☆ご報告

 平成20年9月20日、この日は午後12時30分より日本を護る市民の会黒田大輔代表)主催による「毎日変態まつり」と銘打った毎日新聞社への抗議活動が行なわていた。

 かねてより同日の午後から東京・綾瀬駅前にて死刑制度廃止運動の左派がビラ配りと署名活動を行なうとの情報をキャッチしていた私は、毎日新聞への抗議行動とは勢力が分散してしまうが、『NPO外国人犯罪追放運動』のメンバーらと共に死刑反対運動の動きに対する粉砕行動を計画していた。

 結局のところ諸々の事情によって団体による抗議行動としては動けなかったが、私が単身で綾瀬に乗り込み、死刑反対派の動向を探ったものである。
 これが却って良かった。

bd55c4aa.jpg 綾瀬に到着すると、さっそく駅前で4〜5名の男女がビラ配りをしている様子が目に入ったが、私は死刑制度やその執行など何も知らないノンポリ男のようなフリをして、駅前を行き交う人々にビラを配っていたメンバーの一人に声をかけた。

 もし、正面から団体を引き連れて抗議行動を行なっていたら議論にもならず、「帰れ!」やら「立ち去れ!」といった罵声を浴びせ合うだけの騒乱になっていたかも知れない。

 死刑廃止のビラ配り活動をやっていたのは東京拘置所のそばで死刑について考える会(略称:そばの会)』で、その代表やメンバーらに「死刑廃止で何が不味いんですか?」と話しかけたところ、一通りのことは説明してくれた。

 「喧嘩は江戸の華」というように保守派・右派がサヨクと激突すれば議論にもならない罵倒合戦が常だが、こちらが何の思想的背景もないように接近して話を聞き出そうとすれば、それなりの議論は可能なのである。

 彼らの言い分は決まっていて、概ね「いかに死刑囚と言えども国家が人の命を奪うのは好ましくない」「冤罪の可能性も否めない」「被害者の処罰感情に必ずしも応えたものではない」というものだった。

 まず、この中の冤罪というのは論外だろう。まったく別次元の問題である。そうではなく、「本当に死刑に該当する罪だった場合はどうなのか―」として訊いてみた。

 余談ながら死刑囚の冤罪について言わせてもらうと、疑われるにはそれに足る理由があるのも否めないのではないか。

 例えば、殺人や強盗の前科があったりして、また普段からの生活態度にしても極道社会に足を踏み入れていたり、常習的な犯罪者予備軍に位置づけられているような者らが「強盗は確かにやったが、その被害者を殺したりはしていない」と言っても通用しないだろう。

 私事で恐縮だが、まだ小学生の頃、私は悪友らと共に校舎の至る所に落書きをしてまわるというイタズラを繰り返していた。
 ある時、自分がやってもいない落書きについて教師から酷く叱責され、私は無実を主張したが、それを証明する術もなく、結局は私の所業とされてしまった。

 その時は非常な腹立たしさを覚えたが、後になって考えてみれば疑われるに足る、犯人に仕立て上げられるに足る普段からの素行の悪さがあったのも事実だろう。

 普段から悪行を繰り返していた者が、その時だけ「私はやっていません」などと言っても通らない。

 死刑を宣告された死刑囚も同様である。

 殺人や強盗の前科があって普段からの生活態度が好ましくなく、反社会性の極めて強い者はあらぬ疑いを受けた時に、自ら無実を証明する術がなければ自らの言い分にも到底説得力を持たせられない。

 そんな奴は死ねばいい! 死刑に処されて死ねばいい!

 法の適用という観点から言うなら、私の発言が適正でないことは百も承知だが、私は官僚・役人でもなければ法の執行官でもないので、このくらいのことは言わせてもらう。

 古くから「白いものでも黒くなる」と言うが、昔の人はよく言ったものである。

 ―死刑反対派の動きに話を戻そう。

 私は「人命が重く尊いものであることは分かる。それには私も同意だ。しかし、その重く尊い人命を奪った者だからこそ厳しく死刑に罰する必要があるのではないか―」という疑問を彼らにぶつけてみた。

