいメイド喫茶」>「中身がいいメイド喫茶」という状況になってしまっているのだ。これを超えるためには、「どちらもいいメイド喫茶」が出てくる必要があるのだが、それが分かっている店は現状ほとんどない。勿論、全く出来ていないとは思わないが、「まだそういった意味でのマーケットの洗礼を受けていない店ばかり」ということだ。それは「顔の悪さよりも中身の良さに甘んじている」ということをお客に強いているだけである。 失脚 (2010/03/03) 大物政治家が、休日に自腹を切って遊びに行く。とした時、これを私達一般人がどう見るかと考えると、非常に面白い結果が出る。 もしもそこが「キャバクラ」であればどうだろうか。自腹である、ということなら、「あの人がプライベートで贔屓にしているくらいなのだから、余程の高級店なのだろう」程度で済むだろう。 では、「風俗(性風俗)」だったらどうだろうか。場合によっては週刊誌にスキャンダルとして取り上げられ、失脚するかもしれない。だからバレないように、会員制の店があるなどと言われるのもなんとなく頷ける。 さて、ではこれが「メイド喫茶」だったら一体どうだろうかということを真剣に考えてみて欲しい。あなたが「メイド喫茶好き」であって冷静な判断が出来ないようなら、メイド喫茶にまるで興味がない家族や友人に、「大物政治家が、休日に自腹を切ってメイド喫茶に通っていると聞いたら、どう思う?」と聞いてみるといい。 #097でも少し触れたが、現状のメイド喫茶が他人に自慢できるステータスではないことは明らかである。ジャーナル目安箱での過去の調査結果でも半数以上が「メイド喫茶に関わっていることは他人には秘密」だった。それはメイド喫茶が「オタク趣味」であるとされていることに全ての原因があるのではないか。 私はオタクについては否定的な意見を持っていないし、現に私も「メイド喫茶オタク」であるが、世間のオタクに対する風当たりが強いことはどうにもならないと感じている。旧マスコミが洗脳にも近い形で「オタク=気持ち悪い」という扱いを散々し続けてきたこの事実はちょっとやそっとじゃ揺るがない。 ではどうすればよいのか。それは闘おうとするから風当たりが強いのであって、闘わなければいいだけのことである。つまり、「オタクは悪くないよ」というメッセージを発信するのには限界があるので、「メイド喫茶はオタク趣味ではないよ」というメッセージを発信したほうが楽であるということだ。いや、それでは少し弱いか。完璧を目指すなら、「メイド喫茶(に行く奴は)はオシャレ」でいいだろう。だから本当は森永卓郎なんかに宣伝させている場合じゃないのだ。彼は識者というより世間の認識としては「笑いの対象」だぞ。 今のメイド喫茶は、行った=失脚とはさすがにならないまでも、高級店に通える=ステイタスとなるキャバクラよりは確実に下に位置している。これを「メイド喫茶はオシャレ」と言わせることはさすがに無理でも、「いい店知ってるんだよ」位は言ってもいいような存在になって欲しいものである。 最悪の次に悪い選択 (2010/03/02) 核兵器を持つか持たないかで各国が散々議論をしているわけだが、これはコンビニのおにぎりの安値戦争に非常に似ている。 核は、全ての国が持たなければそれがベストな選択であろう。しかし、どこかの国が裏切って核開発をはじめるんじゃないか、という恐怖から「ウチも」となるのである。 おにぎりの値引きも、本当ならライバル同士談合でもしてある程度の価格帯で推移すればそれなりの利益を維持できるはずだが、どこかの店が急に割引セールをはじめるんじゃないか、という恐怖から皆値下げ合戦に走ってしまい、結局自分達で自分達の首を絞めてしまう。 こういう意味ではメイド喫茶はまだ安値戦争に突入していないからマシな市場に思えるかもしれない。しかしそれは断じて違う。メイド喫茶は#005でも書いたように、安値戦争と同類の「自傷行為」のゾーンに突入してしまったのだ。そしてその具体的な対策が実はほとんど無い。 核問題もおにぎりも、本来ならベストな選択をしたいのだが、最悪なパターンを避けようとする力の方が勝ってしまい、最悪の次に悪い選択を強いられている。メイド喫茶も同様、ベストな選択(適当な価格でお客様に満足してもらい、かつ適度に儲ける)よりも最悪のパターン(お客が来ないのでまるで儲からない)を避けるべく、最悪の次に悪い選択肢(高客単価化しておけば、客数が少なくても最悪のパターンよりはマシだろう)を選んでいるのだ。つまり保険である。高客単価化は、店の延命の為の生命保険のようなものだ。 物事は何でも、「最悪のパターン」を想定しておくことが大事ではある。