「ニュー・メタフィジックス」(new Meta-Physics)
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第5章 輪廻転生 [過去、現在、そして未来
(Reincarnation[Past、Present、&Future])
第1節
それでは続けましょう。この章では、皆さんの惑星状で多くの人が長い間思案してきた、
輪廻転生と呼ばれる概念、すなわち、過去世、現在そして未来世について話をしましょう。
このテーマに関して、私達がわざわざ宗教とは別の章を設けること気が付いてください。
地球上でいくつかの宗教が輪廻転生という観念を主張しているにも関わらず、それでも、通常は、
特別な観念や宗教的なシステムを創り出す時に、どういうわけか、その元となる観念体系の
外に置かれてしまうと言っていいでしょう。
輪廻転生という考え方は、性格構造の観念の中だけに限られたものではありません。これは、
物理的現実以前、もしくは外に存在するものなのです。簡単に言えば、皆さんが肉体を持った人生の中で
輪廻転生を信じる、信じないに関わらず、皆さんは今まで難易も輪廻転生を繰り返してきましたし、
これからも繰り返していきます。これは、皆さんの高次意識、そして非物理的意識の中のひとつの
知っている状態から来る特性なのです。非物理次元に対応して創られた、物理時限の構造の一部なのです。
ここで輪廻転生が、皆さんの連続した物理的時間の流れ(皆さんは物事は始まり、途中、
そして終わりがあるという物理的時間の流れの中にいます)の上に成り立っていることを指摘させてください。
皆さんが使っている輪廻転生という言葉それ自他の中にも、連続的な性質が反映されています。
すなわち、輪廻転生とは以前に生を受け、そして転生して現在も生を受け、さらに再び生を受けることが
可能だということを示唆しています。
時間をあまり考えいれる必要のない非物理次元の観点から見ると、過去、現在そして未来は、
すべて同じものとして捉えられます。皆さんが過去に生きた人生、現在の人生、そして未来に生きる人生、
これらすべてが同時に起きているように見えます。皆さんの人生は重なり合っているのです。
ちょうど映画のフィルムを想像するとわかりやすいでしょう。フィルムのひとコマひとコマは、
他のコマから互いに分離していて、一つ前のコマとも一つ後のコマとも何も関係がありません。
しかし、フィルムのコマのひとつひとつの中にいれば、自分以外のコマにはまったく気が付かない
にもかかわらず、外から見れば、フィルム全体が同時に存在していることは一目瞭然です。
皆さんは毎瞬毎瞬、ちょうど映写機から光を放ち、ある特定のコマにその光を当てているようなものです。
この光を、皆さんの高次意識だと思っていいでしょう。映写機はその瞬間に光を当てている、
ある特定のコマにフォーカスしていることになります。東洋に、皆さんの個々の人生をフィルム
全体だと見ることが出来ます。高次意識は、そのフィルム全体が常に存在していることを知っています。
しかし、物理的現実の中では、皆さんはひとコマひとコマの自分になりきっています。
そして現在以前のコマや次に出てくるコマとの直接的なつながりに気づいていません。
このようにして、皆さんが過去世、現在そして未来世という概念を創り出していることがわかるでしょう。
皆さんはオーバー・ソウルとしてたくさんの過去世をもっています。そして、時には、たくさんの
未来世をもっています。現在のような変革の時期には、地球上でのみ来世はだんだん少なくなっています。
なぜならば、次第に未来世の必要性がなくなってているからです。生まれ変わる必要が段々
減ってきているということです。しかし、全体的な輪廻転生のサイクルの観点からすると、
皆さんは常にたくさんの未来世を持てる機会があったと言えます。
それとは別に皆さんは、複数の現世も持っています。どの時点においても、皆さんはたくさんの
人生を生きています。皆さんの言葉で言うオーバー・ソウル全体における片寄りが、単に時間枠の
中に存在しています。すべての過去世と未来世に加えて、どの人生においても、皆さんは同時に
多数の人生を生きています。更に、異なる時間の流れに支配される、平行した別次元での人生も
同時に体験しています。これは物理的現実の中に限って見ても、皆さんは多次元的な存在であるということです。
皆さんはたくさんの異なる時間の流れと、たくさんの異なる人生を生きているのです。
皆さんの目から見て、どの人生を生きるか、複数の人生を生きるのか、または入れんの人生を
続けて体験するのか、ということに関連してカルマという考え方が出てきます。
ここで理解してほしいのはも、輪廻転生が現実に存在するという見方をしている宗教でさえ、
