横浜市動物愛護センター利権の真相

中田宏横浜市長43歳「"私の中に指入れ"合コン」と「口封じ恫喝肉声テープ」
『週刊現代2007年11月10日号』


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中田宏愛人問題を提起した神奈川新報「掲示板」



過去の記事(PDF版)

中田宏 愛人奈々との情交 神奈川新報 624号

中田宏こと鄭宏が残した林文子横浜市長の給食費取立の訴訟詐欺
虚偽公文書作成・同行使を告発する!
 神奈川新報 648号







『ヒロリンVSハンバレク奈々』事実無根か真実か   奈 々 嬢 の 告 白
準 備 書 面  平成21年3月31日 横浜地方裁判所 御中

1 原告と被告との出会い

(1)平成16年春、原告が勤めていたクラブ「華鈴灯」に被告は友人陳正堂氏ら数人と初めて来た。
その後も、元町の後援者や友人らと一緒に来店していた。
この陳氏は原告と被告との飲食等に同席したり、連絡役をしていたりしていた。
原告は勿論被告が横浜市長であることは知っていたが、原告の担当となり、初めての席で被告から名刺を貰った(甲5号証)。
翌日、原告は被告から貰った名刺に記載されている「E―MAIL」に来店のお礼のメールを入れた。
すると、被告から原告の携帯電話に「楽しかった」というような内容のメールがあった。
原告は、これに対して、メ―ルを見るのを忘れ、返信しなかったところ、その翌日被告が友人と共に来店、
原告に対し「どうしてメールをくれなかったのか」と返信
メールをしなかったことを少し責めるように言われた。
これが2回目の来店で、初めて来店してから2日後であった。
その出会いから被告は友人らと来店するようになり、原告がその都度席についていた。

(2)初めての来店から1週間後、深夜被告から近くのバ―にいるから会おうと電話がかかり原告が出向くと、
前記陳氏がいて一緒に飲食をした。
 その後原告と被告とが付き合う様になってから、陳氏が一緒に行動しているときには原告は人目につかないよう、
陳氏と付き合っているように見せかけていた。
又、飲食店に入るときには陳氏が先に入り、被告を知っている人が多いかどうかを確かめていた。
陳氏は中華街で中華料理店を経営しているということであったが、被告とは極めて親しい間柄だった。

2原告と被告の性的関係

(1)被告が来店して1ケ月くらいは、呼び出しがあった場合も、お客から次第に友人へと進んだ程度の間であったが、
その頃から被告が原告に対し「好きだ。一緒にいたい」と特定の関係を求めるような話をするようになった。
原告もお客から遊び程度でそのように言い寄られたことはあり、曖昧に接しており、
被告の話にもその程度の対応しかしていなかったが、被告の話は次第に「付き合いたい」
「妻とはうまくいっていない。離婚したい」等々妻との離婚まで言い出し、
更に「インターコンチネンタルホテルに住んでおり、妻とは別居している」と夫婦間のことまで言うことから、
原告も被告の言っていることが遊びや嘘ではない、真剣だと信じるようになり、結婚を前提とするならばと思うようになってきた。

(2)平成16年5月初め頃、初めて出会ってから3〜4ケ月くらい経った頃、
原告は被告が宿泊していた「ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル」に被告から誘われ、
初めて肉体関係を持った。その後も、ほぼ1週間に1回、上記ホテルにて待ち合わせをしたり、
店に被告の公用車が迎えに来て同ホテルに行ったりして、関係を持った。
被告の説明では、同ホテルには、原告と会う部屋とは別に被告の住居部分の部屋もあると言っていた。
二人が関係を持つようになってから、被告はホテル内にあるジムで運動し、身体を鍛えだすようになった。
その後、二人が会った日は元町の異人のダ―ツバ―に行くことが多かった。
その他、原告の知り合いの店に行きたいという被告の希望から関内にあった
「ハ―ト&ソウル」という店に連れて行ったこともあり、その店のオ―ナ―が被告のことを気づきびっくりしていた。
又、被告が運転する自家用車で焼肉を食べに東京に行ったりもしていた。
因みに、被告から原告へのメールは別表1〜21記載の通り平成16年5月30日から同年9月8日までしか残っていないが、
二人の直接の連絡は携帯電話番号(090―7232―0299)も教えてもらっていたが、殆ど携帯電話のメールでしていた。