特にカネの絡むことであれば、どうしても慎重にならざるを得ない。しかし見ての通り、保険に入ると不恰好な生き方しか残されていない。 核問題は最大の恐怖「自国は持っていないのに、他国が裏切って作るかも」を避けた代わりに、「とりあえず自分も持ってる」になったというだけで、「他国が裏切るかも」を防げたわけではない。おにぎりだって、「他が値引きする」のを防げたわけではない。これらのやり方は、実質的な解決にはなっていないのだ。 メイド喫茶も本来なら、「お客があまりこないかも」を防ぐ必要があるはずだ。高客単価化するのは一見解決に見えて、実はこの根本的な問題に寝たふりをしているに過ぎない。寧ろ単価を上げたことでお客が更に減るのだから性質が悪い。 問題というのは、本来なら真正面から向き合って解決すべきじゃないか。 口だけ出すな、カネも出せ (2010/03/01) 日本ではポケモンと言えば子供達が夢中になっている「健全なゲーム」の印象があるが、実はこのポケモン、世界13ヶ国で「有害なゲーム」として発売が禁止、アニメの放映が禁止されている。その理由は「Wikipedia」などで詳しく掲載されているが、日本人の私達からしてみれば「沸点が分からない」ことばかりだ。全ての物事は受け取り方によっては善にも悪にもなり得るといういい例であろう。 その昔「ポンキッキ(フジテレビ)」について視聴者から局に電話があり、テレビの前の子供達に「おはよー!」と言う部分について「朝っぱらからうるせえ番組だな」みたいなことを言われたという話をどこかで聞いた。まさか口が裂けてもそんなことは言わないだろうが、オペレーターさんの腹の中では「だったら見るなよ」と言いたいところだろう。はっきり言って、そんな電話を朝っぱらから局にかけてくる方がよっぽど「うるせえ」。 世の中はこうした人たちが必ず一定数いるので、極論何をやっても100%良いとされることはまずない。ポケモンが発売禁止、ポンキッキにクレーム、この中でまさかメイド喫茶が野放しということはないだろう。実は様々な理由で「なぜか怒られた」メイド喫茶はたくさんある。 あるメイド喫茶に一本の電話がかかってきた。「どんなお店なんですか?」。電話に出たメイドさんはきちんと「こういうお店ですよ」と答えたという。すると、こんな返事が返ってきた。「ハァ?ふざけてんの?そんなのメイドって言わないよ?」。 私は、食べたラーメンについては「まずかった」と正直に感想を言ってもいいという最低限の権利を有するものだとは思うが、食べていないラーメンについて見た、聞いただけで判断して「こんなのラーメンじゃありません」などと発言するのはいかがなものかと思う。見た、聞いた上で「こんなの違う」と思ったら、ただ「食べなきゃいい」だけの話だ。「そんなのメイドじゃない」と思ったなら行かなきゃいいだけじゃないか。それか、来店して遊んだ上で「これは違うよ」とお店で直接言えばいい。それならお客様の貴重な意見として、きちんと聞いてくれるだろう。だがこれじゃ「威力業務妨害」にもなりかねない「爆破予告」と同列の悪質なイタズラ電話だ。 まだポンキッキのクレームの方が、一応「見た」上での感想であるからまだマトモである。とはいえ電話代を払ってまで言うことじゃないとは思うが。 メイドさんの名前 (2010/02/28) 源氏名・・というのかはよく分からないけど、とにかくメイドさんは仕事上では本名ではないニックネームのような名前を使うことが定説とされている。 テレビゲームをクリアーすると、エンディングに「スタッフロール」が流れるものが多いが、その大半がふざけ半分のニックネームだったりするのは「ヘッドハンティング防止」の為と言われている。それ故に、「佐藤○○」のような一見本名のように見える名前も案外ニックネームだったりするものだ。 メイドさんがお店でニックネームを使う一番の理由はやはり「ストーカー防止」なのだが、それ以外にも、「妙な現実感を出してお客さんを幻滅させるくらいなら、嘘をついて夢を見せてあげたい」という理由がある。そもそもお客さんが喫茶店の店員さんの本名を知るメリットなどどこにも無い。メリットがあると言う奴はストーカー予備軍だ。 それでもやたらとプライベートに突っ込みたがるKY(死語)なご主人様は多いようだが、あるジプシーの子によれば、その為に「本名に聞こえる2つ目のニックネーム」を用意している子も多いという。それから「これ本名なんですよ〜」と嘘をつくというテクニックもある。こういう返事が返ってきたらそれは「聞くんじゃねーよ」という遠まわしのメッセージであると受け取って、自分の行動を振り返って自重してもらいたい。 