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第五話 人を繋ぎしもの
<ネルフ 病棟>

ガラガラガラ……ストレッチャーに乗せられたミサトが病室に運ばれる。

「ミサト、今回も手ひどくやられたわね。……でも『そんな体』だからって、痛みは感じるんでしょう?」

ミサトは痛みで再び目を覚ましたのか、薄目を開けている。

「あたしも神経は人間並みってことね」
「しかし、解らないわね。敵対する連中の命を助けて、何の得になるのかしら」
「……私は信じているわ。人は間違いを犯してもやり直すことができる。その可能性を」

ミサトが3日後に病院を退院した時は、体に傷一つ残って居なかったという。
彼女自身はこの『体』の事を快く思っては居なかった。周りの人間が死滅しても、彼女一人だけ生き残ってしまうのだから。



<ネルフ 司令室>

その日、ネルフ総司令碇ゲンドウはネルフドイツ支部に派遣されている加持リョウジの元に電話をかけていた。

「変な気は起こしていないだろうな」
「これは結構なお言葉ですね。私の命はあなたにつなぎ止められていると言うのに」

彼自身の命の他に、愛する妻と子供たちもネルフに監視されている。逆らうことができないことは、ゲンドウもよく知っている。

「彼らが情報公開を盾に請求をしていた資料ですが、ダミーを混ぜて適当にあしらっておきました」
「政府は裏で法律整備を進めておりますが、近日中にとん挫の予定です」
「で、例の計画ですが、やはり実行するのですか?」
「君の指図を受ける筋合いは無い。余計な手出しは無用だ」

ゲンドウの正面のモニターにロボットの画像が映し出される。

「……それではシナリオ通りに。」

リョウジは結局この謀略の事を妻のミサトに伝えることができない自分を責めるしかなかった。



<第三新東京市 加持邸>

「おはようございま……す!?」

起床してダイニングルームに来たシンジは一気に目が覚めてしまった。
ミサトが裸にエプロンという格好でキッチンに立っていた……いや、正確には下着らしい服を着てはいたけれども。

「興奮しちゃダメだ興奮しちゃダメだ興奮しちゃダメだ……」

シンジは必死に父ゲンドウの顔を思い浮かべると少しだけ落ち着くことができた。
娘のエツコの方もタンクトップにホットパンツという格好で椅子の上にあぐらをかいて座っている。
同居人のヨシアキの方を見ると『平常心』と書かれたTシャツに短パンで涼しい顔をしている。

「あ、あの、この家ってこんなにサービス過剰と言うか開放的と言えばいいのか……それでいいの?」
「最近はシンジ君が居たからキチンとした服を着てたんだけど、持たなくてさ。僕は慣れたけど、君には辛いだろうね」

シンジはそれ以上何もいうことができず、幻影の中に浮かぶ父ゲンドウに助けを求めながら朝を過ごした。
綾波レイの姿がちょっと浮かんだだけで顔が真っ赤になったりしてしまったりはしたが。

「「く~はぁ!朝一番はやっぱりこれよね!」

ミサトとその娘のエツコはコーヒーを飲み干した。ドイツに住んでいた頃からの習慣だとか。

「さーって、食後はみんなでしばしのごろ寝タイム♪」
「ミサトさん、食べてすぐ寝ると牛になるって言いますよ」
「いいのいいの。家にはマナーなんて言葉ないから。放任教育よん♪」

ミサトを含む加持家の三人は床でゴロゴロと転がり出した。……シンジは自分もこの家のカラーに染まってしまうのかと思うと、気が重くなったが同時に何か暖かさも感じていた。

「……本当に僕の進路相談をしなくていいんですか?」
「いーの、いーの。あたしも元教師なんだし、して欲しいならたっぷりしてあげるから……本当はね、シンジ君にも職業選択の自由はあるはずなんだけど、ネルフの息のかかった企業にしか就職させてあげられないの……。だからたっぷり学生生活を満喫しなさい」
「はい。ありがとうございます」