人生は連続しているものと仮定しています。これは皆さんの高次意識から見た輪廻転生の捉え方、
かすなわち、すべての人生は同時に起きているという基本的な見方とは異なります。
そして、一般的にこれらの宗教は、物理的次元での人生において何か学ぶ必要が有るために
人生を何回も繰り返させるカルマが存在し、これはあなたの外に存在する「より高いところにある権威者」から
定められたものだという見方をします。
物理次元の人生をどこで選択するかということに関して言えば、自分の外というものは存在しません。
ある意味では、自分以外の「より高いところにいる権威者」というものも存在しません。
カルマとは、完全に自分で自分に課すものなのです。そして、それは審判されるかどうかという
問題ではありません。単なる選択に過ぎません。皆さんのオーバーソウルが、物理的現実の中で成長と
バランスを体験するため、自分自身に対して創り上げたあるひとつの道なのです。そして、この道を
満足させるための必要な体験を選択します。このように、カルマは外から課せられたものではありません。
この物理次元での「性格」の部分に対する審判でもありません。ただ単に、物理次元での性格の
バランスを取ることによって、オーバーソールが、大いなる全てよりつながっている存在としての
自分自身を探求するための、オーバーソウル自身が選択したものです。
このように、地球では、皆さんは自分自身に、予め定まっていることと選択の自由との両方を実践する機会を、
同時に与えられています。物理次元における性格に関しては、皆さんはある程度選択の自由を持っています。
皆さんから見てすでに決定されていると見えるものは、オーバーソウルのレベルで選択の自由が
行使されているだけです。これが、物理次元の性格にとっては、神の決定に見えたり運命と
映ったりします。皆さんが体験する大いなるものはオーバーソウルによって決定されていると言っていいでしょう。
オーバーソウルのレベルで、皆さんがひとつの人格とて体験する出来事を創造しているのです。
オーバーソウルが物理次元の性格に体験させようと選択肢ものを、皆さんは体験します。
しかし、これらをいかなる方法で体験するかは、物理次元の性格が持つ自由意志に委ねられていることがわかった時、
選択の自由というものを使い始めることができます。例えば、オーバーソウルが、自分の成長のために
あなたに廊下を歩かせることを決めたとしましょう。あなたがその廊下を歩くことは決まりました。
しかし、どのように歩くか、どれだけの時間をかけるか、または、壁を歩いていくのか、床を歩いていくのか、
天井を歩くのか、飛ぶのか、浮かんでいくのか、後ろ向きに這っていくのか、肯定的に行くのか、
否定的に行くのか、ということは、物理次元の自由選択に任せています。でも、あなたがその廊下を
歩くことには変わりがありません。
この、皆さんのオーバーソウルとの契約を一時的に避ける方法がひとつあります。それは、皆さんが自殺と呼んでいる方法です。
一度肉体から出ると自分自身に定めた契約を完結していないことに気づきます。そして、
最初にその自殺という考え方を選択することを自分に許すために必要となった出来事と類似した出来事
すへてを、再び見せてくれるような次の人生に生まれ変わります。別の言い方をすれば、
自殺した人々は、再びある程度同じ「定め」または「問題」を抱えた人生を生きるわけです。
そして、人生の中で起きる出来事すべては、オーバーソウルの成長のために何か肯定的な意味がある
ということを受け入れ、オーバーソウルが選択したことを物理次元の性格の部分に体験させることから逃げたり、
避けようとすることをやめるまでこれが続きます。
つまり自殺はオーバーソウルとの契約違反だと言ってもいいでしょう。そしてある意味で、
物理的現実の中に共に存在する他のすべての人との契約を破棄したことにもなります。少なくとも
まだ周りで生きている人々の側の契約だけでも満足しようと、皆さんのエネルギーの一部が
幽霊と呼ぶものを創り出すこともあります。
いわゆる幽霊がまたは、そのような方のエネルギーが何年もの間うろついていたとします。
しかし、こり「何年もの間」という時間は、ただ単に、大三次元の物理的現実における観点に過ぎないこと
を理解してください。
この時間の冠点を、第四次元における「性格(すなわち、ここで言う幽霊)」が感じることも可能です。
しかし、もう肉体を持っていない四次元の性格の部分にとっては、一般に、時間があまりかからないことを
理解してください。彼らにとっては、そこら辺を長い間うろついているようには感じません。
大四次元で一週間もうろついていると、この物理次元では20年も50年も、もしくは100年以上も
