○ひとこと○
こうしてこの学派は、絶対善の実現よりもむしろ、
より少ない悪の実現を目ざすわけである―ハンス・J・モーゲンソー
2010-04-14
「戦車の限界」 ヨムキプル戦争2
日本では第四次中東戦争とも呼ばれている十月戦争、またの名をヨムキプール戦争は、ほぼ同程度に近代化された軍同士が大規模に戦った稀有な戦例です。この戦争はエジプト、シリア両軍の奇襲によってはじまりました。奇襲を受けたイスラエルは混乱し、たいへんな危機に立たされます。
この戦例を通して、一部は日本の防衛にもつながる普遍的な教訓を取り出してみましょう。
我々は情報を得ていた。しかし、その可能性を認めようとしなかったのだ。
前回の記事「なぜ戦争に気づかなかったか」では、イスラエルが奇襲を受けるまでのプロセスを追いました。
イスラエル軍情報部には「まさか、戦争にはならない」という楽観的な思い込みがありました。また、相手が今にも戦争を仕掛けようとしているのを、こちらから見て分からないはずがない、と思っていました。しかし実際には、なんと軍情報部は開戦当日の朝になるまで「戦争が起こる」とは気づかなかったのです。
情報を欠いていたのではありません。さまざまな偵察によってエジプト、シリア軍が集結していることは分かっていました。情報の解釈を誤っていたのです。このことからは「戦争なんか起こらない」という判断の危険性が察せられます。この問題についてはかつてこのブログの記事「『戦争なんか起こるわけがない』は思い込みだという歴史的実例」でも少し触れました。
これは当時のイスラエルに限らず、現代の日本にも当てはまる普遍的な問題です。もし日本に戦争の危機が迫ったとき、正確にそれと判断することができるでしょうか? イスラエル同様に「まさか、戦争なんて起こることがない」という先入観に支配されていれば、明白な情報があってもそれを見逃し、奇襲を許してしまうかもしれません。
イスラエル軍の水際作戦
当時はスエズ運河を境界として、西がエジプト、東はイスラエルの領域でした。エジプトがイスラエルに攻め込むには、スエズ運河を渡河しなければなりません。敵を目の前にして河をわたるのは大変危険です。だから河は天然の防衛線です。
エジプト軍は二段階作戦でくるはず、と思われました。河を渡って橋頭堡をきずく第一段階。その次にできるだけ早く侵攻を開始する第二段階です。
そこでイスラエルは空軍と機甲部隊つかった「水際迎撃」をやるつもりでした。機甲部隊とは戦車を中心とする部隊のことです。これをすばやく渡河点に機動させ、空軍の支援のもとで突撃をかけます。敵軍が第二段階に移る前に、河に追い落としてしまうのです。
渡河後に長々と待っていては、エジプト軍に機動の余地を与えてしまうし、イスラエルの領域を一時的にせよ占領されてしまいます。また、そもそも渡河の途中で敵の船を全て沈められればベストなのですが、長いスエズ運河の全ての岸に十分な兵力を貼り付けることは不可能です。だから渡河直後に水際へ機甲部隊を走らせるのがベストと考えられました。
実際、第三次中東戦争においても、その後の消耗戦争においても、イスラエルの機甲部隊と空軍は敵を圧倒しています。
しかし、今回ばかりは、そう上手くはいかなかったのです。
エジプト軍の三段階作戦
対するエジプト軍は三段階の作戦をたてていました。渡河直後にイスラエル軍が突撃してくることを予想し、まずはこれを防御することでイスラエルを消耗させるつもりでした。攻め込んだ側のくせに、まず防御するという、イスラエルの裏をかいた考えです。
しかし恐るべきはイスラエルの戦車部隊です。開戦前、イスラエルの機甲部隊を見学したアメリカのある機甲科将官は、「イスラエルの戦車砲射撃は世界一、と折り紙をつけた(p40 ラブノビッチ)」といいます。それに対抗するため、エジプト軍は必要な装備を整えていました。ソ連製の対戦車ミサイル「サガー」と、対戦車ロケットRPG-7です。(p100 「砂漠の戦車戦 上」 アブラハム・アダン )
潰された戦車部隊
10月6日の午後2時5分、渡河作戦はエジプト空軍の爆撃によって始まりました。イスラエルの指揮センター、対空ミサイル陣地、空軍の滑走路、レーダー基地、情報通信センターらが爆撃で潰されました。(p102 アブラハム)
その直後にエジプトの猛烈な砲撃がはじまります。砲撃開始から1分間に1万発以上の砲弾がイスラエル側に打ち込まれました。砲撃開始から15分後にはエジプト軍第一波が渡河を開始します。約720隻のボートに分乗した4000人が渡河を開始しました。
イスラエル軍は、奇襲を受けて混乱しながらも、ただちに反撃を試みます。戦車部隊はただちに運河へむけて突進し、早いものは20〜30分で到達しました。が、その攻撃は散々な結果に終りました。
