2010年4月20日
「普段は物静か? いえいえ、そんなことはないです。ただ、はしゃぐのが苦手なタイプなので」=河合博司撮影
日本初のNBAプレーヤーが、リンク栃木の日本リーグ初優勝に貢献しました。本場米国、そして栃木への熱い思いを聞きました。
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〈アサヒ・コム拡大版〉
武内 よろしくお願いします。握手をさせてください。手がやっぱり大きいですね。
田臥 そうですね。身長の割には大きいです。
武内 ボールを持って頂いてもいいですか。わあ、手にボールが吸い付くような感じですね。
田臥 そうですか? あまり自分では気にしたことがないです。でも、ボールを触っていると落ち着きます。
武内 日本一おめでとうございます。
田臥 ありがとうございます。チーム全員で1年間頑張ってきて、その結果が出たので良かったです。
武内 去年のリーグ5位から躍進しました。要因は?
田臥 去年の悔しい思いを、みんな持っていました。それと外国人選手などが入ってきて、去年のチームに、より厚みが出たというのが、勝ちにつながったと思います。
武内 ご自身もMVPに選ばれました。
田臥 チームを代表して頂いたという感じです。
武内 改めてお聞きしますが、日本に帰ってきて、リンク栃木を選んだ理由は。
田臥 2008年、僕が入った時が日本リーグ昇格1年目。一から築き上げていくところと、自分がメーンでプレーできるところに魅力を感じたので、決断しました。
武内 NBAのプレー経験を持って帰ってきて、日本のバスケットにはどんな印象を受けましたか。
田臥 若い選手が、すごく育っている印象を受けました。特にこのチームはそうですが、たくさんの方がバスケットを好きで応援してくれている。米国にいたら、そういうのは分からなかった。
武内 栃木の人たちにとっても、人気チームが地元にできるというのは、本当に喜びでしょうね。
田臥 今回の優勝も、ファンの方が後押ししてくれて、本当に感謝の一言です。
武内 日常生活でも、そういう熱気を感じることはありますか。
田臥 地域をあげて応援して下さって、1人で食事に行っても、みんな声をかけてくれます。今回もみんなが「優勝おめでとう」と言ってくれるのが、うれしかった。
●原点は「楽しく」
武内 ところで日常生活で、ついバスケの動きをしてしまう瞬間はありますか。職業病じゃないですけど。
田臥 日常生活ですか……。ノールックパスも相手に分かったら、ボールを取られて意味がなくなってしまうので、見ないようにしているんです。例えば日常生活では、友達がいても、最初気づいていないふりをして他のところを見て、でも「実は気づいていたよ」とか。そういう視野の広さの練習はします。
武内 お行儀のいいことではないですが、例えば家で数メートル先のゴミ箱に、ポーンとゴミを投げ入れることも?
田臥 それはありますね。確率はむちゃくちゃ悪いです。何度も拾って投げて。でも、入るまでやり続けます。
武内 バスケットに出会ったきっかけは。
田臥 8歳のころ、三つ上の姉がバスケットをやっていて、自分も始めました。走り続けるスポーツで、お兄さんたちについていくのが大変だと思ったのが、第一印象でした。
武内 どんなところに魅力を感じましたか。
田臥 チームスポーツなので、一つの目標に向かって、みんなでがんばる素晴らしさを感じました。あとは身長に関係なくできるところです。自分は身長が大きくなかったので、大きい選手に対して対抗できる技を自然と考えながら、やっていました。
武内 小さい頃、そんなに足が速くなかったとお聞きしましたが。
田臥 今もそんなに速くないです。ボールを持った方が足が速いですね。ボールを前に出して、追いかける形になっていくので。ちょっと不思議な感覚ですが。
武内 子どものころ、これはうれしかったという記憶はありますか。
田臥 中学校で全国大会出場を決めた時、コーチが「楽しくプレーをしろ。NBA選手のように派手なプレーをしてこい」と言ってくれたのが、今も大事にしている言葉なんです。見ている人のためでもあるし、自分のためにも楽しくプレーするというのはすごく大事だと思います。
武内 どんなプレーをした時が一番気持ちいいですか。
田臥 大きい選手をかわして、シュートやパスをすることも気持ちいいけど、味方を生かすポジションなので、自分の指示やパスひとつで、得点が決まるとうれしいです。
武内 高校では9冠で向かうところ敵なしでしたが、その時、将来の目標というのは、どう考えていましたか。
田臥 あの時は日本一になることを目標にしていました。3年間で達成できて、より高いレベルでバスケをしたいというだけしか考えていなかった。それで、どういう道があるのか探し始めました。世界の選手と対戦する機会があったので、自分も日本を飛び出して、もうちょっと広い世界を、高いレベルを見てみたいと思いました。
武内 目指すのは容易ではなかったと思いますが。
田臥 日本を出るというのは、生活も違うし言葉も違う。バスケット以外に乗り越えなければいけない壁があるので、最初は正直不安もありました。一度米国の大学に行って、日本に戻ってきて、またNBAに挑戦した。常に自分はできるという自信を持っていましたが、その自信だけでしたね。やれるかやれないかというのは、考えないようにしていました。
武内 シーズン直前に解雇されることもありました。
