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第二十三話 幸福を得るための資格
<ネルフ本部 第一発令所>

観測システムから異常なデータを受け取ったネルフ本部の発令所は緊張に包まれていた。

「パターン、オレンジ、未確認。不規則に点滅を繰り返しています」
「もっと正確な座標取れる?」

マヤの報告を聞いたミサトはマコトに尋ねた。

「これ以上は無理ですね……なにしろ反応が小さすぎて……」
「地下、か……この前私の目の前に現れたヒト型の使徒なのかしら」

ミサトの呟いた言葉をリツコはにべもなく否定する。

「ミサトがみたっていう使徒だけど、どのセンサーにも反応が無かったわ」
「私の証言が嘘だって言うの?」
「違うわ。多分、その使徒は反応を完全に消すことができるのよ。だから今回の使徒は異なるものと推測できるわ」
「深度は約300メートル!」

マコトの報告が聞こえるとリツコとミサトは話し合いを一時中断した。

「パターン、青に変わりました」
「使徒……?」

報告したマヤの動きが途端にあわただしくなる。

「反応、ロスト。すべてのセンサーから反応が消えました」
「観測ヘリからの報告も同じ。目標は完全に喪失」
「これは……」

マヤとシゲルの報告を聞いたミサトは考えを巡らせた。

「試しているのかもね、私たちの能力を」
「使徒が戦術的判断をする可能性は十分に考えられるわね」
「生存本能と闘争本能のせめぎ合いが、人間に戦うための知恵、戦術というものを与えた。使徒がそれを手にしていてもおかしくないわ」
「使徒も生き延びたいのね……」

リツコとミサトの間で再び使徒の動きについての討論が行われた。
そしてミサトの最後の呟きは、エヴァに乗り込んで戦闘待機していたシンジ、アスカ、レイの三人にもかすかに聞こえていた。
シンジがほんの少しだけ顔をゆがめる。

「シンジ、暗い顔してどうしたの?」
「うん、いや……何でも無いんだ」

シンジはモニターのアスカとレイに向かって笑いかけたが、まだ表情は微妙に暗いものだった。

「エヴァの出撃準備は整っているけど?」
「やめましょう。得体のしれない敵に、下手に手を出すのは」

その後しばらくしても反応が無かったので、発令所にも安堵した空気が流れるが、ミサトは一言いって場の空気を引き締める。

「使徒の可能性が完全に否定されない限り、私たちは警戒を緩める事は許されないのよ」

ミサトの声に反応するかのように再び警報が鳴り響く。

「受信データを照合、パターン青、使徒と確認!」
「警戒中の観測機、113号より入電。目標は滞空中。依然として動かず」
「総員、第二種戦闘配置。動き出すまでくれぐれも攻撃はしないように戦自と国連に伝達して」