それでは私が見た、聞いた、メイドさんの名前がらみの面白かった話をいくつか紹介しよう。 ・模範解答 メイドさんがご主人様に「はじめまして、「どれみ」です。宜しくお願いしますね。」と挨拶したところ、ご主人様は「へードレミちゃんかぁ。珍しい名前だね、本名?」と聞き返した。そしてメイドさんが「そうです」と答えたという。 ・世間は狭い 某オンラインゲームで使っていたハンドルネームをメイドさんをする時に名前にしていたメイドさん。世にも珍しい名前だったことが災いしたのか、出勤2日目にして「あの鯖の?」と身バレしたという。 ・2つ目の「本名に聞こえるニックネーム」を用意していたメイドさん。常連さんの帰り際に自分から「私の本名です。またお店に会いに来てください」などと意味深に書かれた小さなメモを渡し、さも気があるかのように装っていた。その結果、1ヵ月後のバレンタインイベントでは1個2000円の彼女の手作りチョコレート40個が完売、売り上げにだいぶ貢献したという。 時給8000円の死角 (2010/02/27) キャバクラの時給は高い。店によって差があるとはいえ、平均すると時給3000円〜5000円程度だ。中には時給8000円という店だってある。しかしたとえ暴利をどんなに客から貪っていたとしても、売り上げの上がらないアイドルタイムにこんな時給を嬢全員に支給していては成り立つはずもない。当然、これが成立しているのだから何かカラクリがあるわけだ。 実はほとんどのキャバクラでは待機中は「仕事」の扱いにならず、客と席についた時しか時給が発生しない。つまり完全歩合(法律に抵触するかどうかは置いておく)であり、客の取れない嬢は一切カネが貰えないシステムになっている。だから全員が額面通りの給料を手にすることはない。売れた分からしか給料が出ないので、店が損をしてしまうことは絶対にないのである。 というわけで、女の子によってはコンビニのレジ打ちでもしていた方が場合によっては高給となることもあったりするのがキャバクラの高時給のカラクリなのだ。 さてメイド喫茶をキャバクラのような「会話」をウリにしようとなれば、当然だが同じような仕事でキャバクラの方が給料がいいので女の子はわざわざ給料の安いメイドさんをやる必要がなくなる。しかしキャバクラはこのような事情で満額貰えることはほぼ無いので、メイド喫茶の女の子側からの良さとしては、「キャバクラの不安定さを考えればメイドの方が安全」ということになる。 ところが最近はメイド喫茶でも売り上げの上がらない店が荒っぽいやり方をするようになってきた。「ノーゲストの時間帯は給料が出ない」、「ビラ配りしていて、客を連れてきてはじめて時給が発生する」など、ブラック企業さながらの悪質なパターンも散見されていて、なるほどだから伸びているのかとヘンに頷かされてしまった店もある。#102でも触れたが、キャバクラと比べ極端に客単価の低いメイド喫茶で「土地代」「人件費」のカットがなければべらぼうに儲かるということは無い。それでも儲かっているということになれば、何かをカットしている以外に可能性が無い。そうでもなければ売り上げが異様に高いというのはおかしい。世の中はズルいことのひとつでもしない限りは、急には儲からないように出来ているのだ。 もしメイドさんをやろうという女の子がここを読んでいたら、「常軌を逸した急成長をしているお店は要注意」と心にとめておいて欲しい。全てがそうというわけではないが、そうしておくことで受ける傷が少なくて済む。 オリジナルメイド服のススメ (2010/02/26) メイド喫茶には「ここじゃなきゃヤダ」というお客さんがいる。これが例えばコンビニであれば、「セブンイレブンじゃなきゃヤダ」というのはあまり聞かない。それなりの好みはあっても、極論「あれば入る」だけのことで、目の前にローソンがあるのにわざわざ電車に乗ってまでファミリーマートを探す人は、「限定品」を探すような場合以外はほとんどいないように、ブランド力としてはとても弱い。どこも差別化に躍起になっているが、そもそもコンビニの差別化に期待している人などあまりいないから伸びも緩やかだ。というのも、コンビニというのは差別化よりも平均的な品揃えを重視されるマーケットであるからだ。それに対し、「偏り」こそが面白いとされる業界では如何にして「他と違うか」をアピールできるかが商売の鍵となる。 これをうまいこと利用できているいい例として、「マッキントッシュ」がある。私はマックの「何がいいのか分からない派」だが、マックユーザーの知人に聞けば「一生マックについていく」という意見が多い。