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第二十九話 アスカの夢が壊れた日
新横須賀沖 午後3時――
――戦略自衛隊海軍艦隊――
轟音を立てて航行していた戦艦の一つが沈没した。
すぐさま隣の戦艦も同じように逃げる間もなく撃沈されて行く。

「《はるな》、沈黙!」
「状況報告はどうした!」

戦闘の指揮を執る旗艦のブリッジには警報が鳴り響き、混乱する怒鳴り声で満ちていた。

「くそう! 何が起こっているんだ!」

双眼鏡で水しぶきが盛大に湧きあがる方向を眺めながら、司令官は毒づいた。
艦隊は魚雷を一斉に発射してせめてもの抵抗を見せる。

「魚雷を40発も食らってなぜ沈まん!?」
「目標、後方輸送船に向けて接近中!」

報告を聞いた司令官は脂汗を垂らして命令する。

「アレを失うわけにはいかん! 全艦隊、体当たりしてでも目標の侵攻を阻止しろ!」

命令通り、次々と玉砕していく艦隊の戦艦。
大規模な爆発が起こってもなお、目標と言われる海中の巨大な影は怯む事は無かった。
そして――静まり返った海には、一隻の戦艦も浮かんではいなかった。

「関東方面艦隊、全滅しました……」

その報告を受けた府中の戦略自衛隊本部はパニックになった。
海軍全体の4割が一度に失われてしまったからだ。
参謀部と政府は話し合いの末、この一件を「海底火山の大噴火」という発表をすることに決定した。
生存者はわずか数人で、本人達も恐怖のあまり口を閉ざしていたので、真実がもれる事が無かった……。



その日はオキナハシティの街中が悲しみに包まれていた。
オキナハシティの市民達の中にも、死んでしまった戦略自衛隊の隊員の遺族などが少なからず居るからだ。
アスカは街を歩きながら人々の悲しみの声に胸を痛めていた。

「おかあさん、おとうさんに会いたいよぅ」
「おとうさんはね、お空の上に行っちゃったのよ」
「じゃあ、空を飛ぶ乗り物に乗れば会えるんだね! 神社のお姉さんが言ってた。この街に凄い発明家の人が居るって。その人に頼んでくる!」
「こらっ、迷惑をかけるんじゃありません!」
「ゆうれいでもいいから、おとうさんに会いたいようー……うわああん、うわああん!」

母子の会話が偶然耳に入ったアスカは心を痛めた。
発明家とはたぶん自分の事だろう。
アスカは暗い顔で研究所に戻ってきた。

「はぁぁぁ……」
「アスカ、溜息なんかついてどうしたの?」
「いつものあなたらしくないわ……」

溜息をついたアスカは、シンジとレイに心配そうな様子で声をかけられた。
アスカから胸の内を聞いたシンジはアスカを慰めようと穏やかな笑顔で話し始める。

「死んだ人は、生きている人の心の中に居るよ。時の流れが全てを癒してくれると思う。……僕達には、他にやる事がある。オキナハシティの行く末の事。ミサトさんの病気の事……問題は山積みだよ」
「……死んだ人を生き返らせるのは無理でも、その子の心を救う手段は、何かあると思うわ」
「…………………レイ、どういうこと?」
「綾波、何か考えがあるの?」
「…………そう、そうね……悲しい事を吹き飛ばせるような、楽しい思い出を作ってあげればいいわね!」

そう言ってアスカは元気いっぱいの笑顔になった。

「アスカ……」
「ふふ……」

嬉しそうにアスカを見守るシンジとレイの前でアスカは考え込む。

「……よし……そうね……スケールが大きくて、夢がいっぱいなものがいいわね……うーん」
「観覧車なんかどうかな?」

アスカの呟きを聞いたシンジがもらした言葉に、アスカは手を叩いて喜ぶ。

「そうね! 世界一の大観覧車を作ってみんなをあっと言わせましょう!」
「観覧車?」

レイが不思議そうに首をかしげる。
実物を見た事が無いからだろうか。

「……ようし、善は急げよ! シンジ、手伝って!」

アスカは徹夜で《観覧車設計計画書》を完成させた!
もちろんデザインはシンジ。

「よし、かんぺきね!」
「まさか、一日で書きあげるとは思わなかったよ」
「えへへ……」
「周辺環境への影響はちゃんと考えた?」
「地盤強度の計算から、日照権の対策まで、ばっちりよ」
「じゃあ、市長さんの所へ行かないとね。……頑張って」