マヤとシゲルの報告にミサトは号令を下す。

「目標、モニターに映します」

マコトの声と同時に発令所の正面モニターに使徒の姿が映された。
使徒は円盤状の物体が何個も折り重なり、巨大な提灯といった形状を持っている。

「使徒の能力は?」
「各部の大きさ以外はすべて不明です」
「地下に潜んでいたのに、今になって出て来た理由は何?」

マコトの報告を聞いたミサトは割合大きい声で呟いて考え込んだ。

「やはりこちらの攻撃を誘う罠なんでしょうか?」
「油断をさせておいて一気に動くのかもしれません」
「私は……今の状況からは何も考えられません」

ミサトはマコトとシゲルの言葉に頷いていたが、マヤの言葉を聞くと顔をしかめた。

「まったく、マヤっちはマジメなんだから。簡単に自分の限界を線引きして諦めちゃダメよ。負けず嫌いって気持ちを持たないとダメよ」

ミサトの言葉を通信越しに聞いたシンジはポツリと呟く。

「アスカって、負けず嫌いだよね」
「ええ、そうだけど?」
「……そこに僕は魅かれたのかもしれない」
「バ……バカっ。戦闘待機中に何言ってるのよっ!」

アスカの顔はたちまち真っ赤になった。

「はいはい、ノロケはそのくらいにして、警戒に集中してね」

ミサトは気負いすぎていないシンジたちを見て、良いことだと思った。
長い時間強く緊張しているのはあまり良くないことだからだ。

「大変です!使徒の近くの戦闘エリアに非戦闘員の反応が!」
「なんですって!?」

モニターに自転車に乗った少女、山岸マユミの姿が映し出され、すぐさまIDデータも表示される。

「山岸さん!?」

さらに後ろから折りたたみ自転車に乗った少年が確認される。

「相田君!?」

モニターではマユミに追いついたケンスケが腕を引っ張って、抵抗しているマユミを連れ戻そうとしている。

「日向君、しばらくこの場の指揮を任せるわ!」
「ミサト、待ちなさい!救助は付近に居る戦略自衛隊の隊員に……」

リツコがそう言い終わる前にミサトはすでに発令所を飛び出していた。
ミサトは自分専用に用意された車庫に入ると、新しい足となった真っ赤なバイクに乗り込んだ。
分裂使徒イスラフェルとの戦いでルノーが昇天してから、ミサトはリツコに頼んでさらに小回りのきくバイクを水陸両用に改造したものを『ワルキューレ』と名前をつけて愛車とした。

「おい、山岸!シェルターに避難しないとダメだろう!それに、あそこに居るのは使徒って言ってな、とっても危険なヤツなんだぞ!」
「放っておいてくれませんか!私なんてどうなったっていいんです!」

ケンスケは腕を引きずってでもマユミを自転車に乗せようとするが、マユミの抵抗は激しい。
争う二人の側に真っ赤なバイクに乗ったミサトが土煙をあげて現れた。

「二人とも早く乗って!」

ミサトはそう言ってスイッチを押し、格納されていたバイクのサイドカーを引っ張り出す。

「ミサト先生!?」
「……いいんです、私なんか……」

ミサトとケンスケは二人で嫌がるマユミをサイドカーに押し込んだ。

「あの、俺は?」
「相田君は、私の後ろ!しっかりつかまって!」
「えっ、座席は一人乗りに見えますけど……?」

バイクに乗ったミサトの後ろで、ケンスケが遠慮しがちにミサトの腰に手を回す。

「そんなんじゃ、振り落とされるでしょ!もっとしがみついていいから!」
「えええっ!?」

そう言ってミサトは後ろを振り向いてケンスケの体を抱き寄せ、また前に向き直った。
腕に感じるミサトの胸の柔らかい感触。目の前にはミサトのうなじ。
ケンスケは一瞬だけ幸せを感じたが、次の瞬間恐怖に変わった。
もうスピードでバイクは走り出し、さらに視界は眩しい光に包まれた。
ケンスケはただ振り落とされないように腕に力を込めてしがみつくので精いっぱいだった。

