シルクロードの宝石「敦煌」の姿
【新刊】長澤和俊著、ミン・ビョンフン訳『敦煌の歴史と文化』(四季節)
ゴビ砂漠を、ラクダや人間の骨を目印にして10日ほど進んで行くと、青みを帯びた草色の地平線と、赤く輝く鳴沙山が視界に広がる。中央アジアの真ん中に位置する、荒涼とした砂漠の都市・敦煌だ。
1900年、王円ロク(ロクの字は竹冠に録)という道士が、敦煌・莫高窟である小部屋を発見した。現在「蔵経洞」と呼ばれている第17窟だ。内部は三面が壁画で飾られ、大量の古文書が山積みになっていた。王道士はこのことを直ちに地方の官吏に通報したが、何ら関心を示さなかった。
そのころ、近くには西洋の探検隊や学術調査隊が集まっていた。古文書に関するうわさを聞きつけ、探検隊がこぞって敦煌にやって来たのだ。1907年にはイギリスのスタインが、翌年にはフランスのペリオが莫高窟を訪れ、馬蹄(てい)銀と引き換えに莫大(ばくだい)な量の古文書を持ち去った。特に、漢学に精通していたペリオは質・量いずれの面でも優れた古文書を厳選し、帰国の途上、北京に立ち寄って一部を展示した。これらの古文書には、『詩経』『周易』などの経書をはじめとして、ゾロアスター教などの経典、さらには『往五天竺国伝』のような歴史地理書、文学作品など、珍奇な文献が数多くあった。北京の学者らは、極めて貴重な古文書の出現に驚いた。
中央アジア史研究の権威者である著者は、日本でシルクロードに関する関心が高まった1965年、本書を執筆した。古代から現代まで、敦煌の変遷史を分かりやすく整理し、豊富な史料を基盤として敦煌の歴史にまつわる数多くの人間群像の物語を立体的に描写した。
洞窟の中に埋められ1000年もの年月を生き抜いた敦煌の古文書は、漢文・ソグド語・パフラヴィ語など異なる言語で書かれており、戸籍・契約文書・系図など当時の社会・経済史の謎を解き明かす史料が多く、「敦煌学」が誕生する上で決定的な役割を果たした。特に、古文書をめぐり、簡単には譲ろうとしない王道士と、どうしてでも持ち出したい探検隊との間の綱引きは、一つの小説のように興味深い。328ページ、2万5000ウォン(約2100円)。
キム・ギョンウン記者
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