シンジとレイに見送られて、アスカは勢い良く研究所を飛び出す。

「よし、気合を入れて説得するわよ!」

市長の執務室で、アスカは市長に計画書を提出した。
それを興味がまるで無さそうな顔をして眺める市長。

「ふむ……大観覧車かね」
「直径202mで、最高頂232m――! 完成すれば、世界一の大観覧車です。オキナハシティの活性化に繋がる事間違いなしですよ」
「そんなもの、本当にできるのかね?」
「今までやろうと挑戦した人が居なかっただけです。十分可能です、はい」
「まぁ……悪くは無いと思うが。君はどう思うかね?」

市長は側に控えているリョウジに声を掛けた。

「――《国際祭り》も近い事ですし、これは祭りを盛り上げるためにも、大変魅力的な計画だと存じます」
「はいっ!! これでオキナハシティの街興しもばっちりです!!」

アスカの元気な声に市長は頭を押さえながら答える。

「……大声を出すな……。わかった、前向きに検討しよう」
「じゃあよろしくお願いします」

アスカは《観覧車設計計画書》を市長に渡して執務室を去った。

「ふん、苦労知らずのトーキョー者が。このオキナハシティの何処に、こんな代物を作る余裕がある」

市長はそう言うと、《観覧車設計計画書》をリョウジに適当に捨てるように命じた。

「観覧車だと? ――オリンピックでも誘致するつもりか? そんな浮かれた遊具をこしらえる余裕、我が市にはない――!」
「市長……」

顔を真っ赤にして怒っている市長にリョウジが声をかけたが、全く耳に入っていないようだ。

「まったく腹立たしい、あの小娘は」

市長が愚痴をこぼし続けていると、部屋にゲンドウが入ってくる。

「ふっふっふ……優れた人間は、世界を思いのままにできるのだよ」
「あっ、これは知事。い、いつからお出でに?」
「……私がお呼びしました」

驚いた市長の言葉にリョウジが答えた。

「……アスカ君こそ、賢者であり、哲人となりうる資質を持った人間なのだ」
「は、はぁ?」

ゲンドウの言葉の意味が分からず、市長は素っ頓狂な声を上げた。

「私が資金を出す。それでいいだろう」
「しかし……」
「もちろん見返りは頂く。代わりに……ネルフ建設がこれを請け負う」
「ネルフ建設?」

ゲンドウの言葉にリョウジは慌ててうろたえる。

「そ、それは聞いてませんよ……! 確か、ネルフ建設はジオフロントなどの地下工事が専門で、このような高層建築物の建設技術は……」
「問題無い……」

リョウジの諌言を色付きサングラスをいじりながらキッパリとはねつけるゲンドウ。

「ですが、この図面通りのものを建設できるだけの技術的ノウハウがあるとはとても思えません!」
「加持君、それは本当かね?」

市長も途端に不安そうな表情を浮かべた。
リョウジは厳しい表情でゲンドウを見つめる。

「……ゲンドウ氏」
「大樹は他の樹よりもたくさん根を張らなければならないのだよ」
「悪い先例です。こんな事を許せば、オキナハシティは堕落してしまいます」
「すでにこの街は堕落しているではないか。もはや選択の余地は無い」
「…………」
「問題は荒廃した社会でどうやって生き残って行くという事だけだ……市長、よろしいな?」

市長は口をつぐんだまま、頷いた。
リョウジは鋭い目でゲンドウをにらみつけている。

「………………」
「……なんだ、その反抗的な目は? お前は私に助力を求めて来たのだろう? 《洞木財閥》のヒモつき資金では、オキナハシティの復興など百年経っても望めぬぞ?」
「…………そうですね」
「フハハ! お前達は私の言う事にただ従っていればいいのだ!」
「…………むぅぅぅ」

リョウジはゲンドウのごう慢さに奥歯をかみしめるほど内心で腹を立てた。
その後、オキナハシティ大観覧車はネルフ建設の工事により、着工から落成まで空前絶後のスピードで完成した……。



