雑感185 -2002.7.16「酸性雨対策のための欧州レジーム」

リスク解析学会(欧州)に出席のため、2週間雑感の更新を休みます。次回は、8月6日(火)です。

オスロ議定書
 
1994年に採択され、1998年に発効した「硫黄酸化物に関するオスロ議定書」は、酸性雨対策についての欧州が取り組んできた営々たる努力の、大きな一つの成功を意味するだろう。これらは、欧州酸性雨レジームと言われる枠組みの中で、作られてきた。

まず、気の遠くなるような地図を示そう。


図1 限界硫黄沈着量

これを見れば、どんな言葉を尽くすよりも、この議定書に至るまでの地道な努力が分かる。ここで用いられた方法がいいということを言っているわけではない。30近くの国が合意できる方法を用いて、ここまでやってきたという点がいいと思うのである。

限界S(硫黄)沈着

http://www.unece.org/env/lrtap/protocol/94sulp_a/annex1.htm
図1は、欧州全域でgrid毎に算定されたSの限界沈着量(critical deposition load)である。単位は、1平方米当たりの1年間のS沈着重量の5パーセンタイル値で、単位はセンチグラム(100mg)。

これは、そのgridの中の保全すべきreceptorにとってのSの限界沈着量を求め、その5%タイル値をとったものである。つまり、そのgrid内のreceptorの最も敏感な5%については、無視する。Receptorとは、人間、生物、資源などである。ドイツの場合、国土の30%程度では、針葉樹や落葉樹などの樹木がreceptorに選ばれている。
 
この地図は、手書きで描き写したので、それほど正確ではない。左が北らしい。左にイギリスがあり、右下はアフリカ大陸である。元の文献には、すべてのgridに数字が入っていたが、ここでは、余りにも大変なので、1つおき程度に埋めた。

左上方のノルウェーや、スウェーデンでは数字が小さい。他方、ギリシャの辺りは、四桁の大きな数字が並ぶ。北欧の植物や湖が酸に弱いのに対し、ギリシャでは、植物も強いのか、或いは、保全すべき植物がないのか、どちらかである。

削減目標
 
まず、限界S沈着量(5パーセンタイル値)を求める。

つぎに、現状のgrid毎のloadを求める。

そして、その差から削減すべきS量を求める。
 (削減すべきS沈着量)=(現象のS沈着負荷) ― (5パーセンタイル限界S沈着量)

削減すべきS沈着量の60%削減が、当面の目標となる。

source-receptor model

そのつぎに、source-receptor modelを用いて、あるgridのSを減らすには、何処の国のどういう活動のSを減らせばいいかを解析する。ここに、すべての国が認めるmodelが使われている。

このmodelにすべての加盟国が合意したことが、すべての出発点だったと言われている。さらに、そこに費用対効果解析が入り、国毎の削減率が決められた。

(source-receptor modelとは、どこの排出が、どこの濃度にどのくらい影響を与えるかを推定するmodel:この方法は、わが研究室がしつこく取り組んでいる、発生源解析と似た考え方である。ただ、我々の研究室は、発生源情報がない場合の推定法に取り組んでいるので、それだけ難しい)。
 
その結果、国毎の削減率は、表1に示すようになった。一部カナダが含まれる。カナダのSOMAと書かれた区域が、この議定書の範囲である。

表1. 硫黄(S)排出量上限値と削減率http://www.unece.org/env/lrtap/protocol/94sulp_a/annex2.htm

 

