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きょうのコラム「時鐘」 2010年4月18日
沖縄本島の東に突き出た勝連半島の城跡を訪れたことがある。米軍基地移転先の候補だったホワイトビーチが古城跡からよく見えた
1853年、浦賀に来る前に、米国のペリー提督が上陸を強行して視察した堅牢な石垣の城跡も近くにある。太平洋と東シナ海の両方を見渡す城を見て回ったペリー提督の目的が単なる物見遊山でなかったのはいうまでもない 当時の米国海軍は力ずくで沖縄に上陸し、補給基地にしたのである。翌1854年、ペリーは神奈川に正式に上陸して日本を開国させた。これで、中国・上海から琉球列島、日本本土を結ぶ海の補給線ができあがった 沖縄は、約160年も前からアジア太平洋の「要」として、中国大陸や朝鮮半島ににらみをきかす米軍の最前線だったのである。昭和の沖縄戦が熾烈(しれつ)を極め、ベトナム戦争時にB52が出撃したのも、沖縄の置かれた戦略的な位置とは無縁ではない 沖縄の歴史には日米双方の力関係と基地問題の深さがにじんでいる。オバマ大統領と会って「わずか10分で会談とはおこがましい」と野党に笑われた鳩山首相に、歴史の審判が迫っている。 |