そして、2週間ほど経ったある日の朝。
アスカは研究所で嬉しそうに笑顔でシンジに話しかける。

「ね、シンジ。例の大観覧車がね、今日が試運転なんだって!」
「……計画書の提出から一ヵ月も経っていないのに、随分早くできたね」
「でね、アタシのことを訪ねようとしたあの子にね、今日の大観覧車初運転の特別招待状を送ったのよ」
「へえ……優しいんだねアスカは」
「これで少しは元気を出してくれると嬉しいな……」
「普段はわがままだけどやっぱり本当は……」
「一言多いわよ、シンジ」

アスカは少しふくれた表情でシンジをにらみつけた。

「それに、我がままじゃ無くて甘えてるだけなんだけどね……」
「はぁ?」
「で、でも、こんなに早く完成するなんて、アタシも驚いたわよ。ね、今度二人で乗りに行かない――」

アスカは慌てて話題を反らそうとした。

「二人っきりで観覧車なんて、デートみたいで恥ずかしいよ」

(だから、デートに誘っているんじゃないの、バカシンジ)

シンジの言葉にアスカは心の中でそう呟いて溜息をついた。

「……もう、シンジはいつまで経っても鈍いんだから」
「ごめん、こればっかりは性格だから」
「ねっ、レイは?」
「そうね……面白そうね」
「そうよね♪ じゃ、いつか一緒に行きましょ!」

アスカは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

「うん……楽しみね」
「……ウォン」
「弐号機は……さすがにちょっと無理そうね」

アスカが困った顔で弐号機に向かってそう言っていると、鋭いノックの音が研究所に響く。

「――赤木アスカ!!」
「あれ? お客さんかな?」
「赤木アスカ!! 我々は警察の者だ!!」
「へっ? いつもの巡査さんじゃないの?」
「――お前が設計したオキナハシティ大観覧車! これが本日の初運行で事故を起こした!」
「ええっ!? ……じ、事故っ!!」

アスカと同時にシンジも驚いた様子で呟く。

「何だって……?」
「運転開始後まもなく機関が故障し、その衝撃でゴンドラが落下したのだ!」
「…………そ、そんな! 安全対策には一番気を遣ったのに!」

アスカは驚いて思い切り叫び声を上げた。

「幸い死者は出なかったが……本日の初運転に招待されていた5歳の少年、これが両足の骨を折る大怪我だ……」
「………………!!」

ショックで倒れそうになったアスカの体をシンジが慌てて支えようと抱きしめた。

「それだけではない……落下したゴンドラが広範囲に広がって、周囲の建物は大被害! 一歩間違えれば下敷きになって怪我人が出た可能性もある!」
「…………アタシの造ったものが……事故……」
「よって、これからしばらく営業禁止処分に処する」
「…………ぁ」
「アスカ……」

シンジは辛そうに震えるアスカの方をもう一度抱きしめた。

「碇君、アスカはどうなっちゃうの?」
「アスカは、オキナハシティ発行の《特例信任証書》による特別免罪権が適用する事ができる――法的には罰せられないとは思うけど」
「……法律とか良く分からないけど、それを聞いてとりあえず安心したわ。でも……」

警察官が立ち去った後も、アスカの後ろ姿はとても悲しげだった。

「……それだけで済む問題じゃなさそうね」
「……よしっ」

今まで俯いていたアスカが顔を上げてそう呟いた。

「アスカ、どこへいくの!?」
「怪我した子の家に謝りに行ってくる!」
「何だって!?」

アスカは以前に少年を見かけた場所を頼りに家を探す。

「…………ここね。よしっ」

アスカは勇気を出してその家のドアをノックした。

「……はい?」
「…………あの」
「あっ、あなたは!」

出て来た少年の母親はアスカの姿を見ると驚きの声を上げた。

「あの、観覧車の事故で大怪我をしたって聞いて……」
「…………帰ってください」

謝ろうとしたアスカを少年の母親は冷たく突っぱねた。

「……申し訳ありませんでした。アタシの設計したもののせいで……」
「帰ってください! あんな欠陥遊具の招待状なんか、わざわざ送りつけてきて……! おかげであの子の両足は……!」
「…………」

怒りをぶつけられてうなだれるしかないアスカ。

「うぅ……もしかしたら、一生治らないかもって……あなたの顔なんかみたくもない!」
「お、お願いです。あの子に会わせてもらいませんか? ……謝りたいんです……」
「あの子は怪我の痛みで今も苦しんでいます……”痛いよ、痛いよ”って……」
「…………ぅ」
「少しでも悪いと思っているなら、私たちを、そっとしておいて……!」

