第二十話 半人前のアタシ達
「……夜遅くになっちゃったわね。早く帰らないとシンジに心配かけちゃう」
そう言ってアスカが研究所への帰り道を急いでいると、横手の酒場からレイが現れた。
「あ、レイ?」
「……アスカ」
「アンタ、何してたのよ? 酒場なんかから出てきたりして……」
「散歩してたの」
レイの答えにアスカはあきれ顔になった。
「レイ……アルコールはダメよ、未成年だから。それにしてもアンタ、人の多いところ、嫌いじゃなかったっけ?」
「前に、葛城さんに連れて来られた……」
「まったく、ミサトったら!」
「よく来ているみたい」
「……もう! ミサトったら、レイに変なことばかり教えて!」
「いえ、あれで結構彼女はロマンチストよ」
「……むう」
「私はアルコールは摂取しないけど、酒場はとても有意義な場所よ」
「酒場が? どうして?」
「……先への備えと言うか……そんなところね」
レイはそう言って軽く微笑むと、煙るように闇の向こうに消えて行った……。
「……なんだか、アタシの知らない事情がいろいろありそうね」
アスカは冷汗を浮かべながらレイを見送るのだった。
目覚めたアスカは手早く着替えを済ませて階段を下りて、研究室に向かう。
「おはよう、シンジ」
「やあ、アスカ。昨日は楽しい夢を見てたの?」
「何、いきなり? 夢なんて見ないよ。 毎日クタクタだし」
「よだれを垂らして寝てたよ……」
「ウソっ」
アスカとシンジが話していると、研究所のドアが開かれる音がした。
玄関の側で本を読んでいたレイがアスカに来客を知らせる。
「……アスカ、お客さんよ」
「あ、どうぞいらっしゃ……」
来客の服装を見た時、アスカは笑顔を引きつらせたまま固まった。
「……ああっ、アンタは自称セーラー服美少女仮面!」
「ドグラノフの調整を頼みたいのよ」
視線の先にはセーラー服を着て仮面を被り、ライフルを小脇に抱えた女性が立っていた。
「ま、またぁ?」
「赤木ナオコの紹介状ならここに……」
「………………はぁ」
アスカは天を仰ぐように溜息をついた。
「……前に作ったドグラノフをベースに、調整と改良ですか」
「…………そうよ」
「えーっと…………」
アスカはそう呟いて、あごに手を当てて考え込んだ。
「……ストックに衝撃吸収用のダンパーを装着して……チャンパーを軍用の鉄貫弾を使えるように大型化……と」
「そうよ。……そして激発装置には、エレキトリカル・パーカッションを使ってね」
アスカはその言葉を聞いて冷汗を垂らす。
「こんなのを作っているのがバレたら、加持さんに許可を取り消されちゃうかも……」
「細かい指示は、ここに書いてあるわ。一寸の狂いも無く組み立ててくれればいいのよ」
「……わかりました。で、期限はいつまでですか?」
「……翌朝」
それを聞いたアスカは全身の毛が逆立つように震えあがる。
「たったそれだけ? 無茶よ!」
「オキナハシティ・ナンバー1のドグラノフ・ハンドメーカー……裏社会でのその評判は、ただの飾りかな……」
「ええっ? 裏社会って誰がそんな噂を……?」
「……………………」
アスカににらまれたセーラー服の女性は顔を反らした。
「……ぅぅ、お願いだから変な噂を広めないでよ~」
「…………問題無いわ」
「とほほ、へこたれそう……」
「じゃあ、報酬は1万でお願いするわ」
アスカは目を剥いてその言葉に反論する。
「そ、それだけ? せめてその10倍はもらわないと……!」
事情を知っているシンジがアスカを宥める。
「きっとミサトさ……いや、正義の味方も生活費が苦しいんだよ」
「じゃあ、頼んだわよ」
シンジがアスカを押さえている間に、セーラー服の女性は立ち去っていった。
その日の夜、必死にドグラノフの改造を完成させたアスカが眠りにつこうとすると、窓から屋根の上に座って星空を眺めるレイの姿が見えた。
「ねえ、レイ」
「…………」
「レイってば!」
「……アスカ」
二回呼ばれてやっと気がついたようにレイはアスカの方に顔を向けた。
「屋根の上で何をしているの?」
「宇宙を見ているの」
「は――宇宙? ……天体観測ならアタシの望遠鏡、貸してあげよっか?」
「このままでも問題無いわ。私は昼間でも星が見えるから」
「ね、アタシも上がっていい?」
「ここは、あなたの研究所だもの。好きにするといいわ」
「うん」
アスカは外壁からひょいと屋根の上に身を躍らせた。
レイと並んで腰掛け、しばらく無言で夜空を見上げた……。
「世は去り、世は来る。だが大地は永遠に変わらない……。日は昇り、日は沈み、また元に戻って再び昇る……」
「哲学~っぅ!」
レイの言葉にアスカは茶化すようにそう言った。
「この上なくみすぼらしい花でさえ涙するに余る奥深い思いを露わにしてくれる。……私が生きているのが無駄でなかったように」