だからマックは高値でも売れる。売り手側としてはこれほどオイシイものはないだろう。 新規のメイド喫茶の出店で、「とりあえず他でやってることは全部取り入れよう」みたいな店があるが、こういう店がブランド力を手にすることは、3〜4年前ならまだしも今ではまずないと考えていい。メイド喫茶はコンビニではないなのだ。例えば昨年秋に秋葉原にオープンした某店を見ると、公式サイトには「ゲーム」「ダーツ」「お酒」などと記されている。これはきっと、手広く抑えておけば「ここにしておけば間違いない」と思う客が来るんじゃないかという読みだろうとは思う。しかし反面、「わざわざこの店を選ぶ必要はない」とも言える。#072でも書いたが、どの店でもいいという層は駅前の一等地にある店へ吸い寄せられるのだから、駅から離れた場所にこのような店を作っても、お店が望むお客はここまで辿りつけない可能性大となる。 #080、#102等で触れたが、メイド喫茶の利点は「駅前の一等地でなくてもやっていける」ことにある。ということはわざわざ何分間か歩かせるわけだから、「歩いてでも行きたい店」でなければ利点を活かせない。「何でもある」より「あそこにしかない」、オンリーワンになるほうが大事なのである。特にメイド喫茶が密集している秋葉原、日本橋(大阪)あたりであればそれはますます顕著になるはずだ。他店の熾烈なビラ配り攻勢をくぐり抜けさせるわけだから、とりあえず「オリジナルメイド服」「オリジナルメニュー」「オリジナル接客」から最低2つくらいはスタートラインとして考えておいて欲しいと個人的には思う。珍しければ何でもいいというわけではないが、とりあえず他の店にもあるものを揃えただけで何の特色もないよりは相当マシな結果が出るはず。 アートチェキ上等 (2010/02/25) 今日は初めて、「画像付き」の実験を。 そろそろ1800枚に達そうかという私のチェキコレクションの中から、飛び切り「凄いヤツ」を、肖像権に配慮したカタチでお見せしようと思う。たまにはこういうのもアリかなと。 メイド喫茶でチェキの面白さと言えば「落書き」にあると断言したい。チェキに落書きとはプリクラに落書きする感覚に近い。とはいえ、チェキには写真部分と枠の部分の明確な線引きがあるのと、営業時間内に他の業務もあるので、「周りの白い部分にちょこっとメッセージを書く程度」というのが定番である。ここに書かれる落書きには定型文みたいなのがあり、「名前・日付・店名」の3つを抑えてあればほぼ完成となる。それ以外のコメントに関しては基本的にどこも「メイドさんの自主性によるもの」となっており、よほどその時の現場の空気が楽しかったとか、会話中のテンションが高かったとか、そういうことでない限り滅多なことではデコられないはず。 では、その「枠」を遥かに飛び越えた、「アート」にも近かった感動モノを、4枚ほど。 @カフェドール東京(旧)(東京都/秋葉原) ※「喫茶人形上等」このセンスに惚れてチェキを集めることを決意。 Aフェアリー大船店(神奈川県) Bクイーンドルチェ(東京都/秋葉原) C足踏みリフレねこすた(大阪府) いかがだろうか。「乾くのに時間がかかりそう」とか、「お前何時間店にいたんだ」というのはナイショの方向で。こういう「楽しくてやってる」というのが感じられる瞬間が私にとって至福の時であったりする。 大義名分が欲しい (2010/02/24) メイド喫茶で食事をするのは、強いて例えるならコンビニでお寿司を買うようなものである。コンビニでお寿司というのは、味や値段より純粋に「お寿司が食べたい!」という人向けである。数的にはどうしても少数派であり、だから売り上げ的には「低め安定」といったところに甘んじている。 それなりに頑張ってはいるものの、はっきり言ってコンビニのお寿司を食べるなら、100円の回転寿司の方がクオリティは格段に高い。それでもコンビニで売ることが成立しているのは、「24時間営業」の強みがあるからであって、だからこそ買っても「ヘンだ」とは言われない。そういった「他が入り込めない強み」が無いメイド喫茶ではこのような商売は成り立ち難い。従って、メイド喫茶に良質なハンバーグを!と言ったところで一般人に言わせれば、「それなら安いサイゼリヤの方が(以下略)」となるのである。事実、メイド喫茶のコアなマニアには、メイド喫茶へ行く前に他の手ごろなお店で腹を満たしてから、という人も少なくない。 だから私は、もしメイド喫茶がフード類をこれからも追求していくなら、「メイド喫茶で食べる強み」を発揮していく必要があると考えている。