幽霊がうろついているように見えたりします。これは単に、第三密度と第四密度の時間の流れの
受け取り方が異なるからです。
また、すでに生まれ変わってしまった人の過去世からの幽霊がうろついていることも、
稀ではありますが、不可能ではありません。これは、単に異なる時間の流れから来るひとつの例だと見ることで、
理解できるでしょう。
このようにして、皆さんが自分自身の統合の中で融合し始める時、すべてのものは目的を持っていることを
知るでしょう。以前に述べたように、皆さんの本来の姿である大いなる全てからの二万五千年分離の
サイクルを創り出した中、カルマが人を審判にかけるものだと自ら決めたことにも気がつくでしょう。
そして、皆さんは自分自身をこのサイクルの中に維持し、繰り返し浄化する必要があると考えながら、
これを続けています。ある意味では浄化は必要です。しかし、絶対的なものではありません。
カルマは完全に自分が選択したものだとわかればいいだけなのです。すると、肉体を持って
再生するしないに関わらず、自分の望む方法によって、自分自身を拡大し、成長させる機会を常に
許すことができることをがわかります。
オーバーソウルの目から見ると、皆さんの全ての人生は、同時に進行しています。ですから、
問題は皆さんが意識をどの人生にフォーカスするかなのです。
今まで行ってきたすべての分離のために、多くの宗教は長い間、死後の世界についての論争を続けてきました。
何がおきるのか? そして、何が起きないのか? あなたは何を信じるのか? そして、あなたは何を信じないのか?
しかし、殆どの宗教に輪廻転生の考え方が部分的にも含まれているといえるでしょう。そして、
皆さんはすべて、根本的な現実であるこの輪廻転生というプロセスが、実際起きていることに気づいています。
いくつのしゅうょうが輪廻転生を認めています。例えば、キリスト教では輪廻転生を認めていないと
考えるかもしれませんが、実際には認めています。そして、聖書の中にもそれを指摘する言葉が
いくつか存在しています。しかし、それらは誤って解釈されたり、時代の中で失われたり、
もしくは単に除外されれたりして来ました。また、あまりにも誤って伝えたために、
輪廻転生に関連するものだと認識できないような表現になってしまいました。
聖書の中にある言葉のひとつは、「"復讐は我のものなり"と主は言った」と言うものです。
これは皆さんが引用したものです。何を意味しいているかというと、どのような出来事を生きる人生を
選択すかというすべての決断は、非物理的な高次意識の中で決められるということを、
高次の意識である「主」が知っているということなのです。
復讐とは、別に審判という意味ではなく、以前述べたように、単いバランスをとるために必要な
決断という意味です。皆さんの分離した物理次元の制限された観念を通してのみ、人生の中でどのような
体験をするかというオーバーソウルの決断を、復讐という形で見ることができるのです。
皆さんは、過去に霊的なバランスをとることを、何か仕返しがくると解釈していたことがあります。
それは、過去世で否定的な行いを続けていた時に、後の人生で否定的なものが起きるのは当然の
報いだと、皆さんが感じたからです。
「"復讐は我のものなり"と主は言った」という言葉は、輪廻転生の立場から言い直すと、
単に、「どの人生なおいてもバランスをとることに関する決断は、高次意識の中で決定される」となります。
これが、精神世界的なバランスの取れた、そして統合された観点から言い直した表現となります。
このように分離のサイクルの中で皆さんが創造した神秘性の部分を再解釈していくと、多くが、
高次意識が物理次元と関わる上で基本的にどのような役割を果たすかということに関係したもので
あるかということがわかります。そして皆さんが物理次元と日物理次元を統合していくに従って、
これまで聖なる書物として受け入れていたものに対して、一語一句、言葉どおりに従わなければならないという
姿勢が、薄れ始めます。そして、これらの分離さ利他観点の多くが、不要なものとなります。
ある意味では、カルマも次第に減少します。皆さんが転生を通して統合を始めると、この地球の
サイクルの中で生まれ変わる必要が必ずしもないことがわかってきます。そして、カルマという
概念も次第に消滅していきます。すると、皆さんは、単に、非肉体的な存在として残って成長を
続けることも、または異なる世界に再生することもできます。
私達や他の多くの文明も、今まで、皆さんの文明からの存在を受け入れてきました。そして、
皆さんの過去、現在、またはある程度皆さんの未来においても、他の文明から皆さんの文明へと
存在を送り出したり、または変換したりしてきました。
地球上での輪廻転生のように、文明から文明へ、または、ある密度レベルから他の密度レベルへという