Emission levels kt SO
2 per year
1980 1990
Sulphur emission
ceilings
a
kt SO
2 per year
2000 2005 2010
Percentage
emission
reductions (base year 1980)
b
2000 2005 2010
オーストリア
397 90
78
80
ベラルーシ
740
456 400 370
38 46 50
ベルギー
828 443
248 232 215
70 72 74
ブルガリア
2 050 2 020
1375 1 230 1 127
33 40 45
カナダ
- national
- SOMA
4 614 3 700
3 245
3 200
1 750
30
46
クロアチア
150 160
133 125 117
11 17 22
チェコ
2 257 1 876
1 128 902 632
50 60 7
デンマーク
451 180
90
80
フィンランド
584 260
116
80
フランス
3 348 1 202
868 770 737
74 77 78
ドイツ
7 494 5 803
1 300 990
83 87
ギリシャ
400 510
595 580 570
0 3 4
ハンガリー
1 632 1 010
898 816 653
45 50 60
アイルランド
222 168
155
30
イタリア
3 800
1 330 1 042
65 73
リヒテンシュタイン
0.4 0.1
0.1
75
ルクセンブルグ
24
10
58
オランダ
466 207
106
77
ノルウェー
142 54
34
76
ポーランド
4 100 3 210
2 583 2 173 1 397
37 47 66
ポルトガル
266 284
304 294
0 3
ロシア
7 161 4 460
4 440 4 297 4 297
38 40 40
スロバキア
843 539
337 295 240
60 65 72
スロベニア
235 195
130 94 71
45 60 70
スペイン
3 319 2 316
2 143
35
スウェーデン
507 130
100
80
スイス
126 62
60
52
ウクライナ
3 850
2 310
40
イギリス
4 898 3 780
2 449 1 470 980
50 70 80
EC
25 513
9 598
62

署名と批准の状況
 
批准の状況を、表2に示す。米国の署名、批准が何故必要かは、分からない。
http://www.unece.org/env/lrtap/protocol/94s_st.htm

  Signature Ratification*
アルメニア    
オーストリア 14.6.1994  27.8.1998 (R)
ベラルーシ    
ベルギー 14.6.1994 (1) 31.10.2000 (R)
ボスニア・ヘルツェゴビナ    
ブルガリア 14.6.1994  
カナダ 14.6.1994 8.7.1997(R)
クロアチア 14.6.1994  27.4.1999 (At)
キプロス    
チェコ 14.6.1994 19.6.1997(R)
デンマーク 14.6.1994 25.8.1997 (Ap)(6)
フィンランド 14.6.1994  8.6.1998 (At)
フランス 14.6.1994 12.6.1997(Ap)
ドイツ 14.6.1994 3.6.1998(R
ギリシャ 14.6.1994 24.2.1998(R)
ローマ法王庁    
ハンガリー 9.12.1994 11.3.2002 (R)
アイスランド    
アイルランド 17.10.1994 4.9.1998 (R
イタリア 14.6.1994  14.9.1998 (R)
ラトビア    
リヒテンシュタイン 14.6.1994 27.8.1997 (At)
リトアニア    
ルクセンブルグ 14.6.1994 14.6.1996 (R)
マルタ    
モナコ   9.4.2002(Ac)
オランダ (3) 14.6.1994 30.5.1995 (At)(2)
ノルウェイ 14.6.1994 3.7.1995 (R)
ポーランド 14.6.1994  
ポルトガル    
モルドバ    
ルーマニア    
ロシア 14.6.1994  
サンマリノ    
スロバキア 14.6.1994 1.4.1998 (R)
スロベニア 14.6.1994  7.5.1998 (R)
スペイン 14.6.1994 7.8.1997(R)
スウェーデン 14.6.1994 19.7.1995  (R)
スイス 14.6.1994 23.1.1998  (R)
トルコ    
ウクライナ  14.6.1994  
イギリス 14.6.1994 17.12.1996  (R)
アメリカ    
ユーゴスラビア    
EC 14.6.1994  24.4.1998 (Ac)(2)
Total: 28 25

欧州レジームは、科学と政治の統合に成功した例だとしばしば評価されている。
現に、1980年代後半まで、欧州におけるSO2削減は進んでいなかったが、1990年代になって飛躍的な削減が進み始めた。しかし、まだ、一人あたりの排出量では、日本が先進国の中で最も低い。(http://www.unece.org/

 


雑感184 -2002.7.8「SPEED'98、事実上自己崩壊か?」

オクチルフェノール(安井さんと食事をして)