例えば「メイドさんの手作り」であるとか、エンターテインメント性の高い創作メニューであるとか、目の前で切り分けてくれるとか、その意味では「お絵描きオムライス」や「ふ〜ふ〜あ〜ん」、「萌え萌えビーム」の類はある意味でちゃんと分かっているなと思う。 これらの付加価値を「邪道」というマニアがいるのもよく分かる。しかしそうなると彼らの意見にも疑問が生じる。「では何故、専門店ではなくメイド喫茶で食べるのか」。これじゃコンビニでお寿司を買う人より遥かに謎で、他人に理解できる大義名分がない。こういう人たちが、「メイド喫茶へ行く奴はヘンな奴」と言わしめる原動力になるのだ。とはいえ、「ビーム」にそこまでの価値があるのかと言われると微妙だし、ビームを出す店では大概が「ビーム頼り」すぎて肝心のフードの質があまりにも酷い場合がほとんどなので、これもまたマイナスに作用する。結局、何ひとつとして専門店に勝っていないからメイド喫茶とその客はバカにされるのだ。 このように、メイド喫茶がその地位を向上させるためにはいくつかの課題がある。しかしそのほとんどが誰も手をつけていない。大抵が寝たふりを決め込んでいる。この状況で「不況」や「ブームの終焉」を嘆かれても、、。私にとっては、ある意味でなんて隙のあるおいしい業界なんだろうかと思ってしまう。 カードダス理論 (2010/02/23) 「カードダス」が登場する1年前の1987年、「子供がシール欲しさあまりにチョコを食べずに捨てる行為」がテレビで報道された。カードダスを企画した人は、この「大半の客はチョコなんか欲しくない」という事実に目をつけたのだろう。そして88年、満を持して市場に投入されたカードダスは、「チョコなしのビックリマン」の位置づけで、ビックリマンよりも10円安い20円という価格で売り出され、一大市場を築き上げた。 メイドさんと1:1で軽いマッサージを受けられる店「メイドリフレ」と、メイドさんにデート気分で観光案内してもらえる店「メイドガイド」という業態がある。個人的な好き嫌いを除いてこれらの店を考えた時、客の頭数はどうしても、メイド喫茶・バー>メイドリフレ>メイドガイド、となるだろう。その根拠は「値段」だ。 実はこの2つのお店はカードダス同様、「客の不満」をきちんと考え抜いた店だと思っている。現在のメイド喫茶におけるお客さんの不満の不動の一位といえば「メイドさんとあまり話せない」であるのは周知の事実だ。そこを追求するとどうしても「1:1で」となる。それを具現化したのがリフレとガイドである。 ジャーナル目安箱#001への投票でも明らかになった通り、メイド喫茶に「商品(フード・ドリンク等)」を求めている層は全体のわずか1割しかいない。残り9割は「メイドさん」「コミュニケーション」「空間そのもの」を求めているわけだ。これは当然、「メイド「喫茶」に「商品」は期待できない」という共通意識が既に蔓延していることが問題の根本ではある。信用を失ったマーケットが、伸びるはずがない。 もしもの話をしよう。メイド喫茶の最低予算が1000円前後であるとして、リフレの予算は3500円(30分)前後、ガイドの予算は6000円(60分)前後である。もしこの全てが1000円で1時間楽しめるとしたらどうだろうか。すぐにとは言わないが、確実に客数に下克上が起こるはずだ。「メイド喫茶に不満を持つ層」はその殆どがリフレかガイドに移動することは想像に難しくない。これら2つの店が、回転数を考えた時の低価格化がなかなか難しいからメイド喫茶が胡坐をかいていられるだけである。 1:1のサービスで1時間1000円などというのはさすがに非現実的だとしても、ここ最近のメイド喫茶は高客単価化しており、そしてリフレ・ガイドは低価格化が進んでいる。メイド喫茶が高客単価を今後も狙い続け、近い将来このグラグラの市場にトドメを刺す店が現れるとしたら、それは「高客単価を狙うメイド喫茶とほぼ同程度の予算(1500円〜3000円程度)で、メイドさんと1:1に近いサービスが楽しめる店」であろう。 メイド喫茶を作ろう (2010/02/22) メイド喫茶にそれなりにハマった方であれば、「自分がオーナーだったらこんな店をやるのに・・」という案のひとつやふたつは妄想したことがあるに違いない。しかし妄想するのは自由だが、果たしてそれを本当に実現できた時、その店にお客さんが来るだろうか、ということまで脳内で綿密にシミュレート出来た方は少ないだろう。 私は地元のメイド喫茶に通い始めた頃から、いくつかの店のオーナーさんや常連さん、メイドさんなんかといろいろ話していくなかで、「いつかこんな店やってみたいリスト」みたいなのを書き溜めていた。