第十一話 制止した、闇の中で
<第三新東京市 第壱中学校>
その日、HRの時間に2-Aの教室に入って来たのは担任の根府川先生では無くミサトだった。
クラスの生徒たちはまた転校生が来るのかと色めき立った。その予想は当たった。
「みんな、今日は転校生を紹介する!」
「霧島マナです。また戻ってきました。宜しくお願います」
クラスから歓声が上がった。シンジが第三新東京市に来てから少しの間、マナは2-Aに在籍し、
明るく活発な性格でクラスの生徒たちから好かれていた。しかし、親の仕事の都合という名目ですぐに転校してしまったのだ。
「あ、あいつ霧島やないか」
「あんなことがあったのに、どうして戻って来れたんだろう?」
トウジとケンスケはシンジが二回目に使徒と戦った際、マナの手引きでシェルターから外に出てしまった事がある。
二人はミサトから厳重注意を受けただけで釈放されたが、マナはそのまま戻って来なかった。二人は話題に出すことすら避けていたのだ。
ミサトも霧島マナの突然の転校に疑念を抱いていた。
「加持三佐、この前の一件は済まなかった。そこで、友好の印として戦自からの研修生として霧島君をまた君の所に送りたいのだが」
そう言って戦略自衛隊の幹部から頼まれたのだが、ミサトにはその魂胆はお見通しだった。戦自で秘密裏に行われている計画の尻尾をつかむために敢えて受け入れたのだ。
この瞬間も霧島マナの事を監視して目を光らせている。休み時間。マナはそんなことを知ってか知らずかシンジの席の側にやってきた。
「わたくし、霧島マナは、本日碇シンジ君のためにこの制服を着て参りました!どう?似合う?」
「えっと、とてもかわいいと思うけど……」
突然の事にシンジは戸惑いながら答えた。そんなところに二人の少女が割って入る。
「……学校に制服を着て来るのは当たり前の事だわ」
「アンタ、いきなりシンジに馴れ馴れしくしてどういうつもりよ!」
「惣流さんは、シンジ君の恋人なの?」
「まあ、まだ幼馴染以上恋人未満の関係だけど……」
「私も碇君の恋人候補……」
「じゃあ、私もシンジ君の恋人候補に立候補しちゃおうかなー」
図星を突かれたアスカとレイは言い訳ができない。アスカとレイの間でマナは使徒よりも厄介な存在として認識された。
「こんな所で何の用?霧島さん」
放課後、トイレに向かったシンジはその帰り道マナに手を引かれて屋上まで連れ出された。ミサトの監視の目は緩んでいたし、
アスカとレイも男子トイレまで着いて行くわけにもいかなかったので、マナにとってはチャンスだった。
「シンジ君はエヴァのパイロットなんだよね?」
「うん、そうだけど。でも僕はあまりエヴァに詳しくないから、レイやアスカに聞くといいよ」
「違うの。私はシンジ君の事を何でも知りたいの」
「どうして?」
「私、生き残った人間なのに何もできないのが悔しい。羨ましいのよ。そして好きになっちゃった、シンジ君が」
マナはポケットから赤く淡い光を放つペンダントを取り出した。
「見て」
「このペンダントは?」
「私がシンジ君につけてあげるの」
そう言ってマナはシンジの首にネックレスを掛けた。シンジは硬直してそのまま二人の間に沈黙が流れる。
ミサトはそれを双眼鏡で眺めていた。あのペンダントに盗聴器でも仕掛けてあれば、マナがスパイだと言う決定的な証拠となる。
しかしそれはシンジとマナを悲しませる事になると言う事実にミサトは心を痛めた。なるべく傷つかない方法を考えなければ。
屋上に複数の人物が登って行く足音がした。それはシンジを探しに来たアスカとレイだった。
「霧島さん、アタシとシンジはこれからお仕事でネルフ本部へ行かなくてはなりませんの」
そういってアスカとレイはシンジの腕を引っ張りその場から立ち去って行った。
<JR モノレール車内>
シンジはネルフ本部の入口の最寄りの駅に通じるモノレールの車内で、長椅子に両脇をアスカとレイに挟まれる形で座っていた。
「あの霧島って子はいやらしいわね、来たそうそう男にちょっかいだしちゃってさ」
「……そうね」
アスカとレイの気迫に押されてシンジが何も言えないでいると、別の車両からマナがやってきてシンジたちの前に立った。
「来ちゃった」
「霧島さん、授業は?」
「学校退屈なんだもの。私もネルフへ連れてって」
マナは結局ネルフ本部の入口のゲートまで着いてきてしまった。
「入ろう?」
「霧島さん、ダメなんだ。ここはIDカードが無いと入れないから」
