第十二話 輝石の価値は
<第三新東京市 加持邸>
その日は穏やかな夜だった。アスカは入浴中、シンジを含むその他の加持家の家族たちはリビングルームで談笑していた。
静寂を打ち破ったのは戦闘機の編隊飛行の音だった。そして地面が大きく揺れる。異変を感じたアスカがベランダに出ると、巨大な物体が歩きながら移動しているのが見えた。
アスカはネルフから支給されている携帯電話を手に取った。何の反応も無い。
「なんで、ネルフの非常事態宣言が発令されないのよ!」
「使徒じゃないと、エヴァの出撃はしないみたいなんだよ」
金切声のアスカに答えるシンジ。アスカははっとして振り返る。アスカと目があったシンジは誤魔化し笑いを浮かべながらこう言った。
「頭隠して尻隠さず……なんてね」
「こんの……バカっ!」
アスカはシンジを蹴り飛ばして、荒々しく息をする。
「アタシの裸を見た感想がそれ!?綺麗だ、とか誉めてくれてもいいんじゃないの?」
アスカは大きめのバスタオルをひっつかむと体に巻き付けてミサトたちの居るリビングへと向かった。
リョウジとミサトは難しい顔をして小声で話しあっている。
「リョウジ、やっぱりあれって……」
「心当たりを調べたんだがな、証拠がつかめない。お前の方も知り合いを当たって……」
アスカは二人に話しかけるのは諦めて、窓から外を眺めているレイに声をかけた。
「レイ、あれって使徒じゃないの?」
「違うみたい。私が見た限りでは大きなロボットのようだったわ。」
「避難勧告が出ていないのはなんでよ?」
「ネルフと戦略自衛隊の上層部の判断みたい。加持三佐も戸惑っている」
ネルフからの非常事態宣言も待機命令も出されていないため、チルドレンたちは通常通りの生活を送ることになった。
<ネルフ 発令所>
「総司令と副司令が不在?」
「そう。二人そろって南極に行っているわ。だから今ネルフで一番の責任者はミサトね」
ネルフに出勤したミサトはリツコから報告を受けた。そこに府中の戦略自衛隊から連絡が入る。相手は嫌われ者で有名なナグナ中佐。
総責任者であるミサトは嫌でも応対しなければならない。
「実は我々のトライデント計画の実験機のパイロットが反乱を起こしましてね。二体ほどそちらに行くんで処理をお願いします」
まるでピザを注文するような言い方にもミサトは腹が立ったが、それよりも憤慨したのは子供を道具のように使う計画が中止されずに進行していた事だった。
「あ、そちらの方で手に余るというようでしたら、サラッとN2爆雷で片づけてしまうんで。その場合、中に乗っているガキどもは蒸発してしまうでしょうね」
ミサトには質問する暇も与えられず回線は切られてしまった。少年兵たちの命を人質に取るとは最低の手だ。ミサトはパイロット救出のためエヴァを使う事を決めた。
ゲンドウとコウゾウが不在だったのは幸いだった。二人が居たらエヴァを動かすことなど反対されたに違いない。ミサトはシンジたちをネルフ本部へ呼び寄せた。
シンジたちがネルフに到着し待機任務に就いた直後、逃走していた二体のトライデント計画のロボットのうち一体が滝つぼに沈み込んでいるのが発見された。
どうやら崖から足を踏み外して転落したらしい。ミサトの指示で、リョウジが弐号機と共に現場に急行した。
「アスカ、ロボットの様子はどうだ?」
「胴体の真ん中に人が乗り込めるようなハッチがあるわ」
「責任は俺がとる。開けてくれ」
アスカが胴体中央部のハッチを開けると、パイロット席には同い年くらいの少年が座っていた。落ちた衝撃でどこかを強くぶつけたのか、気を失って鼻血を流した跡がある。
救急隊員が手際よく少年を担架に乗せ運んで行く。連れ込まれたドクターヘリには戦略自衛隊の略称が刻まれている。
「アスカ、パイロットはどうなったの?」
シンジとレイは現場で作業をしたアスカに詳しい話を聞くために弐号機のケージまで来ていた。
「それが驚き。アタシたちと同じぐらいの年齢だったのよ。もう一つビックリしたのは、収容されたのが戦略自衛隊病院なのよ」
「ネルフの中央病院じゃなくて?」
「……おかしいわね。」
「頭に来るじゃない!アタシたちにも事情を教えてくれてもいいんじゃない?」
<戦略自衛隊病院>
翌日。アスカとレイとシンジは見舞客を装って戦略自衛隊病院まで来ていた。そして集中治療室の一室に寝かされている少年の姿を発見した。
