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第七話 レイ、恋心の向こうに
<ネルフ 第二試験場>

「起動開始」

ゲンドウの号令と共に零号機の起動実験が開始された。それは定期的に行われる、ただの確認作業のはずだった。

「絶対境界線まで、後0.9、0.8……」

オペレーターの声を聞きながら、実験に立ち会っているリツコとゲンドウも何の心配もなく起動実験の様子を眺めていた。

「パルス、逆流しています!」

オペレーターの悲鳴にも似た声にゲンドウとリツコにも動揺が走る。零号機は激しく身動きをして拘束を解こうとしている。

「実験中止、電源を落とせ」

ゲンドウの命令により零号機のコードが抜かれた。拘束を解いた零号機は胸のあたりをおさえて苦しんでいるように見えた。

「心臓が苦しいのかしら。でもおかしい、レイには心臓の疾患は無いはず……」

リツコはそう独り言を呟きながら考え込んでいた。
零号機に乗るレイは、この前の使徒戦の事を思い出していた。放たれる使徒のレーザー、守ってくれた初号機、そして最後に見たシンジの笑顔……。特にシンジの笑顔を思い出すと、とても落ち着かない気分になるのだ。

「オートエジェクション、作動します。」

レイの乗るエントリープラグが零号機から飛び出した。零号機は動きを止めたが、エントリープラグは地面にたたきつけられた。

「レイ!」

ゲンドウはそう叫ぶと、エントリープラグまで走って行き、素手でハッチをこじ開けた。
レイは心配そうな顔で自分をのぞきこむゲンドウに向かって笑顔を見せた。
リツコはそんな二人を上から複雑な表情で眺めていた。

「リツコ!零号機の起動実験が失敗したって本当?」
「ええ。推定では操縦者の精神的不安定が原因だと考えられているわ」

零号機の起動実験の失敗を聞いたミサトが駆けつけていた。

「精神的不安定?あのレイが?」
「彼女にしては信じられないほど乱れたのよ」
「何があったのかしら」
「でも、まさか……」
「リツコ、心当たりがあるの?」
「いいえ。ミサトは?」
「レイも恋を自覚したんじゃないかしら」
「……シンジ君に?」
「だとしたらいい傾向よね」
「あら、ミサトはアスカを応援するんじゃなかったの?」
「シンジ君が決めることよ。アスカには悪いけど」



<第三新東京市>

「これが……僕たちの敵なのか」

シンジは第五使徒ラミエルの死体処理の現場に来ていた。

「コア以外はほとんど原形をとどめている。本当に理想的なサンプルだわ」

リツコは嬉しそうに解体作業の指揮をとっている。金属に近い生命体なので第四使徒シャムシェルと違って腐敗もほとんど無い。

「で、何かわかったの?」
「使徒の遺伝子は人間の遺伝子と99.89%似ていることが解ったわ」
「それって……」
「そう。人間の進化の違う可能性ってことも考えられる」
「人と同じような思考能力とかもあり得るってことね……」

ミサトは対使徒戦の作戦に過去の戦場で培った知識も取り入れることを考えはじめていた。
シンジは目の前をゲンドウとコウゾウが通り過ぎるのを見た。そして、ゲンドウが手のひらにやけどを負っていることに気がついた。

「シンちゃん、どうしたの?お父さんを熱い目でみちゃって」
「あ、父さんどうかしたんですか?やけどしているみたいなんだけど」
「今朝、起動実験中に零号機が暴走したの……聞いているでしょう?」
「はい。ミサトさんから」
「碇司令が……レイを助け出したのよ。加熱したハッチを素手でこじ開けてね。手のひらのやけどはその時のものよ」

父さんが、そうまでして綾波を助けた?まさか……シンジは新しい母親としてレイをゲンドウに紹介される光景を想像して冷汗が出た。



<第壱中学校>

翌日。シンジの通う中学校では男子が校庭、女子はプールサイドで体育の授業を行っていた。

「やっぱ、ミサト先生の水着姿は最高やな」
「ああ、碇もよーく拝んでおけよ」

もっときわどい恰好を毎日見ているよ。シンジはそう思った。トウジとケンスケをはじめ、男子はミサトの水着姿に釘付けになっている。
ミサトは第壱中学校の水泳部の顧問の英語教師として赴任していた。軍隊では英語と水泳は必要なものだったからである。
しかし、シンジはミサトとは別の人物の事を眺めていた。過去を抹消だなんて何か訳があるのかな……ミサトに聞かされたレイのプロフィールを思い出していた。

「碇は、綾波狙いか」
「意外と渋い趣味しとるな」
「からかわないでよ」

放課後。シンジは勇気を出して、レイに声を掛けた。

「綾波!これからネルフに行くなら、一緒に行かない?」
「……勝手にすれば」

レイは冷たい口調でそう言ったが、拒絶はしなかった。レイと一緒に下校する所をクラスメートに冷やかされ、
シンジはドキドキしていたが、レイはいつもと変わらない表情で歩いていた。

「また、再起動実験するんだ。今度は成功するといいね」
「ええ」
「……綾波は怖くないの?エヴァに乗るのが」
「碇君は怖いの?」
「そりゃ怖いよ、怖くない方がおかしいんじゃない?」
「お父さんの仕事が信じられないの?」
「わからない。父さんがどう思っているかなんて」
「自分が思っていることをお父さんに伝えればいいのよ」
「でも、父さんと話すなんて……」
 
