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第二十六話 女優六分儀ユイ来訪
「アースーカーさんっ!」
「ん?」

ある日の朝、街の通りをアスカが歩いていると、嬉しそうに手を振りながらヒカリが駆け寄ってきた。

「あっ、ヒカリ」

自然とアスカの方も笑顔になった。

「……何か、今日のヒカリはご機嫌ね?」

頬が緩みっぱなしのヒカリにアスカは不思議そうに質問をした。

「それはもう――さっき港で六分儀ユイの到着を見てきましたから。ふふっ――握手もしてもらいました」

ヒカリはそう言って大事そうに手をさすった。

「”六分儀ユイ”? それって女優の六分儀ユイの事……?」

アスカはヒカリの言葉に驚いてそう叫んだ。

「はい、もちろん」
「……オキナハシティに来ているの?」
「ア、アスカさん……」

パニックになっているアスカを見て、ヒカリは困った顔で溜息をつく。

「ずいぶん前から、街中で話題になっていたではありませんか……先日できた劇場。ここで開かれる今度の舞台に六分儀ユイが招待されたって……」
「そうなの?」
「知らなかったんですか?」
「うん、全然……」

アスカはそう言って愛想笑いを浮かべた。

「アスカさんは研究に忙しいですものね」
「六分儀ユイと言えば、ヒカリは大ファンだったもんね」
「はい。小さい頃から何度舞台を見に行った事か……」

そう言ったヒカリは何かに気がついたように手を叩く。

「――あ、こうしてはいられませんわ! 実は今夜、六分儀ユイさんを《洞木屋》にお招きしていますの。ああ、夢みたい♪」
「よかったねヒカリ、頑張って」
「はい」

ヒカリは嬉しそうに飛び跳ねながらアスカの前から立ち去って行った。

「ふうん、六分儀ユイがね……これってオキナハシティの街興しになっているわよね」

アスカは感心した様子でそう呟いた。



しかし、その日の夜……元気の無い様子でアスカの研究所のドアをノックしたのはヒカリだった……。

「アスカさん……」
「あ、ヒカリ? どうしたの、こんな遅くに?」
「はい、実は先ほど、六分儀さんをお招きしての食事会を《洞木屋》で開いたのですけど」
「そんなこと言ってたわね。で、上手く行ったの?」

アスカの質問にヒカリはますます暗い表情になる。

「それが……あまり六分儀に今夜の料理は喜んで頂けなかったみたいで」
「そうなんだ……」
「そこで、アスカさんにお願いがあって、どうか六分儀さんが喜んでいただけるような料理を考えていただけませんか?」
「えっ?」
「六分儀さんにはまた後日《洞木屋》で食事をしていただくことになっています。なんとかそれまでに……」
「でも、どんな料理を作ればいいの? 好みとか、そういうのは?」

アスカの質問にヒカリは首を振る。

「それじゃ無理よ。アタシもシンジもプロの料理人じゃないんだからさ」
「…………」

俯いて黙り込んでしまったヒカリにアスカは謝る。

「ごめん……役に立てなくて」
「いいえ、気になさらないでください。無理を言った私が悪いんです……」

落ち込んだ様子のまま立ち去ったヒカリの姿が見えなくなった後、アスカはあごに手を当てながら呟く。

「何とかしてあげたいけど……」



次の日の朝、アスカが海岸沿いの通りを歩いていると、ショートカットの栗色の髪をした婦人から声をかけられる。

「あの……お嬢さん……」
「はい?」
「道をお尋ねしたいのですけど……よろしいかしら?」
「はい、どこに行かれたいんですか?」
「……使徒のモニュメントなんですけど……」

そう聞かれたアスカは考え込んだ表情になる。

「うーん、ここからじゃあ遠いわね……あの、よかったらアタシがそこまで案内します」
「ご親切にありがとう、助かるわ」

アスカは婦人と歩きながら、世間話をする。

「オキナハシティには観光ですか?」
「ええ。半分は仕事なのですけど。……でも、変わったわね、この街も」
「――前に居らっしゃったこと、あるんですか?」
「ええ、随分前だけど。まだ使徒がこの街を襲う以前だったから……15年前かしら。記憶もおぼろげよ……ふふっ、おかげであなたに案内してもらわなければいけないわね」
「無理もないですよ。オキナハシティはどんどん発展していますから」
「そうね……何から何まで……」