「彼があのロボットに乗っていたパイロット?」
「第三新東京市を目指していたってことは、多分エヴァを潰そうとしていたんだわ!アタシたちネルフの敵ね!」
「たまたま逃げた方向にあっただけってことも……」
「シンジ、アタシの推理が信じられないっていうの?」
アスカがシンジに詰め寄っていると、廊下の陰からマナが飛び出してきた。急いで走って来たのか、息が乱れている。
「違います!そこに居る人は私の友達です!」
「ははーん、霧島さんはそれが目的でシンジに近づいたってことね」
「そうなの?」
「そう。私が得たエヴァの情報は戦略自衛隊の開発部に行くことになっているの。操縦席の改善のために。ネルフにはトライデント計画を中止するように嘘を言っていたから、おおっぴらに情報交換出来なかったんだ」
「僕を利用するつもりでいたんだ」
「最初はそうだったけど、今はシンジ君の事が好きだから!それは信じて!」
必死に叫ぶマナをレイが押し止めた。
「……とりあえず、落ち着いて」
シンジたちが集中治療室の前の廊下で話しこんでいると、向こう側から戦略自衛隊の軍服を着た男たちがやってきた。
中心に立つ身長の低い人物は階級が高いのか金色の装飾がなされた白い立派な服を着ている。
「ナグナ中佐!」
マナはその男を見て大声をあげた。憎しみがこもった目で彼をにらみつけている。
「おい、くそガキ。なぜ貴様がここに居る。碇シンジからエヴァの秘密を聞き出すんじゃなかったのか?任務放棄とみなしてケイタと一緒に躾をしてやる」
「まさか、ケイタを連れ戻しに来たんですか?止めてください!」
「やかましい!」
ナグナ中佐はムチを取り出してマナを殴りつけた。マナの顔に赤い筋が走る。それを見たアスカはナグナ中佐のたるみ切った腹にキックを叩きこんだ。
もんどりうって倒れこむナグナ中佐。騒ぎを聞いて集まった看護婦たちが歓声を上げる。起き上がったナグナ中佐の頭は見事にツルツルだった。
「こいつら全員ぶっ殺せ!逆らうやつはパパにクビにしてもらうぞ!」
側についていた戦略自衛隊の士官たちはためらいながらも銃口をシンジたちに向けた。看護婦たちが悲鳴をあげてこの場から逃げてゆく。
シンジはアスカをかばうように立ちはだかり、戦略自衛隊の士官たちをにらみつけた。
「アスカに傷の一つでも付けてみろ……殺してやる」
その気迫に戦略自衛隊の士官たちは銃の引き金を引けないでいた。ナグナ中佐はカタガタ震えて、股間が濡れていた。
均衡状態を破ったのは一発の銃声だった。戦略自衛隊の士官たちのうちの一人が肩をおさえてうずくまる。
「シンちゃんたち、大丈夫?」
姿をあらわしたのはミサトだった。ミサトは旧知の戦略自衛隊病院の医師からこの事を聞いて駆けつけたのだ。
ミサトの姿を見た戦略自衛隊の士官たちはナグナ中佐を放り出して先を争って逃げ出した。
「い、命だけは助けてくれ……」
「あんたの命なんて奪う価値も無いわ、行きなさい」
ナグナ中佐は廊下を垂れ流した汚水で濡らしながら立ち去って行った。シンジたちはケイタの事はネルフの諜報員たちに任せ、ミサトの運転する車でネルフに戻ることにした。
車内では、ミサトがマナにトライデント計画の事を聞き出していた。話が途切れたころ、シンジがマナに話しかけた。
「なんで、あのロボットのパイロットたちは逃げ出したの?」
「最初、私たちは新しい乗り物を操縦できるって喜んでいたわ。」
マナは写真を取り出した。マナを真ん中にして隣には二人の少年が立っている。
「私の仲間はムサシとケイタ。訓練を楽しむうちに打ち解けたの」
そういってマナは悲しそうな顔をしてお腹をおさえた。
「でも、ロボットを操縦する時の激しい振動で私は一カ月もしないうちに内臓をやられちゃった」
「じゃあ、マナは……?」
「うん、私はもう長くは生きられないの。……そんな悲しそうな顔しないで。私は今、恋ができて幸せなんだから。でも、子供を産めない体になっていたのは残念だったかな」
ミサトはその言葉を聞いてハンドルを握っていない方の手で自分の下腹部をなでていた。
「いつまでもつのかしら……」
暗い表情で誰にも聞こえないような小さな声で呟きながら。
