米軍普天間飛行場の移設問題がらみで二つの記事が気になった。一つは米紙ワシントン・ポスト(4月14日)のコラムだ。筆者のアル・カメン氏は、核安全保障サミットで鳩山由紀夫首相がオバマ米大統領とまともに会談できなかったことを皮肉って「最大の敗者」と呼んだ。
さらに「ユキオ、米国の盟友だろう? 米軍の核の傘の下で何十億ドルも節約しただろう?」と刺激的な発言もある。何より他国の首相を「increasingly loopy」(ますます頭がおかしい)と形容したのには驚いた。
人気低迷の政治家をからかうのもいいが、他国民への礼節や品位を欠けば説得力も失われよう。このコラムを日米不信の証左とけん伝する人もいるだろうと気にはなったが、内容自体に学ぶべきものはないと思った。
本質的な問題を含むのは、琉球新報の富田詢一編集局長が本紙「地方発」(4月6日)欄で語った「政府は米国の代理人か」という意見だ。普天間問題における日本の「勝利」は海外移設であり、「敗北」は県内移設もしくは普天間の固定化である、と。本来なら日本の政治家は県外移設をめざして沖縄頑張れと声を上げ、報道機関がこれを補強していいはずなのに、事態はまるで逆だと富田氏は言う。
ワシントン発の記事についても富田氏は「現行案(辺野古沿岸)がベスト」とする米政府閣僚、高官のコメント紹介に終始していると批判する。この点はメディア全体の傾向としてうなずけるが、海外移設こそ勝利という主張を実現するのは難しいと私は思う。政治家と新聞・テレビがこぞって海外移設を主張し、米政府に譲歩を迫るような事態は考えにくい。元ワシントン特派員として率直な意見を述べれば、日本の多くのメディアは、時の内閣より日米同盟(日米関係)の権威を重く見る価値観を持っていると思うからだ。
「これは日米同盟を損なう」「それは日米関係に有益だ」という論法でマスコミが政府をいさめ、督励するのは見慣れたパターンである。鳩山政権発足時から一部の新聞は自民党政治の外交政策を継承するよう求めていたし、最近は「日本は米国の忍耐に甘えている」という論調も見られる。これが「米国の代理人」的な印象を生むのかもしれないが、一つの内閣の方針を超えた長期的視野から日本の針路を考えること自体は、むしろメディアの使命といえよう。
だが、常に米国との関係で物事を論じる日本特有の構図には、大きな問題がある。試みに「日米同盟」という言葉を含む記事を毎日新聞のデータベースで検索すると、湾岸戦争が起きた91年で29件、93年は7件。それが新たな日米防衛協力の指針ができた97年は170件に増え、米同時多発テロが起きた01年は約230件、イラク戦争に突入した03年は約360件と激増する。政権交代があった昨年は最多の約370件を記録した。
同じトレンドは他の新聞でも見られよう。一つの目安に過ぎないが、日米の「安保」より強い結びつきを示す「同盟」という言葉が多用され、ここ数年は「寝ても覚めても日米同盟」と形容したくなる状況がある。これが将来的にも続くかどうかはともかく、冷静さを忘れてはなるまい。「同盟とは争わないこと。米国を渋面させないこと」というユニークな同盟観に立って、日本が思考停止に陥ってはいないかと心配になるのだ。
例えば移設問題で「現行案」を支持するのはいいと思う。だが、「現行案」でないと抑止力が保てないという主張の正当性をうまく説明できるか。米国がそれを望むからという理由で満足していいのだろうか。
コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授は「(普天間問題で自民党が)十数年かかってもできなかったものを民主党が政権とって数カ月で結論出せというのはちょっと酷だ。それに政権が代わって普天間問題をもう一度見直すということはおかしいことではない」と語る(「毎日フォーラム」4月号)。
そうは言っても首相の言動に問題が多すぎて弁護しかねるという事情もあるが、日米の政権交代を機に、世界と東アジアの安全保障を日米が改めて話し合い、沖縄の負担軽減にも努力するのは、本来なら意義深いことだ。日米関係を報じる視点と足場をどこに定めるかという問題も、私たちには特に重要だ。
普天間の決着期限(5月末)に向けたカウントダウンの中で、真に重要な問題を埋もれさせてはなるまい。歴史がもたらしたチャンスを大切にしたい。
毎日新聞 2010年4月18日 東京朝刊