北朝鮮にいるよど号グループ関係者の一人は、朝日新聞の国際電話の取材に応じ「拉致容疑をかぶせられたままの帰国は北朝鮮への敵視政策を助長させることになり受け入れ難いが、還暦を過ぎ、亡命先に安住するのではなく帰国して国のために尽くしたいという強い思いがある」と語った。
よど号グループは80年代以降、日本政府がハイジャックの罪を問わないことを条件に帰国すると主張してきたが、2002年7月、一転して逮捕覚悟で帰国すると表明。しかし、02年9月、小泉純一郎首相(当時)の訪朝で、金正日(キム・ジョンイル)総書記が日本人拉致を認めると「拉致の疑いをかぶせられた帰国は受け入れられない」として、魚本容疑者らへの逮捕状撤回などを帰国の条件としていた。
関係者によると、よど号犯の存在を理由の一つとして北朝鮮を「テロ支援国家」に指定していた米国が08年10月に指定を解除して以降、グループは「帰国して冤罪を証明する」方向で検討していた。ハイジャック事件については無罪を主張せず、逮捕、裁判を受け入れるという。
よど号グループの処遇を巡っては、08年6月の日朝の外務省実務者公式協議で、北朝鮮側がよど号事件関係者の引き渡しや拉致事件の再調査に協力し、日本側がその見返りとして制裁を一部緩和することで合意。しかし、その後交渉は進まず、宙に浮いた状態になっていた。(武田肇)
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〈よど号事件〉 1970年3月31日、赤軍派の学生ら9人が羽田発福岡行きの日航機を乗っ取り、北朝鮮行きを要求。韓国当局は金浦国際空港を平壌と偽り着陸させ、解決を図ったが失敗。3日後、山村新治郎運輸政務次官(故人)を身代わりにして乗客を解放し、平壌に渡った。現在、北朝鮮に残るのは実行犯4人とその妻2人の計6人。警視庁はうち3人が欧州での日本人拉致に関与したとして国際手配しているが、グループ側は否定している。