「そんなある日、私を外の世界で自由にさせたいって、ケイタとムサシは一緒に私に柵を越えさせようとしたの。でも、それではロボット計画が外に漏れてしまう可能性がある。ナグナ中佐は私を毒殺しようとした。それに気づいた二人は私の安全と引き換えにロボット計画に協力していたんだけど……。私がスパイとして第三新東京市に行くのを、二人はチャンスだと思ったみたいね」
ミサトの運転する車がネルフの入口までたどり着くと、ゲンドウとコウゾウが待ち受けていた。
「加持三佐、使徒に関係ない事件にエヴァを出動させるとはどういうつもりかね!」
コウゾウが不機嫌全開と言う様子で声を荒げて言う。
「しかし、事態を収拾しなければ……」
「どうせ、パイロットの人命保護とやらにこだわっているのだろう。あんなものに関わっている暇は無いはずだ」
言い争うミサトとコウゾウの間にマナが割って入った。
「あのロボットのパイロットは私を探しにきているはずです!だから私が彼を呼び出します!」
「マナ、あなたにそんな危険な事をさせるわけには……」
「お願いです、ミサトさん!やらせてください」
「……わかったわ。よろしくお願いします」
話し合うミサトとマナの後ろからいらだったコウゾウが割り込んできた。
「勝手に話を進めるのではない!許可できないと言っているんだ!」
「……やるなら早くしろ」
ゲンドウは直立不動のまま、表情を変えずに言い放った。
「了解しました、司令!」
ミサトは嬉しそうにゲンドウに向かって敬礼をした。マナはシンジにゆっくりと近づいて話しかけた。
「私があげたペンダント、大切にしてね。それから……たまにでもいいから私のこと思い出してね」
そう言ってマナはミサトの方に向かって駆けだした。
「ちょっと、マナ、アンタ何言ってんのよ?」
「私、アスカさんが羨ましい!シンジ君と一緒にお幸せにね!」
そう言ってマナはミサトと遠くへ消えていった。
「……私はまだ、碇君のことは諦めない」
レイは静かな闘志を心の底で燃やしていた……。
<ネルフ 発令所>
次の日。ロボットの潜伏先と見られる芦ノ湖でマナが投降を呼びかけると言う作戦が行われるはずだったのだが、偵察衛星が衛星軌道上に現れた使徒サハクィエルを発見する。
ネルフは作戦から手を引き、戦略自衛隊が行うことになってしまった。
「うわ、これは凄い」
「常識を疑うわね」
モニターに映し出された使徒の姿にマコトとミサトは驚きの声をあげる。巨大な使徒の体の一部がちぎれて落下していくのが見えた。
着水地点の太平洋では大きな波とクレーターが発生した。
「まるで、爆弾みたいな使徒ですね、先輩」
「とりあえず、初弾は太平洋に大外れ。でも、二時間後の第二射がそこ。確実に誤差を修正しているわ」
「学習してるってことか」
「……本体ごと落ちてきたら、巨大な湖になって太平洋と繋がるわ。……で、作戦部長の意見は?」
ミサトは発令所を出て作戦を上申するために司令室に向かった。部屋ではゲンドウとコウゾウが待ち受けていた。
「……撤退だと?」
「はい、MAGIも全会一致で賛成しています」
「しかし、第三新東京市は使徒迎撃の要だぞ」
セントラルドグマに閉じ込めてある使徒リリスやダミープラグの工場の移転など出来るものではない、とコウゾウは心の中で付け加えた。
「副司令!建物は壊れてしまってもまた建て直すことができます。我々が生きてさえいれば!」
「……加持三佐。撤退する必要は無い。我々も死ぬ必要もない」
「碇、まさかロンギヌスの槍を使うのか?」
「問題無い」
コウゾウは内心先ほど南極海から持ち帰ったばかりのロンギヌスの槍を手放す判断をしたゲンドウに毒づいていた。
だが他に撤退せずに済む作戦が思いつかないのだから仕方が無い。コウゾウは仕方無くロンギヌスの槍についてミサトに話した。
「わかりました。でも念のため、D-17を発令させてもらえますか?あと松代のMAGIにバックアップを」
「許可しよう」
ミサトはそう言って司令室を辞して発令所へと戻った。帰り道、ミサトの胸の内はネルフ上層部への不信がさらに育まれていた。
やはり上司は都合の悪いことを隠している。全ての秘密を知るにはゲンドウ並み、いやもっと高い階級にならなければいけないのかもしれない。
その気持ちが後にミサトに重大な決意をさせることになる。
発令所は次々と体を引きちぎって攻撃する使徒の姿にパニックを起こしかけていた。