チリンチリン。加持邸の玄関のベルが鳴る。

「「おっはよー碇君」」

玄関からトウジとケンスケの元気な声が聞こえる。

「ミサトさん、そんなかっこうで出て行ったら教育に悪いですよ」
「だいじょうぶ、学校ではしっかりしてるからさー。プライベートではサービス、サービスよん♪」

シンジは赤くなって玄関へかけていく。

「「「いってらっしゃーい」」」

加持家の三人は部屋から手だけを出して見送る。ミサトの娘と息子はシンジとは別の中学校に通っている。

「「ミサト先生。行ってきます」」

トウジとケンスケの元気な声が玄関に響いた。
ミサトはそれを見送ってからガードをしている諜報部に電話をかける。

「シンジくんは、今クラスメートの二人と家を出たわ。……そう。例のクラスの生徒。写真で確認は取れるわよね。難しい相談だけど、当たり障りの無い距離でのガードをお願い。……責任は私がとります……ええ、うん」
「あれが……僕が倒した使徒、か……」

シンジが先の戦闘で倒した使徒シャムシェルは、自爆しなかったため、原形をほとんど止めたままになっている。
教室の窓から使徒の残骸をながめていたシンジは、駐車場にすごいスピードで車が入ってくるのを見た。案の定……車から降りてきたのはミサトだった。

「うわあ、ミサト先生だ」
「相変わらずかっこいい」
「あんな美人の先生に引き取られてる碇がうらやましいぞ」

校舎の生徒たちは授業そっちのけで窓から身を乗り出してながめている。女子生徒たちの反応は複雑だった。
ミサトに憧れを持っていた反面、強力なライバルが減ったと喜んでいたからである。

「やっぱりええなー。ミサト先生は」
「うんうん」
「トウジとケンスケは家でのミサトさんを目当てに来てるんだな……」

シンジも健康な男子。トウジとケンスケの気持ちはわかるが、ため息が出る。

「えー、今日からまた非常勤講師ではありますが、加持先生に英語の科目を担当してもらいます。」

担任の根府川先生がミサトを紹介する。ミサトは教職に復帰することを希望していた。
そこで根府川先生に相談して、第壱中学校の教師の復帰を願い出たのである。
彼はミサトが至らない部分はフォローすることを快く引き受けてくれていた。



<旧東京都心>

翌日。ミサトは単身ネルフの代表として日本重化学工業共同体の実験機「JAジェットアローン」の完成披露記念会に参加していた。
本来ならば赤木リツコ博士も呼ばれていたのだが、過密スケジュールなどの理由により辞退。ミサトに厄介事をネルフは押し付けた形だ。
会場に居るのは反ネルフの政治家や企業の役員たち。

「みなさん、今日は次世代決戦兵器JAの完成披露記念会にご参加いただきありがとうございます。操縦の様子は後ほど御覧に入れますが、ご質問のある方はどうぞ」

壇上にはJAの開発責任者である時田シロウ博士が尊大な様子で立っていた。

「ご質問が無いようなので、続けさせていただきます。JAは150日間連続で戦うことができます。5分として戦えない某組織の決戦兵器と違う所です」

時田シロウ博士はそう言って真ん中のテーブルに一人で居るミサトをちらっと見る。周りの人々も満足したように笑い声をあげる。
……ミサトももちろんエヴァをバカにされて平気なはずもない。嫌がらせのように数本だけ置かれたビールに手を伸ばさないように必死に抑えていた。

「パイロットに精神汚染を引き起こす可能性のある兵器よりはよっぽど人道的じゃないでしょうか」

再び時田シロウ博士が発言すると、またもや会場に笑いと拍手が巻き起こる。
ミサトはついに禁酒の自戒を破りビール瓶に手をかけてしまった。
大量のコーヒーは禁酒の努力の証だったのだ。

「挙句の果てに制御不能になり暴走まで許すとは……危険極まりないですな。ヒステリーを起こした女性と同じです。手に負えません」

その後も時田シロウ博士は得意になってベラベラとしゃべっていた。そして、ミサトのビールの量も一ガロンを超えてしまった!