「使徒が自爆!?」
「目標の消滅を確認」
「パターン消失しました」
「加持特佐も、民間人の二人もみんな無事です!高速で脱出する姿を確認しました」

モニターにミサトの乗る赤いバイクが映し出されると、発令所は歓声に包まれる。
しかし、目をつぶって必死にしがみつくケンスケの姿は一部の人間から反感も少し買った。

「どさくさにまぎれてスケベね」
「加持特佐の運転なら仕方ないでしょう」

リツコがモニターに表示された被害状況の報告を見て驚く。

「物理的被害がゼロというのはどういう事かしら?あの使徒の自爆は光と音だけのこけおどしとでもいうの?」

ケンスケとマユミを乗せたミサトのバイクはネルフ本部にたどり着く。
ミサトは被害がゼロだと言う報告を聞くと、ひとまずケンスケたちのことを優先することにした。

「使徒が来た時は、シェルターに避難しなければいけないのはわかっているわよね?」

ミサトは厳しくケンスケとマユミを叱りつけるように言った。

「山岸さんは悪くない……俺が、俺が彼女を無理やり連れて来たんです!」
「……!?」

突然そう叫んだケンスケの発言に、小さな声で『ごめんなさい』を繰り返し、ミサトと目線をあわさずに下を向いていたマユミが驚いて顔をあげた。

「そーお。じゃあ悪いのは百パーセント相田君で、山岸さんは被害者ってわけね」
「あ、あの……」

ミサトは内線で電話をかけ、ネルフ本部の食堂で働いているヒカリを呼び出した。

「あ、ヒカリちゃん?山岸さんをネルフの方で保護したから、一緒に家に送って欲しいの……うん、ありがとうね」

ミサトは電話をかけ終えると、マユミの方を向いて微笑む。

「じゃあ、山岸さんはここで待っていて。私は相田君を連行して厳重注意を与えないといけないから」

そう言ってミサトはケンスケの腕を引っ張った。

「あ、あの……相田君は……」
「シェルターを抜け出したのは二回目だからね。厳しーい罰を与えないと」
「本当にすいませんでした!ミサト先生!」

ミサトとケンスケが姿を消すと、マユミの前にヒカリが現れた。

「山岸さん、驚いた?私も事情があって、学校のない時はネルフの食堂で働かせてもらっているのよ。さあ一緒に帰りましょう」
「あの洞木さん。相田君ってどんな人ですか?」
「そうね……軍事マニアで変なヤツだけど、意外と人のことをよく見て結構気を利かせてくれるヤツかな?どうして?」
「いえ、何でもありません……」

マユミはヒカリと一緒に電車でネルフからの帰途についた。
一方、ミサトに連行されたケンスケは、これからどんな罰則が自分を待ち受けているのか緊張していた。

「相田君~ん、やるじゃないの、女の子をかばったりして、このっこのっ」

いきなりニヤケ顔になり腕で自分の脇腹をつつくミサトにケンスケは拍子抜けして驚く。

「ミサト先生、わかっていたんですか!?」
「だから私も相田君の男気を無駄にしないために演技したんじゃないの。んで、マユミちゃんのどこに惚れたの?やっぱメガネっ娘だから?」
「ミサト先生、俺をオタクやフェチと勘違いしてませんか?俺はマニアなんですよ、軍事マニア!」
「普通の人から見ればどれも同じよ」

ミサトはケンスケの顔を眺めるとものすごい嬉しそうな顔をした。
これは何かいたずらを思いついた子供の表情そのものだとケンスケは直感した。

「よし、明日から相田君を軸として”E計画”を進めるから」
「ええっ!?」

突然ミサトに肩を叩かれたケンスケはびっくりして二の句が告げなかった。

「シンジ君やアスカやレイ、ヒカリちゃんにも伝えておくからよろしくねん」

手をひらひらさせて、そう言って立ち去るミサトをケンスケはただ見送るしかなかった。
発令所に戻ったミサトは、リツコたちと話し合いを重ねるが、結局使徒が自殺したらしいとの結論を出すしかなかったが、ミサトにはいまいち納得がいかなかった。
シンジたちの戦闘待機は解かれ、翌日から通常通り学校に行くことになった。
一方、ケンスケは自分の家に帰宅した後、ベッドの上で眠れずに思い悩んでいた。