その数50くらい。 しかし例えば#102のようなことを考えただけでも、その時点でいきなり数が片手で足りる位にまで篩に掛けられてしまう。どんなに面白そうなお店の企画を考えても、「それが儲かる(ウケる)のかどうか」となると、その大半がまるで役に立たない。 人間はどうしても数字に弱い。「近い」「遠い」のような「個人の感覚」より「徒歩5分」を信用するように、「これは流行る」とどんなに説明されたって、「過去100万個売れた実績がある」には勝てない。自分が「実現できたら面白い」と思ったメイド喫茶に、どれくらい他人を納得させられる根拠があるのか、なんてことを考えていくと勉強になる。 メイド喫茶は商売である。商売というのは、「自分の売りたいもの」を売ると、必ず失敗する。「他人が欲しがるもの」を売らなければダメだ。だから成功するには「他人の分析」が欠かせない。「こんな店があったら面白いのに」レベルでは、「自分が欲しいもの」の域をまるで出ていないことはお解りいただけるだろう。モノを考える時、最大の敵になるのがこの「個人の固定観念」であるのは言うまでも無い。人間はどうしても「好き・嫌い」でモノを判断しがちだが、それでは商売は上手く行かないだろう。 というわけで、今後妄想する時はこんなメイド喫茶があったら、「自分が喜ぶ」だろうではなく、「他人が喜ぶ」メイド喫茶の案をより具体的にまとめておくと、もしかしたら自分にお金がなくても出してくれるオーナーさんが出てきて、いつか実現する日が来るかもしれないですよ、と。 若さがそんなに大事ですか? (2010/02/21) 女性に、しかもメイド喫茶のメイドさんに年齢を聞くこと自体がナンセンスではあるが、それでも聞いてくるKY(死語)なご主人様が絶えないので、大抵のお店ではマニュアルとして「永遠の17歳です」などとうまく茶化すように出来ている。 しかし実際のところどうなのだろう?と気になって夜も眠れず昼寝する殿方の為に、女性である私が独自に調査した結果をお出しするので、どうか興味だけに留めておいて、お店で実際に聞くのは自重していただきたいと思う。 「最低」は、高校生からアルバイトを採る店であれば15だということは想像に難しくない(稀に年齢を誤魔化している中学生なども確認できるが、法律違反はここでは切り離して考える)。 大抵は18〜25の間くらいだと思っていいのではないか。特に平日の昼間であれば、ほぼ間違いない。 では「最高」は?ここがネタ的にも最も気になるところだろう。芸能人と同じで、メイドさんも2つ3つサバ読んでいることは多いので、仮に「22」などと妙にリアリティのある数字を出されたところで何の信憑性もない。 私が知る限りでは、「40」というメイドさんがいた。彼女にはお子さんが2人いた。旦那には逃げられ、夜はお水、昼はメイドと、シングルマザーとして頑張っていた。顔がとっても童顔であったため、お店では24(−16!)として働いていて、驚くべきことに常連客の誰もが「24ではなさそうだけど、26くらいじゃね?」などとまるで気が付かなかったという。今手元に当時のチェキが1枚あるが、いっても28くらいにしか見えない。 私がなぜその事実を知っていたかというと、お店で知り合い何度か通ううちに、お店が終わってから彼女の家へ招かれる程に仲良くなったからである。辛うじて顔には出さなかったが、さすがに(サバ読み具合に)衝撃を受けた。免許証を見せてもらったから間違いない。 さらにスペシャルエピソードとして、お店に通っていた19歳の常連のご主人様が彼女に惚れてしまい、店頭でこっそり、毎月現金5万円を封筒に入れて差し入れしていたという。 ちなみにその店のホームページを見ると、「18〜35くらいまで」と書いてあったにも関わらず40のメイドさんを採用(当時は38だった)した理由を店長さんにこっそり伺ったところ、「調理師免許を持っていたから」だという。そこに面接へ行く彼女も彼女だが、やはり「童顔」と「資格」は強い。 もし「41以上」のメイドさんをお知りの方がいらしたら、メール下さい。何も出ませんが。 本当にあった笑える話 (2010/02/20) メイド喫茶は人間観察に最適なスポットである。お茶を飲みながらゆっくりと時間を過ごす中で、様々な「人間模様」に耳を傾けるのも一興だ。 さて百戦錬磨のメイドさんなら、メイド喫茶で働く中でたくさんの「珍事件」を体験してきただろう。今日は私と日頃仲のいい現役のメイドさん5人から伺った、「どこかネジが一本抜けた話」を書いていこう。 ・それでいいの? 「メイドさんとオセロ(5分500円)」を注文したご主人様、何とオセロのルールを知らなかった。