北朝鮮の公式報道機関が金正日(キム・ジョンイル)総書記(68)と並ぶ三男正銀(ジョンウン)氏(26)の写真を公開した。北朝鮮では昨年末のデノミネーション(通貨呼称単位の変更)失敗による深刻な経済混乱が起きている。頼みの綱といえる中国からの支援取り付けも順調には進んでおらず、対米関係にも展望は開けない。厳しい状況下での写真公開には、正銀氏への権力移行が着々と進んでいることを改めてアピールして求心力を高めようという狙いがありそうだ。【西岡省二、澤田克己】
北朝鮮で広く歌われている「パルコルム(歩み)」という歌がある。「2月の偉業」を引き継ぐ「わが金大将の歩み」を高らかに歌う内容。「2月」は2月16日生まれの金総書記を象徴し、「金大将」は正銀氏の愛称だ。金総書記は、国民向けの宣伝・扇動手段として芸術を重視する。この歌は、正銀氏が後継候補に決まったことを国民に広く知らせようとするものだと解釈されている。
朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」が今回、正銀氏の写真を掲載したのは、こうした地ならし作業の一環だとみられる。
北朝鮮メディアをモニターするラヂオプレス(RP)によると、パルコルムが初めて公式報道に登場したのは09年2月23日。核実験場や弾道ミサイル発射基地のある咸鏡北道を管轄する軍部隊を総書記が視察した際、総書記の前で歌われた。パルコルムはこれ以降、北朝鮮メディアに頻繁に登場。平壌市内でも、隊列を組んで行進する軍人や学生たちが歌っている様子が目撃されている。
一方、訪朝した在日朝鮮人によると、09年8月には平壌の一般市民が「正銀氏が後継者に決まったと口頭で伝達された」と話していた。市民の間では、正銀氏が08年末から総書記の現地指導に同行しているという話が流れていた。その他にも、国民を強制的に動員して昨年行われた経済建設運動である「150日戦闘」「100日戦闘」を正銀氏が主導したなどという話が流れていたという。
労働新聞は今年、正銀氏の誕生日である1月8日に「未来へと進む朝鮮のパルコルム」をたたえる「政論」を掲載。正銀氏をたたえる歌と同じ文句を使うことで、後継体制への地ならしが進んでいることをうかがわせた。
北朝鮮メディアは、今回の写真に写っている人物が正銀氏だという説明を一切付けていないが、総書記の現地指導に同行するのは側近中の側近だけというのは北朝鮮での常識だ。総書記のすぐ脇に若い男性が立っているというだけで、隠れたメッセージは伝わると考えられる。
だが、北朝鮮ではデノミが失敗に終わったことで、餓死者が出るほどの経済混乱が起きている。北朝鮮当局は失敗の責任者として労働党の朴南基(パク・ナムギ)財政計画部長を粛清したが、実際に主導したのは正銀氏だったとされる。デノミ失敗は「日本や米国の制裁のせいだ」などと強弁することが難しいだけに、将来的に、正銀氏への反発が国民から出てくる恐れもある。
中国からの支援取り付けも、前提となる総書記の訪中がなかなか実現しない。訪中すれば、6カ国協議への復帰確約を迫られるのは確実。だが、オバマ米政権が「北朝鮮を核攻撃の対象から外さない」という厳しい姿勢を取る中では、協議に復帰しても展望が開けない。
北朝鮮を取り巻く内外情勢は依然として厳しい。これが、正銀氏への権力継承作業に影響を及ぼす可能性も否定できないだろう。
朝鮮労働党幹部に最近、総書記の「お言葉」が伝えられた。
「私は軍を中心にした『先軍政治』を進めたが、金大将は保衛部(北朝鮮の秘密警察・国家安全保衛部)を前に出した『情報政治』を推し進めるだろう」
指導部に近い関係者が解説する。「将軍様(金総書記)は軍の重視・強化を先行させたが、金大将の後継体制は、保衛部中心に情報収集機能を強化して権力基盤を固めるという意味だ」
ラヂオプレスによると、北朝鮮は最近、内閣所属の警察機関だった人民保安省を「人民保安部」と改称した。理由は不明だが、内閣より上位である国防委員会の直属機関になった可能性が指摘されており、「情報政治」へ向けた体制整備が既に始まったと見ることもできる。
また、国家安全保衛部などは既に、組織内で正銀氏の神聖化作業を進めていることが、毎日新聞が入手した複数の内部文書により明らかになっている。
そうした文書では、正銀氏は祖父の故金日成(キム・イルソン)国家主席や父親の金総書記と外見や声が似ていると記し、金主席や金総書記の血統を引き継いだ人物である点が強調されている。
それは、「父親の地位を引き継ぐのは金主席と同様にカリスマ性を持つ自分自身である」と強調して後継者の地位を勝ち取った金総書記を意識しているようだ。父が祖父から引き継いだ権力を、今度は正銀氏が引き継ぐ資格を持っているという点を印象づけることを狙っていると考えられる。
今後、正銀氏への継承作業はどのようなプロセスで進められるのか。指導部に近い関係者によると、(1)金総書記の生誕地を「白頭山(ペクトゥサン)」として宣伝したように正銀氏の生誕地も「聖地」として定める(2)神聖化作業を国内全域に拡大する(3)朝鮮労働党創建65周年行事(今年10月10日)を正銀氏が指導する--ことが想定されるという。
生年月日:1984年1月8日
父:金正日氏 母:高英姫氏
体格:身長167センチ、体重87キロ。5センチ以上のシークレットブーツ
性格:父親に似て豪快、物おじしない
愛称:金大将、若大将、新星将軍など
学歴:金日成軍事総合大学など
趣味:漫画を描くのが得意
好きなスポーツ:バスケットボール
内部文書が伝える「実績」:
▽非凡な射撃術を持つ
▽人工衛星利用の北朝鮮初の地図作製
▽09年4月「祝砲夜会(花火大会)」を指揮
※韓国の報道や金総書記の料理人だった藤本健二氏の著書などに基づく。
毎日新聞 2010年4月20日 2時33分(最終更新 4月20日 2時33分)