子どもの前では、あくまで教師なんです。そこに序列はない方がいい。自然発生的にチームリーダーが出てきますから。それはベテラン教師であることが多いから、給与も年功序列が適当でしょう。
杉山さんはアウトローじゃない
―― 歳をとれば、努力しなくても給料が上がるシステム。
僕らは大学で単位を修めて、教育実習もやって、それで教員資格を得てもなお、教員の「空き」がなければ教壇には立てないんです。ある種の「専門職」ですよ。なのに、箸の上げ下ろしみたいな事細かなところまで、どうして管理されなくてはいけないの。それも、授業の具体的な進め方とかまで。管理的側面を強める必要はないですよ。
主任制度なんてまだきちんと機能していなかった頃の学校で学んだ杉山さんは、じゃあ社会において今アウトロー的な存在になっていますか? お見受けしたところ、そんなことはない。主任なんかなくても問題ないという証なんですよ。あなたは。
―― 今、私は褒められているんでしょうか…。
記者さんだって一緒でしょ。職場の上司から管理、指導なんてない方がいい。
―― どうでしょう。デスクから管理・指導されながら、部下の記者が育つのはよくあることです。
社会科の校長や教頭が、専門性の高い音楽の先生を、どうやって指導できます? 数学の先生を管理できますか。本来なら、同じ教科の先生たちが自主的に集まって、皆で学び合った方がいいに決まっている。まあ「なべぶた式」で、校長1人が管理するくらいはいいですが。
授業を5分短縮するのは誰のため?
―― 指揮命令など学校内でガバナンスが利いていないと、そのしわ寄せは時に生徒に及びます。実際、組合の運動方針の影響で、50分が標準の中学校の授業時間が45分、場合によっては40分に短縮になっている例もあります。現実として。
テレビだって、民法ならコマーシャルが15分ごとに入っているでしょう。集中力というものは、そう長続きしないってことですよ、大人だって。子どもならなおさらじゃないですか。
―― 確かに、授業1コマの時間を短くするのは問題ありませんが、その分、年間全体のコマ数を増やすことが学校教育法施行規則に定められています。例えば中学の標準は50分授業を年間に980コマ行うことになっています。
「標準服」って言葉があるでしょう。標準なんですよ。幅があってもいいんですよ、教育の現場には。