「今日のことが気になって眠れないのかな……」

ケンスケは今日のマユミとのことを思い浮かべた。

「あいつ……俺に似ているのかな。周りに気を使って謝ってばかりで。俺は周りのみんなが何を望んでいるのかなんとなく分かっちまうんだよな……」

そう呟いてケンスケは下唇を噛んだ。

「俺は……嫌われたくないから、自分の気持ちを殺してまで他人のことを優先させちまう!惣流のことも、霧島のことも、俺は譲っちまっている……」

最後にケンスケはミサトの顔と、言われた言葉を思い浮かべる。

「自分の気持ちに正直に生きる……か。それができたらどんなにいいだろうな。俺も碇や惣流のやつみたいに強くなりたいぜ……」

ケンスケはゆっくりと眠りに落ちて行った……。



<第三新東京市 第壱中学校>

翌日の放課後。”E計画”実行部隊となったシンジたちは部活動やネルフの仕事も免除され、半ば強制的に計画に専念させられることになった。

「みんな、転校生の子は予想通り図書室に行ったわ」

レイの報告にアスカたちは活気立った。ただ一人ケンスケを除いて。

「ほら相田、さっさと図書室に行った、行った」
「まったく、なんで俺がこんなこと……」

アスカに逆らっても無駄だとわかりきっているケンスケは、渋々図書室へと向かった。

「図書室にある軍隊関係の本は、ほとんど読んじまったしな……」

ケンスケが本棚を見回しながら歩いていると、本を読みながら歩いていたマユミとぶつかってしまった。

「うわっ」
「あ、ごめんなさい」

マユミの持っていた本が床に散らばった。

「私、ぼーっとしてて、本当にごめんなさい」
「俺も悪かったよ」

マユミがしゃがんで本を拾っているのを見て、ケンスケもしゃがみ込む。

「手伝うよ」
「あ、いいんです。私のせいですから」
「一人だと大変そうだからさ」
「ごめんなさい、本当に」
「そんなに謝らなくていいさ」

ケンスケとマユミの手が一瞬だけ触れ合う。

「ごめんなさい!」
「え、いや、そのな……」

お互い手を引っ込めてドギマギする。

「なあ、これだけの本、一人で読むのか?」
「はい、本が好きなんです。だって……」

視線をそらしたまま、そこまで話してマユミは言いよどむ。

「だって……?」
「いえ、なんでもありません」

本を拾い終えた二人はゆっくりと立ち上がる。

「ありがとうございました、本当に」
「いや、たいしたことじゃないさ」
「それじゃ……」

マユミは足早に立ち去っていく。
教室に戻ったケンスケの報告を聞いたヒカリとアスカは満足げに頷いた。

「相田君と山岸さん、いいムードじゃない?」
「相田にしてはなかなかやったわね」
「俺はもうこりごりだよ……」
「大変だね、ケンスケも」
「まあ、きばれや」

すでに出来上がってるカップル二組の他人事のような言葉に、ケンスケはため息をつくしかなかった。
翌日通学路を歩いていると、ケンスケは本屋から出て来るマユミを見つけた。

「あ……」
「あれ……君……朝から本を買ってたのかい?」
「ええ……昨日図書室で借りた本、全部読んじゃったから……」
「本が好きなんだな」
「だって、いろんなことを教えてくれるから……」

マユミは伏し目がちにケンスケに尋ねる。

「あの……相田君は本を読んだりしないんですか?」
「まあ……よく読む方かな」

軍隊関係の本だけど、とケンスケは心の中で付け加えた。

「よかった……」
「どうしてだよ?」
「だって、同じ趣味の人がいると思うだけで楽しくなるじゃないですか」
「そうだな……」

悪いことしちまったかな、とケンスケは心の中で独りごちた。
そんな談笑をしながら歩きはじめた二人だが、突然マユミは体内に異様な感覚を覚え下腹部を押さえて立ち止まった。

「私が私じゃないみたい……何これ。何なの?」
「どうしたんだ、大丈夫か?」

慌てたケンスケの問いかけに対し、マユミは笑顔で首を振って答える。

「あ、いえ。……何でもありません……」

そしてまた何事もなかったかのように再び二人は学校へと歩き出した。
その姿を遠目から眺めたミサトやアスカたちはその展開にニンマリする。

「こりゃあ、私たちが手を出すのはヤボってもんね~」
「まあ、ミサトが企画した転入生歓迎会を中止することは無いんじゃない?悪くない案だしさ」

今日の一時間目の授業は根府川先生の何回目か数える気にもならないセカンドインパクトの授業だった。

「そうですね、今日は転校生の山岸さんに答えてもらいましょう」

マユミ用の学習用パソコンのディスプレイに問題が表示される。

『セカンドインパクトによる死者は当時の世界の人口の半数である約(   )億人である』

マユミは返答に困ってしまった。確かに授業で習った覚えはあるのだが、セカンドインパクトによる死者の合計数などテストに出る事が無く、考えたことが無かった。
ちなみに根府川先生はボケているわけではないのに、注意や非難を受けてもしつこくセカンドインパクトの続けている。
ネルフでも解明できない第三新東京市の七不思議の一つである。

「山岸マユミさん、どうしました?」
「あ、あの……その……」

マユミのディスプレイにメールが届き、30とだけ文面が書かれていた。

「えっ……?」

マユミは30とキーボードで打ちこむ。

「ああ、正解ですな。よく勉強してきていますね」

マユミが差出人を探して辺りを見回すと、ケンスケと目が合いマユミは頭を少し下げる。
ケンスケは照れた様子で顔をそらした。

「これが世に言うセカンドインパクトというものです。そのころわたくしは根府川に住んでいましてね。今では海の底になってしまいましたが……」

根府川先生がそこまで話したと同時に、毎回正確に計られたタイミングのように授業時間終了のチャイムが鳴る。

「シンジ……いい加減になんとかして欲しいわ……耳タコよ、ホント」
「僕に言われても困るんだけど……」
「先生、交代……」
「起立、礼」

ヒカリの号令で休み時間が訪れると、シンジたちはミサトが提案した転入生歓迎会の出し物についての話し合いを始める。

「よっしゃ、地球防衛バンド再結成や!」

トウジのその提案に、アスカが反対した。

「バンドなんてイヤよ!」
「惣流、ボーカルができないからって我がまま言うなよ」
「違う!アタシは前と同じ企画は嫌だっていってんの!……そうね、歓迎のお菓子を作るっていうのはどうよ?」