「何を言ってるのよ?」
「そのうちにわかるわ……」
そうしているうちに、慌てた様子のシンジが外から帰ってくるなり、レイを大声で呼ぶ。
「綾波ー!」
「あ、シンジもおいでよ。夜風が気持ちいいわよ」
アスカが話しかけてもシンジは怒った様子。
「僕は綾波に用があるんだ!」
「……何?」
「僕が頼んだ台所の後片付けは終わったんだよね?」
シンジがそう問い詰めると、レイは笑顔を浮かべて答える。
「ええ、全て終わったわ……。雨のように、涙のように……」
「皿洗いを頼んでいたはずだけど、ゴミ箱に放り込まれたかけらの意味を説明してもらおうか!」
「………………」
シンジの質問にレイは無言で答えた。
「おい! 綾波!」
「形あるものは、いつかは壊れるの」
「ぶっ壊した本人が言わないでよ!」
「ごめんなさい……今朝になってから力の加減が効かないの。…………どうしてかな……?」
「まったく、気を付けてよ……」
レイの言葉にアスカは一抹の不安を感じていた。
夜が開けて、朝が訪れ、セーラー服の女性が研究所に姿を現した。
「……約束のものを取りに来たわ」
「……はい……出来てますよ」
アスカから銃を受け取った女性は丹念にその感触を確かめて行く。
「……よし……見事な仕事ね」
「お願いですから、もうこれっきりにしてくださいね!」
そういってアスカはセーラー服の女性を思いっきりにらみつけた。
「じゃあ代金を払うわ。……それと、領収書もお願いね。経費で落とすから」
「1万円ぽっちでせこい正義の味方ね……」
「もし、税務署が来た時は、バッチリ証言をお願いするわ」
「はぁ」
アスカはそう言って冷汗を流すしかなかった。
「でも……こんなパワーアップしたドラグノフ……一体何を撃つのに使うんですか?」
「体長30メートル……の火を吹くクジラよ」
「そ、そうですか、○ー・○ェパー○に狙われないように気を付けてください」
「あと、あなたにこれを渡しておくわ」
謎の女性セーラームーンから渡されたケースの中には、分解されたロングドグラノフが1セット入っていた。
「……あのう……これは?」
「リツコ……いえ、赤木博士からあなたへ渡して欲しいって預かって来たの……」
「リツコ姉が?」
思わぬ人物の名前を聞いてアスカは思いっきり驚いた。
「この町には、今大いなる危機が迫りつつある……お守り代わりに持っていても邪魔にはならないでしょう……」
「一体どういうことなの、リツコ姉……」
アスカはそう呟きながら考え込んだ。
「……じゃあまた会う事があったらよろしくね♪」
「また来るのね……」
セーラー服の女性の立ち去って行った方向を見て、アスカは溜息を吐いた。
「しかし、この仕事のおかげですっかりドグラノフの構造に関して詳しくなっちゃったわね……アタシの体格に合わせて改造でもしてみよっか!」
アスカはその日の夜のうちに、『ロングドグラノフ・アスカSP』を完成させたのだった。
「アスカさーん! 大変ですわ、アスカさん!」
朝の研究所にヒカリが慌てて飛び込んできた。
「ど、どうしたのよヒカリ、そんなに慌てて!」
「やっぱりご存じなかったのですね……とにかく大事件ですわっ! オキナハシティの港に巨大生物の死骸が!」
「えっ?」
「とにかく港へ! 今朝からオキナハシティ中で大騒ぎですわ!」
アスカとヒカリが港に着くと、大勢の街の住民が、港に流れ着いた謎の巨大生物の死骸を見物せんと集まっていた。
その死骸は、おそらく頭部と思われる場所が原形をとどめぬ程激しく損傷――そのため、一見しただけではどんな生物なのか分からなかった。
「すげえ……なんじゃこりゃいったい」
「それにしてもでっかいなあ」
その巨大な奇怪な肉の塊を住民達は固唾を飲んで見守っている。
「うわ……確かにこれはすごいわね」
「アスカさん、これ、何という生き物かご存じありませんか――?」
「アタシの専門じゃないのよね……」
そう言ってアスカは考え込んだ。
「……私、わかるわ」
「あ、マナ?」
「……頭の部分がぶっ飛んでいるけど……昔見た使徒と言う怪獣じゃないかしら……」
そう言ってマナはとても悲しそうな顔になった。
「使徒? あの、街の中で骨だけになっちゃっているやつ?」
「……………」
マナは黙り込んだままアスカの言葉を否定しなかった。
ヒカリが驚いた様子で呟く。
「使徒は、十数年前にオキナハシティに襲来した一体を最後にすべて殲滅されたと聞いていますが……まさか」
「いや、お嬢さんの言うとおりだ、こいつは使徒に間違いない……」
近くに居た霧島商会の船長、シゲルもマナの意見に賛成した。
マナはとても厳しい顔つきになる。
「でも、この死骸って腐ってないし、たぶん、この前まで生きていたんだわ」