6月15日の各紙は、“「4−オクチルフェノール」環境ホルモンと確認”というようなかなり大きな見出しの報道を行った。内容は、メダカに精巣卵ができる(雄の精巣に卵が形成される)。さらに濃度が高くなると雌の産卵数が減少し、卵の受精率が下がるというものだった。
 
オクチルフェノールは、ノニルフェノールとそっくりの構造をしている物質であるし、エストロゲン類似作用はあるから、当然の結果ではあるが、その現象がかなり高い濃度で見付かっており、これが「ノニルフェノールに続き、世界で二番目の報告」というのも、何か滑稽だなという思いで読み、気にもしていなかった。
 
(この問題点については、すでにノニルフェノールの際に述べているので、それを参照していただきたい。(ここにlink))
 
ところが、数日後国環研の中杉修身さん、東大の安井至さんと食事をしながら、雑談をしていたとき、安井さんが、あの新聞報道はおかしいと言い出した。あの研究会の報告の主要な部分は、オクチルフェノールにエストロゲン活性があるということではなく、SPEED’98に掲げられた多くの可塑剤が、内分泌攪乱作用がなかったということの方だという。

報道発表資料(http://www.env.go.jp/press/

私は、全く気がついていなかったのだが、帰宅後、環境省の報道発表資料を見ると、なるほど、安井さんの言う通りで、驚いた。こういう報道でいいのかと考え込んでしまった。

SPEED’98にlistupされた物質について、これまでの環境省の発表結果を表にまとめた。


環境省の報道発表資料をまとめると、以下のようになる。

@ フタル酸ジアルキル類の可塑剤を主にする10物質について、人への影響を知るための、げっし動物の実験では、「低用量での明らかな内分泌攪乱物質攪乱作用は認められなかった」。黄色の欄に示された10物質である。

A メダカの実験では、10物質(@に示す10物質と完全には一致しない。これも、黄色の欄)について、4−オクチルフェノールについて、精巣卵の形成あり、5物質について頻度が低いが、精巣卵ができることがある(精巣卵(低)と書いた)、4物質について、「明らかな内分泌攪乱作用は認められなかった」(なしと書いた)。

B @の物質については、一般毒性はあるものがある。

結局、SPEED’98は瓦解した

一般毒性があるかもしれないのは当然で、これは別途検討されるべきである。ただ、これはSPEED’98とは関係ないから、内分泌攪乱物質攪乱性を根拠にした、ひとへの影響を否定できない物質は、いくつも残っていないことが分かる。

農薬とPOPs的な物質を除けば、ビスフェノールAしかない。これも、それほど深刻とは考えにくいから、人への影響を予測させる物質はゼロということになる。

つぎは、メダカへの影響だが、一番大きいのがノニルフェノール、そして、さらにその下がオクチルフェノール。それも、すでに私の過去の雑感で何回か書いたように、全く関係がないとは言えないが、いずれも、人起源の女性ホルモンの影響が圧倒的に大きいだろうから、それらと並んで議論されるべきである。残るは、トリブチルスズですか。

この表を見ると、今回の発表で、SPEED’98の枠組みは殆ど、崩れてしまったことが分かる。今回の環境省発表は、事実上、SPEED’98が引き起こした環境ホルモン問題の終焉を意味するものだったのである。

あの枕詞は明日から使えない

よく見ると、このリストの中に、フタル酸エステル類が如何に多かったかに、あらためて驚く。

微量のフタル酸エステル類が水系で検出される度に、「微量でも影響がある疑いがあるとして環境省が選んだ67物質」とか「生殖機能障害や悪性腫瘍を引き起こす畏れのある内分泌攪乱物質」などという枕詞付きで、報道されてきたのだから、ひどいものだと思う。