アスカの提案にトウジとケンスケが難色を示す。

「アホか!お菓子作りなんて出来るか!」
「そうそう、さっそく音楽室で練習を始めようぜ」

ケンスケの発言でトウジもレイ、ヒカリも席を立って音楽室に向かおうとする。
シンジも後に続いて席を立とうとしたのだが……蒼い目に涙をいっぱいに浮かべたアスカに腕を引っ張られた。

「シンジぃ……アタシと一緒にお菓子作りぃ……」
「仕方ないなぁ、アスカの涙には勝てないよ……」

そして迎えた放課後。加持邸で鼻歌を歌いながらお菓子を作り始めたシンジとアスカだが、果物の皮をむくアスカの手つきは危なっかしい。

「アスカ、もっと切れ味のいいものを使わないと……切れない刃物だと怪我をするよ」

などとシンジが助言するのだが、しばらく続けた後ついに我慢の限界に達したようだ。

「あー、もうやめやめ!お菓子作りなんて私の性に合わないわ!」

そう言ってアスカは作業を放棄してしまった。

「僕もお菓子作りは得意じゃないんだ……アスカがやめちゃうと心細いよ」

シンジの言葉にアスカは考え込み、しばらくして笑顔を浮かべて玄関から外に出行こうとする。

「いったいどこに行こうっていうのさ?」
「学校に行ってくるっ!シンジはお菓子作りを続けていて!」

アスカは元気よくそう答えると姿をもう加持邸から消していた。
学校に残って音楽室で曲の練習をしていたトウジたちの元に、突然アスカが現れる。

「なんやなんや?」
「ヒカリ、貰って行くわよっ!」

ヒカリはアスカに腕を引っ張られて、結局アスカたちのお菓子作りを手伝う事になってしまった。
取り残されたトウジたちはぼう然となる。

「こうなったら、ボーカルを綾波に変更するしか……」
「ごめんなさい。私、風邪をひいて、のどが痛いの」
「そら、無理させるわけにはいかんな」

ボーカル不在のピンチを迎えた”帰って来た地球防衛バンド”。
ケンスケはいつもなら割り切ってしまうところだが、今回はなぜか諦めたくなかった。
考えを必死に巡らせたケンスケはボーカルの候補として、ある女子生徒の名前をあげた。
放課後遅くまで図書館にいたマユミを見つけ、膝をついて頼み込んでいるケンスケとトウジ。

「頼んます!」
「その美貌を見込んで!」
「私より綺麗なひとなんていっぱいいるのに……」

マユミはそう言われて困惑している。

「無理に、とは言わないけど……」

押し付けるのが良くないと思ったのか、レイは遠慮がちに頼んだ。
マユミは少し考えた後、ケンスケの顔を見詰めて答える。

「恥ずかしいですけど……私でよければ」

その日の晩。ベッドで寝ているマユミは、一人呟く。

「なんで、ボーカルなんか引き受けてしまったの……?褒められて、嬉しいと思ったから……?」

やがてマユミは自分の心が映し出されるような不思議な夢を見た。
夢の中には、乗客のいない電車の座席で一人で座って本を読む自分がいる。

「本が好き。本の中には、下品な男の人も居ないし、勝手にあちら側からこちら側にやってくる、無神経な人もいないから」
「そう、よかったわね」

マユミの心の声が聞こえてくる。
しかし、自分の声の他にそれに答えるもう一つの声が聞こえてくる。

「家の中が好き。期待した以上の事も起きないけど、それより悪い事も起きないから。自分で思ったとおりの事ができる。私をほめてくれる人はいないけど、私を笑う人もいない」
「本当にそう?」
「めんどうくさいから、しゃべるのは、嫌い。どんなに言葉を重ねても、本当の私の事を理解してくれる人はいないから」
「私はあなたのすべてが分かるわよ」
「でも、喋らないから、勝手に私がこうだと思い込む。おとなしい子だと勘違いする。嫌い。そんな人は大嫌い。自分の勝手なイメージを人に押し付ける、そんな人ばかりだから」