少年の母親はそう吐き捨てると、乱暴に扉を閉めてしまった。

「あ…………」

アスカは重い体を引きずって、研究所に戻った……。

「……ただいま」
「おかえり……で、どうだったの……?」
「…………」
「おい、アスカ?」

アスカはシンジの呼びかけに答えず、二階へと上がって行ってしまった。

「…………うーん」
「……降りて来ないわね」

シンジとレイは階段の方に視線を向けて呟いた。

「たぶん、怪我をした少年の母親に何かキツイことを言われたんだろうね」
「両足の骨折っていっていたわね? ……怪我の具合はどのくらいのものかしら……」
「とても辛いことになってしまったな――」

シンジはそう言うと、玄関の方へ向かう。

「……ちょっと、外に出てくるよ。アスカの事、頼んだ」
「どこへ行くの?」
「――姉さんの所」
「……?」

レイは首をかしげながらシンジの後ろ姿を見送った。

「弐号機、一体どういう事なの?」
「……ウォン」
「そう……」

――そしてその翌日。

「アスカ、入るよ」
「……………」

アスカは暗い顔で俯いたままだった。

「……オキナハシティに来て以来、毎日響いていたスマッシュ・ホークの音が、昨日から聞こえなくなった」
「………………」
「実験もしていなければ、図面も引いていない」
「………………」
「…………アスカ、黙りこんで塞ぎこんでいてばかりじゃ分からないよ。僕に話してみてよ」
「回りくどい事しないで……ほうっておいてよ……」
「そういうわけにはいかないよ。アスカは僕の家族なんだから。アスカは観覧車の事故から元気が無い。――問題はそれ? 神経衰弱になっているの?」
「…………」
「もしそうなら、リツコ姉さんに薬でも貰ってこようか?」
「やめてよ……」
「別に家族には弱音を見せたって恥ずかしくないんだよ。――誰だって落ち込む時はある」
「…………」
「僕だって人に言えないほど恥ずかしい失敗をした事があるし……アスカにだったら話しても」
「別にシンジの昔話なんて聞きたくない。ほうっておいてよ……」
「………………」

取り付く島もないアスカの様子にシンジは冷汗を垂らしながら見つめるしかなかった。

「……あんまり気にしすぎると、アスカの方が参っちゃうよ」
「シンジにはアタシの気持ちが分からないわよっ! ……アタシの造ったもののせいで、人が怪我をしたのよ! ……もし一歩間違えればたくさん人が死んでたって警察の人も言ってたじゃない!」
「そう言っても、実際に建造ミスをしたのはネルフ建設じゃないか」
「でも、無理な設計図を書いたのはアタシだもん!」
「アスカ、もう自分を責めるのをやめなよ。いくら自分を責めたって、周りのみんなは同情してくれないんだからさ」
「――シンジ! アタシは同情してもらいたくなんかない! ……出てって! シンジの顔なんか見たくない!」

階段を下りたシンジは困り果てた顔で呟く。

「どうしよう……アスカを怒らせちゃったな……」
「――碇君はアスカの視点に立って話をしてあげた?」
「なんだ……聞いていたんだ?」

レイは穏やかに微笑みながらシンジに話しかける。

「……じっくりアスカの言い分も聞いてあげないと、上から目線だって誤解されちゃうわ」
「そうだね、こっちの意見ばかり言っていたかも」
「……そうよ、アスカは辛いのよ……」
「うん、今まで調子良く行きすぎていたからね」

レイとシンジが深刻な顔で話しあっていると、ヒカリが姿を現した。

「アスカさん、居ますか――っ」
「アスカなら、二階で閉じこもってるよ」

シンジの言葉を聞いて、ヒカリは辛そうに胸に手を当てる。

「事情はお聞きしましたわ。……かわいそうなアスカさん」
「慰めてきてくれる? 僕はアスカに厳しい事を言ってしまったし……」
「言われなくても、そのつもりです……」

ヒカリはそう言って階段を駆け上って行った。

「元気を出してください、アスカさん」
「…………うん」
「ねっ、今度《洞木屋》でアスカさんの誕生日祝いをしませんか? 明後日でしょう? アスカさんのために元気100倍な献立を作らせますから♪」
「…………」