イスラエルの機甲旅団は激しい反撃に出たが、それは空しく終わった。パーレブラインの一番近くにいたアムノン旅団の九個中隊は、計画通り…一斉に反撃にでた。しかし、エジプト軍の陣前二〇〇メートルに至るまでに、大損害を被り、撃退された。相手はもちろんエジプト歩兵のサガーとRPG−7である。(P60 「世界歩兵総覧」 田中賢一 )
十分な数をそろえて防御する対戦車兵器は、イスラエル機甲部隊すらも防ぎえたのです。
開戦から3時間後、夕方には3万2千人が渡河完了しました。そしてスエズ東岸に3.2キロの厚みをもつ橋頭堡を確保しました。
歩の無い将棋は負け将棋
このブログでは以前、「なぜ日本に戦車が必要なのか」シリーズその1において、戦車、歩兵、対戦車兵器の関係をジャンケンにたとえました。ジャンケンのグーはパーに弱いように、戦車は対戦車兵器を苦手とします。そのかわり対戦車兵器は歩兵の小銃によって駆逐されます。しかしその歩兵は戦車の突撃を受ければ蹂躙されてしまいます。(念のために付言しますが、これはかなり単純化した説明ではあります)
そこで必要なのが「諸兵科連合」です。これは要するにジャンケンの全部出しです。歩兵、戦車、さらに砲兵、工兵、空軍らが互いの苦手を補い、得手をいかして戦うことです。標準的なセオリーは、こうです。
砲撃支援の下で、機械化歩兵を随伴しつつ戦車が突進する。戦車は直射によって敵を叩き、砲兵は火力によって攻撃を支援する。そして戦車が、兵員装甲車に搭乗した歩兵とともに突撃するのである。(p201 アダン)
この諸兵科連合を欠いていると、大きな不利を強いられます。戦車シリーズその2において、朝鮮戦争の例をだしました。まともな戦車を持たなかった韓国軍、アメリカ軍が、歩戦協同で攻めてくる北朝鮮軍に散々に打ち破られ、半島の先端まで押し込まれました。
十月戦争でのイスラエル軍は、戦車こそ精鋭を持っていたものの、歩兵を欠いていました。その上、支援は航空機に任せることにしていたため、大砲も少数しか持ちませんでした。このように諸兵科連合を欠いていたために、対戦車兵器を多数装備したエジプト歩兵へ対処できなかったのです。
戦車はミサイルやRPG7に次々と潰え去った。砲兵あるいは歩兵が随伴していれば、あるいは助かったかもしれない。砲兵や歩兵の随伴しない戦車はバランスを欠き、敵歩兵には効果がない。(p125 アダン)
後方からの援軍
前線では散々に痛めつけられたイスラエル軍ですが、後方からは続々と援軍が前線へと出発していました。しかしその速やかな移動ができませんでした。
イスラエルからシナイへ通じる沿岸道の輸送は、難渋していた。運河から20km東のロマニで戦車をおろしたトランスポータは引き返し始めていたが、障害物にひっかかったり、交通渋滞に立ち往生したりした。…道のいたる所には車がひっくり返っていたり、あるいは損傷したトランスポータや戦車が立往生していた。
参謀本部は、運河より70kmのナハルヤム地区でトランスポータから戦車をおろし、後は自走させることおにした。…これでいくらか輸送が楽になったが、戦車部隊は疲労し戦車は磨耗した。(p62 アダン)
戦車が長距離を移動するときは、乗員と機械の消耗を避けるため、トランスポーターに載せて運びます。そのため「戦車は長距離に渡って道路を走るができない」と誤解されていることもあります。しかし、このように自走するしかない場合は自走していきます。
長距離移動の場合、装軌(キャタピラ)式の戦車などよりも、装輪 (タイヤ)装甲車の方が一般的に優れています。しかしながら路上に障害物がある場合、装軌(いわゆるキャタピラ)式の優位性が発揮されるようです。
進む戦車、戻る戦車で道路はいっぱいになった。戦車は互いに路肩を進んだので問題はなかったが、ハーフトラックや装輪装甲車はそうはいかなかった。(p195 アダン)
ともあれ、このようにして後方から慌ててかけつけた増援の戦車は、思い切った反撃に投入されることになります。
悪夢のような敗北
開戦3日目の10月8日、イスラエル軍は思い切った反撃にでます。前線の兵たちは散々に打ち負かされたショックを感じており、軍のトップである参謀総長のエラザールも反撃に慎重でした。しかし南部軍を率いるゴネン将軍は思い切った反撃を行い、敵を押し返すことを狙いました。
この反撃の中心として期待されたのがアブラハム・アダン将軍の師団です。しかし結局はわずか半日で50両もの戦車を失う大敗北となりました。アダン将軍は後にあらわした著書「砂漠の戦車戦」において、この日の戦闘をこう振り返っています。
われわれの戦車は歩砲の支援のないままに突進した。そこで、このような結果になった。命中しなかった対戦車ミサイルもたくさんあった。しかし、多数発射すればその何割かは命中する。イスラエル側に歩兵と砲兵の支援がないので、エジプトの射程の短いRPG−7でも、充分に威力を発揮することができた。(P55 アダン)
