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第二十一話 贋作の価値は
「おーい、アスカー!」
「ん?」
「こっち!」
「あ、マナ」

ある日の昼、アスカが港を通りかかると、オキナハシティの港の管理宿舎からマナが飛び出してきた。

「いいところに来てくれたわっ!」
「え、どうしたの?」
「アスカ、美術品の修復とかできる?」
「美術品の修復……?」
「そ、絵とか」

マナの言葉を聞いたアスカは背筋にダラダラと冷汗が垂れるのを感じた。

「……そ、そうね……元に戻すのなら自信あるけど……」

アスカがおずおずとそう言うと、マナはニパッとした笑顔になる。

「出来るのねっ!?」
「う、うん」
「さすがアスカの技術は凄いわね!」

喜ぶマナを前にアスカは自分の心臓が不規則なリズムを打っているのを感じた。

「ねえ、一体何の話なの……全然わからないんだけど……」
「実はね、絵画を一枚、あなたに修復してもらいたいの」
「ミサトさんがずっと前にトーキョーの修復職人にクリーニングを頼んでいた、神社の絵画があってね……」
「へー、ミサトが」
「今朝の船でようやくそれが戻って来て、陸揚げされたんだけど……」

そこまで言うとマナは今にも泣き出しそうな顔になる。

「どうしたの?」
「ちょっとした事故で絵を海に落っことしちゃったのよ……アハハ……」

マナはそう言って乾いた笑いを浮かべた。

「ええっ! それマズイじゃない!」
「絵は……もう、びっちょびちょのボロボロ……」
「はぁ……」

マナの言葉にアスカは憂鬱そうに冷汗を垂らしながら溜息をついた。

「で、その絵が……悪い事に、葛飾南北斎の作なのよね……」
「葛飾南北斎!? それってドイツでも有名な日本画家じゃない!」
「なんとかアスカの腕で元通りにしてよ」

アスカは俯きながら元気の無い様子でマナの頼みに返事をする。

「そんな……葛飾南北斎の絵なんて……とてもじゃないけど……」
「そこをなんとか! ……ミサトさんを落ち込ませたくないの! お父さんから譲り受けた大事な絵だって言ってたし……」
「……でも……」
「もし損害賠償なんか請求されたら、霧島商会は大ピンチ……それに葛飾南北斎の絵をどうこうしたってうわさが流れれば……世界中から非難ごうごう……」

泣きそうな顔で頼み込むマナをアスカは冷汗を垂らしながら呆れ顔で見つめる。

「……うわさじゃ無くて事実でしょ……」
「…………うっ……」
「もう一度修復職人さんの所に送り返して元通りにしてもらったらどう?」
「実は……見てもらえればわかるんだけど……損傷の具合は、そんなレベルを超えているのよね……」
「まったく……」

アスカはマナを見て困った顔になった。

「今のオキナハシティでこんなこと頼めるのはアスカしかいないの。ねっねっ、アスカ様っ、お願い!」

必死に拝むマナの姿についにアスカの方が折れる。

「もう……仕方無いわね……わかったわ、やるだけやってみるわよ!」

アスカの言葉を聞いたマナは嬉しさのあまり笑顔で3回転半ジャンプをした。

「やりぃ、スバラッキー!! じゃ、さっそく絵を持ってくるからっ!」
「はぁ……」

絵を預かったアスカは疲れた顔をして研究所に戻ってきた。

「それで、引き受けたの?」
「うん……霧島商会がダメージを受けたら、オキナハシティの街興しだって大変な事になるし……別にマナのためじゃないんだからね!」
「わかってるって、アスカが優しさを素直に前面に出せないのはさ。アスカは人が困ってるとすぐ首を突っ込むんだから」

そう言って穏やかに微笑むシンジをアスカは思いっきりにらみつける。

「あー、もう、どうしたらいいのよ!」
「落ち着きなよ……」

シンジはテーブルに問題の絵を置いて損傷の具合を詳しく確かめる。

「表面の顔料がほとんどダメになってる。これは修復なんてレベルじゃすまないね」
「そうね……トラえもんがタイムふろしきでも出してくれないかしら」
「現実を見ようよ」

アスカとシンジが言い合いをしてると研究所のドアが開け放たれ、ヒカリが中へと入ってくる。

「アスカさん、マナさんの使いの者から話は聞きました。ここに葛飾南北斎の絵を持って来たので見本にしてください」

ヒカリの言葉を聞いたアスカは目を輝かせる。

「ありがと、アタシも見本があればきっと上手く描けるわよ」
「それにしても……これが例の絵ですか? 無残なものですわね……」
「……そうね」
「アスカさん、大丈夫ですか?」

ヒカリの言葉にアスカはシンジと向かいあって頷く。

「……アタシにはシンジが居てくれるから、力を合わせて頑張るわ」

ヒカリが羨ましそうにシンジの方を眺めていると、買出し出ていたレイが外から戻ってくる。

「アスカ……頼まれた絵の具、全部買ってきたわ……」
「ありがとう、レイ! ……さっそく始めましょう……」

アスカとシンジの絵画修復作業が始まる!

