日焼けした顔で会見した寛平は「ここで走っても(ゴールまでの)距離が縮まらないのが残念」と笑いを誘いながら「山あり谷あり。これもアースマラソン」と納得の表情を見せた。
当初、トルクメニスタンを16日に出発予定だったが、アイスランドの火山噴火の影響で足止めをくらい、20日(日本時間21日)にサンフランシスコに到着した寛平。妻の光代さんも日本から駆けつける中、担当医でカリフォルニア大サンフランシスコ校の篠原克人教授の診察を受けた。
会見に同席した篠原教授は「腫瘍の程度を5段階とすると4と高いが、きちんと治療すれば完治する」と説明。「治療を受けながら走ったり、トレーニングしたりして、体力を保っていただいて、またトルクメニスタンに戻り、ぜひ日本に走って戻ってください! 大丈夫です! 帰れます!」とエールを送った。
08年12月に大阪を出発し、快調に地球上を走ってきた寛平ががんを公表したのは今年1月。ホルモン治療を受けながら走り続け、今月14日にイランからトルクメニスタンに入ったばかりだったが、完走するために一時中断して、最先端の放射線治療を受けることを決断した。
今後は1日1回の外部照射を1週間に5回、これを5週間続けた後、1週間から10日あけて、組織内照射(HDR)をし、約7週間の行程で治療していくという。
寛平は「治療を受けるこの2カ月の間は、ブログ、ツイッターで毎日どういう状況かを伝えていきたいと思います。1日1日ちゃんと報告していきます」といい、前向きに受け止めている。
「これから2カ月、なんとか頑張って治して、1日も早く日本に着けるように頑張りたいと思います。必ず、トルクメニスタンのマーキングしたところへ帰って、そしてまたスタートしたいと思います!」と宣言した。
6月下旬に再びトルクメニスタンに戻り、マラソンを再開する予定だ。