3 原告と被告との交際― 残存するメールによるもの

(1)平成16年5月30日原告が勤めていた「華鈴灯」のママから、ママの夫(IT関係の会社を経営しているとのこと)に
紹介して欲しいと頼まれ、石川町にある中華料理店でコ―ス料理を注文、原告、被告とママ、その夫と4人で会食をした。
その費用はママが出した。
ママの夫が被告に対し「次、総理大臣になるなら誰がいいですか」と尋ねると、被告は「小澤がいい」と言っていたことがある。
又、会食前、被告は原告と連絡を取りあったり、会ったりしていることを隠すため盛んに言い訳を考えていた。
この会食及びご馳走になったお礼のメ―ルがある(甲6・7号証)。
被告は原告のことを「真紀」と本名で表示している。

〈2〉平成16年6月16日原告、被告、前記陳氏それから原告の友人の4人で
東京ド―ムでのダイエ―戦の野球観戦に行った(甲11号証)。
被告から「陳が寂しいから一人女の子を連れて来てくれ」と頼まれ、原告も中々見つけることができず、
余り連絡を取っていなかった友人を連れて行った。
席に座ったが、隣にタレントの「久米 宏」がいて、被告はびっくりして「何を言われるか分からない」と言い、
野球観戦もそこそこに退散しようとしたが、球場関係者に挨拶をされ、そこで原告はユニフォームを貰った。
そのユニフォ―ムは現在もある。
その足で、神楽坂のフレンチ料理の店に行き、個室で食事をした。そこは被告の行きつけの店のようで、
責任者か経営者か分からないが店の人が挨拶に来ていた。
被告は当時禁煙をしており、原告と陳氏は被告がトイレに席をはずした際にタバコを吸っていた。
その個室にはトイレが付いていた記憶がある。
4人でワインを飲んだが陳氏が一番酔っていて運転できないので、被告も飲んではいたが
陳氏ほどではないことから被告が陳氏の車(BMWだったと思われる)を運転した。
横浜市港南区日野インターで降り、原告の友人を降ろした。
友人が被告に対しお礼を言おうとした時、被告が握手をしようと右手を出すと友人が
被告の右手に左手を添えて握手をしたら、被告は「偉い。握手は右手でするものだ。左手を添える君は偉い」と強調していた。

(3)被告からのメ―ルは頻繁に入り、残っているものだけに限定しても上記以外に次のような内容のものがある。
原告と被告との関係が親密であること明白である。
@ 「『嶋耕作プラスマガジン』を見ておいて」(甲8号証)
原告は、このメ―ルを見て被告との関係を知っている友人と共に書店に一緒に見に行った。
この友人は自宅まで被告公用車で送ってもらい、「市長に送ってもらいビビッタ」。「二人が付き合って
この人間関係とは被告の夫婦の間を指している。
B「エマニエル・ベアールさんと会ったよ」(甲18号証)
これは、平成16年6月16日から20日までの間開催された「第12回フランス映画祭横浜2004」に
出席した被告がフランス代表団長として来日していたエマニエル・ベア―ル氏と会ったことを原告に知らせたメ―ルである。
C 被告の行動を知らせるものもある。
 「今日は今から青森出張」「来週は四国」(甲23号証)
横浜市長行動記録を見ると被告が青森出張をしていること(甲27号証)、又新聞記事によると(甲28号証)、
その夏休みを利用して子供と共に四国のお遍路をすることが記載されており、メ―ルの記載を裏づけている。
その他、「テレビ朝日のサンデ―・プロジェクト」テレビ出演を知らせるメ―ルには(甲24号証)、被告の氏名が唯一残されている。
D 平成16年6月15日原告は、被告から貰ったチケットで数回横浜球場での野球観戦をし、友人とXIP席で見た。
被告からのメールに「見事にべイスタ―ズを勝たせた」とあるのは(甲19号証)、
原告が観戦すると必ず勝つことから、このように書いたのである。


4 交際についての噂

(1)平成16年暮れ頃から、原告と被告とが付き合っているという噂が流れた。
後日判明したことによると、これは、被告が堂々と入り口から、しかも頻繁に原告が勤めている店に
出入りするのをある右翼団体の関係者が何度も目撃していて、
その関係者は「横浜から日本を変えるという人が何故『華鈴灯』に頻繁に行くのですか」と、
市長の行動を戒める意味で、市役所、市会に文書を流したことから一気に広まった。