明日から、新聞やTVは、こういう枕詞をつけてはいけないということを、理解しているだろうか?学者の世界では、環境ホルモン問題からの遁走が始まっているという。


雑感183 -2002.7.1「昔のお米」

昔のお米と稲藁のダイオキシン
 
農薬にダイオキシンが多く含まれていた頃のお米や稲藁中のダイオキシンの量は、どのくらいだったのだろうか?このことに我々は強い関心を持っていた。
 
その理由は、水田に散布された除草剤中のダイオキシンが、米や稲藁(牛乳など)を通して、人に摂取されるルートの寄与がどのくらい大きいかを知りたかったからである。特に、稲藁経由の寄与が大きいことを思わせる事実があり、それを確かめたかった。

稲藁経由が大きいのではと、我々が考えたのは、厚生省のtotal diet studyで、1977年、1982年、1988年の、日本人のダイオキシン摂取量の内、肉類や乳製品経由の比率がかなり高いという事実があったからである。


 
そこで、古い畳を探し、その中から稲藁と米粒を拾い出し、ダイオキシンの濃度と異性体分布、さらには農薬を分析して、その影響を推定した。
 
結論的に言えば、このデータで見る限り、米も稲藁もダイオキシン摂取のルートとしては大きくなかった。

畳からの試料採取
 
試料を採取したのは、1999年5月10日。畳屋さんの家の畳と、畳替えについて記録のあるA邸の畳をほぐした。A邸も、同じ畳屋で畳を替えており、つい最近までこの畳屋では、自分の田の稲藁を使っていた。つまり、すべて同じ田の稲である。

ここに二枚の写真を掲載。1枚目で後ろに立っていて、マスクをつけているのが中西、その隣でメモをとっているのが八十田である。二枚目の写真は、稲藁の間から実の付いた稲の穂が見付かったところであるこのようにして、稲藁と米を集めた。

採取したのは1954年分、1962年分、1970年分、1874年分、1981年分である。これに、直接採取された2000年の試料を加えて分析を行った。
 
稲藁の採取は容易だったが、米粒の採取は、古い年代では分析に供するほど採取できなかった。最近になると、実の付いた稲穂がたくさん見付かるのだが、古いのはそうはいかなかった。その当時は、一粒でも無駄にしなかったのだと思う。したがって、玄米の分析は1970年以降だけになった。

米と稲藁中のダイオキシン濃度(PCDD/DFs)の経年変化
 
PCDD/DFs(ダイオキシンとジベンゾフランの総量についての)のTEQ(毒性換算量)の経年変化を、図2に示す。単位は、pg/g(乾燥重)である。


 
この結果から、藁先、藁の根元、籾殻はほぼ同じ濃度とみることができる。これらに比べ、玄米は明らかに低い。

*ここで籾殻、玄米、籾とあるが、採取試料の量が少なかったので、玄米と籾殻を分けずに分析した試料を籾と表示した。以下同様。
 
全体としては、1960年代のはじめ頃は低く、その後高くなり、1970年代のはじめにピークがあったかと思わせるが、データが少なくて本当にこのあたりがピークか否かははっきりしない。いずれにしろ、1980年代まで中ぐらいの高さが続き、いつ頃からか不明だが、2000年にはかなり下がっているという状況が読める。

つぎに、co-PCBの経年変化を図3に示す。co-PCBの起源が何であるかは、はっきりしない。



いずれにしろ、このPCDD/DFsの濃度であるとすれば、1970〜80年代のTotal Diet Studyの肉、乳製品寄与の数%しか説明できない。では、どのようにして、肉や乳製品に入ったのかについての疑問は残るが、ここでは主題ではないので、考えないことにする。

稲中の農薬濃度の経年変化

では、この稲藁中ダイオキシン類の起源は、本当に農薬か?
 
