【萬物相】文学者・李箱の最後

 1937年4月17日明け方4時、東京帝国大学付属病院で、小説家で詩人の李箱(イ・サン)がこの世を去った。27歳だった。李箱は36年10月、新しい文学を模索するため東京に(へ)向かい、亡くなる2カ月前に、「挙動不審者」という理由で日本の警察に逮捕された。本名の金海卿(キム・ヘギョン)ではない名前で、「あまり穏健とは言えない文」が書かれたノートが下宿先の部屋から見つかった。1カ月間にわたり取り調べを受ける中、冷たい留置場で肺結核が悪化し、病院に運ばれた。京城(現在のソウル)から慌てて駆けつけた妻ピョン・トンリムに対し、李箱は「メロンが食べたい」とか細い声で言い残し、息を引き取った。これについては一時期、「レモン」を欲しがったとされていたが、「メロン」が正しいというのが最近の研究結果だ。

 今年は李箱生誕100周年を迎える。1910年9月23年に京城で生まれた李箱は、「13人の子供がころころ走っている」という詩「烏瞰図(うかんず)」を発表し、天才と変わり者という正反対の評価を受けた。李箱と親しかった詩人の金起林(キム・ギリム)は、「李箱は自らの血管を絞って『時代の血書』を書いた。李箱が属していた20世紀の悪魔の種族どもは、繁栄する偽善の文明に向かって、乾いた冷たい笑いを吐くだけだ」と擁護した。

 「はく製になってしまった天才を知っていますか」と尋ねる小説「つばさ」を書いた李箱の人生は1960年代以降、韓国文学界で、時代を先取りした天才の象徴として取り上げられた。「何にも縛られない自由、自由な感覚、秩序に対する衝動の優位、想像力の解放。このような点が、今日においても李箱文学に対する関心を引く」(ソウル大クョン・ヨンミン教授)

 東京で過ごした間、李箱は西洋文化を真似る日本の「模造された現代」をあざ笑い、下宿先の部屋で「終生記」をはじめ10編の小説を完成させた。しかし、まもなく帰国するという矢先に、突然西神田警察署に連行された。李箱は病院で、「鋭意の銘文に(警察の)係員も称賛していたよ」と冗談を言っていたが、再び起き上がることはなかった。

 李箱が留置場で書き留めた手記を含め、日本の警察の記録が公開されたことはない。今月8日、日本人に拘束され獄死した詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩碑建立委員会が、尹東柱の裁判記録を探し出すため、日本の警察に調査を要請した。李箱生誕100年を迎えた今年、韓国政府や研究者らは、西神田警察署で一人孤独に過ごした李箱の最後に関する資料も、日本の関係機関に重ねて要請すべきだ。きょう17日は「はく製になった天才」李箱が、この世を去った日だ。

朴海鉉(パク・ヘヒョン)論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る