「さて……どうしようか……」
「リツコ姉の開発した特別製のフィルムを絵に貼りつけて……その上から絵の具を塗る事にするわ」
「そうだね、それなら本人のタッチを再現できそうだね」

シンジとアスカが作業する様子をヒカリも祈りながら見つめている。

「後は、どのくらい真作のレベルまで肉付けできるか……ですわね」
「ヒカリが持ってきた見本もあるし……なんとかやってみる」

アスカとシンジは本物の絵を見ながら丹念に絵を描き込んで行った。
そんな様子を見てヒカリは冷汗を垂らしながら戸惑った笑みを浮かべる。

「なんだか気のせいか、修復と言うより、贋作作りの手法じみてきましたわね」
「アスカ、随分前から主線とか無視してガンガン描いてるよ……」

シンジの言葉にヒカリは溜息をついた。

「もう立派な贋作だね、これは……」
「シンジさんは止めないんですの?」
「うーん、こうなったアスカは止められないというか……」

そしてアスカの力作「富嶽三十六景……実は三十七景目、ただし裏富士はのぞく」《贋作》が完成した!

「す、凄い、タッチがそっくりですわ!」
「天然ピカソ画法を習得していると思ったアスカが……信じられない」
「相変わらずひどい言いようね、二人とも」

翌日、さっそく港で待つマナの元に絵を持っていくアスカ。

「いやー、おかげで助かったわ。はいこれ、今回の仕事料。アスカのおかげで助かっちゃったから多めにしておいたわよ」
「うん……」
「ミサトさんも全然気が付かなかったし♪」
「よかったのかな……」

嬉しそうなマナに対してアスカは沈んだ様子。

「アスカさーん!」

そこへ慌てた様子のヒカリが駆けてやってきた。

「あっ、ヒカリ? どうしたの?」
「緊急事態ですわっ! アスカさんが描いたあの”葛飾南北斎”を碇ゲンドウ氏が買い取ろうとしています!」
「ええっ!?」

その頃、葛城神社ではゲンドウとミサトが向き合って話していた。
ゲンドウは絵を見つめて溜息をつく。

「…………むぅ。…………何度見ても見事な葛飾南北斎だな」
「いくら言われましても、この絵をお譲りすることはできません」

ミサトはゲンドウをにらみつけながらキッパリとそう言い切った。

「しかし、私はこの絵を気に入ってしまったのだよ、葛城君」
「これは父から譲り受けた所縁の品で……」

言い争う二人のところにマナ、アスカ、ヒカリの三人がひっそりとやってきた。
気付かれないようにこっそりと中の様子をうかがう。

「何でも、街のうわさで葛飾南北斎が神社に帰って来た事を聞きつけて来たらしくて……」
「…………」

ヒカリの説明する後ろで、アスカは暗い顔で俯いていた。

「それ相応の対価は払う覚悟だ」

余裕たっぷりのゲンドウの前でもミサトは視線をそらそうとしない。

「もしお売りするとすれば――最低百万円からは頂かないと」

ミサトの言葉を聞いてマナは笑いだす。

「うわ、吹っ掛けたわね」
「そうですか? 大した額ではないですよ? 私のペットの一ヵ月のえさ代がそのぐらいで……」

平然としているヒカリをマナは鋭い目でにらみつけた。

「――百万? とんでもないことだな」

ゲンドウの呟きにミサトは勝ち誇ったような笑顔になる。

「高すぎますか? じゃあこの絵は神社の一角に飾っておく事に……」
「葛城君。私は”とんでもないほど安すぎる”と言ったのだ」
「――はい?」
「私は専門家ではないがな、この絵が五百万円以下ではないという事は一目でわかる」
「――五百万!?」

ミサトは驚きのあまり胸を押さえながら叫び声を上げた。

「オークションなどにかければ風のように値段は跳ね上がって行くだろう。一億に届くかもしれんな」
「そ、そんなに……!?」
「葛城君。君はこの絵に百万と値を付けた。しかし私は今言った五百万をこの肖像画に提示したい」
「そ、そういわれましても……この絵には私なりの”思い出”がありまして……」

