韓中日の皇后に見る東アジア近代史

【新刊】シン・ミョンホ著『皇后三国志』(茶山草堂)

 1873年、高宗は22歳だった。何者かが興宣大院君(高宗の実父)を摂政から追い払うことを望んでいた。同年10月、同副承旨(官職名)の崔益鉉(チェ・イクヒョン)から上疏(意見書)が提出された。「国のために働く人は奇怪で、個人に仕える人は処世をうまくやっていると言っています」。高宗が「国」で、興宣大院君が「個人」を指していた。高宗は権力を握り、結局は興宣大院君を退けた。高宗の親政が実現したことで、王妃閔氏は内助という名で王権を左右し始めた。興宣大院君の代わりに事実上、摂政の役割を果たしたというわけだ。

 朝鮮の明成皇后と清の西太后、日本の美子皇后は、19世紀末の激動期に独自の生存戦略を展開した。この本はこれら3人の皇后を通じて各国が歩んだ運命をたどる。西太后は垂簾聴政(皇帝に代わり皇后が摂政を行うこと)で最高権力者の座を狙ったが、老衰した王朝の最後を背負わなければならなかった。明成皇后は宗主権を奪った日本の浪人に殺害され、美子皇后は日本の軍国主義の一助となり、女性の権利拡大を後退させてしまった。皇后を迎え入れ、王権を強化しながら外部勢力と衝突した末に、別々の運命を歩んだ三国の物語が興味深い。332ページ、1万5900ウォン(約1320円)。

朴敦圭(パク・トンギュ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る