2010/04/17
1:50 pm
昨日、エアミュの千秋楽に行った。
鎌刈健太くんを観ていて胸に熱いものが込み上げた。
歌も熱唱、アクションも花川くん相手の部分などスピードと切れがあり、
竜司くんとも、スケートを履いて足場が悪いはずなのに形決まっていた。
彼がどれだけこの舞台にかけていたか痛いほど感じた。
舞台も、男同士の熱いぶつかり合い、落ち込む友達、ともに立ち上がる勇気と、
物語も的確に語られ、エアトレックの疾走感、スピード感も十分に目を楽しませてくれた。
RUN&GUNのおしゃれな会話も随所にさく裂し、茅野演出が冴えわたった。
終演後、面会や関係者でごった返す楽屋で、ケンケン、よかったよ、物語以上の熱さを感じたよ、と耳元で囁いた。
それは、彼については、もしかすると、非常に個人的な感想なのかもしれない、という思いがあったからだ。
旧知の事務所社長から今度オーディションに一人出してるからよろしくと電話があり、
どういう若者が来るのかと思っていたら、かわいいけど生意気そうな顔をしたケンケンだった。
その氷帝戦のオーディション以来、どういうわけか、たくさんの接点があった。
関東大会氷帝戦の大阪公演、ケンケン、和樹くん、たくみくんと4人で焼肉食べに行った。
その焼肉店たぶん家族経営なのだろう最初は若い女性の店員さん、
続いてお母さん、そのあとはおばあちゃんとそっくり顔の親子三代が全部出て来てサービスしてくれた。
相手からすればなんで突然そのお店にこんなイケメン3人組がやってきたんだろう、
どこのなんていう人ですか、と興味津々と聞かれたことがあった。
黙っている2人を置いといて、ケンケン、おれらただのあんちゃんや云々かんぬん、…、…、
とぼくには聞き取れない早口のディープ大阪弁で答えた。
そのあと、阪急東通りの裏街オカマバーに行ったらここでも、
ナイスバストのおねえ手品師のプレイ、必死にその謎に挑んでいった
(あの店、今でもあのとき撮った写真飾っているよ)
ただのやんちゃな大阪のお兄ちゃん、それが彼の素顔に見えた。
東京で彼は、たぶんその時の自分のちから以上に、
前向きに必死に頑張る、脳内スピードをトップギア―に入れて言葉と体を動かしていた。
そんなケンケンがダウンしたのは「エアミュ」の再演の稽古開始から4日目だったかな。
倒れて運び込まれた病院に見舞ったときのこと、今でも鮮明に覚えている。
ゆっくりしてていいよ、まず病気を治すんだよ、と言った僕に、すみません、とつぶやいたケンケン。
退院し、大阪に帰った彼から丁寧な手紙をもらった。
「……。病院で手を握ってくれたときのこともすごく覚えています。
僕にはこんな温かい人が支えてくれていて、本当にありがたくうれしいです。……。
早く元気になって片岡さんと会える日を楽しみにしています。健太」
元気になったケンケン、彼とどういう仕事をしようか、考えた。
僕と松田くんとの仕事では「全国大会氷帝戦」を2008.11まで、
その後に映画で「新宿区歌舞伎町保育園」、
青山劇場の「オアシスと砂漠」、
キラキラRADIOと続き、
今回の「エア・ギア」までがその時の復帰プランだった。
エアミュだけは、僕の事情で立ち上げまでの仕事しかできなかったけど。
そんなことを考えながら千秋楽を観ていたら、エピローグのソロのところで不覚にも涙がこぼれた。
幕間の休憩時、ロビーでお母様と話したのも涙につながった。
お母様の目にも涙があった。
これをやらないと今後に悔いが残る、やらせていただいてありがとうございます、
と何度も頭を下げられた。大阪できちんとビジネスをご自身でされている、とてもやさしくきれいな方だ。
会話は短かったけど、それで十分気持ちは通じた、同じことを考えているのはお互いに一瞬で分かった。
楽屋でKENNくん、ヤスカくん、良輔くん、小池くん、竜司くん、雄也くん、にそれぞれグッド出しをした。
楽屋口、横付けしたトラックに向かってスタッフがあわただしく動く中、
これで彼からもらった手紙、プロデューサとしての僕の役割ちょっとは果たせたかなと思いつつ
大勢の出待ちファンの列の中、雨の神宮外苑、夜の寒空に向かって傘を差し出した。