目的地まで中ほどと言ったところで、今度は婦人の方からアスカに話題を振ってくる。

「……昨日の夜、《洞木屋》で食事をしたんだけど」
「えっ、《洞木屋》?」
「ええ、トーキョーから出店してきているでしょう?」

昨日の夜は貸し切りだったはずだと首をかしげるアスカ。

「何もかもトーキョー風……もうウンザリだったわ。……たまに出てくるオキナハ料理も、本来の味と違ったものになって」

アスカは栗色の髪の婦人の姿をまじまじと見つめた。

「古き良きオキナハを味わえると思ったのだけど……はぁ、思い出の味はもう心の中にしか残っていないのかもしれないわ」
「……なるほど」
「あらいやだ、あなたにこんなグチを言ってもしょうがないのに。……ごめんなさいね」
「いえ、参考になりました」
「参考?」

アスカの答えに婦人は不思議そうに首をかしげた。

「な、何でも無いです……で、何か具体的に食べたいものがあったんですか?」
「そうね……料理ではないのだけど、島ラッキョウが食べたかったわ……辛味が抑えられたものがいいわね」
「島ラッキョウ……」

やがてアスカと婦人の二人は使徒の死骸の側までたどり着く。

「着きました、ここです」
「ありがとう、親切なお嬢さん。……何かお礼をしたいのですけど」
「いえいえ、お構いなく」

そう言ってアスカは笑顔で駆けて走り去って行った。



研究所に戻ったアスカは、シンジと相談していた。
アスカの話を聞いたシンジは困った様子で頭をかく。

「島ラッキョウか……それじゃあ料理で作るのは難しいね」
「うーん、漬物みたいなものだもんね」

その時、研究所のドアがノックされ、マナが姿を現す。

「アスカぁー、居る?」
「あ、マナ?」
「仕事で近くに来たから、ついでに寄らせてもらったけど……どうしたの?」
「ちょうど良かった、マナ。ねえ、ちょっと教えて欲しいのよ。地元の人に島ラッキョウの事を聞きたいの」
「島ラッキョウは、古来から伝わるオキナハシティ伝統の食べ物よ」
「へえ、そうなんだ」
「各家庭で作っているから、お店ではあんまり売られていないわね。おまけに最近はトーキョー風の味付けが流行だから……」
「マナの家にもあるの?」
「ええ、霧島家伝来の製法にのっとって作ったものが、ちゃんとあるわ」

マナの言葉を聞いたアスカはパアっと顔が明るくなる。

「ねえ、その島ラッキョウ、少し分けてくれない?」
「え?」
「お願い、それが無いとヒカリが困った事になるのよ……」
「うーん、仕方無いわね……」

アスカはマナと共にオキナハシティの港の霧島商会の事務所に赴き、島ラッキョウを取りに行く。

「はい、これよ」
「なるほど……独特の味がするわね……」

アスカは島ラッキョウを一口食べてそんな感想を述べた。

「島ラッキョウは、作る家ごとに微妙に味が違うから注意してよ。後で文句を言われても責任持てないからね」
「うん、ありがとう、マナ♪」

アスカは満面の笑みを浮かべて《洞木屋》に向かった。

「島ラッキョウ、ですか……?」
「うん、これを六分儀さんの食事に出せば、絶対に大成功よ」

アスカは嬉しそうにそう言うが、ヒカリはいまいち不安な様子。

「なんというか……こんな田舎の食べ物、お出しして大丈夫でしょうか?」
「まあ、アタシを信じて」
「……上手く行かなかったら困りますわ……。でも、今のままじゃ、どんな料理を出しても、六分儀さんには喜んでいただけないでしょうし……」