亀田豊(益永研究室PD)は、83異性体分析の結果を、重回帰分析手法で解析し、そのCNPやPCPの寄与率を推定している(亀田のページへのLINK)。その限りでは、稲藁中ダイオキシンの汚染源は農薬であるという結果が出ている。ただ、もう少し詳しい解析が行われるようなので、それを待つことにしよう。
 
つぎに、稲中のDDT、PCP(ペンタクロロフェノール:水田除草剤、ダイオキシン不純物が含まれていた)やCNP(クロロニトロフェン:水田除草剤、ダイオキシン不純物が含まれていた)濃度の経年変化について考察したい。
 
図4,図5,図6に稲中のDDT、PCP、CNPの濃度の経年変化と、国内消費量の経年変化を示した。


 
DDTは、直接畳に撒いたり、家の中で撒いたりしているので、このDDTが農薬由来であるという証拠にはならない。
とりあえず、PCPとCNPの結果をみてみよう。
 
図5を見て、まず気のつくことは玄米中の濃度が、藁中の濃度とほぼ同じであることである。それに引き換え、CNPでは米中の濃度が低い。
 
全体にばらつきも大きく、定量的な評価は難しいが、CNP農薬の高いところで、ダイオキシンも高いという関係はよみとれる。 
 
試料の量が少ないこと、一軒の試料であることから、余り確実なことは結論できなかった。言えることは、明らかにPCPとCNPが使われて作られた米、稲藁で一定量のダイオキシン有害成分が検出されたこと。ダイオキシン類の量は、農薬の濃度が高い年代で高いこと。

しかし、今回の試料では、1970年代の日本人が摂取した肉、乳・乳製品経由のダイオキシンの主たるものが、農薬起源であるという最初の仮説は否定された。

この水田で、どの程度PCPやCNPが使われたかはっきりしない。他では、もっと使われたかもしれない。その場合、稲藁経由の寄与も大きくなる可能性がないわけではない。

それを、調べるには、稲藁中のCNPとPCPを調べ(これは、ダイオキシンを分析するよりずっと容易)、ここで調べた比率をかければ、どの程度寄与が大きかったが分かる。


雑感182 -2002.6.17「『東海道 水の旅』重版!」

「夏の課外授業」
 
岩波ジュニア新書「東海道 水の旅」を出したのは1991年。5版まで印刷されたが、その後、再版が止まっていたが、今回久しぶりという感じで、重版された。6版目。「夏の課外授業」という帯がついた。

これは、東海道新幹線に乗って、見える風景から、水にまつわる話を書いたもので、7:00に東京駅を出て、7:50 新富士駅などとなっていて、時刻を確認しながら風景を見れば、様々なことが見えてくるという趣向になっている。
 
尤も、新幹線は速いので、現実には、丁度その風景を捉えることは難しい。
 
それに、書いた当時より新幹線が速くなっていて、時間は、ずれてしまっている。
話はそれるが、最近の新幹線「のぞみ」は、速くて快適ですね。騒音問題はclearできたのか、気にはなりますが。

若い生態学者の声
 
去年の4月、シンポジウムでの講演の後、一人の若い研究者が近寄ってきて、“「東海道 水の旅」を高校の時、読みました“、と声をかけてきた。

「なかなか確認は出来ないでしょう?」と聞くと、「本と首っ引きで風景を見ました。ああいう読み物を書く方が、リスクの研究をしてくれるのは、本当にうれしいです」と言っていた。植物生態学の研究者とのこと。私も、とてもうれしかった。
 
確か、浜松市の小学校6年生が、この本を読んで、自分の町の水を調べ、感想を書いて、賞を受けたということもあった。
 
どこに行っても、「本を読んでいます」という方に会う。必ずしも、「東海道」ではなく、下水道に関する本であったり、「水の環境戦略」であったりするのだが、その影響は大きいなとつくづく思う。特に、霞ヶ関の役人の中には、読んでいる人が多く、彼らが若いときに読んでいるだけに、やはり影響が大きいなとつくづく、本を書けることを有り難く思うことがある。

相模川の小ささ
 
東京を出て直ぐですが、相模川を渡ります。相模川は、神奈川県の水を一手に引き受ける川ですが、この川の小ささには驚きます。この小さな川が、横浜、川崎、湘南地方の水資源かと、驚くのです。小さいが、保水力のある川。
 