 死刑廃止派の彼らは「それはそうだが…」と一応は理解を示しつつ、国家が人命を奪うことの理不尽さ(?)を力説していた。

 だが、国家という枠組の中で生きている以上、否が応でも誰かがやらなければならない任務がある。

 死刑執行で絞首台のレバーを操作する刑務官は、昔で言えば御上の命令で罪人の首を斬っていた介錯人に当たるだろうか。余談だが、この介錯人もその家系に生まれた者が代々引き継いでいたという。

 死刑廃止派のメンバーらも自らの運動を突き詰めていけば、そうした人たちに対する差別になることに気付いているのか、「社会にそういう仕事があることは否定しない」として、死刑制度に一定の理解を示すようなことも口にした。

 自分のことに置き換えてみれば死刑制度の重要性が理解出来るのではないか。

 「あなたのご両親やご兄弟、あるいは妻子などご家族を殺されても死刑廃止を唱えるのですか?」との問いに対して、彼ら死刑廃止派は口をつぐむ。

 彼らの口をついて出た理論は「被害者の処罰感情に必ずしも応えたものではない」というものだった。

 どの被害者のことを言っているのか分からないが、被害者遺族の中には断固として加害者に「死刑」を求む声が強いのは事実だと思う。
 山口県光市で発生した本村洋さんの妻子殺害事件はその最たるものである。

 茨城県の駅構内で発生した通り魔的な連続殺傷事件で、犯人の若者は生きることに絶望して自ら重大な犯罪行為に及ぶことで「死刑制度を利用して死ぬ」などと言っているようだが、馬鹿なことを言ってはいけない。

 本人が何を望もうと望むまいと死刑に処されるべき罪は死刑として断罪されるべきだろう。

 次いで死刑廃止派の口から出たのは「死刑制度が犯罪の抑止になっていない」という理屈である。

 だが、待ってほしい! 
 「現状で100人以上の死刑囚が生き延びている。
 死刑制度が正常に運用されていないことと無関係ではないのではないか?」
と私は疑問をぶつけてみた。

 …それまで応対していた代表らしき男が、私を「死刑存続派」と見切ったのか、答えるのが少し面倒臭そうになっているのが分かった。

 外国を例に出せば終身刑の囚人がそれこそ絶望して暴動を起こした例もあった。

 終身刑という日本に馴染まぬ刑法を新設するよりも、死刑に値する罪なら、さっさと死刑に処すほうがよほど人道的とは言えまいか。 
 
 終身刑によって秋葉原無差別殺傷事件の加藤何某のように自暴自棄になった者を生み出すというのも皮肉と言えよう。

 死刑廃止派というのも自ら被害者や被害者遺族の立場となれば、その考え方も一転するほど脆い思想的支柱であるなというのが今回、綾瀬に赴いた印象だった。

 さて、本日は自民党総裁選!

 おそらく新総裁・新首相に就任するであろう麻生太郎氏と新内閣の下で、死刑制度を司る法相がどのような運用をしていくのかにも注目している。
Blog『反日議員を落選させる会
http://blog.livedoor.jp/hanrakukai/archives/912297.html


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「語る保守」から「行動する保守」運動へ

☆9・27 反シナ合同演説会に集合せよ

池袋をシナ・マフィアの巣窟にしてはならない!
<チャイナタウンはシナの池袋自治区、東京中華街建設をぶっ壊せ!>

◆シナ人による シナ人のためのシナ人の池袋乗っ取り(東京中華街構想)が進められている。
 この恐ろしい人口侵略という構想に朝日新聞は全面的支援に乗り出している。
 治安の悪化を恐れる地元商店街の反発にもシナ人らは一向に頓着しない。

 それどころか増大するシナ人の増加を背景に、首都圏を実質的な中華街に仕立てようとしている。

下記を参照

◆首都圏が巨大な中華街に、中国人の定住傾向が高まる
(レコードチャイナ 2008/9/19)
http://www.recordchina.co.jp/group/g24045.html

【日時】
平成20年9月27日(土)、午前11時半から

【場所】
池袋駅西口

【呼び掛け】
主権回復を目指す会 せと弘幸Blog『日本よ何処へ』 NPO外国人犯罪追放運動 在日特権を許さない市民の会 外国人参政権に反対する会・東京

※雨天決行、プラカードの持参歓迎

【連絡】
西村修平(090−2756−8794)
有門大輔(090−4439−6570)