(2)被告は、この噂を消すのに必死で、当初は「一緒に頑張ろう」と励ますようなこともあったが、
ある時元町の後援者と来ていた時に、この話題に触れ、当日偶々白と黒のドレスを着ていた被告の服装に引っ掛け、
「白黒はっきりさせよう」「俺達は何にも無いよ。こんな噂が出るくらいなら関係持ちますよ。ソウだよね」と同意を求められた。
原告も客商売であり、担当しているお客の手前、特定の客と交際していることが噂となることは望ましくはない。
しかし、原告としては被告とは「結婚を前提としたお付き合い」をしているのであって、遊びではない。
それなのにどうしてここまで言うのかと不思議に思い、辛い思いであった。
せめて友達という程度の表現にして欲しかったという思いであった。

(3)平成17年に入ってから原告は嫌がらせの電話や、客からからかわれたり、自宅のポストのものが無くなったり、
うわさが原因でストレスがたまり、体調がおかしくなりだした。
被告との連絡が次第にとりにくくなり、陳氏に相談すると、「警察に行け」と他人事の様にそっけなく言うだけであった。
それでも、陳氏は店には来て、直接連絡がとりにくくなった被告との連絡役のようなことをしていた。

(4)しかし、原告は被告に対する不信感よりも信頼する気持ちが強かったが、平成17年暮れ頃から被告とは
直接会えなくなっていたが、原告は噂に対しても被告のことをかばっていたものの、被告は原告のみに押し付け、
更には噂を流したのが原告であるような話が流れてくるようにもなった。
平成18年2月入院した際にも何のお見舞いも無かった。その頃にはメ―ルを入れても返信が無くなった。
入院後は陳氏を通じて連絡をしていた。
未だその時点では被告のことを信じていた。

(5)原告が平成18年5月未退院した際被告にメ―ルをいれた後、原告の友人から、
被告が「噂を流したのは原告だ。」と言い、更に驚くことに「原告から脅されている」とまで言っている事を聞かされた。
ここで被告の真意が分かり、もはや信じることができないと確信した。
ていることもビビルヨ」と言っていた。


神奈川新報三村貞夫主筆の目

華鈴灯に頻繁に出入りする中田 宏市長を右翼団体(華鈴灯の前に事務所があり、写真の提供者)の幹部が
目撃したことから事件は発覚し、各種の告発文書が市議や市幹部に配布され、不倫関係が表面化した。
市長は『事実無根』『結末を見て……』『ホントならベイブリッジで逆立ちできます』等、愚民(市民)に大言壮語した。
裁判が進行中で、真相(中田宏の死命を制す)は暴露しないが、
判決に関係なく公開(中田 宏が進退の表明時)する時期は何時か?。乞うご期待。

参考文献
中田宏と横浜市役所の職員による「学問の自由と大学の自治」に対する徹底した破壊の真相







中田宏・横浜市長辞職の真相!
神奈川新報

▽ 敵前逃亡(辞任)の深層
華鈴灯の奈々嬢を中田 宏に紹介したのは、
陳 正堂氏と公金詐取の塩原和夫ヨコハマ会会長で、
華鈴灯で繰り広げられた利権獲得密談
(リストの北見氏・北原氏・近沢氏・暴力団の最高幹部等々)の様相は
細部にわたり裏づけや検証済み。
奈々嬢をダシ(結婚詐欺の慰謝料請求3,000万円)に
利権屋(申請の許可を条件に)が群がり、
裁判取り下げと慰謝料3,000万円立替払いの話が
水面下で数回行われていた。
嫌気が差したか(恐れたか)中田 宏は利権屋に慰謝料の
立替払いを拒否(理由「三選出馬しない」だった。)した。
辞任は今年始めに決断と記者会見で述べたが、
3月頃(利権屋との交渉決裂)である。

 



当時のヒロリンは、素朴な「いなかっぺ」でした。
また、自分から「俺、『さかなクン』に似ているでしょ」と言って、甲高い声を出してモノマネを見せるなど三枚目な人でした。

▽ 主 筆 の 眼
 主筆は詳細を知り、確認を取った結果、事実と判明した。
 公表すれば、中田 宏個人だけではなく、汚職事件に発展する可能性もあり、今回は辞任の深層だけにとどめておく。
 ヨコハマ会が中田 宏を抹殺した事を付記しておく。
 中田 宏の賞味期限切れ。
指入れ合コンではなく、看護学校の生徒とホテルでパーティをしただけです。(陳正堂氏)