ずっと、西に下って、大井川。かつて、越すに越されぬ大井川と言われた川に、ほとんど水がありません。水がない理由は、発電などに水が使われてしまい、別のところに流れていってしまうからです。

この本を書いた当時、戴いた感想の中で、かなり多くの方が共通に述べていたことの一つに、こういうのがありました。「川に水がないのは、木を伐ったせいだと思っていました。まさか、どこかに水をもっていって使うので、水がなくなるとは思ってもいませんでした」というものです。私としては、「皆は、こう思っているのかと」教えられた次第です。

富士
 
東京駅から、40分くらいで通過する富士は、私にとって、研究のhomegroundの一つです。ここで、パルプ工業が排出する汚水と格闘し、環境問題を勉強しました。背景となる自然が大きかったことが、私をして環境科学者として成長させてくれたと思っています。富士山から流れる壮大な水の流れ、それが取水で一挙になくなってしまう風景は、今も目に焼き付いています。

三川合流
 
悠々たる木曽川、揖斐川、長良川をわたって新幹線が進むのも、うれしいものです。
そして、桂川、宇治川、木津川が一本の河川(淀川)になっていくところ、三川合流地点を見ることができるのも感激です。この三つの川の重要性を言う必要もないでしょう。こういう様を、新幹線から見ることができるわけです。
 
でも、三川合流地点も、注意深く見ないと見えません。
本当は、上りの新幹線の方がよく見えます。特に、Green車の二階席の山側席に座るといいです。新幹線に乗ったときは、音楽を聴きながら、外を見ることをお勧めします。

付録
 
付録として、東京から北へ、常磐線で土浦までを書きました。ここに、東京の水問題の一つがあるからです。
どうぞ、この本を読み、新幹線に乗ってください。

来週は、本欄の更新はお休みです。


雑感181 -2002.6.10「協和香料事件について」

6月5日の異様な紙面

6月5日の各新聞は、トップで、サッカーW杯での始めての勝ち点獲得を、喜びで報じた。朝日新聞の見出しは、「日本引き分け 勝ち点1」だった。

その同じ新聞の社会面の下には、多くの食品企業の「お詫びとお知らせ」が並んだ。こんなの見たことがないというような並びようであった。朝日新聞には21社が並んだ。

協和香料化学の香料にアセトアルデヒド、イソプロパノール、ヒマシ油など無許可の物質が使われていたことが判明し、各社で製造している食品に、その香料が使われていたことへのお詫びと、それらを回収しますというお知らせである。
 
膨大な量の回収だが、随分もったいない話である。アセトアルデヒドなどが、香料に含まれている程度で有害である筈がないからである。

消費者重視

勿論、無許可品を使っていたことは、企業に責任がある。また、例えアセトアルデヒドが毒性の点で問題がないとしても、このようなことを許せば何が入っているか保証できないから、これを処罰するのも分かる。しかし、余りにも形式に過ぎた論調と反応にうんざりするのである。

6月6日の朝日新聞では、「消費者重視をつらぬけ 食の安全」という社説を掲げている。その他の新聞も、ほぼ同じ趣旨のことを書いている。BSE(狂牛病)以後、「消費者重視」は決まり文句になっていて、テレビのコメンテーターなども、ひたすらこれを繰り返している。
 
そして、BSE事件を教訓にして、行政機関内に作られる食品リスク評価機関が、消費者の利益を代表できるかをも問題にしている。どの新聞も、どのTVも、どの評論家も同じことしか言わない。もう少し、個別の問題を掘り下げることができないものだろうか?

不作為の罪
 
まず、協和香料問題では、ここで問題になっている物質は、香料で使われるような量では、有害でも何でもないということである。しかし、わが国では、許可されていないという。何故だろうか?

もし、これが有用な物質ならば、そして、使い方からしてリスクが小さいならば、許可すべきではないのか?問題がないにも拘わらず、許可しないことの責任はないのかということである。これも、行政の「不作為」でないのだろうか?
 
