映画『ノーカントリー』とトヨタ問題(下)

 トヨタは1960年代に米国へ本格的に進出した後、米国国民により良い車、より良いサービスを提供するため、誠意を尽くします。結局、80年代にカムリ神話を作り、米国自動車業界の主流になりました。当時、豊田家は米国の顧客の心をつかむため最善を尽くし、結局それが報われたのです。

 しかし、トヨタは90年代に奥田碩、張富士夫、渡辺捷昭各氏が会社を掌握したことで、変質し始めます。うわべでは相変わらず「顧客」と叫んでいましたが、実は規模と収益性だけを考えていたのです。収益性を高めるため、品質の犠牲もためらいませんでした。

 2007年、トヨタは世界最大の自動車企業に上り詰め、自社の全車両にハイブリッドカーの技術を導入すると宣言しました。ハイブリッドカーで世界を支配し、利益は自分たちが独占するというものでした。その後、米国の自動車会社が相次いで破産すると、ゼネラルモーターズ(GM)を抑え、世界1位になったトヨタに対する米国人の反感も、雪だるま式に高まりました。

 強欲はまた別の強欲を生みます。3回にわたって行われた米議会トヨタ聴聞会で一部議員は、日本産業界の最大の実力者、豊田章男社長を罪人のように扱い、トヨタに対するうっぷんを晴らす姿を見せました。また一部では、今回のトヨタ問題を米国自動車産業再起のチャンスに利用しよう、という欲を隠しませんでした。

 今回のトヨタ問題は自動車業界、いや、世界経済を支配している強欲の代価なのかもしれません。また、日米両国民に深い傷としこりを残すのは明らかです。こうした悲劇が繰り返されないためには、やはり世界をもう少し広く、深く見られる「高齢者」が必要なのではないかと思います。

崔元碩(チェ・ウォンソク)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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