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中国台頭 東アジア「共異体」と呼ぼう

小倉 紀蔵(おぐら きぞう) 京都大大学院准教授(韓国哲学)

2010年04月21日

 東アジアをどう見るのか。

 「2010年問題」という観点から考えてみよう。それは今年が、(1)中国のGDP(国内総生産)がおそらく日本を抜き、世界第2位、アジア第1位になる年であり、(2)韓国併合、つまり大日本帝国が大韓帝国を併合してから100年の年であることである。そしてこのふたつは実はリンクしているのである。

 というのは、これらは「東アジアの正常化」を意味しているのだ。中国がアジアのナンバーワンであることは、近代以前の姿を考えれば正常状態である。ということは日本がアジアのナンバーワンであった近代こそ、異常な時代であったわけだ。近代はまた、戦争と植民地支配の時代でもあった。だから朝鮮に対する植民地支配という異常な事態から100年後に、これを真に清算することが日本人に求められていることを意味している(その対象はもちろん北朝鮮を含んでいる)。このどちらも、東アジアが「正常」状態に戻ることなのである。

 だが同時に、21世紀は世界史的な視野でいえば「異常化の時代」である。それはおそらく東アジアが世界のセンターに浮上するであろうという意味で異常なのである。

 このような時代にこそ、中国認識の重要性が増すだろう。この「正常化」と「異常化」が、端的に「中国中心の世界」を意味するだけなのであれば、21世紀は20世紀に劣らず混迷の時代となるに違いないからだ。

 2日に開かれた第11回朝日アジアフェロー・フォーラム「ライズ・オブ・チャイナ」では、国分良成・慶応大教授が「G7・G8からいきなり米中のG2に移行することの是非」を説いた。また王敏・法政大教授は「GDPだけでは大国ではない」として、文化の役割の重要性を説いた。どちらも大変興味深い議論だった。

 私としては、次のことを指摘したいと思う。まず現状として、東アジアが急速にハイブリッド(異種混淆)化していること。韓国製の電気製品でも、中身の部品は日本製が多く使われている。日本人の身体の多くの部分は今や中国など東アジア産の農産物でつくられている。文化を通した感性や認識は、すでに国境を超えている。

 このように、実態においてハイブリッド化し近似化していく状況で、もし理念的な「東アジア共同体」を唱えるのなら、むしろそれは「同一性の強要」ではなく、逆にわれわれはすべて異なる存在である、という観点からなされるべきだろう。他者との混合化・同質化を恐れる人たちを尊重しなくてはならないからだ。前近代の中華システムは、人間性に対する規定の同一性(儒教)によって構築された。だが新しい東アジアは、「共に」「同じ」という価値観ではなく、「共に」「異なる」ということをどう認めあうか、という思想に基づかねばならない。その意味で、それを「共異体」と呼んでもよいと私は思うのである。