ヒカリはそこまで呟いた後、ニッコリとアスカに微笑みかける。

「わかりました。アスカさんを信じてみます」
「ありがとう、安心して――きっと上手く行くから」
「……でもやっぱり、ちょっと不安……」

ヒカリはそう言って冷汗を垂らした。



次の日の朝、落ち着いた感じで研究所のドアがノックされると、アスカが出会った栗色の髪をした婦人が姿を見せる。

「はい、どうぞー、開いてますよー」
「まぁ、立派な研究所ね」
「あっ……あなたは?」

アスカはその婦人……六分儀ユイの姿を見て驚きの声を上げる。

「またお会いできたわね。アスカ・ラングレーさん」
「あ、あの、どうしてここが?」
「ふふ、……昨日《洞木屋》の食事会でね……」

******昨晩*******

《洞木屋》の店内。

「……なんだこれは!」
「…………」

怒りだしたゲンドウを黙って見つめるユイ。

「ですから、今夜の特別の献立、オキナハの郷土料理です……」

消え入るようなか細い声でヒカリが答えた。

「この私もなめられたものだな!」

そう怒鳴るゲンドウを、ヒカリは冷汗を垂らしながら眺めた。

「カレーも無しに、ラッキョウだけとは、どういう事か説明してもらおうかっ!!!!」
「な、なんか論点がズレてる気がしますわ……。アスカさーん!」

ヒカリは心の中でアスカに助けを求めていた。

「ふん……帰りましょう六分儀女史。どうやら我々は場末の定食屋にでも来てしまったようです」
「…………」

ゲンドウはそうユイに話しかけるが、ユイは黙って答えなかった。

「あなたや私のような、文化人が来るような店ではない!」
「……この味」

ユイは、何かに誘われるかのように島ラッキョウに手を伸ばしていた……。

「……信じられない。……この味……あの人が、15年前、私に作ってくれたそのままの味……」
「こんな田舎の食べ物に口を付けては……あなたの舌がけがれてしまいますぞ!」
「………………お黙りなさい…………」
「……ぐっ!?」

ユイがそう言ってゲンドウをにらみつけると、ゲンドウは脂汗をダラダラと垂らしながら黙りこんだ。

「ああ……信じられないわ……夢にまで見た味……」
「むっ……で、では私も一口……」

そう言って島ラッキョウを口に入れたゲンドウはサングラスから目が飛び出そうなぐらい驚く。

「…………ンマ~イ!!!! 雄大にしてロマンティック! まさに大草原の味!」
「そうでございますな」

ゲンドウの横に控えていたユウザンも賛成していた。

「島ラッキョウ……まさか、本当に出してくれるなんて……」
「……お気に召しましたか?」

感心した様子のユイに、ヒカリは笑顔で話しかけた。

「ええ、とっても……」
「よかったですわ、……本当に」
「洞木嬢……実は私、先ほどからここにもう一人の人物がいるような気がしているのですよ」
「はい?」
「その人物によってこのひと時を楽しませて頂いているような……」
「は、はあ……」
「――是非、この島ラッキョウを作った人にお会いしたいわ」

******************

「あの時、私の素性に気が付いていたのね、ふふ……」

ユイはそう言ってアスカに微笑みかけた。

「……すぐに気付いたわけじゃないんですけど……あの、その、気分を悪くなされたでしょうか」

アスカはそう言ってユイに謝った。
しかし、ユイは首を振って否定する。

「まさか。お礼を言いに来たのよ。……ありがとう。あなたのおかげで、もう2度と会えないかと思っていた味に再会できたわ」

ユイの言葉を聞いたアスカはたちまち笑顔になる。

「あはっ、よかったぁ」
「握手をさせて、アスカさん」
「はい、光栄です」
「それは、こっちのセリフよ。洞木嬢から、いろいろお聞きしたわ。あなたがあの高名な赤木博士の娘さんだという事も。……オキナハシティの町興しのために頑張っているという話も……」

そう言ってユイはアスカに30万の小切手を差し出した。

「えっ……?」
「オキナハシティは、私にとって大切な思い出の街なの。……少ないけど、あなたのお仕事の役に立ってくれれば嬉しいわ」
「そういうことなら……はい、ありがたくいただきます♪」