「こうすれば、通れるんじゃない?」
シンジの背中にピッタリとマナが抱きついた。
「アンタ!何やってるのよ!」
「碇君から離れて」
アスカとレイは慌ててマナを力いっぱいシンジから引き離した。シンジは思いっきりしりもちを突いた。
気を取り直してレイがIDカードをゲートのカードリーダーに通す。しかし、ゲートは無反応だった。
「おかしいわ。電源が通っていない」
「ネルフが停電なんて、そんなことあるの?」
「もしかして、敵対する組織の攻撃かもしれないわね、霧島さん?」
「私、何も関係ありません!」
「とりあえず、ネルフの緊急対策マニュアルに沿って行動しましょう。」
停電の原因は意外な人物によるものであった。 4
<ネルフ リツコの研究室>
シンジたちがネルフ本部に到着する少し前、リツコは自分の研究室で『超鋼金ゲンドウフィギュア』を創るのに夢中になっていた。
耐熱用ゴーグルに防護服を着ているところを見ると相当硬い金属で作られているようだ。
「調子が悪いわね。もう少しコードを増やそうかしら」
リツコはそう言ってハンダゴテに接続しているコードをコンセントに差し込んだ。
延長コードが差し込まれているコンセントタップは、すでにかなりのタコ足配線になっている。そこへさらにコードを接続した結果……。
何かはじけるような音がして、ネルフ全体が暗闇に包まれた。
「あら、ちょっとやりすぎちゃったかしら。でも30秒後には予備電源に切り替わるはず」
リツコの言葉通りすぐに研究室にも明かりが戻ったのだが……再び何かがはじけるような音と何かが焼けるような匂いと共に照明が落とされた。
「ああ、コードを抜くのを忘れていたわ!」
急いで焼こげたコードをコンセントから抜くが、予備電源まで落ちてしまってからでは遅すぎた。
そのころ、第一発令所でもパニックが起こっていた。
「ダメです。予備電源まで落ちてしまっては、手の打ちようがありません」
「バカな!同時に落ちるなんてあり得ん!」
青葉シゲルの報告に冷静な冬月コウゾウも取り乱していた。実はリツコの研究室だけ主電源と予備電源に干渉できる構造になっているのだが、
その事を知るのはリツコと技術部のごく一部の人間だけである。それにはマヤも含まれていた。
「生き残っている回線は全てMAGIとセントラル・ドグマの維持に回せ!」
「やはり、ブレーカーは落ちたと言うより、落とされたと言うべきだな」
「本部初の被害が使徒では無く人間とは、やりきれんな」
ゲンドウとコウゾウを含め、ネルフの幹部は敵対する組織の工作員による仕業だと思い込んでいた。
それは間違ってはいたが、ある意味正しい。
後にエレベーターに閉じ込められた運の悪い日本政府の工作員たちが捕まることになるからである。
「なんで私たちが行動を起こす前に停電が起こったんだ……」
<旧東京 府中 総括司令本部>
戦略自衛隊の本部発令所ではモニターに巨大な蜘蛛のような使徒、マトリエルの姿が映し出されていた。
「何?ネルフとの連絡が取れない?」
「通信が一切繋がりません!ネルフで事件があったと思われます」
「通信が無理なら、直接行くんだ!」
戦略自衛隊のヘリコプターが慌ててネルフに向かって飛び立っていく。
「それでは、どうやって使徒を倒す?」
戦略自衛隊の高官たちがパニックを起こしかけている時、彼らに近づく男の姿があった。その名はナグナ中佐。
父親のコネで戦自に幹部候補として入隊し、巨大ロボットに憧れて『トライデント計画』などというプロジェクトも強引に立ち上げていた。
「こんな時こそ我々の出番です。『雷電』、『震電』の二機のロボットが使徒を打ち倒すでしょう」
ナグナ中佐は自信満々に胸を張って宣言した。彼は有言不実行で不誠実で、特にロボット兵器のパイロットである少年兵たちを物のように扱うため、
周りの評判は非常に悪い。時田博士とミサトをライバル視しているようだがとんでもない勘違い男である。
戦略自衛隊の高官たちは彼がやられてもいい厄介払いになるし、上手くいけば使徒の足止めぐらいは出来るだろうと言う打算で出撃を許可した。
「クソガキども、出撃だ。遅れるんじゃないぞ」
二人の少年兵、ムサシ・リー・ストラスバーグと 浅利ケイタは不服そうな顔をして雷電と震電に乗り込んだ。この二体のロボットは操縦性がとても悪く、
過去に何人ものパイロットが振動によって体を壊している。ナグナ中佐はつい最近になってやっと改善に向けて重い腰をあげたのだが、パイロットの不満は限界に達していた。
