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二ッポン企業の底ヂカラに学べ! 株式会社吉野家ホールディングス
「100店舗突破から、たった1年で200店舗達成。いつしか店を増やすことが目的になっていました」

1899年、創業以来多くの顧客を獲得し好調だった吉野家。1970年代以降、外食比率上昇の追い風を受け店舗数を拡大。しかし急激な拡大路線はあえなく失敗。当時はとにかく出店ありきだった―― と、木津氏は振り返る。

77~78年のたった1年で、店舗数を100から200に倍増しました。さらに翌年も出店を続けた結果、当時輸入が制限されていた米国産牛肉の量が出店スピードに追いつかなくなった。苦肉の策として、一度米国から台湾へ肉を輸入し、フリーズドライに加工後国内に持ち込んだのです。同時に、効率化のためにたれも粉末タイプに変更しました。結果どうなったかというと…… 味が落ちてお客様が離れました。今思えば当然の結果ですけれども」

迷走は続いた。常連客が離れていく中、売上を守るため、300円だった牛丼並盛りを350円に値上げ。これが決定的に客足を減らす原因となり、1980年。膨大な出店費用と赤字店舗の増加により、経営難の吉野家はついに会社更生法を申請。倒産した。

会社更生法の適用を申請するためには、スポンサー企業の参画が必須だ。支援企業を模索していく中、手を上げたのが西武流通グループ(当時)だった。吉野家の牛丼に特化したユニークな外食モデルと、その圧倒的なネームバリュー魅力を感じた西武流通グループは、“この会社なら再建は可能”と踏み、自ら優先株の引受先となった。西武百貨店やパルコ、西友など、好調企業に支えられ潤沢なキャッシュを持つ西武流通グループは、吉野家再建のため意欲的に資金面からサポート。これが強力なバックアップとなり、吉野家は更生計画の認可を受けることができた。現在も吉野家ホールディングスの大株主に西友が名を連ねているのは、この時の名残りだそうだ。 ちなみに現在の筆頭株主は、吉野家の牛肉輸入を手掛ける伊藤忠商事。現在132858株ほど吉野家株を保有しており、発行済株式のほぼ20%を握っている。

西武流通グループの資本参加は吉野家復活には欠かせない要素であったわけだが、ある企業がどの企業と資本関係にあるかを知るために、投資家は株主構成や持ち株比率の変化をチェックしておく必要がある。多くの日本企業は、国内の金融機関から資金調達しているが、中には外資系金融機関やファンドなどからの出資を受けているケースもある。先ごろ経営破綻したリーマン絡みの債券を保有していた企業は、現在その処理を迫られ、来期以降に特別損失の計上を余儀なくされるが、こういった面からも、“どの金融機関と資金面でつながっているか”を株主構成などから探っていく作業も、現在の世界金融不安の中では、投資家に求められるスキルの一つだといえるだろう。

「債務100億円を7年で完済。攻めの姿勢を一転、原点に立ち戻ってお客様が帰ってきた」

「吉野家は、倒産がきっかけとなって改めて“ビジネス”の本質を学んだんです。ビジネスの核となるものを理解し、進むべき道を吟味し、守るべきものを守らなければいけなかった。私たちにとってそれは、常連のお客様であり、彼らが愛してくれる吉野家の“味”と“サービス”。つまり、“うまい、はやい、やすい”です。必要なのは原点回帰でした」

西武流通グループ(当時)の資本参加により、吉野家は資本金5億円で再スタートを切った。無謀だった店舗開発を改善し、創業時からの味とサービスを復活させた吉野家は、早くも翌期から営業黒字化に成功。倒産時の80年の経常利益は10億円だったが、翌81年には19億円となった。不採算店舗を処分し、牛肉の輸入量と店舗数のバランス牛丼の味・サービス・価格を元に戻す、という原点回帰によって顧客が戻ってきた結果だろう。

「管財人の増岡氏も、吉野家再建には欠かせない立役者の一人でしたね。彼は、“吉野家”を“よしのけ”と読んでしまうくらい、私たちのことやこの業界のことをまったく知らない、素人だったんです。その彼に至極納得してもらえるような事業計画を、私たちは説明できなければならなかった。社長は何度も言われたそうですよ、“もっと分かりやすく説明して欲しい”と(笑)」

会社更生法の申請にあたり、管財人増岡氏によって、店舗の賃貸費用や人件費など正確かつ明快なキャッシュフローの説明が求められた。それらをひとつひとつクリアしていくことで組織は健全化していった。結果、堅調に業績を積み重ねていった吉野家の86年の経常利益は36億円となり、申請から7年というスピードで債務の100億円を完済。会社更生計画は終了した。
3年後の1990年にはジャスダックに株式を上場するまでに成長した吉野家を、投資家たちもこぞって歓迎したようだ。90年の株価最高値38万8000円は、今も吉野家の上場以来の高値となっている。それは西武流通グループという磐石のバックボーンを得、原点回帰によって着実に成長を続ける吉野家への、今後の期待の表れだったと言えるだろう。

2000年に入ると、吉野家は東証一部に上場。上場した1月には18万6000円だった株価はその後一気に上昇し、その年の11月には24万9000円の高値を記録した。ついに一部まで登りつめた吉野家を、マスコミはこぞって“奇跡の復活”として取り上げた。

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