シンジはそう言って黙り込んでしまった。

「そう。わかったわ」
「え?」

レイとシンジの二人はネルフに到着し、エヴァのある第六ケージでそれぞれの機体のメンテナンスを行っていた。
零号機の側に居るレイの元に、ゲンドウは近づいていく。

「レイ、今度の起動実験はきっと上手くいく……」

ゲンドウはレイに優しい言葉をかける。それをシンジは初号機から眺めていた。父さんは僕に優しい言葉をかけてくれない。
母さんが死んで、父さんが僕を捨てるように伯父さんたちに預ける前はどうだったんだろう……。
シンジは今までも小さい頃の事を思い出そうとしたが、父親に捨てられる以前の事は全く思いだせなかった。
レイはゲンドウと言葉をかわしながらシンジの方もチラチラと見ていた。碇司令も、碇君も、好き。なんで二人が仲良くできないんだろう。
悩んだレイはミサトに相談することにした。



<第三新東京市郊外 加持邸>

「……食事会、ですか?」
「そ、うちは広いし、会場にもいいかと思って」

またこの人は突拍子もないことを思いついて周りを巻き込むんだから……。シンジは内心でため息をついた。

「じゃあ料理は母さんや僕がつくるの?」
「あたしは人様に食べさせられるほど料理は上手くないわよ」

発言したのは、このところ全く出番が無かった加持ヨシアキと加持エツコ。残念ながら今回も出番も少ない。

「今回のお客様をもてなす料理は、シンジ君とレイに作ってもらおうと思います」

チリンチリン。加持邸の玄関のベルがなる。ミサトは出迎えに駆けだしていった。

「こんにちは。加持一尉」
「グットタイミングね。さあ入って」

ダイニングキッチンに入ってきたレイは、割ぽう着を着ていた。そんな服装で外を歩いて来たと言うのか。

「お客様は和食が好みだろうから、おみそ汁と肉ジャガ辺りがいいわね」
「そんな簡単な料理でいいんですか?」
「だって、料理初心者のレイが居る事だし、素朴な料理の方が心に届くのよ」

ミサトはネルフ食堂のオバちゃんというネットワークを使って、今日招くVIPの好みをつかんでいた。

「ところでミサトさん。今日は誰を呼ぶんですか?」
「ふふ、秘密よ」

ミサトは猫のようないたずらっぽい笑みを浮かべている。シンジは諦めて調理に入ることにした。

「碇君といると……心がポカポカしてくるの」

レイは料理を作りながらそんな言葉を呟いていた。料理が完成し、食事会の準備が整った。
しかし自分たちを除いて、お客さんの席はたった一つだけ。ミサトさんやヨシアキ、エツコの知り合いがたくさん呼ばれるんじゃないかと思ったシンジは首をかしげた。
一人だけなら、多分リツコさんかな。シンジはそう考えていた。しかしその考えは甘かった。
加持邸の玄関のベルが鳴り、ダイニングキッチンのテーブルに腰かけたのは父親の碇ゲンドウだった。レイとシンジの席はゲンドウの向かいにある。
レイは特に驚かなかった所を見ると、シンジはミサトとレイにはめられた、と思った。



ミサトの家に招待された時、ゲンドウはためらったが、ミサトの料理が食べられるならばと結局行くことにした。息子のシンジの事は無視していればいい。
彼はそう考えていた。出てきた料理がご飯と肉ジャガとみそ汁だったのには驚いた。ミサトが作った料理とは到底思えない。
ゲンドウはがっかりした気持ちになったが、とりあえずみそ汁を一口飲んで、肉ジャガをほうばった。すると自然に言葉が出てしまった。

「ユイの料理の味がする……」
「え、それって母さん?」
「ああ」
「母さんってどんな人だったの?写真とかないの?」
「すべては心の中だ。今はそれでいい」
「今は……?」

シンジの呟きを最期に三人は言葉を発することは無いまま食事は進んで行った。ミサト達はその重すぎる空気に、陽気に振る舞うこともできなかった。

「……うまかったぞ、シンジ」
「ありがとう、父さん」

最後にはぎこちないが二人とも笑顔になれた。見ていたレイはそう思った。

「ミサトさん。今日はありがとうございます」
「お礼ならレイに言ってあげて。シンジ君とお父さんの事を気にしていたの、レイなんだから」

ゲンドウとレイが帰った後、シンジはミサトに感謝の言葉を告げていた。

「父さんと話ができたなんて、初めてです。なんか昔も父さんと話せていた気がしました」
「そう、それはよかったわね……」

ミサトは少し表情を硬くした。

「それで、僕、ミサトさんともずいぶん前にあった気がするんですけど、気のせいですよね?」
「シンジ君、まさか、思い出したの?」
「いえ……」
「そう。あんな悲しいことがあったもんね。すっかり忘れたくなるはずだわ。いいのよ、無理して思い出さなくても」
「でも、とても大事な事も忘れてしまっている気が……」

シンジは気になって、その夜はなかなか眠れなかった。