「みんな、落ち着いて!当方には使徒迎撃の用意があります!」
ミサトがそういうと、発令所は落ち着きを取り戻した。ネルフの女神だとまで言われているミサトの発言に戦略自衛隊の面々も安心を取り戻したようだ。
「レイ、セントラルドグマに降りて、槍を使って。司令の許可は得ているわ」
「了解。」
「初号機と弐号機は射出場所で待機。使徒がレイの攻撃で倒せなかったときは、あなたたちの手で使徒を受け止めるのよ」
「手で?ミサト、そんなことできるの?」
「大丈夫。使徒は分裂を繰り返してかなり小さくなっているみたいだから。シンジ君、使徒を倒したらマナを助けに行きましょう。だから今は使徒戦に集中して」
「はい。」
セントラルドグマから出てきたレイは手にロンギヌスの槍を持っていた。使徒は衛星軌道上から分裂させた体の一部を落下させる攻撃を続けている。
爆発音が響く。どうやら第三新東京市の市内に使徒の欠片が落下したようだ。
「レイ、MAGIが軌道計算をしたわ。ガイドの通りに投げて!」
「投てき開始!」
ミサトの号令と共に零号機はロンギヌスの槍を投げ飛ばし、槍は衛星軌道上に位置する使徒のコアを貫いた。発令所に歓声が満ちる。
シンジはマナを囮にしたロボット捕獲作戦の方が気になっていた。戦略自衛隊からの連絡を受けたミサトは顔を青ざめた。
「シンジ君。落ち着いて聞いてくれる……?」
「どうしたんですか、ミサトさん。マナに何かあったんですか?」
「湖から出てきたロボットはね、マナの乗る車ごとつかんで逃走しようとしたそうよ」
ミサトはそこで言葉を詰まらせる。
「ロボットが逃げた所にね、あの使徒の体の一部が落ちてきて直撃して……高熱で溶けたロボットの金属の塊しか残っていなかったそうよ」
「う、嘘だーー!!」
シンジは初号機のエントリープラグで悲痛な叫び声をあげた。発令所の中でもすすり泣いてるネルフのスタッフが何人も居た。
<第三新東京市 芦ノ湖周辺>
「カプセル、見つからへんな」
「……ごめん、一晩中つきあわせて」
「やっぱり、脱出カプセルのようなものは無かったのよ」
シンジは翌日、アスカ、レイ、トウジ、ケンスケ、ヒカリと共にロボットが消失した場所の近辺を捜索していた。
ロボットにはたいてい脱出用のカプセルがついている。だからマナとムサシと言う少年二人とも脱出できたはずだと主張していたシンジだったが、
日が落ちてからは自信をなくして塞ぎこんでいた。携帯電話にミサトからの連絡が入る。入院していたロボットのパイロットの一人、ケイタが死亡したという知らせだった。
さらにその翌日。シンジ、アスカ、レイの三人はミサトと共に今回の使徒の攻撃地点に居たため亡くなってしまった犠牲者たちの慰霊碑の前までやって来た。
慰霊碑の前には遺族たちが置いたのか、様々なものが安置されている。シンジはペンダントを外すとそっとマナたちの名前が刻まれた慰霊碑の前に置く。
「霧島さん。僕を好きだって言ってくれたこと嬉しかった。でも、僕には他に好きな子がいるんだ。ごめんね」
シンジが慰霊碑に向かって話しかけると、ペンダントにはめ込まれた赤い輝石はキラキラと淡い光を放ったように見えた。マナが返事をしているみたいだとシンジは思うことにした。
「……碇君。霧島さんとのお別れは済んだの?」
「シンジの好きな子って誰よ?教えなさいよ」
シンジはアスカとレイと冷やかすミサトと共にゆっくりと立ち去った。
<第三新東京市 仙石原駅>
使徒戦の日、リョウジはマナ、ケイタ、ムサシの三人を市外に出る電車の駅まで見送りに来ていた。
実はシンジの予想通り脱出カプセルはあったのだ。
「すまんな、俺たちじゃあナグナ中佐のシンパの目をごまかすために、君たち三人を死んだように見せかけることしかできなくて」
「ううん、いいんです、リョウジさん」
「シンジ君たちには、会っていかなくていいのかい?」
「アスカさんが側に居ますから。病院で戦自の士官たちに撃たれそうになった時、シンジ君がアスカさんの事をどれだけ想っているかわかりました」
そして、マナはムサシの方に視線を向けた。
「ムサシが私のことを大切に想ってくれている事もわかったので」
「そうか。じゃあ元気でな」
リョウジはにこやかに手を振って、マナたちの乗る電車を見送って行った……。