「そんなの認めたくないわよ!」
冷静に分析するアスカに対してマナはカンカンに怒りだした。
この事件はオキナハシティに大きな不安を残しつつも、騒ぎにはならず、とりあえず終息した……。
その日の昼、アスカが骨だけになった昔からある使徒の死骸を眺めていると、笑顔で走ってくるヒカリに声をかけられる。
「アスカさーん!」
「……あ、ヒカリ?」
「やっぱり、使徒を見に?」
「うん、ちょっとね。ヒカリも?」
「はい、使徒がどんなものだったか、少し興味がありまして」
「それにしてもでかいわね……」
アスカは改めて使徒の死骸の方向を見つけてそう呟いた。
「ところでアスカさん。こんな場所ですけど、お仕事頼めますでしょうか?」
「――仕事? うん、構わないわよ。――なに?」
「実は《洞木屋》に飾るオブジェを製作してもらいたいのですけど」
美術系の仕事と聞いてアスカの額から冷汗がダラダラと滴り落ちる。
「せっかくのオキナハシティの料理店なのですから、オキナハにちなんだ装飾で店内を飾り付けたいと思って」
「それで、何をつくればいいの?」
「おまかせしますわ。アスカさんだからきっと素敵なものができるでしょう」
目を輝かせて自分を見つめるヒカリに、アスカは大きなプレッシャーを感じながら仕事を引き受けるのだった。
「……で、何を作るの?」
シンジは端からアスカが造るのは無理だと決めてかかっているようだ。
その態度にアスカはムッと来てしまう。
「今回は、シンジの助けは絶対に借りないわ! アタシ一人で造る!」
「ええっ?」
「レイ、シンジが邪魔しないように見張ってて」
「了解」
アスカはレイにそう告げると、戸惑うシンジを尻目に机に向かってしまった。
「うーん、うーん、オキナハっぽいもの……」
アスカは随分悩んでいたようだが、良いアイディアが浮かんだようだ。
そして石材を運んで来て一心不乱に掘りはじめる。
シンジとレイが見つめる中でそれは徐々に形になって行き……。
出来上ったのはムー○ンに似た生物の像だった。
「ジャーン、完成したわ。猫シリーズ第二弾!『ヤンバルクイニャン』よ!」
そう宣言したアスカを見てシンジは目が点になる。
「カバにしか見えないんだけど……」
「……キモチワルイ」
「フン、二人にはこの”シュール美”が理解できないのよ!」
アスカは怒ってその重い像を一人で引きずりながら《洞木屋》へ向かった。
「――ヒカリ! 頼まれたやつ持ってきたわよ!」
「あ、アスカさん」
店からヒカリは笑顔で出てきたのだ……が、アスカの引きずっているものを見て冷汗を浮かべた。
「あの……シンジさんが作ったにしてはおかしい感じがするんですが……」
ヒカリの言葉にアスカはショックを受け、顔を真っ赤にして抗議する。
「ひっどーい! ヒカリまでアタシの事期待してなかったの!?」
怒るアスカの声に注目が集まったのか、従業員も『ヤンバルクイニャン』の像を見て失笑をもらす。
「何アレ?」
「カバじゃないか?」
「あんなの店の前に置いたら雰囲気がぶち壊しだな」
耐えきれなかったアスカはついに泣きながら走り去ってしまった。
「あ、アスカさん!?」
途方に暮れたヒカリは急いで研究所に向かった。
「何だって!? アスカが?」
ヒカリからアスカの事を聞いたシンジは研究所を飛び出した。
レイもヒカリと一緒にアスカを探す事にした。
「やっぱりここに居た……」
シンジはマリンタワーの展望台で佇むアスカの背中を見つけた。
「アスカ……」
「何よ、なんできたのよ」
「ごめん……さっきは馬鹿にしたような態度をとって……」
「アタシは完璧にやっているわ。ただ美的センスがたまたま合わなかっただけで……そうに決まってるわ!」
「アスカ……もっと肩の力を抜いた方がいいよ」
アスカはシンジの言葉に対して背中を向けたまま答えない。
「そりゃアスカは天才だし、その歳で大学まで出てるけど、でも自分に一人で何でもできると思わない方が良いよ」
「アンタはアタシの仕事にケチつける気!?」
アスカはシンジの方に振り返ってそう叫んだ。
「仕事にケチを付けるなんて言ってないけどさ……」
「何よ……」
シンジはグッと拳を握りしめて叫ぶ。
「アスカは僕の事、ただの家事手伝いにしか考えていないのかよ!」
その言葉を聞いてアスカはハッと驚いた顔になる。
「そ、そんなことない! アタシは、シンジを頼りにしている!」
「じゃあ……一人で一人前なんて言うなよ……僕達はまだまだ半人前なんだからさ……」
「そうよね、アタシ達、二人で一人前だったわね……だから泣かないでシンジ……」
二人はマリンタワーの展望台で抱き合ってワンワンと泣きはじめた。
その姿を偶然見つけたミサトとヒカリとレイは、下から展望台を眺めて二人が仲直りした姿を微笑みながら眺めていた……。