その時、研究所にガラスの割れる音が鳴り響いた。

「きゃっ!」
「な、何ですの……?」

一階では、窓を破って石つぶてが投げ込まれて来ていた。

「オキナハシティから出て行けー!」
「貴様のおかげで、うちの店はめちゃくちゃだ! この殺人発明家めーっ!」

市民達が怒声を浴びせて居るのをみて、慌ててヒカリは二階の窓から叫ぶ。

「止めて下さい! あなたたちっ!! ――いったいどういうつもりですの!?」
「貴様も、この人殺しの仲間か? ――これでも食らえ!」
「きゃあっ!」

ヒカリはすんでのところで投げられた石つぶてを交わした。

「けけけ、天罰だ! さっさと出て行っちまえ!」
「赤木アスカ! 聞いているか! お前の設計した観覧車のせいで俺様の仕事場はめちゃくちゃだ!」
「そうだ! 訴えてやる! 裁判だ!」

暴徒と化した市民の前へドアを開けたシンジが飛び出す。

「――きみたち! なんてことするんだっ!」

シンジが前列に居た市民たちを吹っ飛ばすと、市民達は蜘蛛の子を散らすように通りの向こうへと消えて行った……。

「な、なんて人たちなのっ――!」
「いいのよ、ヒカリ……もう……」

二階の部屋で憤慨するヒカリに対してアスカは暗い表情でそう呟いた。

「でも……! 今までアスカさんに助けてもらった恩も忘れて……許せませんわっ!」
「…………」
「アスカさん――! こんな恩知らずな、野蛮な人たちのいる街の事なんて忘れて、二人でトーキョーに……」
「…………っ」

アスカは辛そうな顔で勢いよく階段を駆け下りて行ってしまった……。

「あっ、アスカさんっ!?」
「あ、アスカ、何処に行くんだよ!」

アスカはそのまま研究所を飛び出して行った……。

「あ…………」

突然空が曇り、程も無く、どしゃぶりの雨が振りはじめた――。

「…………」

アスカは体を濡らす雨を避けようともせずに、ぬれ鼠のままとぼとぼと街をさまよった……。

「アタシ、いい気になっていたのかな……オキナハシティを復興して一人前になるはずだったのに……こんなんじゃ……」

公園の木にうなだれてアスカはおえつする。

「ごめん……ナオコママ。アタシ……悪い娘です……うぅ」

アスカは降りしきる雨の中、天を仰いで叫ぶように声を絞り出して泣き叫ぶ。

「……ううっ、アタシの造ったもののせいで……こんなことに……も、もうこんなんじゃ……う、うわあああん!!」

その後もアスカはただひたすら泣き続けた。



その頃、研究所の方では……。
アスカの研究所の周りは、大観覧車の事故で被害を受けた者たちが中心になってアスカを弾劾しようとした暴徒達に取り囲まれていた。

「トーキョー者による、オキナハシティ市民への被害を許すなー!」

その掛け声と同時に石つぶてが窓ガラスを突き破って研究所の内部へと突き刺さった。

「どうして、ここまでひどい事になったんだろう?」
「……何かおかしい方向に事態が歪められつつあるみたいね」
「私は、この街の住民の無節操さには、ほとほと愛想が尽きましたわ」

レイとヒカリの言葉を聞いたシンジは考え込みながら呟く。

「うん……決してオキナハシティ全体の意思ってわけじゃないと思う。裏で煽り立てている人が居るのかもしれないね」

その時研究所にノックの音が響く。

「……開けてっ!」
「あれ?」
「はぁはぁ……」
「霧島さん?」

マナは怒った顔つきで愚痴るように質問をする。

「まったく、何? あの表に居る人達は?」
「よく入ってこられましたね……」
「事情は聞いたわ……アスカは!?」
「それが……どこにいっちゃたか分からないんだ」
「なんですって?」

シンジの言葉を聞いたマナは驚いた声を上げた。
そして、シンジはマナに手短に状況を話した。

「でも、アスカがここに居なくて幸運だったよ」

シンジの言葉に、マナが悲しそうな顔で頷く。

「……そうかもね。でも、だいぶ落ち込んでいるんじゃないの? ……アスカは」
「慰めに来てくれたの? でも、霧島さんはオキナハシティの住民なのにアスカの味方をして大丈夫なの?」
「……バカな事言わないでよ。それにしても、この事態は異常よ。アスカが造ったものが失敗なんて、今に始まった事じゃないじゃない……」
「確かにそうなんだけど、怪我人が出ているからね……やっぱりアスカを探しにいかなきゃ」