5分間説明だけして終わり。「勉強になったよ」と喜んで帰宅したという。 ・おいおい 2ショットチェキ(1000円)を撮影してくださったご主人様。○○様へ、とメッセージを書こうとして間違えて彼氏の名前を書いてしまったメイドさん。しかしたまたまご主人様の名前と同じ名前だったという。(もし合わせてくれただけだとしたら、神だ!) ・ブラックメール あまりにも「メールアドレス教えてよ」としつこいご主人様対策として、店長(♂)が偽のアドレスを教えるようにメイドさんに指示。てっきりその子がついに教えてくれたんだと思って1日50通を超えるメールが。しかし女言葉で返していたのは全て店長だったという。 ・燃料投下 ご主人様から手紙(ラブレター)を渡されたメイドさん。後で店長に報告しようと裏にあったメニューに挟んでおいたのだが、お客さんが混んできて別のメイドさんが知らずにそのままそのメニューを出してしまったという。 ・お買い上げありがとうございます 女子高生マニアなエロエロご主人様がいて、メイドさんに片っ端から「君、女子高生?」と尋ねて、「は、はい。(設定上)」と答えた子を全てチェキに撮っていた。それを聞いた店長、すかさず全員に女子高生だと言い通せと指示。結果、「今日ホールにいる子は全員女子高生」と言ったら、29歳のメイドさんも撮って帰ったという。ちなみに平日の昼間だった。 ね、メイド喫茶って下手な若手芸人より面白そうでしょ? 皆さんにはこういうことを、お約束をきちんと分かりきった上で全てを笑い飛ばせる「達人」になって頂きたい。 マスコミを操る (2010/02/19) メイド喫茶のオーナーは誰も大抵、「ウチの店を雑誌やテレビが取り上げに来てくれないかなぁ。」などと考えていることだろう。しかし今のご時勢、メイド喫茶を取り上げるメディアはほぼ皆無といっていい。それは何故か。そして、メディアに取り上げて貰える「条件」とは何か。 どんなに面白い店をやっても、それを知ってもらう方法がなければ河川敷で野球少年がキャッチボールをしているだけに過ぎない。彼らが例え天才であっても、そこにミスターが通りかかって声をかけてくれる偶然を待っていては、プロになるのは少々厳しい。もちろん不可能というわけではないが、道のりは果てしなく遠い。 今やメイドさんだ、メイド喫茶だ、というだけでニュースになった時代はとうに過ぎ去り、哀しいかな「そんな古臭いものを今更」と言われてしまう時代である。 そこでまず必要なのが「ニュースバリュー」である。ただのメイド喫茶など、もう誰も驚かない。名前を聞いた瞬間「えっ?それ何?」となる店でなければ取り上げて貰うことは難しい。 次は「キャッチーさ」が重要だ。どんなに変わった店でも、映像や誌面にした時に面白くなくては取材する価値がない。店側にとってだけでなく、メディア側にも取材することの「おいしさ」がなければダメだ。 他にもいろいろあるのだが、まずこの段階で躓いている店が多すぎるのでここまででいいだろう。この2つを踏まえて言うと、「ただのメイド喫茶」はダメ、「画にした時、面白くなくてはダメ」、ということになる。だから、「メイド喫茶の時点で、どんなに面白くてもダメ」、「どんなに斬新でも、面白さがなければダメ」という高度な条件を同時に満たす必要があるということだ。 私がこの2つを完璧に搭載し、満を持してメディアに登場した初めての店として記憶しているのが、秋葉原にある「NAGOMI」である。NAGOMIは「妹・ツンデレ」を前面に打ち出してきた。既に4年以上も昔のこと(2005年11月15日オープン)だ。その時代から、「今後メイド喫茶(+を扱うマスコミ)はこう変化していくだろう」と読んでのことであるなら、非常に賢い戦略と言えるだろう。 そんなわけで、今後も「ただのメイド喫茶」がマスコミに登場するということは限りなく無いに等しいと見ていいだろう。それがねじ込まれたかのようにいきなり登場したら、背景にカネの匂いを感じ取れ。 メイド喫茶はなぜ潰れるのか (2010/02/18) 所謂「求人雑誌」に求人広告を載せるのにいくらかかるかご存知だろうか。有名どころになると、たった3日の掲載で10万円を超えることも珍しくない。それでどれくらいの応募(反響)があるかと言えばわずか3日の間に膨大な情報量の中から米粒のような自分の店を見つけて応募してくれる人が何人いるかと考えれば自ずと答えは出るし、さらにその中に優秀な人材がいるかというのは、砂漠の中で針一本探すような作業に10万払って参加するようなものである。それでも、それしか方法がないから仕方が無い。 某大手求人雑誌の営業の女の子は自信満々にこう言う。