「うっせえなあ、さっきから自慢話ばかりウダウダと!」

豹変したミサトの様子に会場は静まり返った。

「ここは、みんな右へならえの集まりか!」

ガターン。ミサトは思いっきりテーブルをひっくり返す。SPが慌てて暴れるミサトを取り押さえようとするが、投げ飛ばされてしまった。ミサトが近づくと人が波のように引いて行く。
プシューー。スプリンクラーから水が思いっきりミサトに降り注いだ。それで正気を取り戻したようだ。時田シロウ博士を始め、会場の面々はほっと胸をなでおろした。

落ち着きを取り戻した時田シロウ博士はJAの起動実験を開始する。JAを固定していたものが次々と外されて行く。

「歩行、前進微速。右足、前へ!」
「了解。歩行、前進微速、右足前へ!」

JAがゆっくりと歩き出す。それを窓から望遠鏡を使って眺めている人々は歓声を上げた。

「へえ、ちゃんと歩いている。自慢するだけのことはあるわね」

ミサトは壁に寄りかかってながめている。すっかり酔いは覚めたようだ。
ピー。異常を知らせる電子音が鳴った。

「どうした?」
「変です。リアクターの内部の温度が急激に上昇しています」
「一次冷却水の温度も上昇中」
「バルブ解放」
「ダメです!」
「いかん、動力閉鎖。緊急停止!」
「停止信号発信……効果ありません!」
「そ、そんなバカな……」

想定外の事態にうろたえて何もできない時田シロウ博士。そうしている間にもJAは要人や開発スタッフのいるこの建物を目指して近づいている。
途端に周りから悲鳴が上がる。しかしJAが爆発すれば今から逃げてもとても間に合わない。

「し、信じられん……JAにはあらゆる危険を想定してプログラムが組まれているはずだが……」

そのプログラムがネルフの工作員の手によって書きかえられていることは、時田シロウ博士は知っているはずもなかった。
ゲンドウはここで反ネルフ勢力を一網打尽にする気でいた。
もちろん、爆発の直前ギリギリで止めて危険性を最大限あおるだけの計画だった。



「だけど、現に今、炉心融解の危機が迫っているんですよ」

いつの間にかミサトが時田シロウ博士の居るコントロールルームまで足を踏み入れていた。

「こうなっては、自動停止するのを待つしか……」
「その確率は?」
「0.002%……奇跡ですよ!」

オペレータの一人がそう答える。

「奇跡は待つものじゃない、人の手で起こすものなのよ!」

ミサトは高らかにそう宣言をする。その姿に見とれてしまった人々も居るようだ。

「停止手段を教えなさい!」
「方法は全て試した。後は制御棒を内部から直接押し込むしか……」
「……それだわ」
「しかし、無理だ!」
「……そうね。私一人では無理ね。制御棒を押し込むには何人か一緒に入る必要があるわ」

時田シロウ博士は、その言葉を聞くと拳を握りしめた。

「加持一尉。私もJA内部に乗り込む決死隊に加えてもらえないか」
「時田博士……」
「あなたには、この事故の責任は無い。それでも我々に救いの手を差し伸べてくれた」
「私も参加します!」
「私も!」

さらにJAの開発スタッフの数人も立候補して、頭数は揃った。後はJAの動きを止めるだけ。ミサトは心苦しかったが、エヴァの力を借りることにした。

「あ、日向君?厚木に話しつけておいたから、レイと零号機をお願いできる?」



<ネルフ 発令所>

シンジはエヴァに再び乗るつもりで発令所に来ていたが、まだ乗る決心が固まらずにいた。
そんなとき日向二尉の元に、ミサトからエヴァの出撃要請の連絡が入った。

「エヴァの出撃は許可できん」
「し、しかし、それでは加持一尉とそこに居る人たちが……」

ゲンドウはこの騒動が茶番だと言うことは解っている。だから知らないふりをしてやり過ごすことにしていた。しかしミサトの行動は予想外だった。

「今、使徒が現れたらどうする?代わりのエヴァは居ないのだぞ」

ゲンドウは発令所に来たまま黙ってうつむいているシンジを見ると満足げに顔を歪ませた。

「僕が、初号機に乗って出撃します!」
「シ、シンジ君!?」

リツコはこの気弱な少年がそんな強い決心をするとは信じられなかった。

「……ミサトが彼を変えたのね。これでは、司令の計画も修正が必要になってくるわね」

リツコは誰にも聞こえないようにそう呟く。

「ミサトさんが危ない目にあっている……今度は僕がミサトさんを助ける番だ!」

シンジはそう言って、ゲンドウをにらみつけた。日向マコトはすでに厚木基地の輸送機と連絡を付けていた。

「日向二尉、出撃は許可できんと言っているだろう!」

ゲンドウがそう大声で怒鳴っても、マコトは輸送機の出撃に向けた準備を止めなかった。
マコトをはじめ、ネルフスタッフのほとんどはミサトを敬愛している。
ネルフ内部の命令系統が乱れていると外部にさとられては面倒なので、しかたなくゲンドウは初号機の出撃を許可した。