ミサトの様子をみたマナはケラケラと笑っている。

「ミサトさんも粘るじゃない」
「……葛城さんにとってそれだけ大切な品なんですわ」

ヒカリはそう言って固唾を飲んでミサトの方を見つめていた。

「五百万では譲れないというのか?」
「……申し訳ありませんが……」

その会話を聞いたアスカは落ち込んだ様子のまま溜息をつく。

「製作費なんて五百円もかかっていないのに……」
「これが大人の世界の駆け引きってものよ、アスカ」

マナは楽しそうにそう言いながら体をおどらせていた。

「では倍――1千万出そう」
「よろしくお願いします☆」

ゲンドウの提案にミサトは0.1秒で笑顔になって快諾した。

「な、何よそれ……」

マナはあきれた顔で冷汗を垂らした。

「は、早々と、心の背を丸めてしまいましたね……」

ヒカリも同じように落胆した表情を浮かべていた。

「…………はぁ」

商談を見届けた三人は気付かれないように神社を出て、中央広場に居た。

「それにしても、見事に騙されちゃって、傑作よね。いっぱしの鑑定家気取っちゃって、アホ丸出し!」
「いいのかな……これってサギじゃないかな……」

笑顔で笑い飛ばすマナとは違って、アスカは俯いて胸を押さえていた。

「アスカさん……」

ヒカリはそんなアスカの様子を見て悲しんでいた。

「いいからいいから。普通の庶民ならともかく、相手は超金持ちなんだから気にすることなんてナイナイ♪ 神社の修繕費が稼げたって葛城さん、喜んでたじゃない。アスカの仕事に対する報酬もサービスしてくれるわよ」
「むぅぅぅ……」

明るくマナは励ますが、アスカは苦しそうな顔でうなっていた。

「お気持ちはわかりますけど、真実を告げたらみんな不幸になってしまいますわ。霧島さんも、葛城さんも。結果としてオキナハシティの町興しのためになったわけですし……ね?」
「アタシは……やっぱりこんな卑怯なことはイヤ!」

アスカはそう言うと、顔を伏せたまま研究所に駆けて帰って行った。

「まったく……アスカってば子供ね。ま、今度からアスカの事をアスカ・ピカソと呼ぼうかしら」
「霧島さん! 元はと言えばあなたのせいじゃないですかっ!」

怒ってにらむヒカリにマナは愛想笑いを浮かべてごまかした。

「もし、今度またアスカさんの経歴に傷を付けるような真似をしたり、この事を口外した場合には……」

ヒカリの二つの目が怪しい光を放つ……!

「絶対しないしない! だから止めて~!」

マナはがたがたと震えあがった。



その頃研究所に帰っていたアスカは、シンジの胸で悔し泣きをしていた。
シンジもアスカの気持ちはわかっていたので、思いっきり泣かせる事にした。
ひとしきり泣き終わった後、アスカは顔を上げてシンジの目を見つめる。

「シンジ、やっぱりアタシ……」
「アスカのやりたいようにやればいいよ」

シンジの言葉にアスカはパッと顔を輝かせて立ちあがる。

「うん、わかった……アタシ、知事さんの家に行ってくる!」

ゲンドウの邸宅に駆けつけたアスカは、ゲンドウに向かって頭を下げて謝罪した。
そして、正直にその絵が自分の描いたものである事を告白すると、ゲンドウは突然笑い出す。

「……フフフフ」
「な、なんですって、これが贋作ですと!」

たまたまゲンドウの家に招かれて絵を見ていた市長のコウゾウは驚いた様子。

「何て娘だ! 今すぐこの街から追い出してやる!」

いきり立つコウゾウをゲンドウが手で制して止める。

「待ちたまえ。私はこの絵が贋作だと分かっていた」

ゲンドウの言葉に驚いたアスカがハッとして顔を上げた。

「私は君の腕前を認めて、価値があると踏んだからこそ、1千万のお金を払ったのだ。胸を張りたまえ、アスカ君」
「は、はあ……でも……」

アスカはまだ戸惑っていた。

「1千万で葛城君と、君とでオキナハシティの町興しをして欲しいという気持ちも込められていたのだ。わかるな?」
「はい……それで……」
「霧島商会の事も公表しない。この絵は私の家にずっと隠しておく。……いいな」

ゲンドウの言葉を聞いたアスカはとても明るい笑顔で礼を述べる。

「ありがとうございます!」
「……さあ、帰りたまえ」

アスカは肩の荷をすっかり降ろしたように軽やかな足取りで帰って行った。
その後ろ姿をコウゾウは苦々しく見送る。

「あんな小娘の作品に大金を払うなんて、ドブに捨てるようなものでは……いっそ市庁舎に寄付して頂ければ……」
「お前に資金を提供する方が無駄な行為だ」

ゲンドウの言葉にコウゾウはムッとした表情になったが、立場の関係からか何も言い返せなかった。

「なに……あと100年も経てば、《赤木アスカ作の贋作》という歴史的価値が付いて、真作より値が付く……と私は見ている」

アスカは研究所に帰ってから上機嫌でシンジの作った夕食を食べていた。
ゲンドウの屋敷で一体何があったのか、アスカは嬉しそうにゲンドウとのやりとりを話す。
シンジは複雑な思いでその話を聞いていた。
アスカに対して笑顔を浮かべながら、シンジはポツリと呟く。

「父さん……今回は感謝するよ。アスカの心を傷つけないでいてくれたことに……」