形の融合も数多く行われています。もちろん、ともに何回も繰り返し転生することを選択したグループや
集合意識もありますが、そこにも常に新しいメンバーが加わったり古いメンバーが出て行ったり、
このいわゆるメンバー制クラブの中でも、全体としては多くの移動があるのです。
どちらにしても皆さんが地球と呼ぶ惑星にとって、いわゆる「オリジナル(原住民)」な人々は、
誰もいないということわかるでしょう。そして、これらの概念はすべて非物理次元の中で理解されるという
ことを知ってください。
非物理次元の観点から見渡した時、皆さんは、無限の選択があることがわかります。どこで、
いつ、どのようにして、そしてなぜ、皆さんがある特定の物理次元、または日物理次元の密度の中に
自分自身を投影した意見することを選択したか、ということに関してのすべてを、正確に理解できるでしょう。
これらすべてが、皆さんが皆さんの自身を大いなる全てのひとつ、もしくは複数の面、あるいは
全ての側面であると気づくための、無限の方法の中の一手段に過ぎないことに気づいていくでしょう。
それでは、皆さんが過去世と呼ぶものについて話をしましょう。皆さんの惑星上には多くの文明が存在していました。
あるものは歴史の一部として記録に残っていますし、また残されていないものも多数あります。
皆さんは、それらの文明のほとんどを何らかの形で体験しています。それらのひとつひとつの
文明の中においても、体験しえるあらゆる種類の体験和してきました。このように自己探求の方法を通して、
おびただしくバラエティに富んだ創造を選択してきました。そして、様々な自分をたくさん集めることによって、
あらゆる観点を体験し、それにより自分自身に可能な限りの観点を体験する機会を持つ選択をしたのです。
皆さんの人生の中で、寛恕的に非常に親近感を感じたり、なぜかいつも背しているような顔ぶれがあるでしょう。
これらの人達とは、たぶんこれまでにも、何回も何回も交流していたであろうことを理解してください。
グループとして輪廻転生するいわゆる家族が存在します。知的部分でつながっている家族、
サイキックな部分で結ばれている家族、または異なる人生において互いに異なる役を演じながら、
代わる代わる可能な限り異なる立場をとることによって、様々な観点から見たものを鏡として
反映し合うための機会を分かち合っている人々もいます。
皆さんは、今まで何回も男性や女性として生まれた経験を持っています。それだけでなく、
地球上で、全ての人種として生まれてきました。そして、あらゆる状況とあらゆる条件の下に、
肯定的そして否定的なあらゆる物事に対する態度というものを体験してきました。
このようにして、自分人にすべての機会と体験を味あわせたことによって、今、皆さんは、
これら全ての体験を自分の中で統合できる機会を、自分に与えているのです。これら全ては、
同時に起きているということさえ知っていれば(時間と空間というものは、皆さんが創り出している
概念ですから)、これらの概念(過去世、平行人生、分身としての人生、そして未来世)に
触れたいと望む時、どこか遠くの暗い過去に、一生懸命手を伸ばさなければならないと感じる必要はありません。
これらの自分自身の現実を見るために、非常に複雑などこかで遠い無限の彼方の未来に行かなければ
ならないと感じる必要もありません。時間は本当は存在しないのです。巣へ手は同時に起きているのです。
そして、あなたはすべてなのです。大いなる全てなのです。あなたが宇宙そのものなのです。
これらの全ての転生する人生は、あなたの中に存在しているだけなのです。
皆さんは多面的な水晶です。それぞれの面がひとつの人生、ひとつの体験、そしてひとつの観点を表しています。
皆さんは自分のイマジネーションを自分自身のフィーリングと感情を信頼し、そしてすべてのイメージを
自分に役立てることによって、どの人生にも簡単に同調することができます。
これらの人生に同調するために、実際どこかよそに行かなくてはならないことはありません。
ただ、フォーカスを変えるだけでいいのです。皆さんが今存在している同じ志願枠と同じ場所にいるまま、
観点を変えて、自分自身の別の面を探すだけでいいことに気がつけばいいのです。単に自分自身を違う目で見る、
すなわち、自分が別の人生を生きたときに持っていた目、または未来にもつ目となればいいのです。
人生とはすべてこのようなものです。
過去と未来も現在から創り出してています。なぜならば、どの人生においても皆さんが存在し得るのは
「いま」だけなのです。
それではこれで、第1節を終わります。
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