「ウチの本にお店の情報を載せるということは、「あの本に載っている有名な店だ」というブランドイメージの為だと考えてください。求人の効果よりそっちに期待する意味で、10万円」と。本末転倒である。確かに、その名前が喉から手が出るほど欲しい連中もいるだろうが、純粋に求人がしたい店にとってはこの名前がジャマ臭いことこの上ない。しかし、雑誌の名前がなければ人は集まらない。矛盾しているようで意外と一貫性のある奇妙な現象である。 対してメイド喫茶の求人は楽である。メイド喫茶だというだけで選び放題、女の子が集まってくる。あるお店のオーナーは、「応募が多すぎて面接している暇がない」とぼやく。メイド喫茶はヘンなところでお金がかかり、ヘンなところでお金がかからない、フシギな業態なのだ。 今までの記事をずっと読んでいる方なら分かると思うが、土地代をかける必要もなく、求人にもカネがかからない。こう考えると、「メイド喫茶ってやっぱりオイシイんじゃない?」と考えるかもしれないが、それはこの先を読んでからにして欲しい。大事なことを忘れている。 メイド喫茶で最もお金がかかるのが「人件費」である。メイド喫茶最大の弱点は、「メイドさんのバリエーションを要する」というただ一点に尽きる。これが小洒落たバーであれば、バーのマスターがおじさんでもおばさんでも、極論言えばオーナー一人でやっていけよう。それがメイド喫茶に真似できない唯一の敗因である。このビハインドが、せっかくのプラス要因である「土地代」や「求人費」を遥かに上回るのである。10人の女の子を雇えば、単純計算でも100万円が「毎月」飛ぶということになる。これを補填するには客単価アップ以外の道がない。これじゃジリ貧の考えだ。自転車は、走っているうちはいいが、一度止まったら倒れるぞ。 だから私は「キャスト依存」の営業はやめたほうがいい、としているのだ。寧ろこれから生き残るためには、メイドさんに依存せずに店の良さを追求する方の道を歩むべきである。 コーラ10個5000円お買い上げ (2010/02/17) 以前某メイド喫茶にてあまりにも興味深い状況を見たので、記しておこうと思う。連載100回を超えたので、そろそろ趣向を変えて行きたい。 ドリンクオール500円のその店は、メイドさんがドリンクを運んできた際に軽くおしゃべりしてくれるという#001で言う「お約束」のあるシステムだった。そして悲劇は起こった。 私の右隣に座っていた推定年齢30歳後半のご主人様が、なんと「コーラ10個」と言い出したのである。メイドさんもさすがに「じゅ、十個、ですか?」と聞き返した。「うん、十個。」正気か? そして5分後、メイドさん3人が10個のコーラを運んできた。しめて5000円。一体何故、こんなことに。 「そ、それではごゆっくりどうぞ・・」とメイドさん達は愛想笑いを浮かべて裏へ。もしかすると、「1個ずつ頼むからちょこっとしかお話できないのか、そうか、なら10個頼めば10倍(以下略」とでも踏んだか。 稀に、「メイドさんとおしゃべり・・5分500円」などという仰天メニューを掲げる店があるが(法律に抵触するか否かはここでは置いておく)、実はこうしたニーズを分析した結果なのかもしれないと納得してしまった。 10個頼めば10倍?という考えもどうかと思うし、かといっておしゃべりを5分500円で切り売りする店もどうかと思う。だがこの2つの共通点は、「客が(現在のメイド喫茶の接客に)不満を持った」ということである。ニワトリと卵のどちらが先かと聞かれたら、「不満だから10個頼んだ」「不満な人が多いから500円で売り出した」ということになるのではないか。この状況を「変わったお客さんだね」で終わらせる店は小童(こわっぱ)だ。そしてこれは、どの店にも起こり得ることなのである。 私は#028でも触れたが、ビジネスのチャンスというものはいつも「不満」にあると思っている。例えば、ビデオデッキ。これはテレビを見ている視聴者達の、「見逃した番組がもう一度見れないことに対する不満」があってこその商品である。そしてそれは現在では「Youtube」などに取って代わられた。ビデオの不満「撮り損ねた番組が見れない」を「シェア」という形で突いたのだ。もし未来があるなら、「Youtube」の不満を考えるべきだろう。 メイド喫茶も、未来を見据えるならまずお客さんの「不満」をじっくり考えたほうがいい。 注意: ・当ページの内容の無断複製、転載は有料・無料問わず全て禁止とします。 |
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