田臥 これがNBAの世界。そんなに甘くない。でも、だからこそ、ここでプレーしたいと、より思うようになりました。
武内 そんな試行錯誤を繰り返して、日本人で初めてNBAの舞台に立った瞬間は、どんな心境でしたか。
田臥 夢がかなったらかなったで、このステージでプレーし続けなければいけないという新たな目標が生まれてきました。感慨に浸っている場合じゃなくて、次に結果を残さなきゃと。試合で得点も決めて、やりようによっては自分は生きていけるという手応えがあった半面、そう簡単には試合に出られないし、ベンチにも入れない。チームに残るのも、これから大変になっていくだろうという危機感もありました。
武内 プレーで通用したことと、そうではなかった部分というのは。
田臥 通用したのは、スピードを生かして、チームの流れを変えること。でも、体のサイズやパワーは圧倒的なものがあります。自分のポジションはポイントガードなので、いかにチームをコントロールできるか、というところがまだまだと感じました。
●プロの世界学ぶ
武内 NBAでは合計17分間のプレーで、解雇を告げられました。
田臥 試合から帰ってきた翌朝、練習に行こうと思ったら、エージェントから「解雇されたから」という電話があった。正直対応するのに大変だったけど、これがNBAの世界なんだというのを痛感しました。毎日がサバイバル。日本人選手をカットして、同じようなベテランの選手を入れるような動きというのは、日常茶飯事で繰り返されている。自分も経験がなかったし、仕方がないとは思いましたけど。チームのコーチたちも送り出してくれた時は「また戻ってこい」みたいなことを言ってくれて、自分のモチベーションになりました。
武内 今でもNBAに挑戦するという気持ちを持つのは大変だと思いますが。
田臥 NBAのレベルを味わっているので、ああいう環境で、またバスケットがしたいというだけです。あと、少しずつは出てきていますが、もっと他の日本人選手にもNBAにチャレンジして欲しいので、やれる限りは先頭に立ちたいです。
武内 改めてNBAというのはどんな世界ですか。
田臥 かっこいいです。何もかもが。バスケットのレベルもそうですが、環境とかも超一流なので。(元チームメートの)スティーブ・ナッシュというあこがれの選手から、立ち振る舞いとか言動とかも間近に学ぶことができました。練習中、「自分のプレーはどうかな」と聞くと、優しく的確にアドバイスしてくれるし、スタッフ、コーチ、ファン、誰に対しても優しく接している。まさしくプロフェッショナルという言葉がふさわしいです。
武内 お話を聞いていると、NBAに片思いをしているような感じですね。
田臥 そうかもしれない。バスケットもNBAも好きでしょうがないので。周りが「無理だろう」と言っても、やってみなければ分からない。チャンスあるうちはトライしたい。
武内 遠距離恋愛ですか。
田臥 そうですね。その分、会える時のために、今いる場所でしっかり自分を磨かなきゃなと思います。高嶺の花だからこそ、見てみたいし、触れてみたい。
武内 NBAでプレーした17分間を、今でも思い出すことはありますか。
田臥 多々あります。(所属していた)サンズの試合を見ていると、「自分もあのユニホームを着ていたな」から始まって、「自分もプレーしたい」「あの場面でああしていれば良かった」とか、どんどん想像が膨らんできます。四六時中バスケのことを考えているので。
武内 毎日モチベーションを保つのも大変だと思いますが。
田臥 正直気持ちのアップダウンはありますが、結局自分がやりたくてやっている。今の時代に幸せだなと感じます。自分の好きなことができているうちは、やれることをやりたいというのが、モチベーションにつながっている。
武内 今後、日本のバスケット界でどういう役割を果たしていきたいですか。
田臥 個人的には、NBAにチャレンジし続けたいし、僕の後に続く選手も出てきてもらいたい。最終的には解雇されましたけど、日本人でもNBAでできるというのは、みんな分かったと思う。「だったら自分もやってやる」という気持ちを伝えられたら。あとは日本のバスケットが多くの方々に興味を持ってもらえて、世界に通用する国になってもらいたいです。
武内 子どもたちに対しては。
田臥 やっぱり目標は大きく。少しでも興味を持っているのなら、どんどんチャレンジしてほしいです。
素顔はまろやか 29歳
〈後記〉「あこがれ」はこれほどまでに人を強くするのですね。普通ならあきらめてしまいそうな高い壁に果敢に挑み、何度もずり落ちながらも一度は乗り越えた田臥選手。たった17分間でも、壁の向こう側を見たからこそ、あこがれは増すばかりなのでしょう。そんなハングリーさとは対照的に、素顔は穏やかで“まろやか”な29歳。その可愛らしい目と、声のトーンに優しさがあふれていました。大好物のカレーは体重を気にして、食べ過ぎないようにしているそうです。(テレビ朝日アナウンサー)
■インタビューは、今日(20日)の「報道ステーション」でも放送予定です。
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たぶせ・ゆうた 横浜市出身。身長173センチのポイントガード。2004年、NBAのフェニックス・サンズに入団し、4試合に出場。08年、リンク栃木に入団した。
99年、テレビ朝日入社。バラエティー番組「愛のエプロン」や「ゲット スポーツ」などを経て、04年4月から「報道ステーション」のスポーツキャスター。武内さんのブログ「笑門来福」はこちら。