<輸送機 C-X>

エヴァ初号機をぶら下げた輸送機の中ではミサトとシンジ、決死隊に立候補した時田博士とJA開発スタッフのメンバーが顔を合わせていた。

「JAは後五分で炉心融解の危険があります。シンジ君は建物に居る人たちが踏みつぶされないようにJAを押し止めて」
「ミサトさんたちはどうするんですか?」
「私達はエヴァを介して、後方からJA内部に乗り込みます」
「危なすぎますよ!」
「大丈夫。エヴァなら万が一の直撃にも耐えられるわ」
「じゃなくて、ミサトさんたちが!」
「やれること、やっておかないとね。後味悪いでしょ」

ミサトはそう言ってシンジのほおをなでた。

「目標、確認!」
「さあ、行くわよ」
「エヴァ、投下位置!」

エヴァ初号機の手のひらには防護服を着たミサトをはじめ、決死隊のメンバーたちが乗っている。

「ドッキングアウト!」
「了解!」

着地したエヴァ初号機は夕日を背にJAの後ろ姿を全力で追いかける。

「追いついた!」
「後四分も無いわ!後ろから乗りつけて!」

初号機はJAの背中をつかみ、動きを止める。ミサト達が初号機を伝って、非常ハッチから中に乗り込んで行く。

「気を付けて、ミサトさん」

ミサトはシンジの声にVサインで答える。その姿は希望に満ちていた。

「ここです、加持一尉」

時田博士がそう言って、制御棒のある部屋に向かう。

「さあ、時間が無いわ、一か八かやってみましょう!」
「おー!」

ミサト達は制御棒を押す体に力を込めた。じりじりと少しずつ制御棒が押し込まれて行く。
シンジは初号機から、JAから蒸気が噴き出すのを見た。やっぱり間に合わないのか。

「ミサトさん、逃げて!」

シンジは初号機の中でそう叫び声をあげた。

「動け、このおおおお!」

ミサト達は力を込めて制御棒を押し続けていた。すると、制御棒は引っ込み、JAから噴き出す蒸気も止まった。
これはゲンドウの計画によるものなのだが、メインコンピューターに接触していないミサト達は誰一人気がつかなかった。

「おおー!彼女がやったぞ!」
「ネルフの女神が私達を助けてくれたのか!」

いつの間にかミサトがネルフのアイドルから女神に格上げされている。
とりあえずここに集まった反ネルフの要人がミサトに感謝しているのは確かである。

「ミサトさん凄いや!僕改めてミサトさんを見直しました、奇跡って起こせるものなんですね!」
「奇跡はあたし一人が起こしたものじゃないわよ」
「他のみなさんも、凄いです!」
「すまない……私のせいでこんな危険な目にあわせてしまった……」

時田博士をはじめ、JAの開発スタッフはミサトに頭を下げた。

「でも……人は間違いを犯してもやり直せるはずです。……JAも問題点を見直せばきっと役に立てるはずですよ」

ミサトの言葉に時田博士たちは嬉しそうに顔をあげた。

「よし、戻ったらJAの見直しだ!」
「おー!」

JA開発陣は元気を取り戻した。多分戻ったら様々な方面からしかられることになるだろう。しかし彼らはそれを乗り越えてくれるに違いない。

「みんな、もう一度、加持ミサト一尉に向かって、敬礼!」

ミサトとシンジは歓声に見送られて実験場を後にした。彼らは二人の味方だ。……たとえこれからどんな事があっても。



<ネルフ 司令室>

ネルフの司令室でゲンドウは事件の報告を受けていた。

「初号機は無事回収しました。汚染の心配もありません。加持一尉の行動以外は全て計画通りです」

ゲンドウに報告するリツコの隣にはJAの開発スタッフの一人が立っている。彼がネルフの工作員だろう。

「日本重化学工業共同体や反抗的だった日本政府の要人たちもネルフに対する協力を申し出てきました」
「ああ、問題無い……」

ゲンドウはリツコに向かってそう答えた。