出撃した二機のロボットは、使徒迎撃地点の熱海方面にたどり着いた。目前に長い足を持った使徒がゆっくりと歩いている。
「よおし、ガキども、あの使徒のやつにありったけの弾丸を撃ち込んでやれ」
ナグナ中佐の攻撃合図と共に肩部のミサイルランチャーと機首の機関砲から攻撃が使徒に向かって浴びせられる。
弾丸とミサイルの雨が止んだ後、使徒は動きを止め、ゆっくりと崩れ落ちた。エヴァ無しで使徒を撃破したのは初めての事だった。
「やった!俺のロボットが使徒を倒したぞ!俺様最強伝説がこれから始まるのだ!」
喜ぶナグナ中佐。しかし、二体のロボットは司令部に背を向けて走り出した。
「お、おい。ガキども、どこへ行くんだ。逃亡は許さんぞ!」
二機のロボットは第三新東京市の方向へ向かっていた。
<ネルフ R-18通路>
四人は先頭がレイ、アスカ、シンジ、マナの順でほふく前進しかできないような狭い空気口などを通りながら発令所を目指していた。
「ねえ、シンジ君。キスしよっか」
「えええ?キス?」
マナの声は小さいものだったが、シンジはあまりの事に大声で叫んでしまっていた。
それを聞きつけたアスカがあわてて引き返す。
「アンタ、なんてこと言うのよ!」
「えー、だってしたいんだからいいじゃん」
アスカは怒り心頭に発してマナの腕に思いっきりつかみかかった。
「こうなったら強引にシンジ君の唇を奪っちゃおうかなー」
マナが明るい口調でそう言うと、アスカは震えだした。その震えはつかみかかられたマナや体の一部が触れているシンジにも分かった。
「お、お願い。それだけはやめてよ……」
アスカは涙声になっていた。シンジはプライドの高いアスカが泣いてまで他人にお願いをするという事に驚いていた。
暗闇でまったく見えないが、アスカはたくさんの涙を流しているのだろう。マナもあわてて前の発言を撤回した。
「わ、わかったわ、アスカさん。そんなことは絶対にしないから、ね?」
アスカが落ち着くのを待って、四人は再び進み始めた。しばらく進むと、発令所へと続くR-18通路まで出た。ここまでくればあと一息だ。
その時シンジたちの耳に拡声器で人がしゃべる声が聞こえてきた。
「使徒接近中!使徒接近中!」
街に買い物に出ていた日向マコト二尉は戦略自衛隊のヘリコプターが使徒接近のアナウンスをしているのを聞きつけ、選挙カーを強奪してここまで来ていたのだ。
「シンジ君たち!ここまで来てくれたのね!」
発令所ではリツコたちネルフのスタッフたちがシンジたちを迎えた。しかし、ミサトとリョウジの姿が見当たらない。
「ミサトは?」
「この停電で立ち往生しているのかもしれないわ」
「使徒が接近中だって言うのに……エヴァも動かせないし」
「大丈夫。エヴァは動かせるわ。人の手でね」
シンジがケージを見ると、エヴァの整備スタッフたちがワイヤーでエントリープラグをつりあげている。その中には、汗を流すゲンドウの姿もあった。
「父さん?」
ゲンドウの姿を認めたシンジはゲンドウが引っ張っているワイヤーと同じものをつかんで引こうとする。
「シンジ。タイミングを合わせるのだ」
「あのユニゾンダンスの時みたいにだね!」
シンジは嬉しそうな顔をして答える。
「私はソーラン節など踊ってはいない」
ゲンドウは顔をそむけて否定したが、冬月コウゾウが見れば照れているのは一目瞭然である。
ネルフスタッフたちの手によってエントリープラグが固定されたころ、使徒が戦略自衛隊の新兵器によって撃破されたとの報告が入った。
MAGIの分析によってもそれは誤報ではないようだった。発令所の空気は重くよどんでいたが、人々の心は軽くなった。後は電源の復旧だけだ。
「しかし、停電の原因はなんだったのだ?」
「あ、もしかして先輩の研究室ですか?」
コウゾウの呟きについ正直に答えてしまう伊吹マヤ。リツコが黙らせようとしたが遅かった。マヤは電源の構造の事やゲンドウフィギュア作りの事まで全てばらしてしまった。
「赤木君!処分は免れんぞ!」
リツコはコウゾウの頭を指差して言った。
「府中の風に乗せて飛ばしたいくらいですわ」
セカンドインパクト後に生まれたオペレータの三人にはピンと来なかったようだが、コウゾウは顔を青くして黙り込んでしまった。ゲンドウは口の端を歪ませて笑っている。
とりあえず電源が復旧したことで事態は収まったが、逃走した二体のロボットが第三新東京市を舞台に新たな騒動を起こすことになる。