そう言ったシンジの言葉にヒカリも追従する。

「私も行きます――」
「私も……」
「まったく、世話を焼かせるんだから。私も行くわよ!」

レイとマナもアスカを探しに行く意思を表明した。

「弐号機!」
「……ウォン」
「君も僕と一緒に来て――」
「……ウォォン」

その時再び石つぶてが研究所に投げ込まれる。

「赤木アスカ! 出てこい!」
「うん? あの声は……」

外ではコウゾウ市長が拡声器を持って叫んでいる。

「われわれは、赤木アスカの責任を断固追及するものであるーっ!」
「やっぱり、オキナハシティの市長さんだったか……」
「赤木アスカの身柄を引き渡せー!」
「あなたが煽っていたんですか? 悲しいことですね……」
「私は、オキナハシティの市民の安全に責任を負っているのだ」

市長とシンジの言い合いを、市民達は歓声を上げて眺めている。

「へへ……いいぞーっ、市長!」
「こいつらをオキナハシティから追い出せー!」

市民のヤジに気を大きくしたのか、市長はさらに言葉を続ける。

「市民の怒りの声だ! 今回の件を断じて許すわけにはいかない!」
「その理屈はもっとも何ですけどね……」

シンジは怒りを秘めた暗い落ち着いた声でそう呟いた。

「……そのために住民を扇動して、アスカをリンチにかけようというのですね?」
「リンチ? そんな野蛮な事はしない。責任の所在を明らかにするため……」

市長の言葉を聞いて、シンジは溜息をつく。

「まったく、オキナハシティはいい指導者に恵まれていますね。……いくよ、弐号機!」
「……ウォォォォン!」
「待て!」

市長がそう言って制止するが、シンジはすっとぼけた顔で受け流す。

「聞こえないな。僕達の役目はアスカを守る事だ。もし、アスカに傷一筋でもつけるような事があったら……こんな街、住民ごと滅ぼすよ。――覚悟しておいてね」

シンジの言葉に市長は腰を抜かしそうなほど驚く。

「……な、なに!? 警察に通報するぞ!」
「……僕が、元少年兵出身だってこと、あなたは知らないようですね」
「そ、そんな脅しには乗らんぞ! 署員全員で取り押さえれば、どうってことはない!」

見ていた市民達からもヤジが飛ぶ。

「そんな貧相なガキのこけ脅しにビビるな! 研究所ごと焼き払っちまえ!」
「くっ……」

市民の言葉にシンジは冷汗を垂らした。

「そうだ! 相手はこんなチビだ! やっちまえー!」
「まったく、どこまでつけあげれば気が済むんだよ……」
「ガキが怒ってるぞ! いいざまだ!」

シンジはこれ以上我慢ができないといった様子で身構える。

「そんなに言うなら……目を覚まさせてあげるよ」

そこに鋭い女性の声が割って入る。

「――お待ちなさいっ!」
「あっ……!?」

驚く市民の前に姿を現したのはミサトだった。
ミサトは怒った顔で市民たちをにらみつける。

「……実に素敵な集会ね。みんな、アスカを犯罪人かなんかだと思っているの?」
「神主さま、病気だったんじゃあ……」
「おちおち寝ていられるもんですか! ……事情は聞きました……! そろいもそろって、なんて愚かな有様なの!?」

ミサトは立っている警察官を怒鳴りつける。

「あなたは、ここに居る連中を制止するのが仕事でしょう? それが先頭になって、何をやっているの!」
「本官は正当な訴えをしているだけなのですが……」
「そうかしら……? そう思い込まされているだけなのよ」

市長が苛立った様子でミサトに声をかける。

「葛城さん。問題はこの街の行政に関わる事なのだ! 口出しは止めてもらおう!」
「フン……行政ですって? あなたたちが今まで、このオキナハシティのために何をやってきたというの?」

ミサトは怒った顔で市長を怒鳴りつけ、さらに叱りつける。

「いいこと? あなたたちはだいたい政治と言うものをなめているのよ! 今回の騒動の原因が何処にあったのか、よく考えてみなさい! 自分自身で努力しないで――人任せにしてきた連中が偉そうな事を言う資格なんてありません!」
「葛城さん! あなたはトーキョー者の肩をもつのですか?」