市民の会 声明

2009年4月28日に開幕した開国博Y150は、9月27日にその会期を終えました。
しかし、入場者数が目標の500万人に対し、124万人と遠く届かなかったこと、多くの入場者の感想が満足といえるものではなかったこと、現状で10数億円もの赤字が見込まれることなど、全体として、このイベントが成功と呼ぶには程遠い結果であったことは、誰もが認めるところです。
 イベントの不首尾については、さまざまな要因が考えられますが、横浜市の行政、議会、そして市民も、それぞれの立場でこのイベントの経緯と内容を真摯に振り返り、反省点を見出して行かねばなりません。何故なら、現在も、また近い将来も、横浜市の財政は危機的な状況にあり、市民の支払う税金の使い方について、今まで以上に真剣に「費用対効果」を精査してゆく必要があるからです。
 私たち「○○市民の会」は、今回のイベント失敗の理由について、世界的な不況の波、新型インフルエンザの流行など予期できなかった事柄以前に、以下の基本的な問題点があったのではないかと考えております。

1. 開国博Y150の目的:
このイベントの歴史的意義、その目的や、イベントによって得られる成果などが横浜市民はもとより、広く日本国民に認識されていなかったことが、集客数が伸びなかった要因の一つではないでしょうか?その点について、市民の代表の集まりである市議会内での討議は十分になされたのでしょうか?そしてその結果、イベントの目的と、想定される成果が、市民レベルにおいても容易に理解されるものになっていたでしょうか?

2. 企画内容と予算額:
企画内容は、目標の入場者数を引きつけるに足るレベルのものだったでしょうか?なぜ、多くの来場者にお粗末、といわれるものになってしまったのでしょうか?企画会社からの当初のイベント実施案の内容変更に対して、依頼する市・協会側からの確認は十分だったのでしょうか?その交渉内容も未だ明らかにされておりません。

3.市幹部の責任感欠如:
この事業はそもそも横浜市が計画・立案し、財団法人を設立、そこに補助金として83億円もの巨額の税金を投入して行ったものです。
ところが、イベントの評判が芳しくないことが判明した後、最高責任者である中田宏前市長がイベント会期中に突然辞職されました。またこの150周年記念事業を所管していた野田副市長も閉幕と同時に辞職、さらにもう一人の副市長も決算委員会終了と同時に辞職表明、という事態は、誰が見ても異常です。
市民にとって貴重な財源であるはずの財政調整基金をこうしたイベントのために取り崩した事は正しかったのでしょうか?巨額の補助金は適正に使われたのでしょうか?またそれはどのようにチェックされていたのでしょうか?昨年も補助金の不正支出が明らかになった横浜市ですが、その教訓は活かされていたのか、市側の姿勢にあまりに多くの疑問が残ります。
責任を投げ出した3人を含め、市幹部には、自らが推進したイベントの失敗について、先頭に立って原因を解明し、同じ失敗を繰り返さないための教訓を、議会と市民に残す責任があります。しかし、現実にはどうでしょうか。 議会からの参考人招致にも応じず、新市長にすべての責任を負わせるかのごとき対応は、まさに責任逃れそのものであり、市民に対する背信行為であると言わざるを得ません。

 また、これほど疑問のあるイベントの決定と実施について、予算を議決し賛同・承認してきた市議会の責任も重大です。議会に課せられた行政へのチェック機能は果たされていたのか問われています。
「自分たちの税金を無駄使いしないでほしい」という市民の切実な願いを理解し、今回のイベントの詳細を明らかにするために、徹底した調査を行う義務が市議会にもあると考えます。

「150年に一度の市民のお祝い」であったはずのイベントが、なぜこれほど後味の悪いものになってしまったのか、その真相を明らかにし、せめて将来への教訓を探ることを、私たち市民としても、もう、他人まかせにしておくわけにはいきません。
横浜市行政に対しては監査請求、市議会へは請願の提出、そして様々な情報の公開請求など、市民の側も手をつないで、できることから始めていかなければとの思いで、ここに「○○市民の会」を結成しました。
「何だったの?開国博Y150」・・・そんな思いを持たれた大勢の皆さん、そして横浜市の将来について憂慮されているすべての横浜市民に、この活動への賛同を呼び掛けます。
以 上