ユイは残念そうな顔で溜息をつくと、アスカに話しかける。

「もっとゆっくりお話していたいけど、今から公演のリハーサルなの。じゃあ、お仕事がんばってね」
「はい、六分儀さんも」

アスカは笑顔で答えた。
ユイは研究所を立ち去ろうとしたが、振り返ってしどろもどろになってアスカに尋ねる。

「……あ……あの、アスカさん」
「はい? なんでしょうか?」
「お別れの前に、一つ尋ねたいことがあるのですけど……あの島ラッキョウ……どこで手に入れたのかしら」
「友達から、自家製のを分けてもらったんです」

アスカの言葉にユイは身を乗り出してさらに尋ねる。

「その友達って、オキナハシティの友達よねっ?」
「……は、はい」
「……あ、あなたと同じ歳?」
「一歳年上で15歳です」
「よかったら、そのお友達の名前、教えて下さらないかしら」

そう尋ねたユイの言葉を聞いて、アスカは不思議そうな顔をする。

「え?」
「……その子にもお礼を言いに行きたいのよ……お願い」
「まあ、そういうことなら……その子の名前は、霧島マナです……」

アスカの言葉を聞いたユイは驚いた顔で質問する。

「霧島マナ? その子の名前、霧島マナっていうの?」
「は、はい……港に行って、その名前を言えばすぐに会えますよ」

黙りこんだユイをアスカは首をひねりながら眺めていた。

「私は公演が終わったらすぐにトーキョーに戻るけど、あなたに会えてよかったわ……本当にいろいろありがとう、アスカさん」

そう言ってユイは研究所を立ち去って行った……。

「うーん、キレイな人だったわね。さすがトーキョーで一番人気の大女優さんね……でも、急に様子がおかしくなって、どうしたんだろう?」

一人残されたアスカはあごに手を当てて考え込みながらそう呟いた。



数日後の朝、アスカが使徒の死骸の側を通りかかると、人目に付かない裏の物陰から婦人と少女の話声が聞こえるのに気がついた。

「客席に居たあなたの姿……すぐにわかったわ。私にそっくりだったもの」
「おかあ……さん……?」
「ごめんね……あなたを連れていけなくて。私はひどい母親よ。生まれたばかりのあなたがいたのに、不倫なんかしてしまって……当然、霧島の家にあなたの親権は取られてしまって……」
「…………」
「やっぱり諦めきれなくて、すぐに戻ろうと思ったんだけど、オキナハシティはもう海の彼方だったの……そして使徒が襲来してオキナハシティは大混乱であなたの安否も分からなかった……」
「そう……」
「……あなたさえ良ければ、私はあなたの母親に戻って一緒に暮らしたいと思っているの。世間は大スキャンダルだって騒ぎ立てると思うけど、あなたのためなら私は……」
「私は、ここに残って行方不明になったお母さんとお父さんを待たないといけないの」
「やっぱり、そうよね……」
「でも、私は幸せだった……私を育ててくれた、お父さん、お母さん……オキナハシティに使徒が来て、二人が行方不明になった後も、商会や港のみんな……私を大切にしてくれたよ」
「…………」
「私は今のままでいいの。だからお母さんも女優生命を絶つような事はしないで……」
「で、でも……」
「トーキョーでは、芸能界きってのおしどり夫婦で有名なんでしょう? 自分を好きでいてくれる人達の夢を裏切っちゃダメだよ……」
「…………」
「私を産んでくれてありがとう、お母さん。でも、もう私は霧島商会の会長だもん」

ユイがその場を早足で立ち去る後ろ姿がアスカに見えた。
そして続けてマナが姿を現す。

「え、やだっ、アスカ、今までの話聞いていたの?」
「ご、ごめん」

マナはアスカに気が付くと驚きの声を上げた。

「……ねえ、アスカ。お母さんが二人居ちゃいけないのかな?」
「ううん、いけなくはないと思うよ。……アタシもママが二人居るし」
「どういう意味?」

マナに尋ねられたアスカは、黙って微笑むだけだった。