市長がそう叫ぶと、市民達からも追従した声が上がる。

「市長の言うとおりだー! こんなガキどもを野放しにするなー!」
「そうだそうだ!」

しかし、ミサトは鋭い口調で市民たちを一喝する。

「だまらっしゃい! トーキョー者もオキナハ市民も、大人も子供も関係ないわ!」
「ひいい!」
「働いて生きる人間に優劣なんてあるの? 生きるという事は一生懸命働くってことなの! 働いてはじめて生きる権利が生まれる!」

ミサトの言葉に市長は苦しそうに反論をする。

「……ぅ……だから……私は職務を果たしているのだ!」
「何も生み出さない労働なんて必要ない! 何かを生み出す労働をして権利を主張しなさい!」

ミサトは多少せき込みながらも話を続ける。

「生きていればいいことばかりじゃない……苦しい時にいかに乗りきるか。これはオキナハシティ全市民が団結していかなければ乗りきれないのよ!」
「…………むむ……」

ミサトは懇願するような目で、市民達に向かって優しく話しかける。

「だから……わかって……お願い。たった一度の失敗であの子の才能を見限らないで。お願い……お願いします」

ミサトの必死の説得により、暴徒は解散した……。



その頃、降りしきる雨の中、公園に居たアスカは灰色の空を見上げて呟く。

「これからどうしよう……このままじゃ……だめよね……でも……もうアタシの事なんか街のみんなは見てくれない……」

それでもアスカの足は自然と研究所のある通りに向かっていた。

「あ……」
「アスカ、おかえり」
「……ウォン」

外では自分たちが濡れるのも気にせず、シンジと弐号機がアスカの帰りを待っていた。

「さあ、入ろう。とりあえず、事態はひとまず落ち着いたから」

シンジの言葉にアスカは悲しそうに首を振った。

「……もう、ダメよ」
「……どうして?」
「あんな失敗して、みんなに嫌われて……」
「…………」
「わからないの……もうどうしていいかわからないの……」
「…………ウォン」
「教えて、シンジ、弐号機。二人はアタシの一番のパートナーよね……」
「アスカ。僕は君に優しい言葉を掛けてあげる事はできる……けど、大事なことはアスカ自身の力でやるしかないんだよ」
「シンジ……」
「僕は知っているよ」
「……え?」
「アスカが徹夜で仕事を頑張りすぎて、肌がカサカサになっている日もあるってことを」
「何でもできるよ……アスカなら!」
「…………ウォン!」

アスカは嬉しそうにやっと微笑みを見せる。

「……シンジ……弐号機……」
「さあ、行こう……アスカ! 苦しい今だからこそ、明るく元気に太陽みたいに輝くべきだよ。少し転んだだけ、僕達の目標はずっと高いところにある。こんな所でモタモタしてる暇はないと思うよ」
「……うん、ありがとう。アタシ……やるよ。もう一度、頑張ってみる!」

アスカはシンジと弐号機の励ましにより、無事に研究所に戻る事ができた。

「……あ」
「ようやく帰ってきたわね。まあアスカはすんなり諦めるタマじゃないって分かっていたもの」

研究所の中では微笑んだミサトがアスカを迎えた。

「ミサト……! どうして、寝ていなくちゃいけないのに……!」
「私は誰が何と言おうと、オキナハシティでのあなたの後見人だもの」
「もしかして、ミサトが街の人達を……」
「もう終わったわ。今回の事は忘れなさい、ね?」
「みんなのおかげで立ち直る事はできそう。……でもさすがに忘れるわけにはいかないわ」
「人間のやる事よ、誰だって間違いや失敗はあるわ」
「――はい、これからは、何事も慎重に……」

アスカがそう言うと、ミサトはアスカのおでこをコツンと軽く叩く。

「こら、アスカ!」
「いたっ!」
「私はあなたに臆病風に吹かれてほしくないの! 間違いにビビっていたんじゃ何もできやしないわよ!?」
「で、でも……」
「人間は出来そこないの群体――さまざまな宗教の元になった死海文書にはそう書いてあるのよ」
「そうなんですか……」
「がんばって! 恐れずに行きなさい!」
「…………はいっ!」

力強く頷いたアスカの言葉にミサトは満足した様子だった。
その後ミサトは、大慌てで駆けつけた医師によって神社に戻されたのだった……。