2010年04月13日

魂胆!?

4月10日、東京・日比谷公園の野外音楽堂で「過去現在未来塾」の発足記念講演会が行われた。ここには黒田大輔君らも顔を出していた。
 
中山成彬塾長をはじめ、事前に告知されていた式次第の登壇者を見ても、話題の平沼赳夫・衆議院議員、石原慎太郎・東京都知事、中川義雄・参議院議員、中山恭子・参議院議員、田母神俊雄・元航空幕僚長、等々、錚々たる顔ぶれが名を連ねている。

実際、当日は式次第に変更があり、石原知事は来場せず、こちらも話題の与謝野馨・衆議院議員が駆けつけ、冒頭、平沼議員とともに挨拶をした。

また、主権回復を目指す会の西村修平氏も集っていた。「集っていた」と言うのは、その実態に、ふさわしくないかもしれない。西村氏は終始一貫、議員控え室に出入りしていた。

黒田君が護国鬼十郎君と会場に着いたのは、開会から15分ほど遅れて。西村氏と言葉を交わした黒田君たちは、会場の最後方で手作りの名刺を、せっせと準備していた。
そして式次第の半ばで、最前列にいた行本慎一郎君、相良宗介君らに合流した。

西村氏の引き合わせだろうか、即席の名刺などを、いったい誰ぞに渡したのだろう。名刺ぐらい、せめて事前に用意しておけばよかろうものを──。
集会の翌日、黒田君は新党「たちあがれ日本」について、「俺、集会、顔出してきたんですよ。俺もね、途中で楽屋裏に遊びに行かせてもらって」などと吹いていた。

ともあれ、いよいよ黒田君も、色気が前面に出てきたようだ。
すでに2006年11月6日から、「初体験!! 政治家とのパーチィ」と銘打って「さてさて、行ってきました。政治家先生とのパーチィ」と嬉しそうに自身のブログで報告していた黒田君。

さらに2007年12月28日には「最大限行動しました」として、「初対面の個人や団体であっても、紹介をお願いしたり、相手の懐へ自分から飛び込んだりして、名詞を渡し、会話をした。都議、県議、市議、学者、警察、ジャーナリスト、他の保守団体の方々などと知り合いになった。年明けには、国会議員と面談する機会もあるだろう」と自身のブログに綴っている黒田君。

そして2008年1月7日には、1日に浦安市主催の賀詞交歓会に出席したことに触れ、「松崎浦安市長、薗浦衆議院議員(自民党)、保守系浦安市議(与党会派)の方々にご挨拶をした」と自身のブログで吹聴していた黒田君。

また、2008年6月5日には、「石井準一先生(参院千葉)のご厚意により、8:00から自民党本部7階で行われる人権問題等調査会を傍聴する予定。内部の直のやりとり、生の雰囲気から危険性を探る。(なお、6月4日も石井議員のご厚意により傍聴したが、細かな内容については、次号でご報告します。)」と自身のブログに記していた黒田君。

次いで2008年9月3日には、8月30日に「国会議員の会合」に出たと報告しつつ、「当方からも質問をしたり、ご提案を差し上げたりした。また、初めてお目にかかる後援会長さんなどにも当方から名刺を渡してご挨拶しました。議員ご本人には、毎日変態新聞の件を国会で取り上げてくれと要望しておきました。今後も色々な議員に働きかけを続ける予定です」と、いかにも得意満面の黒田君。

最近では誰はばからず、
「日護会は政治家を出すのが主要目標の一つだから」(4月4日)
「うちの会もね、公表してないけど、いろんな政治家さん、個人・団体と連携してやってますから」(4月11日)
と公言し始めている。
 
在日や創価学会を昼間っから揶揄して歩くのも、黒田君にとっては、本業よりも割のいい“就活”といったところか。

ともあれ、黒田君が、やれ在日だの、やれ学会だのと言い出したのは、彼が「政治家」云々と言い出した後のことだ。それ自体、大言壮語の意図が透けて見える。

まるで“格”が天地雲泥なので、まあ大丈夫かとは思うが、老婆心ながら、4月10日にお見えになった来賓の皆さまに、念のため申し上げておきたい。
事の趨勢は「初動」で決まります。

さて、本日の夜勤明け更新はここまで。寝るとしよう。


sanjyuri at 14:32│Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

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