ふと気づくと、マユミの夢の中の自分が座っている座席の向かい側の席に、顔を伏せたケンスケが座っている。
ケンスケは下を向いて微動だにせず、マユミの方を見ていないようだ。

「相田くん。彼みたいな人は今までいなかったけど。だけど期待はしない。何度も裏切られたから。みんな私を裏切るの。裏切らないのは、私が好きな本だけ」
「そうやって諦めてしまえば楽なのね」

マユミの目の前の映像が断片的に浮かび上がっては切り替わっていく。
泣き叫ぶ幼いマユミ。床にぐったりと倒れている女性……それはマユミの前の母親。包丁を持っている、背広を着た男性らしき手……それはマユミの前の父親だった。
いつの間にかケンスケの姿は消えて、電車の中に居るのは本を読んでいるマユミ一人になっている。
そして涙を流している自分に気がつく。

「……でも、私、泣いているの?」

次の日、シンジたちが教室で授業を受けていると、突然外から爆発音がした。

「何や!?……事故かいな!?」

トウジは驚いた声を出して、シンジとケンスケと一緒に窓へ駆けよる。
するとまゆのような形をした使徒が空中に浮遊しているのが見えた。
マユミはその後ろで、突然腹部に苦痛を感じてうずくまってしまう。
同時に、アナウンスの声が鳴り響く。

『ただいま、第三新東京市全域に緊急避難命令が発令されました。市民の皆様は速やかに規定のシェルターに避難してください。繰り返します……』

教壇で英語の授業をしていたミサトは、引き締まった顔でシンジたちに号令をかける。

「シンジ君、アスカ、レイ!ネルフ本部へ行くわよ!」
「はいっ!」
「頼んだで、シンジ!」
「エヴァの活躍、見せてくれよな!」

トウジやケンスケ、クラスメートの声援に見送られてミサトたちは教室を出て行こうとする。
しかし、マユミが鋭い声でミサトたちを呼び止める。

「先生、お願いします!私を殺してください!お願いします!」
「な、何言ってるのよ?……こんな時に、どうしてそんな事を」

ミサトは脈絡のない発言にただただ驚くしかなかった。

「わかるんです……。私の中に、あの怪物がいる。あの怪物の魂が宿ってる」

使徒が現れた次の日、マユミは腹部に違和感を感じていた。
この前の夜には心の中を覗かれるような奇妙な夢を見た。
そして、今日使徒が再び現れたとたん、また下腹部に強い苦痛を感じだした。

「そんな……?」
「わかるんです!わかるの!だから殺して!早く私を!」

ミサトをはじめ、シンジたち、そしてクラスメートは驚きすぎて全く動けなかった。

「そんなこと、できるわけないだろ?」

固まったみんなの中で一番早く動いたのはケンスケだった。
そう言ってマユミの肩を正面から力強くつかむ。

「だって私、嫌いだから!人に迷惑をかけるのも、かけられるのも!勝手に心を覗かれるのも、覗かれるのもそんなの嫌だから!そんな自分も、嫌だから。このままじゃ……もっともっと自分が嫌になるから……」

マユミはそう言って泣きながら顔を両手で覆って、しゃがみこんでしまった。
ミサトはゆっくりとマユミに近づいて頭を優しくなで撫でながら、穏やかな笑顔を浮かべてささやきかける。

「でも、駄目よ」

驚いた様子で顔をあげたマユミ。

「だって、死んじゃったら、好きも嫌いも、ないじゃない……ねえ、相田君」

ミサトに話を振られたケンスケは、照れた様子で慌ててマユミの肩から手を離す。

「クラスのみんなは早くシェルターへ。相田君も一緒について来て。ネルフの病院で山岸さんをリツコに診てもらうから、側に居てあげて」




<ネルフ本部 103号病室>

ネルフへの移動中に下腹部の痛みがひどくなり気を失っていたマユミは、ベッドの上で目を覚ました。

「また、知らない天井……」
「気がついたか、山岸?」
「相田君……」

マユミの側にずっとついていたケンスケが声をかける。

「使徒は……?どうなったの……?」
「なんか、殻に閉じこもったまま変化が無いみたいなんだ。碇たちはエヴァに乗って待機してにらみ合いが続いている」

時計はすでに夕方の時刻を表示しており、マユミは長い間眠っていたことに気がついた。
しばらくの間、静寂で部屋が満たされた後、騒がしい足音が部屋の外からこちらに向かってやってくるのに二人は気づいた。
ドアを開けて入って来たのは大人のネルフの職員たち数名。先頭に立っている人物の姿を見かけてケンスケは驚いた。
ケンスケの父親である、調査部所属の相田二尉だったからだ。