わが国では、こういうことが実に多いと聞く。厚生省の管轄の許可業務で、過剰な安全性を求める余り、様々な物質が使用できない状態になっている。また、副作用を懼れる余り、有効な薬剤を認可しないとか、安全性審査に時間をかけすぎて、いつまでも使えないとか。

例えば、リュウマチの治療薬も、痛みを抑える有効な薬が使えず、そのために患者は効き目の低い治療薬を、何年も何年も服用させられ、痛みに苦しみ続けるのだという話を聞いたことがある。外国では、すでに数年前から、痛みを和らげる薬が使われていて、非常に有効だと言う。BSE問題後の化粧品の回収も、度を超している。

PCBの処理について、旧厚生省(現環境省)が出している規制も、ともかく規制を厳しくしなければならない一本槍で、余りにも無駄なことが多い。資源の無駄遣いとしか思えないような規制を作っている。

その動機が、「規制を緩くした」と責任を追及されたら大変だということだと、委員の人が言っている。委員が言っても、役所の側が聞く耳をもたないという。安全性確保の一方で、資源を使いすぎてはいけないとか、費用をかけすぎてはいけないという、もう一つの対立する規範がないから、役人の責任逃れから、厳しくなる一方である。

アセトアルデヒドの不許可も、許可しなかったとき、許可が遅れたとき、どのような問題があるか、それは、誰の責任かを問わず、ただ、安全だけが第一と考えるから、今回のような無駄な回収が起きるのではなかろうか?

企業のハザード主義
 
もう一方で、企業も、正々堂々と主張しないことに、あきれてしまう。それが有効で、しかも、その量でリスクが僅少なら、許可するようにと、もっと大きな声を挙げればいいではないか。しかし、企業も、それができない。何故か?通常、「合成XXは使っていません」などの、表示で売っているからである。
 
本来、リスクを評価し、それを基に判断し、それで皆に宣伝すればいい。行政が規制をする時、或いは、何かばれた時は、「リスク評価に基づくべき」と企業は言う。しかし、自分の商品を売るときは、「リスクが小さい」とは言わず、「xxを使っていません」と言う。

リスクはどこかに捨ててしまって、ハザード主義(物質には、安全な物質と危険な物質があり、それらは、二分されていて、我々は、危険な物質は使いませんという考え方)になる。そして、他の商品を切り捨て、自分の商品の優位性を訴え、売るのである。

無鉛ハンダ
 
一番良い例が、鉛を含まないハンダの話である。欧州から始まった、無鉛ハンダは、日本にも波及し、新聞広告にもしばしば現れる。では、鉛を使わずに何を使うのか?ビスマスである。しかし、企業の担当者は、ビスマスがいいとは誰も考えてはいないと思う。それでも、「無鉛」だから、安全です、地球環境にやさしいですということで、商品を売るのである。
 
行政も、企業も、リスクを考え、リスク管理に徹するという立場をとるべきだ。でないと、膨大な資源の無駄使いになる。ハザード主義は、如何にも安全重視に見えるが、決して本当の意味でのリスク削減にはつながらない。そのつけは、結局、消費者か、未来の消費者が払うのである。
 
新聞も、識者も、表面だけ見て、「消費者重視」などと評価してはいけないと思う。

リスク評価機関の末路

BSEに関連して、リスク評価機関を作るという。一体、この機関は何をするのだろう?

政府や、新聞の論調を見ると、リスク評価をし、「リスクがない」ということを言うことが求められているように思う。まかり間違っても、「リスクが1億分の1程度あるが、これで我慢すべし」と言うことは許されていないような雰囲気である。

とすれば、このリスク評価機関は、常に「安全です」と言うことを求められるか、今の厚生労働省と同じで、「少しでもリスクがあるから駄目」ということを言うか、そのどちらかになる。
 
こういうことを宿命づけられたリスク評価機関の末路がどういうものか。哀れである。


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