つまりは緒戦の前線でおこったことが、より大規模にくり返されたのでした。アダン将軍は十分な歩砲の支援をもたないばかりか、さらに不可解なことに、中東最強を誇るイスラエル空軍の航空支援すらも受けられませんでした。
イスラエル機甲部隊が砲兵を少なくてOKと考えたのは、その分を空軍で補う予定だったからです。しかし頼みの空軍も何故か来てくれなかったこの日、イスラエルの不敗神話ともろともに、反撃は打ち砕かれ、ついに撤退においこまれます。
後退を開始したイスラエル軍は、防御に適した稜線まで下がると、何とか敵の追撃を阻止しました。これは小さな戦車隊が何とか踏みとどまりました。対戦車兵器によって防御に成功したエジプト軍でしたが、戦車による攻撃ではイスラエルを破れませんでした。
しかしこの阻止戦闘を除けば、この日の作戦はイスラエルの完全な失敗でした。アダン将軍は後に振り返っています。
いかなる悪夢といえども、誰がこれほど深刻な状況を予想し得たか。事態はあまりに深刻であって、魔法を使ってもおっつかないように思えた。(P55 アダン)
いったいぜんたい、あるはずだった航空支援が、この日にはなぜ無かったのでしょう。それは次回触れることになります。
「裸になって国民と相対せねばならぬ」
イスラエルの首都テルアビブでは、国防相のモシェ・ダヤンがメイアー首相と会談していました。
モシェ・ダヤンは歴戦の猛将でした。第一次中東戦争で片目を失い、眼帯をつけるようになっても戦場に出て、イスラエルを守ってきました。第三次中東戦争でも国防相として采配をふるい、わずか六日間で大勝利を成し遂げました。
ダヤンはメイヤー首相に対し、戦況がいかに切迫し、悲観的な状況にあるかを正直に伝えました。そしてまた、一般の国民に対しても、今起こっていることを正直に話すべきだ、と主張しました。
ダヤンは彼の…結論を――極めて悲観的な内容であった――首相に示した。…ダヤンの描くところの状況はまことに暗いものであった。おそらく首相は愕然となったことであろう。
…しかし、ダヤンの悲観論には別の側面もあった。…即ち、国民には真実が知らされねばならぬというのである。彼の言葉を借りると”裸になって国民と相対せねばならぬ”のである。(p254 アダン)
反撃失敗の翌日、9日に開かれた記者たちとのオフレコ会合で、ダヤン国防相はまさに腹を割って苦境を正直に話しました。かつて大勝利をあげ、イスラエル不敗の象徴的存在だったダヤンの悲観論に、記者たちは愕然となります。
ダヤンがテレビでも国民に実情を話すと言ったので、かえって記者たちの方が慌てて、メイヤー首相に懸念を伝えたほどです。そこで首相判断によってテレビ放送は別の将軍が代わることになりました。
確かにダヤン国防相は悲観論に傾きすぎるきらいもありました。しかし、ダヤンの長年の同僚はこう評しています。
「しかしながら、彼の悲観主義は”建設的”な悲観主義である。例えば”万事オーケー”とは決して言わない。 ”我々がかくかくしかじかのことをしなければ、万事オーケーにはならない”と言うのである」……ダヤンは…実際には戦争勃発以来建設的モードにあり、ダムの決壊個所を理性的に確認し、一番良い補修方法を決めようとしていたのである。(p233 ラビノビッチ)
そんな彼にとって、太平洋戦中の日本軍のように敗北も大勝利と偽るなど、彼は考えもしないことでした。
空軍は何処へいった?
まさに現実を見据え、ただちに失敗から学ぶ必要がありました。歩兵に守られず、砲兵の支援を受けない戦車は、大損害を出してしまいました。諸兵科連合を組まない限り、苦手をカバーできないのです。
イスラエル軍のそもそもの構想では、歩兵と砲兵の少なさを航空支援でカバーする予定でした。イスラエルは空軍の強さに大きな自信をもっていました。開戦前にも、イスラエル情報部は「空軍で劣るアラブが、戦争に打って出るはずがない」と考えていました。
湾岸戦争やイラク戦争などを見ていると、空軍が勝負を決めているように見えます。地上部隊なんていらないんじゃないの、と思ってしまうくらいです。この十月戦争のときもイスラエル空軍は優勢でした。
その優勢な空軍は、しかし地上部隊が待てども呼べどもやって来ませんでした。いったい何があったのでしょう? 次回はこのテーマに移ります。
参考文献
関連
なぜ戦争に気づかなかったか 贖罪日の戦い1 - リアリズムと防衛を学ぶ
日本は島国なのになぜ戦車が必要なのか? part1 - リアリズムと防衛を学ぶ
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