まず、額が144兆円と巨額だ。しかも、取り崩したところで、当面は大きな問題は発生しない。金利変動準備金のようなものは必要ないのだ。「保険料収入が入らない場合に備える必要がある」と言われるが、144兆円にも上る積立金を少しくらい使ったところで、問題は生じないだろう。
それに、財政検証の結果が正しければ、積立金は増え続けるのだから、取り崩したところで問題が起こらないと判断される危険がある。
しかし、仮に上で示したように積立金が将来枯渇するのであれば、問題は大きい。取り崩してしまうと、財政破綻はより早い時点で起こる可能性があるからだ。この点からも、財政検証の楽観的な予測は問題だと言える。
なぜ公的年金が必要なのか?
以上で述べた計算は、「給付は財政検証のとおりに行なう」という前提で計算していることに注意が必要だ。
実際には、このとおりの給付をしなければならない責任は政府にはない。2004年改革の本質は、「保険料を決める」ということなのであって、給付はその範囲で調整できるからだ。「所得代替率50%程度」というのは、そうなるだろうという予測なのであって、約束ではない。
だから、給付を減額して財政収支を均衡させることは可能である。しかも、所得代替率も維持できる。なぜなら、賃金が下がるからだ。つまり、給付を財政検証の額より減額したところで、その時点の賃金との比較で言えば、年金額が少なくなるわけではない。
ではまったく問題がないのかといえば、そんなことはない。
なぜなら、加入者が自分で運用した場合に比べて、収益率が低くなるからだ。そもそも、人口減少社会における賦課方式年金は、本質的にこのような問題を抱えている。
すると、「なぜ強制加入の公的年金が必要なのか?」という疑問が生じるだろう。自分で運用した場合に比べて不利になるにもかかわらず、加入を強制する合理的な理由は見当たらない(現実には、公的年金制度を廃止しようとしても、過去に徴収した保険料を全額返却するだけの積立金が存在しないので、廃止することができない。これが公的年金が存在している身も蓋もない現実的な理由なのであるが、そうした理由で国民を強制できないことは明らかだ)。
これこそが本質的な問いである。日本の公的年金制度は、制度の基幹にかかわる問題を突きつけられているのである。