「パパ!」
「……ケンスケ、その娘から離れるんだ。使徒のコアが宿っているそうじゃないか、危険だぞ」
「なんで、その事を……まさか……」

ケンスケは父親のパソコンからデータを時たま盗んでいたが、それは逆にケンスケの情報も父親に知れる可能性があった。

「息子の安全を考えるのは父親としての務めだ」

そう言ってケンスケの父である相田二尉はベッドで起き上がっていたマユミの腕を手に取った。

「嫌っ!話してください…………痛っ!」

相田二尉の腕を振り払ったものの、マユミは引き出しの角で手の甲を切ってしまったようだ。
赤い血がにじんで滴り落ちて行く。

「何をするんだよ、パパ!」
「邪魔をするな!」

相田二尉を制止しようとすがりついたケンスケは殴り飛ばされた。
唇の端が切れたのか、ケンスケの口からも赤い血が流れている。

「相田君!」

ケンスケに駆け寄ろうとしたマユミを相田二尉が今度は逃げられないようにしっかりとつかむ。
その時、病室のドアが開いてゲンドウとコウゾウが姿を現した。

「……何の騒ぎだ」
「こ、これは司令……なぜこちらに……?」
「指揮は加持特佐に一任してある」

相田二尉は汗を垂らしながら弁明を始める。

「使徒は現在、まゆの中で成長を遂げている最中だと聞きました。そして、いずれは進化を遂げて再度侵攻を開始すると」
「機密情報が君のような部外者に漏れるとはな」

相田二尉はマユミを指差してさらに言葉を続ける。

「そこで考えました。使徒のコアをここで破壊し、災いの元をここで絶つべし、と。それが被害を最小限に抑える作戦です……ふごっ」

そこまで話した相田二尉はゲンドウに殴られ、鼻血を流した。

「何が作戦だ……お前は加持特佐の苦しみがまるでわかっていない。そんなので加持特佐を使徒呼ばわりするとはな」

ゲンドウはうろたえて自分を見上げる相田二尉と、一緒に居たネルフ職員たちの前で、相田二尉の血にまみれた顔を指差す。

「お前の血の色と、あの娘やお前の息子、そして加持特佐に流れる血の色……違う色をしているか……?」
「…………」

相田二尉を含めたネルフの職員たちは下を向いて黙り込む。

「人類の存亡を賭けた戦いに臆病者は無用だ……ここから……ネルフから出て行け!」

ネルフの職員たちは泡を食って出て行く。
相田二尉だけが固まったようにその場に立ちつくしている。
動かない相田二尉にゲンドウは苛立っている様子だった。
ケンスケがそんな父親に向かって声を掛ける。

「早く持ち場に戻れよ、パパ」
「すまなかったな、ケンスケ」

相田二尉はそう言うと、ゲンドウに敬礼をして部屋を出て行く。
ゲンドウとコウゾウもお礼を言うケンスケとマユミに軽く声を掛け、病室を出て行った。
廊下に出たゲンドウはコウゾウに向かってポツリと呟く。

「……もう少しで相田二尉と同じ安易な過ちを犯す所でした、先生」
「他人のふり見て我がふり直せとは言ったものだな。加持特佐には見舞いに行ったと伝えよう」

病室に残されたマユミとケンスケの二人は、穏やかな表情で見詰め合っていた。
ケンスケはマユミの手を見ると、慌てて手当てをする。

「……上手いんですね」
「ああ、俺は軍事マニアだからな」

ケンスケはマユミの手当てをしながら独り言のように話を続ける。

「……もっと自分に自信を持てよ」
「……」
「自分の気持ちを通せばさ、他人には嫌われることはあるかもしれないけどな……俺も嫌だった」
「相田君と私って似ているのかもしれませんね……」
「でもさ、自分が好きだって気持ちの方が大切じゃないか?」
「……」
「完全に嫌われないなんて無理な話さ。傷つくことを恐れてたら、相手を好きになる事もできないんだ」
「でも……」
「俺はもう自分の気持ちに正直に生きる事に決めたんだ」

ケンスケは手当てを終えて、マユミの手を強く握る。

「俺は……君のことが……」

マユミは突然気を失い、体から力が抜けた。
ケンスケには意識を失ったかのように見えたマユミは自分の体から何かが消えて行くのを感じる。

「私はもうあなたに頼らなくても、心を満たすことができそうな気がする」
「そう……残念ね……」

マユミが心の中で呼びかけると、以前に自転車に乗っていた自分を呼び寄せたあの声が聞こえた気がした。
ネルフの発令所では、使徒がまゆの状態のまま死滅したと騒ぎになる。
リツコやマヤたちの調査の結果、ネルフ本部内の病室にあった使徒の微弱な反応……すなわちマユミからの使徒の反応が完全に消失したのが原因だと分かった。
詳しく体内の状況を調べられたマユミは使徒の細胞が確認されず、ミサトも安心して胸をなでおろした。

「あ、あのさ……山岸……俺は……」
「相田君。今度、地球防衛バンドで発表する曲の歌詞、私に書かせてくれませんか?」
「えっ……でも、もう3日しかないぜ?」
「できる所まででいいんです。それで……作曲の方をお願いしたいんですけど……」

それからケンスケとマユミの二人は疲れているにもかかわらず、精力的に作詞、作曲活動に埋没した。
地球防衛バンドのメンバーであるトウジ、レイも積極的に練習に参加し……転入生歓迎会当日を迎えた。
転入生歓迎会の会場は音楽室を貸し切って行われた。
マユミたっての希望でゲンドウも呼ばれたのだが……やはりその風貌なのか彼は少し畏怖され、生徒たちは距離を置いていた。
一応、自分の父親だと紹介したシンジだったが、その様子を見て苦笑するしかなかった。
ゲンドウのプレッシャーをほんの少し感じながらも、2-Aのクラスメイトたちはそれぞれのグループに分かれて出し物を行う。
アスカとシンジとヒカリのグループは予定通りお菓子を振る舞っていた。
そして、いよいよケンスケたち、”帰ってきた地球防衛バンド”の出番になった。
ボーカルとして舞台に立ったマユミは、軽く微笑んで挨拶をする。

「みなさん。今日はありがとうございました。この街に来て私は、いろいろな人の優しさに触れる事が出来た気がします。……そんなみなさんへの感謝の気持ちを込めて歌います。『君が君に生まれた理由』……聞いてください」

穏やかな音楽が流れ、作詞・山岸マユミ、作曲・相田ケンスケの『君が君に生まれた理由』が演奏され、マユミが歌い始める。
前の歌『奇跡の戦士エヴァンゲリオン』は明るく勇ましい曲だったが、今回の曲はしっとりとした美しさを感じさせる曲だった。
曲が終わった後、聴衆はうっとりとしたように余韻に浸っていたが、ゲンドウの力強い拍手を皮切りに、大きな拍手が湧きあがる。
拍手の中でマユミは笑顔で頭を下げ、その歓声に応えていた。

「ふう、これで”E計画”は大成功ね」

ミサトはそう呟き、転入生歓迎会は大盛況のうちに幕を閉じた。
しかし、マユミはまた転校することになってしまった。
もともとマユミの父親は国連の技術者で、技術交換のための短期的な滞在だったらしい。
ケンスケはミサトの計らいで、学校の授業を欠席して見送りに行くことが許された。
マユミの乗る予定の新幹線が到着し、乗降口の扉が開く。
見詰め合う二人はお互いになかなか言葉が出なかった。

「……引っ越し先から手紙を書きますね」
「……ああ」

マユミはそれだけ言って、新幹線の中に乗り込む。
ミサトは後ろからこの不器用な教え子たちの様子を見て苦笑していた。
ケンスケとミサトに見送られて、マユミの乗る新幹線は発車し、遠ざかっていった……。



一方そのころ……教室ではシンジが浮かない表情をしていた。

「どうしたのシンジ?あの転校生がいなくなってそんなに寂しい?」

アスカはほんの少しだけしっとを秘めた声色で尋ねると、シンジは首を振って否定した。

「ううん、やっぱり生き物はみんな死にたくないのかな……って」
「そりゃそうね。ダンゴムシだって命の危険を感じれば必死に抵抗するわよ」
「小さな虫も五分の魂……」

レイの呟きにシンジはため息をついてさらに呟いて、窓から蒼い空を眺める。

「使徒も、そうなのかな……」